第六話:いつも通りの朝
けだるい体を起こすと、朝七時だった。
ゆっくりベッドから立ち上がるが、お隣さんはそんな振動ひとつで起きてしまうほど簡単じゃない。
静かにリビングへ降りていけば、案の定――一緒に寝てくれなかったことが気に入らないのか、不機嫌そうなぽんずが階段下で朝飯を待っていた。
「一緒に寝たかったなら、あんな気持ちよさそうに寝るなって」
昨日、リビングのラグでぐでーんと溶けていたぽんずを思い出しながら、指で眉間をぐりぐり押し当ててやる。
「あれ、ドッグフードきらしてる」
いつも朝ばたつかないように、七海が一回一回小分けにしてくれている袋がない。
あちゃー、と額に手をやってため息をつくと、冷蔵庫の横のラックをのぞいた。
「あったあった。まだ時間あるし、小分けにするか」
その間に、昨日のラテも取り出してレンジへ放り込む。
七海が起きてくる時間まで、同じ作業を黙々と繰り返した。
――と、ふと手が止まる。
「あ、ぽんずのごはん……」
作業に夢中になって、本来の目的を忘れていた。
「あ、蒸したさつまいも入れないと」
最近お通じが微妙なぽんずのために、七海がさつまいもを蒸していたのを思い出す。冷蔵庫に取りに戻って、600Wで二十秒。レンジに突っ込んだあと、ぼーっと辺りを見回した。
「ん?」
レンジ横のスペースに、見慣れた黄緑色のシートがある。
ちらっと中身を見れば、俺の知ってるやつとは違う。曜日と、錠数が――ずれている、気がした。
……よく分からない。
本人が大丈夫って言ってるんだし、俺が下手に心配する必要もないか。
そう胸に押し込んで、知らん顔でぽんずの元へ戻る。
トッピングだけ先に食べないよう、器の底にさつまいもを敷いて、その上にドッグフードを入れた。
カラカラ。
その音に、妙な胸騒ぎがした。
ただの朝だ。いつも通り、ぽんずにご飯をやっている。
それだけなのに、さっきの黄緑が、頭の隅から離れない。
タッタッタッ。
気づいたら階段を駆け上がっていた。
「七海?」
飛び込むように寝室へ入ると、七海は服を着替えていた。
「ん?」
俺の焦った顔を見ても、なんでもないように返事をする。
いつもの七海だ。
「……大丈夫?」
その言葉に、七海は、いつも通り太陽みたいな眩しい笑顔で言う。
「大丈夫だよ」
きっと世界が違えば主人公。勇者で、ヒーローで。
俺には大層不釣り合いで、身内に「玉の輿だな」って言われるのを、否定できないくらいのすごい人。
昨日の壊れそうな七海は、気のせいだったのかもしれない。
「遅刻しそー。いっちゃん、リボン結んでー」
それでもやっぱり、七海は七海だった。
自分でシャツの紐を結べば必ず縦になるリボン。靴紐だって、七海が結ぶと決まってすぐほどける。
俺はろくでもない。
だから、七海のそういうところを見ると――ほっとする。
まだ俺が横にいてもいいんだって、勝手に錯覚できる。
「駅まで送っていかなくていいの?」
「ポケモンGOしながら行くからいい~」
支度を終え、七海は玄関へ走る。
七海はいつも起きるのがギリギリで、朝ご飯を食べている姿を、もう何年も見ていない。
「いってきまー」
「いってらっしゃい」
ガチャリ。ドアが音を立てて閉まった。
その余韻だけが、家の中に取り残される。
「朝ご飯、いつから食べなくなったっけ」
ぼそっとつぶやいて、リビングに戻る。
キッチンで昼のカップラーメン用のお湯を用意しようとレンジを開ければ、とうにぬるくなったラテがいた。
「……ぷはっ。まず」
一気に飲み干して、苦言が漏れる。
手元のマグカップを見ていると、なにかが足りない気持ちがして――そっとシンクに置いた。




