3.
食糧庫の食品はまだ残っています。けれど、蝶々の娘はそこにはいません。蜘蛛の少女が服を作るようになってからは、蝶々の娘も別の部屋で寝泊まりするようになっていたのです。
時折、蜘蛛の少女だけが住まいを抜けだし、蝶々の為に蜜花を摘んでくる以外は、二人とも服作りに没頭していました。
二人のように服を着て愉しむ虫や虫以外の動植物たちはこの森に意外と多くいるものですから、蝶々の娘が提案したようにたくさんの服を作って欲しがる者を探してみようということになったのです。
「欲しがる人が見つかったとしても、そう簡単に食べ物をくれるかしら……」
二着の服を作り上げた頃になって、蜘蛛の少女はぽつりと不安を漏らしました。
蜘蛛の少女が食べなくてはいけないのは肉類です。人間たちからは家畜の肉や魚肉の燻製などを貰っていましたが、少女は燻製の作り方も分からなければ、釣りの仕方だって知りません。彼女が知っているのは蜘蛛らしい狩りの仕方だけですし、蝶々が知っているのも蜜花を言い包める方法だけでした。
けれど、蝶々は少しだけ蜘蛛の少女よりも世の中に詳しかったのです。外の世界には獲物取りに困らないような人間以外の住人もいっぱいいる。蜘蛛の少女が食べられるようなものを養殖しているような者もいますし、釣りをする者もいます。だから、後は彼女の作る服が気に入られればそれでいいと考えていたのです。
「大丈夫、わたしに任せて。あなたの服なら沢山の人に気に入ってもらえるはずよ」
それでも、蜘蛛の少女は半信半疑でした。
服をつくる度に褒めてくれる蝶々のことを、心の何処かで疑っていました。もしかすると、蝶々は機会を窺っているだけなのかもしれない。客を探すなんて嘘で、いつかは逃げてしまうのかもしれない、と。
ですが、服をつくるのは楽しくて、蝶々が時折語ってくれる未来は想像しただけでも幸せな夢だったので、少女は静かに服を作り続けました。
もしもこれが偽りだったとしても、その時はその時に考えよう。
そして、食糧庫の食品を食べきってしまうより前に、少女はようやく三着の服を作り上げたのです。
「この辺にしておきましょう。後はこの服を欲しがる人を探すだけよ」
蝶々の娘に言われるままに、蜘蛛の少女は服を畳んで一緒に外に出ました。
二人の住む世界は広く、美しく、そして忘れてはいけないほどに残酷なものです。けれど、住まいを出てきた二人を迎える太陽の日差しはとても晴れやかで、明るいものでした。
眩い光に包まれながら、二人はさっそく話の通じそうな人たちを探しました。虫、ケモノ、鳥、花や草、あらゆる生き物がこの世界にはいます。話の通じぬ者たちは、仲良さげに歩む蜘蛛と蝶々という奇怪な組み合わせを不思議そうに眺めていました。
日が傾く前に、まずは一人、蝶々が気になる人物を見つけました。それは、名も知らぬ黄色い花の少女でした。太陽のように輝く髪を風になびかせている彼女は、見るからにお洒落に興味がありそうな風貌をしていたのです。
「まずはあの子で様子を見てみましょう」
蝶々が提案しましたが、蜘蛛の少女はやや乗り気ではありません。だって相手は花です。蜘蛛の少女が食べられそうなものを持っているとは思えなかったからです。それでも、蝶々は安心させるように少女に笑いかけました。
「あなたの服がどれだけ評価されるか試すだけよ。そうね、あわよくば、口コミでもしてもらいましょ」
その言葉に、蜘蛛の少女はしぶしぶ頷きました。それを見て、さっそく蝶々がそっと近づいて話しかけました。
「こんにちは、御嬢さん。今日は晴れ晴れとするいい天気ね」
微笑みながら話しかける蝶々の姿に、黄色い花の少女はやや警戒しました。無理もありません。蝶々は蜜花を言い包める存在。いくら美しくても、見知らぬ蝶々に話しかけられるのは花にとっては怖いことなのです。それでも、蝶々は態度を変えずに花の少女の警戒をゆっくりと解いていきます。柔らかな態度で相手の心に潜り込むことこそ、彼女の持つ魔法の力だったのです。
蝶々は飽く迄も淑女的に、花の少女に話しかけました。
「木漏れ日の似合う美しい姿。黄色い花の子のなかでも、あなたは一際美しいわ」
蜘蛛の少女には聴いただけでもくすぐったいほどの御世辞のようでしたが、黄色い花の少女はまんざらでもなさそうに照れながら答えます。
「そんなことないわ。ほかの子たちもとても美しいもの」
そうは言っても、警戒を解き始めたのは確かでした。蝶々は静かにそれを見抜いてから、そっと花の少女に囁きました。物言わぬ蜜花ではなく、この花の少女のように会話のできる花達を捕らえる時にいつも使っていた手です。
「そうかしら。あなたなら磨き方次第でどんな宝石よりも輝く花になれそうよ。そうね、たとえば……服に興味はないかしら?」
「服?」
不思議そうに花の少女は問い返しました。
てっきり蝶々の狙いは自分の生み出す蜜なのだとばかり思っていたからです。けれど、蝶々は全くその気はないのだと態度で示すように、黙って控えている蜘蛛の少女を指さしました。
「この子が作った服を見てみない? あなたに似合う服がありそうよ」
突然注目を浴びて、蜘蛛の少女は慌ててまとめていた服から黄色い花に似合いそうなものを一つ選んで広げてみました。それを見た瞬間、黄色い花の少女は目を見開きました。
「うそ……すごく綺麗……」
手渡してみれば、花の少女はすっかり服に魅了された様子で恐る恐るその手触りを確かめていました。その反応に、蜘蛛の少女は静かに喜びを感じていました。
――気に入って貰えたみたい。
それは、人間相手に布帛を渡していた時と似たような感動でした。
「これ、着てみてもいいの……?」
恐る恐る訊ねてくる黄色い花の少女に、蝶々が答えます。
「いいわよ。なんなら、あなたに差し上げるわ」
「えっ?」
驚いた様子の花の少女に、蝶々は微笑みかけました。
「その代りなんだけれど、出来るだけたくさんの人に伝えてくれないかしら? 『蜘蛛の口に合う食べ物と引き換えに、素敵な服を作ります』って。そしたら、この服はただであげるわ」
黄色い花の少女は少しだけ怖気づきました。蜘蛛の口に合う食べ物というと限られています。何を食べて生きているのか彼女も知っていたので、他ならぬ蝶々がそんなことを言うなんて不気味に思ったのです。それでも、花の少女は蜘蛛の少女が作った服にすっかり魅了されていました。
どうしても欲しい。そう思ってしまうくらい、蜘蛛の作った服は花の少女の好みにぴったり合っていたのです。
「分かった。たくさんの人にあなた達のことを話すわ。蜜を吸いに来る虫や鳥たち、そばを通りかかったケモノたち、同じ花の子たち、まずは顔なじみからかたっぱしに話していくわ」
「そう。それは助かるわね」
蝶々はくすりと笑ってから、蜘蛛の少女に目配せしました。
蜘蛛の少女はそこでやっと口を開きました。
「気に入ってくれる人のために生まれた服よ。あなたならきっと着こなせるはず」
まだ幼さの残る蜘蛛にそう言われ、花の少女は戸惑いつつも貰った服を抱きしめて答えます。
「ありがとう。大事にするわ」
こうして、蜘蛛と蝶々の最初の商売は無事に終わったのです。