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Rosary ~ロザリー~  作者: 方丈 治
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第一話-3

 

「……では、ありがとうございました」

 金髪の男は元のようにフードと布で頭を隠すと、ソファーから立ち上がった。続いてグラッシーも立ち上がる。

「いや、お役に立てなくて申し訳ない」

 男を見送るため部屋の扉まで一緒に歩いたグラッシーだったが、その間ずっと腑に落ちない表情だった。立ち止まった時、グラッシーは何か引っかかる思いを男に伝えた。

「……君の顔を……私はどこかで見たことがあるような気がするのだが……。先ほどからそれを思い出せずにいるのだよ。どこかで会ったことがあるなら、本当に申し訳ない……」

「そうですね……。意外とどこかで会っているかもしれませんね」

 男はそう言うと微笑んだ様子だったので、グラッシーは不思議に思った。

 去ろうとした時、男はふと思い出したように告げた。

「そういえば、ここへ来る前に庭園で女の子に会ったのですが……。あなたのお嬢さんですか?」

「…………! 娘に会っていたのか……。いや、実は今、フルートの稽古の時間になっても娘が戻ってこないので、召使達に探させているところなのだ。……娘が何か失礼な態度を取らなかったかね?」

 グラッシーの問いに、男は先ほどの出来事を思い出して苦笑する。

「話しかけた途端に逃げられました。まあ、この怪しい恰好を見たらそうするのも不思議ではないですがね」

「やはり、そんな失礼なことを……申し訳ない。娘は生まれつき耳が聞こえないのだ……」

 男はグラッシーの言葉を聞いて、息を呑んだ。先ほどの少女の行動に納得がいったのだ。

「耳が聞こえない、話せない。そのせいで大きくなるにつれ、人を避けるようになってね。人と意思の疎通が簡単にできないことを煩わしく思っているからだろう……。しかし、私は娘にそんなことに負けない子になって欲しいと思っている。……それに、私は娘を立派な音楽家に育てなければいけないのだよ」

「耳が聞こえない……のに?」

 男の質問に、グラッシーは重く頷いた。

「妻との約束なんだ。妻の死に際に交わした時は、まさかこんなことになるとは思ってもいなかった……。娘が耳の聞こえない子だと知ったのは、妻が死んですぐ後だったんだ。どんなに娘を恨んだことか……。普通の子供であったなら、一流の音楽家になることができたであろうに……」

 グラッシーが悔しそうに声を絞り出した。それを黙って聞いていた男は、口を開いて、ゆっくりとこう言った。

「……娘さんは覚えてないんでしょうか。十年前、誕生祝いとしてあなたが弾いた『あの曲』のことを……」

 グラッシーははっと息を呑んだ。そして、まじまじと目の前の男を見る。その唇は微かに震えている。

「ま、まさか……君は……」

「では、これで失礼します」

 そう言うと、男は足早に去っていった。一度も振り返らずに。

 その時、入れ違いにメイドと少女が、グラッシーのいる部屋に向かって廊下を歩いてきた。メイド達はようやく娘を捕まえたようである。

 メイドと少女が広間に入ると、メイドがグラッシーに向かって深々と頭を下げた。

「申し訳ございません! 庭園でお嬢様を探している間に、フルートの先生が怒って帰られてしまいました……!」

 メイドは頭を下げながら、次はグラッシーのどんな叱責が飛んでくるかと構えていた。しかし、メイドは呆気にとられた。グラッシーはただ、こう言っただけだったからだ。

「……よい。ご苦労だった、下がってくれ」

「…………?」

 メイドは頭を傾げながらも、おずおずと退出した。

 広間の中には、グラッシーとその娘の二人だけになった。グラッシーは立ち上がると、娘をピアノの前に立たせ、それから娘の小さな両手を握った。

「……いいか? 今から、お父さんが、弾く、曲を、この両手で、聞くんだぞ」

 グラッシーは娘の目を見ながら、娘に何を言っているのかが分かるように、ゆっくりと説明した。そして、娘の両手をピアノの上に置いた。

 グラッシーはピアノの前に座り、鍵盤に両手を置いた。



 *****



 ──十年前。


 きらびやかな姿をした、大勢の貴族達が一流ピアニスト、グラッシー演奏を拍手で褒め称えた。ピアノをひとしきり演奏し終わったグラッシーは、ピアノの前に立ったまま、こう言った。

「今宵は、西部派貴族の皆さまのパーティーに招待してくださり、私のような愚民といたしましては身に余る光栄でございます。誠に恐縮ではございますが、私の演奏の締めくくりとして、先日産まれた私の娘のために作曲した曲を弾かせていただけるとありがたいのですが……」

 すると、貴族達から拍手と大歓声が上がった。

「ありがとうございます」

 グラッシーは深々と一礼した。それから、貴族達の間に座っている妻と、その胸に抱かれている乳飲み児を呼んだ。

「ソアラ、その子と一緒にこちらへ……。この子のための曲なのだから、特等席を設けないとな」

「まあ、あなたったら。この子には甘いのね」

 妻ソアラは微笑むと、ピアノの真横に用意された椅子に腰掛けた。

 グラッシーもピアノの前に座ると、曲の題名を声高らかに宣言した。

「“愛する我が子のための子守唄”」

 曲が始まった。その時、ある光景を見て、グラッシーにソアラ、そしてその場にいた貴族達は驚いた。

 ソアラの胸に抱かれていた赤ん坊が、体をピアノに寄りかからせたのだ。──全身でピアノの音を受け止めているかのように。

 しばらくすると、その赤ん坊はそのままウトウトと眠ってしまった。これを見ていた者達はこう思った──これが本当に“子守唄”なのだと。



 *****



 グラッシーの指は鍵盤という名のダンスフロアの上で踊り始めた。

 その瞬間、少女は息を呑んだ。そして、全身が震えた。

(……知ってる……。この振動、どこかで……)

 少女は耳が聞こえない。だが、全身で音を『聞いて』いた。赤ん坊の時に感じた振動と全く同じ振動を。

(そうだ……、こんなこともあったんだ)

 少女はふと、父がピアノを弾く姿と自分を抱く母の姿を思い出した。

(私をこんなに愛してくれていたんだよね、お父さん……)


 この十年後、“愛する我が子のための子守唄”で世界を魅了するフルート奏者が現れることになる。彼女は耳の聞こえない音楽家であった──。



 *****



「失礼します、旦那様」

 扉が開き、一人のメイドが部屋の中に入ってきた。その手には、一束の紙があった。

「ご希望の、西部派貴族の指名手配書を持ってまいりました」

 そして、メイドはそれをグラッシーに渡した。メイドが部屋を出て行くと、グラッシーは紙をめくり始めた。そして、四枚目で手が止まった。

「や、やはり……」

 グラッシーは驚きと確信で声を震わせた。その紙には、数日前グラッシーの屋敷を訪れた謎の男の顔写真が大きく載っていた。その写真の下にはこう書いてある──『ランス・クラムシー』『懸賞金:五百万ダラス』『西部派貴族 幹部』『SA級』。

 グラッシーは顔を上げて、大きく溜息をついた。

「なんということだ……」

 グラッシーは意を決したように再び指名手配書に目をやると、一気にそのページを破りとった。そして、それを細かく破いて、捨てた。

「メイド達に見られていなくて幸いだったな、ランス君」

 物悲しげな表情で、グラッシーは呟いた。

「西部派貴族の君と、東部派貴族のあの女性……か」

(東西戦争とは、何と残酷なものよ……)


第一話完結です。

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