遺された手紙
2017年.3月30日.午後12時06分
「……っ!」
龍介は待ち焦がれた二人の姿を確認し、駆け寄った。
「無事か……!?」
それに対して、綾芽は息を整えながら頷いてみせる。
「うん……なんとか……ただ……」
隣の名取へと視線を移す。
その名取は、肩で息をしながら龍介へと目を向けた。
「すみません……脚を痛めてしまいました……」
「噛まれたのか?」
「いえ……掴まれたんです。奴等握力まで異常でした……でも、幸い外傷はありません。」
「そうか……それ聞いてホッとしたよ。」
そう言って胸を撫で下ろした龍介は、綾芽から名取を預って車の後部座席まで肩を貸した。
「とりあえずじっとしてるのは危険だ。移動しよう。」
「そうね……行き先は?」
綾芽は盾をトランクに戻しながら、名取を後部座席へ押し込み扉を閉めた龍介へ問う。
「名取が脚を痛めた以上、あまり外を彷徨くのは宜しくないだろ。ここからなら綾芽の部屋が一番近いか……お前の部屋に医療器具はあるか?」
「そんなに大したものはないけど……名取君の処置ぐらいなら問題ないと思う。」
「よし……なら一度綾芽の部屋へ戻ろう。あのマンションは比較的扉もしっかりしてるし、まだ外よりは安全なはずだ。」
龍介の提案に綾芽も頷いてみせ、各々車へ乗り込んだ。
「名取、まずはお前の脚を手当てするために、綾芽の部屋へ向かう。」
「えっ!?み、宮野先輩の部屋……!?」
「そうだ。なに緊張してんのかは知らんが、お前が期待してるようなことするわけじゃねぇからな。」
「別に何も期待してませんよ!」
三人を乗せたセダンは地獄に呑み込まれた新宿警察署から離れ、綾芽の部屋を目指して走り出した。
━━30分後.
「…………」
綾芽は、自身の部屋へと通ずるマンション内の廊下の様子を、慎重に角から覗き込んだ。
そのすぐ後ろでは、龍介が名取に肩を貸した状態で背後に気を配っている。
「……大丈夫、いないみたい。」
「よし……運がいい。マンション内で感染者に会わずにそのまま部屋へ入れそうだ。」
「そうね、今のうちに行きましょ。」
三人は廊下へ飛び出すと、迅速に、しかし極力音を立てずに綾芽の部屋の前まで辿り着いた。
綾芽がキーを2つある鍵口の片方へ差し込み、時計回りに90度回すと、ガチャリという音を奏でてロックが解除される。続けてもう片方の鍵も解除し、すかさず扉を開ける。
「早く入って。」
男二人を入れてから、再度廊下の様子を確認して自身も部屋へ入った。鍵を2つともロック、チェーンを掛ける。
「…………はぁ~……」
そこで、やっと緊張が溶けた。
マンションは違和感を覚えるほど静かで、それがかえって不気味さを醸し出していた。
そんな中、先頭に立って二人をセーフゾーンまで誘導したわけだが、予想以上の気力を使い果たし、綾芽はそのままドアに背中を預けてズルズルと座り込んでしまった。
後の二人も例外ではなく、龍介の肩に名取の腕が回されたまま揃って床へ座り込んでいる。
「とりあえず、何とか生き延びたな……」
と言う龍介に続き、
「俺……足掴まれた時、正直もう死ぬんだって思いました……」
名取が力なく笑みを浮かべる。
「でも……たった三人だけどこうして何とか生きてる。今は体を休めて、心を落ち着かせましょ。」
二人と同様、疲れきった表情で微笑む綾芽。龍介と名取もそれに頷いて答えると、「よしっ」と龍介が名取の手を引いて立ち上がった。
「お疲れのところ申し訳ないが……後輩君の手当ての準備、頼んでいいか?」
「ああ……そうだったわね……」
「え、宮野先輩まさか忘れてました?」
ギョっとした目をする名取に「冗談よ」と意地悪い笑みを浮かべ、綾芽はその場から立ち上がる。
まだ昼間の筈だが、空を覆い尽くす暗雲のせいで部屋の中は薄暗い。
靴を脱いで廊下の壁に設置されている電気ボタンを押した。
電球が光輝き、廊下を明るく照らす。どうやら電気はまだ生きているようだ。
「二人とも上がって。」
「おう。」
「お、お邪魔します……」
リビングの電気も付け、二人をソファーへ誘導する。
「す……座ってもいいんでしょうか……」
「あったり前だろうが。何緊張してんだバーカ。」
「そ、そういうわけじゃ!」
「名取君、大声出さないの。」
「あっ……すいません……」
「くくっ、怒られてやがる。」
「高月先輩のせいです……!」
━━本当に龍介は後輩弄りが好きね……あ、私も人のこと言えないか……
……等と考えつつ、押し入れを開けて救急箱を取り出す。
それを抱えてソファーに腰掛ける名取の前まで行き、しゃがみ込んで医療器具を取り出した。それに入れ替わる形で龍介が立ち上がり、キッチンへ向かう。
「どれぐらい痛む?」
「骨は何ともないと思います……捻挫した様な痛み程度で、足首は動くので……」
ズボンの裾を捲り上げて足首を見ると、確かに少し腫れている様子ではあったが、かといってそれほど酷いものでもなく、名取が無理をして嘘を言っていないとわかり綾芽はホッと息を吐いた。
「そっか……思ってたより軽傷ね、安心した。」
綾芽は救急箱をゴソゴソと漁り、「じゃあ、とりあえずこれ貼っとくわね。」と湿布を取り出した。
それを名取の右足に貼っていると、龍介がキッチンから顔を出した。
「水道もガスも、今はまだ大丈夫みたいだ。」
流石に政府もライフラインをそう簡単に見捨てるわけには行かないようだ。何らかの措置を取って、少しでも各施設の稼働期間を延命させようとしているのだろう。
しかし、それでもいつまで続くかはわからない……油断は禁物だ。
「いつまで持つかな……」
「あまり期待はしない方がいいかも知れませんよね……水とかは、溜められるだけ溜めておくべきだと思います。」
「そうね……よし、とりあえずはこれで。」
「ありがとうございます。」
名取の右足の処置が思いの外早く済み、裾を下ろしたところで龍介がリビングに戻ってきた。
「テレビ、付けていいか?」
「あ、うん。いいよ。」
龍介にリモコンを手渡す。彼はそれを受け取ると、テレビへ向けて電源スイッチを押した。
パッと画面に明かりが点り、三人の目を照らす。
画面には災害情報などが流れるテロップが映し出されている。
『-政府による非常事態宣言発令-』
『-自衛隊 治安出動開始 各地に陣地展開か-』
同時に映し出されている臨時ニュースでは、上空から撮影された都心部の様子を、リポーターが緊迫した様相で伝えている。
画面に映し出されているヘリからの映像で見る東京は、昨日までの平和な都市から一変し、至る所から黒煙が昇り、火災が多発。
取り返しのつかない事態にまで発展してしまっていることは一目瞭然だった。
警察ですら組織崩壊同然の状態に陥っているというのに、その様な中で報道機関は未だ動いているのかと驚きを覚える。同時に何もできない自分にもどかしさを感じる。
しかし、もはや警察に暴徒達を鎮める力は無いのだ。自衛隊の出動というテロップが、綾芽にその現状を突き付けている。
自衛隊の治安出動は、一般の警察力では治安維持が不可能と断定された場合……真の非常事態にのみ総理大臣の命令で発令できるもの。
無力な自分に悔しい思いが込み上げるが、今は自衛隊が無事に事態を収拾へ導いてくれることを願うしかない。
「そう言えば……」
歯痒い思いでテレビを見ていると、名取が小さく呟いた。
「高月先輩、仙堂隊長から何か受け取ってませんでしたか?」
「ああ、これか。」
龍介はスーツのポケットに手を入れ、一枚の便箋を抜き取った。
「落ち着ける場所が見つかったら、必ず三人で読めって言われてたんだ……」
「…………」
そう言いながら便箋を見つめる龍介の瞳は何故か、動揺の波に揺れているように見えた。何処と無く不安に駆られ、綾芽は龍介の顔を覗き込む。
「……龍介……?」
「ん?ああ、いや……大丈夫だ。」
「本当に……?」
「……いや、まあ多分……読めば分かるんだろ、どうせ。」
「……?」
━━理解し難い内容かもしれん……
━━……だが!それでも全員で最後まで読め……
━━必ずだ!
そこまで言うほどの内容……
自分達が必ず知らなければならない……知るべきである情報。
━━何を見たんですか……隊長……
自身へ手紙を託した時の仙堂の表情が頭から離れない龍介は、目の前の便箋を開くことにただならぬ不安を抱いていた。
しかし、開かなければ仙堂の真意には辿り着けない。有益な情報は得られない。
「……綾芽、悪いけど一旦テレビ消してくれ。」
「あ、うん……」
テレビの音声が途切れ、室内は静寂に包まれる。
そんな中で、龍介の指が便箋へとかけられた。
封を切り、中から取り出されたのは折り曲げられた真っ白な紙。
それをゆっくりと開くと、龍介は仙堂から自分達に綴られた言葉を静かに読み上げた。
━━この手紙がお前達のもとにあると言うことは、つまりはこれまでの日常が崩れ去り、何かしらの理由で俺が死を覚悟したということだろう。
まず最初に、お前達に突然このような物を突き付けてしまったことを御詫びしたい。済まなかった。
だが、これは決してお前達を困惑させる為に認めたものではないと言うことだけは了承してほしい。
これからここに記す内容は、日常下にいる我々の常識から遥かに逸脱した出来事であり、とても信じる気になれないものとなるだろう。俺自身、未だにあれは真の出来事だったのかと、半信半疑になりながらペンを握っている状況だ。
だが、先程も書いた通り、この手紙が開かれているということは、既にその日常は崩れ去ったということになる。
残念ながら、この手紙を書いている今の俺には何が起こっているのかはわからないが、おそらく人類史上最も恐ろしい『何か』が起こったのだろう。
その『何か』を体験したお前達が、この手紙の内容を真剣に受け止めてくれることを信じようと思う。
馬鹿馬鹿しいと思われかねない内容となるだろうが、どうか最後まで目を通してほしい。
この手紙を渡す日が何時になるかはわからないが、俺がこの手紙を書く為にペンを手に取っているのは、3月23日、午前5時50分だ。
━━深夜、俺は何故か突然目を覚ました。空はまだ暗く、時計へ目を向けると午前3時を回ったところだった。
時間を確認したところで、異変に気がついた。
いつも隣で寝ている妻が、俺と同じように起き上がっていたんだ。様子は明らかにおかしかった。目をカッと見開いたまま一切動くことはなく、俺が体を揺すって呼び掛けても反応を示さない。
何度も呼び掛けるが反応は無し。そんな不気味な現象に、段々恐怖を覚え始めた頃だ……室内に俺と妻ではない『誰か』が突然目の前に現れた……
その姿をこの目で捉えた瞬間、まるで何かの呪縛にでも掛かったかのようにその『誰か』から目が離せなくなった。
体が言うことを聞かず、自身の意思で動かせるのは口だけ……酷く動揺したのは言うまでもないが、何とか理性を支えてこの異常な現状を少しでも把握しようと、俺は目の前の人物から可能な限りの情報を見出だそうとした。
どうやってこの家へ……寝室へ入り込んだのかはわからない。目の前の人間は、まるで古代の人間の様な服装を身に纏った男だった。
瞳を閉じたその表情はとても穏やかで、俺と妻に何か危害を加えようとする様子では無いようだった。
俺は意を決して、その男へ恐る恐る声をかけた。
「一体誰だ……どうやって入った?」
必死に何かを絞り出そうと試みた結果、これが限界の言葉だった。
対する男は相変わらず目を瞑ったまま微動だにしなかったが、何度か呼び掛けるとその男は突然その目を開き、そして俺にこう言った━━
━━日ノ本ガ邪念二オオワレル……
「……なんだと?どういう意味だ?」
━━悪シキ者、我ガ禁書二触レ、ヤガテ大衆ノ眼前二現レントスル時……
「おい!一体何の事を言ってる!?」
━━ソノ呪縛ハ闇二ヨリ砕カレル……
「呪縛だと……どういう意味だ……!?」
━━汝ノ下二在ル二人ノ兵ト気高キ女、努々失フベカラズ……
「何だと、誰の事を言って……っ!?」
男はその言葉を最後に口を開くことは無くなった。そして、俺の問い掛けに応じず……
……突然、男の目が白眼を剥いたかと思うと、突然有りとあらゆる所から血を吹き出し……
……何の前触れもなく、男の首が突然床へと鈍い音を立てて落ちたんだ……
その後の記憶は無い。気が付くと俺はいつものように布団の中で目覚め、妻も普通に寝息を立てていた。目の前に男の姿もない。
あれは夢だったのか。そうも思った。
……だが、刑事の勘と言うやつか……
ただ事ではないような気がしてならなかった。
それに……男が最後に発した言葉……
汝の下に在る二人の若き兵と気高き女……
おそらくは若手の中でも優秀な宮野と高月、そして二人と仲のいい名取……思い当たるのはお前達ぐらいだ。
お前達はこの先『大きな何か』に捲き込まれることになるかもしれん。同時に、私が見た男の正体にも触れる時が来るかもしれない……
もし、お前達が生き残っていく上で『大きな何か』の本質に近づく権利を与えられた、選ばれた存在であるならば……
進め。どんなに困難な道でも。
必ず想像のつかない程の強大な力が、お前達を真の答えまで守り、導いてくれるはずだ。
……その後は……お前達次第だ。
高月。お前はたまに宮野や名取、そして果ては俺にまで悪戯を仕掛けてくる様な調子者だが、若い割には聡明な頭と勇敢さを備えている立派な男だ。
お前ならきっと、的確な判断で正しい道を選べるだろう。二人をしっかりと守ってやれ。お前の存在は 、他の二人にとって頼りになる存在のはずだ。
名取。お前は若い故に元気過ぎるが、その明るさはきっと二人の大きな支えになる。そして男である以上、高月に負けない勇気を秘めているはずだ。
お前の潜在能力には、俺も一目置いていた。それを駆使して、先輩をよく支えてやれ。
宮野。お前は女だからと特別視されることを嫌っているようだったが、俺は一度だって警察官としてのお前を他の部下達とは別として見たことはない。お前は確かに女だが、それ以前に俺の立派な部下の一人だ。それほどお前は優秀な人間だろう。
……だが、それでもやっぱり、悪いがお前はある意味では特別だった。
俺の実の子どもは全員息子、おまけに男ばっかりのむさ苦しい職場だったこともあったからかはわからんが……
お前が俺の下に配属されてからは、まるで可愛い愛娘を持ったような気持ちだったよ。『娘を持つ父親』とはどういうものなのか……少しだけ体験できた気がした……
三人とも、これは自称職場の父である俺からの最期の願いだ。
くれぐれも、死ぬような無茶だけはしてくれるな。
必ず生き抜いて、この世界がどの様な地獄へと変わり果てるのかはわからないが、平和を取り戻す術を見つけ出せ。迷った時には焦らず、周りをよく見渡せ。必ずお前達を導く光が見えるはずだ。
まあ、まだお前たちが俺の目の届く範囲にいる内は……
……俺が道を切り開いてやるから安心しろ━━
「…………」
━━言葉が出なかった。
ただ、溢れる涙を拭うことで精一杯で……
私達は、かけがえのない存在を……大切な『父親』を失ったのだ。
心に空洞が出来たような感覚とは正にこの事だろうと痛感すると同時に、名取君を引っ張って逃げた際に署内から私達を助けてくれたのは、やはり隊長だったのだと確信した。
手紙の中で、彼は一週間も前から『俺が道を切り開いてやる』と誓ってくれていたのだから……
我が子と言ってくれた隊長の……
最後の最後まで私達を救ってくれた隊長の想いに、今度は私達が応える番だ。
必ずこの地獄を生き抜いて、事態の根源を突き止める。そして……
平和な世を奪還するんだ……