おにぎり屋ふくふく|クロだけが知っている
クロは、知っていました。
「いつも通り」に見える日に、本当はつらそうな人がいることを。
その日も、ふくふくにはやわらかい湯気と、おにぎりの香りが広がっていました。
ふくさんが、おにぎりを並べていきます。
シャケ。
タラコ。
ツナ。
かつお。
梅。
「ツナある!」
まぐろの目が、ぱっと輝きました。
「ぼく、かつお!」
トラもしっぽを立てます。
ミケは、いつものようにタラコの前。
シロは静かに梅を見つめていました。
そしてクロは――
いつもなら真っ先にシャケを見るのに、今日は違いました。
じっと、扉の方を見ています。
「クロ?」
トラが首をかしげました。
そのとき。
からん、と扉の音がします。
「こんにちは」
入ってきたのは、いつもの常連さんでした。
ふくふくによく来る、若い女性。
「いらっしゃい」
ふくさんが、やさしく迎えます。
女性は、いつものように笑いました。
「今日は昆布あります?」
「あるよ」
ちゃんと笑っている。
声も普通。
でも――
クロは、じっと女性を見ています。
歩く速さ。
ドアを閉める音。
息を吐くタイミング。
少しだけ、いつもと違う。
「にゃ?」
まぐろが、不思議そうにクロを見ました。
でも、ミケたちには分かりません。
クロだけが気づいていました。
今日は、無理して笑っている匂いがすることを。
女性は、いつもの席に座ります。
ふくさんが、お茶を置きました。
「はいよ」
「ありがとうございます」
笑顔。
でも、そのあと。
ほんの一瞬だけ、女性の表情がほどけました。
疲れたみたいに。
クロは、静かに近づきます。
女性は気づいて、少し笑いました。
「クロちゃん」
その声はやさしい。
でも、少しだけ細い。
クロは、近づきすぎない場所で座りました。
目を細めながら、静かに女性を見ています。
ふくさんが、おにぎりを差し出します。
「今日は昆布だよ」
「ありがとうございます」
女性は、おにぎりを受け取りました。
まだ、ほんのりあたたかい。
ひとくち。
「……おいしい」
ぽつり、と声がこぼれます。
窓の外では、風が揺れていました。
店の中は静かです。
急かす人もいない。
ただ、やわらかな時間だけが流れていました。
「今日ね」
ふいに、女性が言いました。
クロの耳が、ぴくりと動きます。
「失敗しちゃって」
女性は、小さく笑います。
「大したことじゃないんです」
そう言いながら、おにぎりを見つめました。
「ちゃんと謝ったし、もう大丈夫なんですけど」
でも。
その“ちゃんと大丈夫です”の言い方が、少しだけ苦しそうでした。
クロは、静かにしっぽを揺らします。
女性は、ふっと息を吐きました。
「……なんか、疲れちゃったな」
その声は、ようやく本音みたいでした。
ふくさんは、何も聞きません。
ただ、やさしくうなずきます。
「そういう日もあるよ」
女性は、少しだけ目を伏せました。
クロは、そっと席の近くへ移動します。
近づきすぎない。
でも、離れない。
その距離を、クロは知っていました。
女性は、おにぎりをもうひとくち食べます。
「……あったかい」
今度は、少しだけ力の抜けた声。
クロは、ゆっくり目を細めました。
食べ終わるころには、女性の肩の力が少し落ちていました。
「ありがとうございました」
来た時より、やわらかい声。
ふくさんは、にっこり笑います。
「またおいで」
女性は立ち上がって、クロを見ました。
「クロちゃん、ありがとね」
クロは、「にゃ」と小さく返事をします。
からん。
扉が閉まる音。
トラが、不思議そうに言いました。
「クロ、今日はずっと見てたね」
「シャケも見てなかったし」
まぐろも、くすっと笑います。
ミケは、クロをちらりと見ました。
「気づいてたんでしょ」
シロは静かに目を細めます。
クロは、窓の外を見ていました。
少しだけ軽くなった背中が、遠ざかっていきます。
ふくさんが、そっと笑いました。
「分かるんだねぇ」
クロは、静かにしっぽを揺らします。
「にゃ」
それだけでした。
でもきっと――
クロだけは、知っていたのです。
笑っている日の中に、隠れている寂しさを。




