変化
私は、泣いていた。
「あら、どうしたの?」
突然、見知らぬ女の人が声をかけて来た。首に不自然な影があるのが変な感じがしたけれど、優しそうな人だ。
「……もう、学校に行きたくないの」
「うんうん」
「毎日、辛いの」
見知らぬ人相手だったからか、学校でいじめにあっていること、辛いこと、苦しいこと、全てを話せた。
「大丈夫よ。何も我慢しなくていいの。教室にいたくなかったら逃げてもいいのよ」
「でも、家にいたら」
「学校にはいろんなところがあるの。教室にいなくても、先生は責めたりしないわ」
「そう……?」
「ええ、そうよ」
その人は、にこにこと笑った。
けたたましく鳴るアラームがわたしを叩き起こす。
「……朝かあ」
うんと伸びをした。
「——なんか、いい夢をみた気がする」
学校に行く気にはなれないけど、でも、いい夢をみれただけで、少しだけ頑張れる気がした。もっとずっと、いい夢をみていたかったけど。
学校に着くと、誰かが「おはよう、遠野さん」と声をかけてきた。
振り返ってその人を見た瞬間、ハッとした。
「夢の中に出て来た……」
その人はこっくりとうなづいて「そうよ」と言った。女の人も、同じ夢をみたのかなあ。
「大丈夫? 頑張れそう?」
「はい、なんとか」
そう言うと、「嫌になったら、私はそこにいるから」とその人はある部屋を指差した。その部屋は、保健室。
(ああ、そうだ)
その人は見知らぬ人なんかじゃない。2人いる保健の先生のうちの1人。櫃本香織先生だ。
「辛くなったら逃げるってことも大切よ?」
私はうなづく。
味方になってくれる人がいることが、逃げる場所があることが、こんなに心強いことだったなんて知らなかった。
「私、今日頑張れそうな気がします」
授業が始まるなり、いつものように悪口の書かれた紙を回ってきた。誰からなのかは、分からない。
一気に、悲しくなった。逃げたい。でも逃げれない……。
『嫌になったら、私はそこにいるから』
『辛くなったら逃げるってことも大切よ?』
そこまで考えたところで、香織先生のことを思い出した。耳に、声が蘇ってきた。
そうだ。逃げても、いいんだ。
そう考えたら、元気が出てきた。
昼休みになったら、保健室に行こう。それまでは、頑張ろう。
給食の時間。
私はいつも、班ごとにやる牛乳パックの片付けを紗衣ちゃんにお願いされている。だけど、今日は早く保健室に行きたかったから。
「……ね、ねえ。牛乳パック、今日は紗衣ちゃんに、頼んでもいい?」
少し怖かったけど。だけど、いつもお願いされるから、たまにはお願いしてもいいかなと思った。
「いつも、私ばかりだから……たまには、お願いしても、いい?」
ドキドキする。でもきっと、大丈夫。
「……そうだよね! 山本、たまにはいいんじゃない?」
「山本がやってくれるの? じゃ、頼むわ!」
同じ班の男子も応援してくれているように感じる。
紗衣ちゃんは少しめんどくさそうに、でも無言でうなづいた。よかった。
保健室に行くと、香織先生じゃない方の先生がいた。
「あれ、香織先生は……?」
そう言ってから、気付く。
この学校に、香織先生なんていない。
今日の朝は多分、寝ぼけてたのだ。寝ぼけてきっと、夢の続きを見てたんだ。うん。
「……香織先生?」
ほら、保健の先生も首を傾げてる。
「あ……ごめんなさい。櫃本香織先生と、混ざって。夢に出てきたんです」
そう言った途端、保健の先生はハッとしたような顔になった。
「その名前……数年前に亡くなった先生と同じだわ」
「え」
「間違いないわ。生徒からのいじめが原因で亡くなったの」
……そう、だったんだ。
「首吊り自殺を……していたわ」
よくよく考えたら、夢の中の香織先生の首に不自然な影があった。あれはもしかしたら……首を吊った名残、だったのかも。
「そうだったんですか……。ありがとうございます、教えてくださって」
保健室から出る。すると、保健室の入り口に保健室だよりが貼られていたことに気付く。
『嫌なことがあった時、保健室に来てくれれば、相談に乗れるかもしれません。』
その言葉を読んで、香織先生が保健室を指した意味が分かった気がした。
——そこに行けば、保健の先生が助けてくれるよ。
香織先生はいじめられて亡くなった先生だから、私のことを励ましたくなったのかもしれない。
そのことに気付き、思わず呟いた。
「ありがとうございます、先生」
『手紙を書いてくれたから気づけたのよ』
そんな声が聞こえて、ハッとする。
数日前に書いた、手紙。
助けてほしい、苦しいと書き連ねた手紙を、香織先生が見つけてくださっていたんだ。
『多分もう、あなたのことを苦しめる人はいないから。あなたは笑って、幸せに生きて』
優しい声が吹きすぎて、消えた。
私は教室に戻ろうと歩き出す。
大丈夫。私には味方になってくれる人も、逃げていい場所もあるんだから。




