8.
出口を塞ぐように立ち尽くしている飛蝗を見て、蝶々は緊張しました。
共に来た仲間達はいません。ここにいるのは檻に閉じ込められた蜘蛛の少女と蝶々だけです。それでも蝶々は思いました。相手が飛蝗ならば、自分にも勝ち目はあるかもしれないと。
強気な蝶々を見て、飛蝗はいっそう笑みを深めます。
「おやおや、物騒なお客さんですね。きちんと礼儀正しく訪問なさればそれなりの待遇はいたしましたのに」
「ふざけたことを言わないで。この子を外に出しなさい!」
恐怖を忘れるように威嚇する蝶々。しかし彼女の緊張は蜘蛛の少女にすら気付かれるほど表に出ていました。だからでしょう。飛蝗は蝶々の事をちっとも恐れずに優雅に一礼してみせたのです。
「申し訳ありませんが、それは出来ません。その御嬢様は御主人様の大事な大事な《お客様》なのですから。私の勝手な判断で檻を開ける事は不可能です」
「それなら、力ずくで開けてもらうだけよ!」
意気込む蝶々に蜘蛛の少女は不安を覚えました。蜘蛛にとって蝶々というものは儚い存在です。相手が草花ならば命すら脅かしかねない恐ろしい生き物だったでしょうが、今回はそうではありません。蜘蛛ならば恐れもしない飛蝗が相手であっても、蝶々が楽に勝てるとは少女も思えなかったのです。それに、相手は飛蝗だけではないのです。今もこの屋敷の何処かにトカゲの魔女が潜んでいるのですから。
――ああ、神様。どうか蝶々を守って!
自力で檻から抜け出せない蜘蛛の少女はせめてもの願いを込めて蝶々を見守っていました。
その祈りを蝶々も感じ取ったのでしょう。不思議と勇気がわいてきました。蝶々として当り前に生きていた時には感じたこともない勇気です。今まではずっといかに花を誘うのか、騙すのか、そればかりを考えて生きてきました。けれど、今は違います。大切な友人を取り戻すために、これほどまでに闘志を燃やしたことはありませんでした。
蜘蛛の少女が見守る中、蝶々と飛蝗は戦い始めました。止める者はどこにもいません。きっとどちらかが力尽きるまで終わらないでしょう。荒々しい声と共に戦う二人を見ている内に、蜘蛛の少女は震えが止まらなくなりました。蝶々のことが心配で仕方なかったのです。それでも、蝶々は怯えることなく戦い続けます。
一方、戦いが長引くにつれて、飛蝗は焦りをみせていました。
蝶々と飛蝗は互角。しかし、相手は若い娘です。そんな相手に戦ってここまで苦戦するとは思わなかったのです。だから、だんだんと飛蝗は蝶々に対する遠慮を失くしていきました。そしてとうとう、飛蝗は部屋の隅に立てかけてあった三叉を手に取り、蝶々に殴りかかって来たのです。
今度は蝶々が焦る番でした。蝶々に武器らしき武器はありません。探す時間をくれるはずもなく、殴りかかって来る飛蝗を必死に避けることしかできませんでした。いつまでもずっと避け続けることが出来るはずもありません。とうとう壁際に追い詰められる頃には、飛蝗はこれまでの紳士的な態度だった時とは比べ物にならないほど恐ろしい形相をしていました。
「悪いですが、これまでです。不届き者のあなたには、御主人様に満足いただける蝶々の丸焼きにでもなってもらいましょうか」
しかし、蝶々はまだ諦めていませんでした。
飛蝗が三叉を思いっきり振り上げた時を見計らって、全力で体当たりをしたのです。そして、バランスを崩した飛蝗がよろけたところへ容赦なく突き飛ばします。ろくに受け身も取れずに倒れ、苦しむ飛蝗の上に圧し掛かり、今度は彼女が三叉を奪って突きつけたのです。
「丸焼きなんかにされてたまるもんですか。さあ、痛い目に遭いたくなかったら、あの子を檻から出しなさい!」
これで勝ったのでしょうか。蜘蛛の少女は息を飲んでその様子を見ていました。これまで儚いとしか思っていなかった蝶々が非常に逞しい生き物に見えました。
そう、蝶々の娘も蜘蛛の少女も、すっかり飛蝗の事ばかり気にしていました。だから、全く気付かなかったのです。この部屋には既に別の誰かが忍びこんでいたのだと言う事に。
真っ先に気付いたのは蜘蛛の少女でした。飛蝗を捕える蝶々に忍び寄ろうとしている何者かの存在を目にして、蜘蛛の少女は慌てて叫びました。
「危ない!」
魔女です。魔法で気配を殺して、いつの間にか蝶々ににじり寄っていたのです。少女の言葉に蝶々も気付きましたが、時すでに遅く反撃するのも逃げるのも間に合いそうにありません。このままでは蝶々まで捕まってしまいます。
絶望の未来が二人に押し寄せてきました。けれど、そんな波を遮断するかのように、また別の者が部屋に乱入してきたのです。
小柄な身体、トカゲの魔女と戦うにはあまりに弱々しい生き物。花虻でした。