第十五話:好き嫌い
「あ、悪い。電話」
バナーに会社からの着信があるのを確認して、いったん切る。すぐにかけ直した。
「もしもし、山本です」
案の定、今日は休工だと言われた。
理由は教えてもらえない。ただ給料の詳細は、後日あらためて連絡するという。
休工の連絡きた、と短く白井にLINEを送った。
「今日休みになったし、病院まで送り迎えする」
大雪だなんて聞いてない。降りそうにも見えないけど、念のためにそう言った。
「え、いいの? 神じゃん」
余計うれしそうな七海。
「久しぶりにデートだね」なんて言いながら、俺の左手を握ってくる。
「はぁ……AT車に買い替えよ……」
「何言ってんの。愛車でしょ?」
手を離さず、ずっと握っていたい。でも愛車はMTだ。運転するには手を離さなきゃいけない。そんな状況が恨めしい。
俺の心を見透かしたみたいに七海が笑った。
「ここまでで大丈夫。そこ曲がったところにスーパーあるし、行ってきたら?」
しばらく走って、馴染みの産婦人科の駐車場に停めると、七海がそう言った。
「いや、待ってる」
スーパーに一緒に行きたいなんて、子供じみた考えに我ながら笑ってしまう。
「わかった」
そう返した七海の表情は、固かった。
病院嫌いな七海は、インフルやコロナでも行きたがらない。薬なんて出された日には、薬局の前で何時間も「あー」とか「うー」とか唸って待っている。喉に引っかかるから嫌なんだそうだ。
そんな七海は、人間ドックの胃カメラに次いで産婦人科が嫌いだ。特に検査が嫌らしい。今日はたぶん、その類なのだろう。顔がこわばる。
一時間半ほど待った頃。
足を引きずるみたいに、全身で「疲れた」を体現した七海が出てきた。
「おかえり」
「うん……」
よほど嫌だったのかと思ったら――
「めっちゃ怒られた……。最近、生理死ぬほどしんどいんですよねって言ったら。そりゃお前が飲み忘れ多いからだろって」
噂の、何でもズバズバ言って怒ることが多いおばちゃん先生に怒られたらしい。七海が産婦人科嫌いなのは、この先生の存在もある。……まあ、飲み忘れるのが悪い。
「他には何も言われなかった?」
そう聞くと、七海は「はぁ」と深いため息をついた。
「ピル変わった。前のよりきついやつかも」
「吐き気止めとロキソニンも出されたんだよね」
副作用が重く出る可能性もあるんだろう。
「おばちゃん先生に言わなかったの?変えたくないって」
七海はむくれたまま窓の外を見ている。たぶん、いつものように押し切られた。
「……ごめん。スーパー行こうか」
「うん」
車を出して、しばらく無言が続く。エアコンの音だけがやけに大きい。
俺は、自分の好きとか嫌だとか、そういう感情で動く人間だ。
そのくせ、自分に価値がないって本気で思ってるし、何もできないとも思ってる。
七海は違う。自分のこと、まして自分の体まで、どうでもいいみたいに見える。自分のことになると急に面倒くさくなって適当に済ませて、あとでしわ寄せが来ても甘んじて受け止める。
そのくせ、自分の考えや行動には価値を生み出す力があると信じていて、実際にそれを生み出してる。
自分のことになると「なんでもいい」って無関心になる七海が、苦手だった。
俺は、自分の気持ちを優先してしまう人間だから。
どう触れていいのか分からない。――間違えたら、七海がますます自分を雑に扱いそうで、怖かった。




