1.
蜘蛛の少女は機織りが得意でした。
彼女の紡ぐ糸は特殊なもので、とても美しい布帛が出来たので、人間たちからの評判もよく、しょっちゅう彼女の元には客人が訪れていました。
蜘蛛の少女が対価に要求するのは食糧。本来、獲物を捕まえるための糸は全て織物に使い、客人が持ってくる様々な食品を食べ、時には贅沢品も貰って優雅に暮らしていました。
しかし、そんな生活も長くは続きません。
ある時からどういうわけか人間の客人がぱったり来なくなってしまったのです。理由は人間たちの暮らしの変化でした。蜘蛛の少女の元を訪れていた人々の町はだんだんと不便な場所になり、とうとう皆、遠くの都会へと引っ越してしまったのです。
けれど、森の中で暮らしている蜘蛛の少女がそれを知るわけもありません。彼女は来る日も来る日も機織りを続け、人間たちの客が自分の布を喜んで買っていくのを楽しみにしていました。
――なかなか人が来ないのは、きっと皆、忙しいからでしょう。
待ち続け、機織りを続け、いつの間にか少女の暮らす住まいは布帛で一杯になっていました。その代わり、溜めこんでいた食糧はどんどん減っていきます。食糧庫を覗く度に少女はようやく焦り始めました。
このままだと飢えてしまう。
そして、やっと決断しました。
機織りを一度辞め、蜘蛛らしく罠を作ることにしたのです。
彼女が狙うのは大きな虫。狩りをするのは久しぶりです。幼い頃に仲間と一緒に居たまどいから風を使って旅立った直後は、彼女も蜘蛛らしく虫達を捕まえて食べていました。けれど、機織りが人間たちに評価されてからはもう長く狩りをせずに暮らしていたので、ちゃんと捕まえられるのか心配だったのです。
そんな少女の心配を裏付けるように、一日、二日と何も罠にかからないまま過ぎていきました。
――ひょっとして、このまま飢えてしまうのではないかしら。
ですが、その心配も三日目の朝にはなくなりました。
糸の罠に大きな獲物が引っかかっていたのです。それは、美しい容姿をした蝶々の娘でした。夜通し暴れていたのでしょう。全身に糸は絡みつき、少しも見動きが取れなくなっていました。ぐったりとした様子で項垂れていた蝶々は、蜘蛛の少女が現れたのに気付くと青ざめた顔で言いました。
「お願い」
蜘蛛の少女よりも大人びた声です。
「お願い、わたしを食べないで……」
すっかり震えたその姿に蜘蛛の少女も哀れんでしまいそうになりましたが、食糧が尽きてきている今、逃がしてあげる余裕は彼女にもありません。
「ごめんなさい。でも、あなたは運がなかったの」
それに、もたもたしてはいられません。こうしている間にも、誰かに獲物を奪われてしまうかもしれないのです。早く毒を飲ませて痺れさせ、すみやかに食糧庫に運ばなくては。蜘蛛の少女がそう思った矢先、第三者は現れてしまいました。
小馬鹿にしたようにけらけら笑うその声を聞いて、蜘蛛の少女はびくりとしました。世の中は蜘蛛よりも強く、少女よりもずっと長生きしている者ばかりです。横取りされるだけならばまだしも、運が悪ければ少女の方が誰かの獲物になってしまうことだってあるのです。
けれど、その第三者の姿が見えた途端、少女は拍子抜けしてしまいました。
罠にかかる蝶々とそれを捕えた少女を面白そうに見つめているのは、花虻の娘だったのです。年の頃はちょうど少女と蝶々の間くらいのものでしょう。意地の悪そうな表情で蝶々を見つめると、花虻の娘は蜘蛛の少女に向かって言いました。
「いい気味ね。いつもいつも花を誑かして盗蜜している罰が当たったのよ」
知り合いのようです。仲がいいわけではないと少女にも一瞬で分かりました。邪魔をする気が無いのならば、花虻なんてどうでもいい存在です。けれど、少女はほんの少しだけ花虻に対して反感を覚えました。花虻もまた蜘蛛の少女なんてどうでもいいらしく、涙を浮かべて苦しむ蝶々をからかい続けていました。
「あなたが騙していた花はあたしがちゃんと可愛がってあげる。あなたがその蜘蛛に食べられちゃう頃にはきっと実を結んでいるでしょうから安心なさい」
「邪魔する気が無いならどっかいって。見世物じゃないのよ」
堪え切れず蜘蛛の少女がそう言うと、花虻はけらけら笑いながら何処かに飛んで行きました。きっと言葉通り、この蝶々が相手をしていた花の元に行くのでしょう。花虻までもいなくなってしまい、いよいよ絶望したのでしょう。少女が毒を盛る前に、蝶々は気を失ってしまいました。
――可哀そうだけれど、仕方のない事なの。
蜘蛛の少女は必死に自分に言い聞かせて、糸をハサミで切ってから、気絶している蝶々をゆっくりと食糧庫まで引きずって行きました。