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Rosary ~ロザリー~  作者: 方丈 治
2/19

第一話-2

 

「お嬢様! お嬢様~!?」

 グラッシー邸に響き渡るいくつもの声。メイド服を着た女達が慌てた様子で屋敷の中を走り回っている。

 一人のメイドが辺りを見渡しながら、もどかしそうに呟く。

「お嬢様ったら、一体どこに行かれたんでしょう? 今からフルートのお稽古があることはご存じのはずなのに……」

 隣にいた別のメイドが、窓から大庭園を見渡して言った。

「またお一人で庭園に入られたのかしら……」

「ええっ? 以前、あんなに旦那様に叱られたのに?」

「でも、お嬢様の心休まる居場所はあそこしかないんじゃないかしら? 旦那様は厳しいお方だし、私達召使は口やかましいし」

 お喋りをしていたメイドだったが、廊下の向こうに現れた一人の男を見つけて慌てふためいた。

「旦那様だわ!」

 メイド達は廊下の端に寄って、彼女達の方に歩み寄ってくる男に頭を下げた。口髭をたくわえたその男は厳格な雰囲気を持っていて、動作もきびきびとしている。

「グラッシー様、お帰りなさいませ! 本日の公演はいかがでしたか? さあ、お疲れでしょう、お茶のご用意を……」

「この騒ぎは何だ?」

 屋敷の主、グラッシーは厳しい声でメイドの言葉を遮った。今一番訊かれたくないことを主人に尋ねられ、メイド達は仲間内で視線を通い合わせた。まごつく召使に、グラッシーは苛ついた様子で再び尋ねた。

「どうしたと訊いているんだ」

「はい……、いえ、そのぉ……。お嬢様がお稽古を……」

 ためらいながら話すメイドの説明が終わらないうちに、グラッシーは事情を察したらしい。グラッシーは激昂した。

「何だと!? 公演で家を空ける前に、娘に稽古を何が何でも受けさせろ、と言っておいたではないか! 私があれほど頼んでおいたのにも関わらず……。稽古を頼んだあの教師は一番の人気教師なのだぞ!? 彼に呼ぶのに、私がどれほど苦労したことか……。何としてでも、娘を探し出して連れてこい!」

「はっ、はい!」

 グラッシーが怒鳴り声に驚いたメイド達は一斉に散っていった。誰もいなくなった廊下に一人残ったグラッシーは溜息をついた。

「……なぜ、こうも上手くいかないものか……。私の育て方が間違っているのか? 教えてくれ、ソアラ……」

 そして、グラッシーは窓から空を見上げた。しかし、雲ひとつない空が答えてくれるはずもなかった。


 その後、グラッシーは広間に入った。大きなその部屋の至る所に、ピアノを演奏しているグラッシーの白黒写真やトロフィーが飾られている。そして、部屋の中央に立派なグランドピアノが置かれていた。窓から差し込む光で、妖しく黒光りしている。

 グラッシーはソファーに座り、持っていた革鞄を開けた。中には何十枚もの楽譜が入っていた。その中の一枚を取り出すと、グラッシーはそれを愛おしそうに眺めた。“愛する我が子のための子守唄”──題名欄にはそう書いてあった。

 グラッシーはその楽譜を持ったまま、ピアノの前に座った。楽譜を見えるように置き、鍵盤の上に手を載せた。

 優しく、暖かいピアノの音が、屋敷を包み込んだ。グラッシーの指が、心を持つ動物のように鍵盤の上を軽やかに歩いている。子を想う母親の、底なしの愛を表したような旋律だ。

 そして、グラッシーの指が止まった。

 次の瞬間、広間の扉の方からひとつの拍手が聞こえてきた。

「…………!?」

 グラッシーが驚いてそちらを見遣ると、扉の前に群青色のマントを被った男が立っていた。拍手を終えると、静かに広間の中に入ってきた。

「だ……誰なんだね、君は? どうやってここまで入ってきた……!? メイド達は一体何をやっているんだ!?」

「勝手にお邪魔して、すみませんね。綺麗な曲がここまで案内してくれたもので」

 グラッシーの目の前に立った男はそう言うと、恭しく一礼した。

 その時になって、自分自身が娘を探すようメイド達に言ったのをグラッシーは思い出した。主人をこれ以上怒らせないように、召使達は総出で娘を探しに庭園に出かけていったのだ。つまり、屋敷はほぼ空状態だったのだ。群青色のマントの男が誰にも見つからずに屋敷に侵入できたのも当たり前だった。

「それで、私に何の用だ? 私を拉致しにでもやって来たのか? それで大金が手に入るとでも思っているのだろう」

 グラッシーは不愉快さを隠そうともせずに、男に言い放った。一方、マントの男は平然と口を開いた。

「……実は、人探しのために、あなたに尋ねたいことがあってやって来ました。……訊いてもいいでしょうか?」

「帰ってくれ。今公演が終わったところで、特に疲れているんだ。それでも私に訊きたいことがあるというのなら、執事にアポイントを取ってからにしてくれ」

 怪しい侵入者とまともに話をするまでもない。そう思ったグラッシーは迷惑そうに断った。

 しかし、目の前の男は一向に立ち去る様子がない。今度はもっと強い口調で言ってやろう、グラッシーがそう思った時だった。マントの男が一言だけ呟いた。

「“愛する我が子のための子守唄”……」

 グラッシーは驚いた。目を見開いて、目の前の男を凝視した。

「な……なぜ、それを……?」

 口をパクパクと開けながら、グラッシーは立ち上がった。信じられない、といった顔つきだ。

 マントの男は思い出すように少しの間考え込んでから、再びグラッシーを驚かせることを言った。

「確か……十年ほど前にあなたが作曲なさったものですね?」

「あ、ああ……。だが、この曲は世に出していないから、誰も知らないはずなのだが……」

 グラッシーはしばらくの間考えてから、口を開いた。

「……分かった。どこからこの曲のことを知ったのかは分からないが、私の音楽に詳しい者をこのまま追い返す訳にはいかない。私で役に立つかは分からないが、君の話を聞こうじゃないか」

「……ありがとうございます!」

 フードの下で、マントの男は嬉しそうに口を開いた。

 グラッシーは男をソファーに座らせてから、男の姿をもう一度じっくりと眺めた。群青色のマントとフードで全身を覆っている。出ているのは目の部分だけだ。まともな身分の男ならば、こんな怪しい恰好をしているはずがない。どこかのならず者だろう、とグラッシーは考えた。

「話を聞く前に……フードだけは取ってくれないか? こんな私でも、一応礼儀というものをわきまえているのでな」

「…………」

 マントの男は沈黙した。ためらう様子があったが、男は頷いた。

「これは申し訳ない……。今、外しましょう」

 男は頭のフードと、口を覆っていた布をゆっくりと外した。

 その中から現れたものは、グラッシーを驚かせた。ひとつに縛っているきれいな金髪に青眼、端整な顔立ちにどこか気品がある、三十代前半くらいの青年だった。ならず者などの雰囲気ではなかった。むしろ、それは……。

「それで、私に訊きたいというのは……?」

 尋ねたグラッシーに、男は懐から一枚の白黒写真を取り出し、見せた。それは何年も前に撮ったのだろう。古ぼけていたが、それを扱う男の手つきは大事な物を触っているかのようだった。写真の中には、年若い貴族風の女が写っている。花束を抱えていて、恥ずかしそうに微笑んでいる。胸には、先端に十字架の付いた首飾りが掛けられている。

「この女性に心当たりはありませんか? この写真は何年か前に撮られたものなので、今、彼女は二十歳ほどになっているはずなのですが……。私は彼女に会うために旅をしているのです」

 金髪の男は緊張しながらそう言った。

 グラッシーは真剣に写真を見つめていた。しばらくして、グラッシーは口を開いた。

「私には見覚えがないが……。この女性は貴族の方かな?」

「ええ、彼女は東西戦争前の東部派貴族です……」

「東部派か……。それなら、まだどこかで生きておられるに違いないだろう」

「そうですか……、知りませんか……。…………」

 金髪碧眼の男は落胆した様子で黙り込んだ。それを見る者が哀れに思うほどの落ち込みようだったので、グラッシーは男を慰めようと微笑んだ。

「そう、気を落としなさるな。西部派貴族ならいざ知らず……、この女性と君がどんな関係なのかは知らないが、東部派貴族の方であれば会える望みはある」

 グラッシーは写真を男に返しながら続けた──思い出すのも辛そうに。

「ほんの五、六年前のことだからまだよく覚えているが……、あれはひどい戦争だった。この国の東西の貴族達の争いで、私達庶民も巻き込まれ大勢の死者も出た……。結局は東部派が勝利を収めたが、噂では両派とも貴族が貴族でいられない程に財産を失ったらしい。戦後、東部派貴族が西部派貴族の生き残りを一人残らず死刑か監獄送りに処したようだが……。東部派の方なら、きっと生きておられる」

 グラッシーの励ましに金髪の男は頷いたが、やはりすっきりとしない表情だった。


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