第十七話:新しい自分
「いっちゃん?」
しばらくスーパーの出入口付近で立ち尽くしていると、買い物袋を手に七海が出てきた。
「ん?」
なんでもないみたいに返事をした、そのとき。頬に、冷たい粒がひとつ落ちた。
ちりだと思ったのは、雪だった。
「降ってきちゃったね」
「まだ十一月なのにな」
仕事中、ラジオで「この時期に雪は珍しい」って言っていたのを思い出す。大雪になるかも、なんて話までしてた。――嫌な予感が、変な確信に変わる。
「本屋、寄っていい?」
史上初とか、珍しいとか。そういう言葉を聞くと、住む環境が変わって、自分まで新しくなれるみたいな気がしてしまう。
「あ、私も欲しいビジネス本あったんだよね」
ポツポツ降る雪の中、近くの本屋へ車を走らせた。窓の外に釘付けになっている七海も、何か新しいものを目指すみたいに、雪を見ていた。
「ついた。足元、気をつけてよ?」
「わかってるよ」
駐車して、俺も車を降りた。
ズルッ。
「いってぇ〜っ!」
転んだのは俺の方だった。七海は珍しそうに覗き込んで、笑う。
その顔を見たら、普段行かない本屋に身構えていた肩の力が、少し抜けた。
「たまたまだよ」
ごまかしながら立ち上がる。足元を見ると、水たまりが薄く凍っていた。
「いっちゃん、早く行こ!」
そう言って先に行く七海は、コケそうでコケない。残念に思いながらも、俺も店内に入った。
「私この辺にいるから。終わったら来てね」
いつも本屋に来ると、俺の用事は数分で終わる。いつもの待ち合わせだけ決めて、俺は奥の棚へ向かった。
赤い背表紙が並ぶコーナー。
「……初めて見た。これか」
いわゆる“赤本”。
高校だって、中学を出てしばらくしてから通信に通ったくらいだ。大学に行くなんて、考えたこともなかった。テレビCMで見かけた赤い本が、目の前に並んでるのが変な感じだった。
「なにこれ、大学ごとに分かれてるの?……ってことは、大学ごとに問題が違うのか」
当たり前のことすら、俺は知らない。
慌ててスマホを開いて、今この瞬間に“チャッピー”に聞いた。
「まじかよ……共通テスト?前期?後期?なにそれ」
返ってきた説明を読んでも、頭に入ってこない。言葉だけが増えていく。
「チャッピー、もっと分かりやすく……」と心の中で悪態をついて、頭痛がしてきて、スマホの画面を閉じた。
適当に眺めていても、東大だの京大だの、名前を知ってる大学ばかりが目に入ってくる。
――もう、ここで諦めたい。
視線を逸らしたとき、ふと、見覚えのある文字が目に入った。
「あ、これ……七海の」
七海が通っていた大学の名前。
「こく、えい……かん?」
国衛館大学。
七海から聞いてた通り、やたら堅い名前だ。公務員志望が多いって言ってたし、生真面目な人が行く場所なんだろう。
「……合ってるよ。懐かしいもの見てるね」
ひょい、と七海が横から顔を出した。
俺は赤本を開いて、七海と一緒に問題を流し見する。――でも、まるで分からない。国語ですら、どこを読めばいいのか分からない。
「いっちゃん、ここ行くの?」
その言葉に心臓が跳ねた。
少し見ただけでも分かる。勉強したら本当に行けるのか、と聞かれたら――俺はたぶん、「無理」って答えてしまう。
軽々しく言えない。現実を突きつけられたみたいで、喉が詰まった。




