90.外の人間は知らない、僅かな変化 ――マーカス付秘書官の話――
後ほど、あらすじ(これまでのまとめ)を投稿。
軍がここまで拡張する前――エルフ隊が加わる前。私はレオナルド様配下の文官だった。
構成員が増えていく中、今まで秘書を持っていなかった軍師マーカス・ベルフォームにも秘書が必要となり、私が抜擢された。
軍の人事異動が行われる前から、彼がいつも忙しそうなのは見ていた。いったいあの人はどれだけ働いているんだ。私も昼夜問わず呼び出されるのだろうか。
厳しい場所へ放り込まれたと、着任直前は少しげんなりしていた。
しかし、予想していた以上に、この職場は快適だった。
貴族のように扱われるのを嫌がって、身分の貴賤は関係なし。職務は単なる上下関係だけ。呼び方も対等に、ただしプライベートは侵さないこと。
ベルフォーム家と言えば、他領の領主貴族のはずだ。平民に交じった生活に抵抗がないのかと、少し驚いた。
彼には侍女も数人付いているが、仕事内容といえば、起床時間を知らせ、寝室のベッドメイキングを行い、部屋で取る食事の準備をする、程度のようだ。私信の開封や手配も仕事らしいが、ほとんどないのだと教えてもらった。ただし彼女らは、だいぶ変則的なマーカスさんの生活に若干振り回されている気はする。
懸念していた残業も、驚く程少ない。早朝の呼び出しもほとんどない。マーカスさんが仕事をしていようが、私には関係なく休憩が与えられる。
最初に伝えられた「プライベートは侵さない」、これはマーカスさんに対してだけでなく、私のプライベートのことでもあったらしい。
それでも職務中は大量の仕事が降ってくる。
他部署からの書類を受け取る。他部署への書類を運ぶ。決まった打ち合わせがあればそれを確認し、時間になれば声をかける。書類の清書を行う。簡単な数字のチェックを行う。足りない物品の手配を行う。受け取って必要な場所へ片づける。
雑用と呼ばれるかもしれないが、マーカスさんは仕事が早いし、私のような一文官が直接手を出せる仕事は多くない。必然的に、単なる手足が主な仕事となる。
軍の規模が大きくなればなるほど、マーカスさんの仕事は増えていくようだ。それでも私や侍女には無茶を言わない。
まったく、本当に、いったい、彼はどれだけ働いているんだ。
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そんな生活に少し変化が見られ始めたのは、いくつかの内地貴族が私設軍を大きくしだした頃だったか。
レオナルド様との打ち合わせも多くなり、頭痛薬の消費量が少しずつ増え、眉間の皺も深くなり。しかしどこまでが「プライベート」となるのかが判断できず、できるのは休憩を促す程度。それも何だかんだと誤魔化される。
どうしたものだか、と悩んでいた日々。
ある日出勤すると、だいぶスッキリした顔のマーカスさんがいた。
(何が起こった!?)
内心驚いたが、顔に出さずに仕事を進める。
と、部屋に何やら良い香りが漂っている事に気付いた。
いよいよ一部貴族がキナ臭くなってきた。クルスト軍からも、首都方面へ援軍を出している。
相変わらず仕事に忙殺されているマーカスさんだが、最近は何故かどことなく感情的だ。微妙な変化。毎日毎日顔を合わせているから感じる変化。外部の人間は気付かないだろう変化。
もっとも、彼は自分の情緒で仕事を振り回すことはしない。だから仕事上は変わりない。そして、疲れているのも変わらない。それなのに、はて。
疑問はすぐに解決した。
ある女性が、マーカスさんの執務室を訪ねてくるようになったのだ。
それからだ。私や侍女の休憩時間が、更に増えたのは。
彼女が来ると、マーカスさんは珍しく休憩に入る。私や侍女もその間、休憩を与えられる。最初は侍女が待機していたらしいが、2日目の今日にはもう、私と一緒に部屋を出てきた。
「何がどうなっているのか、事情がよく見えないんだが」
ポツリと侍女の一人に漏らすと、少し嬉しそうな顔をして、初日に見たことを教えてくれた。
彼女がマーカスさんの肩や首を解している。その際に香りのある何かを使っている。――ああ、だから仄かな香りがしていたのか。
そして、その間、驚くべきことに、あのマーカスさんから、眉間の皺が消える。――それ、は。どういう風に受け止めれば良いのだろう。単に身体が楽になったからなのか、それとも……。
気になるが、「プライベートは侵さない」が約束だ。
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最近、マーカスさんが何か言いたげにこちらを見ている。
ああもう、まったく、先日から彼の様子がおかしすぎて調子が狂う。しかし彼自身の能力はいつも通りなのが、さすがというか何というか。
この変化はどう見ても、例の彼女――ミワさんが私の同僚となったことと関係がある。
正確には同僚ではない。私はマーカスさんの秘書官で、彼女は補佐官。実質別の仕事となる。彼女は軍師に類する仕事、つまりマーカスさんとは別の作業を割り振られているようで、マーカスさんの仕事に直接関わるのは私のまま。
この関係性は、同時に補佐官となったケインくんにも当てはまるのだが、彼の仕事場は城内ではなく、城の外側、外部担当らしい。書面上は同じ部署となるが、まず顔を合わせない。
仕事内容が違うために彼女との接点はそう多くないが、それでも同じ場所で働いている以上、やり取りは発生する……はずなのだが。その機会が意図的に排除されているように感じる。明らかに上司の差配だ。
その上で、こちらの様子を窺うのだ。微妙な変化。毎日毎日顔を合わせているから感じる変化。外部の人間は気付かないだろう変化。
「で、私はどうすればいいのでしょうか?」
単刀直入に切り出すと、マーカスさんの目が少し伏せられた。
「いや、プライベートに関わるからな」
「仕事に影響していますよ」
「影響は出さないようにしていたのだが」
そう、直接の影響はない。だがここまでくると、僅かながら仕事に関わる、と言い繕うことができる。居心地の悪いままで引くのも癪だ。
「マーカスさんのプライベートを詮索するつもりはありません。ありませんが、私の仕事に関わるのですから、その点の説明は受けられると考えております」
「私のプライベートだけでなく、君のプライベートにも関わる」
「私の方は、多少突っ込んで聞かれても気にしません。質問に対して黙秘することもできますし」
だから、少しでも事情を。
数秒後、彼は短く息を吐いた。
「異動でここへ来た時の書類で確認したが、ダニエル、君は独身だったな?」
「ええ」
仕事で提出した書類なのだから、そんな情報程度、プライベートには入らない。
「今、君は、誰かお付き合いしている人間はいるか?」
ああ、腑に落ちた。どうやら、先日から「もしや」と考えていたことが的中したらしい。
「結婚を考えている相手がおりますし、そもそも同僚に対してどうこう考えてはおりませんよ。異性愛者ですが、ご心配なく」
人間味を感じられない程の仕事を毎日こなしている上司が、やはり人間だったことに安堵する。図らずも彼のプライベートに踏み込んでしまったが、それは彼自身も承知の上だろう。咎はないはずだ。
「すまなかった」
「原因が分かったので問題ありませんよ。こちらこそ申し訳ありませんでした。マーカスさんがよろしいのであれば、今後も同じ対応でお願いいたします」
多少警戒されたとしても、僅かな嫉妬心で仕事を放り出す人ではない。気が済むまで私を動かせばいい。協力だってしよう。私の言葉に込められた意味は、当然彼にも伝わっているだろう。
ようやく我が上司は、椅子の背にもたれ、眉間の皺を消して天井を振り仰ぎ、大きな息をついた。




