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電話口の旅館の主人

 

 突然の異常事態に、玄は固まった。玄はまず自分が電話をかけ間違えた可能性を考えた、大いにあり得る、だが念入りに確認しまくって電話番号を打ったのだ、これはないと信じたかった。次に玄はこの声の主がかの旅館の従業員である可能性を思い付いた。最近はイケボだのロリボだの、声が妙に可愛かったりかっこよかったりする人の活躍が多い世の中だ。そのため玄も、こういった声を持つ人を見る機会があった。なので、幼い少女のような声をしつつ、実はもうこの人は成人済みなのではという考えに至った。そして最後の可能性、この旅館で育った子供という可能性である。これが一番無難だろう。


【珍しいこともあるんだね、君はどうやってこの旅館に電話をかけることができたの?】

「!」


 相手が質問してきた内容には、旅館についてのことが含まれていた。つまり、電話の相手はとりあえず旅館関係者ということになる。それだけでもわかって、玄は体から力が抜けた。緊張する精神を奮い立たせ、なんとか気力を絞り会話を続けることにした。


「お、俺は白鷺玄と申します、今日、俺の家にこの旅館のことが記されたチラシが届いたんです。それで、電話をかけさせていただきました。」

【ちらし?ちらし、チラシ…】


何度か玄の言葉を反芻した電話先の少女は、ふと、息を呑んだ。そして、沈黙が続く。玄からしたらその沈黙はとても気まずい物だったのでこちらから沈黙を消そうかと思ったが、もし、あちらの喋るタイミングと被ったら、と思うと口を閉じるしかなかった。しばらく少女が黙っていると、電話の向こうからやっと少女の声が聞こえた。


【…うげ、久遠ちゃんこっち来てる】

「?」


少女の口から新たな人物、『久遠』と言う名前の人物が出てきた。もちろん玄からしたら誰かもわからず、頭の中ではてなマークを盛大に飛ばしていた。疑問が一つ湧くと、新たな疑問が湧くように、玄は改めて子ども(と思わしき人物)がなぜこの電話に出ているのか、という疑問が頭に浮かんだ。


「あの、貴女は一体…」

【ん?秋、お前何してんだ?】

【…久遠ちゃん】


 向こうから、他の人物の声が聞こえた。少女の驚いたような声と発せられた内容で、声の人物が先ほど少女が漏らした『久遠』と言う人物であることが玄には分かった。聞いた感じ、少なくとも少女のような子供の声ではなく大人の声だ。この人こそ、旅館の従業員だろうか、いや、この子の親か?どちらにしろ、とにかく誰か旅館の方と話さねば…と思った次の瞬間、思わぬ衝撃に、玄はスマホを耳から離してしまった。スマホを離してもはっきりと聞こえる驚きからの大声が玄の耳を貫いたのだ。


【電話には勝手に出んなって言っただろォ?!】


 どうやら電話口の少女は約束事を勝手に破って電話に出ていたらしい。玄は、だろうな、と考えた。普通旅館の電話を子供に担当させるわけがない、というか、そんなこと約束させるくらいなら手の届かないところに電話を置いておけよ、と、玄はと思った。


【バレたか】


 電話口の子どもは悪びれもなく、あっけらかんとそう言った。むしろ、なんだか面白そうとでもいうような感情を声に乗せている。久遠の怒ったような声に対して、クスクスと笑いが漏らしながら、少女は久遠に対して言葉を返した。


【久遠ちゃんの代わりに電話出たんだから、怒られるより褒めてくれてもいいんじゃない?】

【この状況でクソ上から目線なのはケンカを売っているととらえていいのか】

【だから怒らないでよ久遠ちゃん。私が電話に気づかなかったら、彼はもう電話してくれなかったかもしれないよ】

【彼?】

【直接聞いてみるといいよ】


久遠の声が怒った声から疑問を持つ声へと変わった。その後の声は、よく聞き取れなかったが、何かを言っているのだけは伝わった。少女が呆れたように久遠を宥める声も同時に聞こえた。その後、ようやく落ち着いた久遠へと少女は電話を変わった。


【お電話変わりました、私、旅館の主人である入相久遠と申します、先程は失礼いたしました。お客様は何用でこの旅館に連絡を?】

「ぁ、いえ、自分は客ではなくて」


 自分との電話になった途端、口調ががらりと変わった久遠に、玄は驚いた。さっきは興奮してアレだったが、ちゃんとした対応をしてくれる人だということに、玄は好印象を抱いた。就職活動で散々面接官から嫌味やら皮肉やら痛い質問をされ、電話では受付嬢の明らかにおざなりな対応をされるなどを受け続けてきた玄にとっては、電話でちゃんとまともな対応をするという時点でこの旅館への評価はかなり高かった。

…それにしてもさっきの子はなんだったのだろう、とふと玄は考えた。旅館の子ではなく、客の子だろうか?だが電話口の入相久遠と名乗った男はあの子に砕けた口調で話しかけていた。ということはかなり仲が良いと考えられる。思えば思うほど、少女に対する疑問が湧く。


【客じゃない?】


 思考にハマっていた玄はハッとしたのち、慌てて久遠の質問に答えを返した。つい考え込んでしまった、焦るな、焦るなと自分に言い聞かせながら、受け答えをした。この機会を逃したら、もう職につけない気がしたからだ。そうなれば自分はニートへレッツゴー一直線だ。それはできれば最後の最後の手段にしたい。ここでニートにはならないと言わないあたりが玄の生き汚い部分を表しているのだが、兎にも角にもここに舞い込んできたチャンスを逃すわけにはいかない。玄はなるべく人当たりのいいように思われるよう明るい声を出した。


「俺は旅館の従業員募集のチラシを見て、ぜひそちらで働きたいと思い電話をさせていただきました。」


 よし、ちゃんと言えた!と玄が自分で自分を褒めていると、久遠は黙り込んでしまった。急に静かになった久遠に玄が疑問を思っていると、思わぬ返答が返された。


【っ、は、ははは!】


「っ?!」


 相手からの返答は爆笑だった。心の底からの喜びを全力で表すかのような迫力のある笑い声だ。電話越しにでも大きく喜んでいるのが伝わる。玄は突然笑い始めた久遠をちょっとやばい人なのかと一瞬だけ思い少し引いた。しばらくして笑いが少し収まると、久遠はとてもとても嬉しそうに声を張り上げ、玄に対して色良い返事を返した。


【おー!!そうかそうかやっぱりな、なるほどなァ!】


 じゃあ早く旅館に来いよォ!採用だ!!と言われ、玄は大きな嬉しさと少しの困惑が混じった。ちょっと待ってくれ、と。この返事は確かに玄にとっては嬉しかったが、あまりに唐突すぎやしないか、と。普通は書類やら面接やらを通してから雇うかどうか決めるものだろう。選考書類すら送っていないのに、本当に自分を採用する気なのだろうか?


「自分はまだ面接はおろか、書類選考すらしていないんですよ?、本当にそちらで働いて大丈夫なのでしょうか?」

【ァあ、別にいいよ、こちら側としても、相応しい人材が増えるなら速攻で来てほしいしなァ】

「で、ですが、私は接客業などはあまりやったことがなくて、そちらの期待に沿えないかもしれませんよ?」



 そう言った後に、玄はハッと口を抑えた。しまった、考えなしに自分を下げることを言ってしまった、と。嘘でもいいから接客の仕事をしたことがあると言えばよかった、玄は後悔したが、言ってしまったことはもう取り消せない。就職活動中の苦しさの記憶が蘇る。また、また失敗なのだろうか、自分は、またいらないと言われてしまうのだろうか。ぐるりぐるりと、よくない考えが頭の中で湧き始めた、その時、


【経験とかなくても、ここで働き始めてから学べばいいだけだろ?だから全然構わんさ】


 あっはっはっはっ、と笑う声に、頭の中で渦巻いていた暗いものが少し晴れたような気がした。唇をキュっ、と結び、なぜか泣きそうになったのをぐっと堪えて、玄は了承の返事を久遠へ返した。


「わかりました、では、いつ頃そちらへ迎えばよろしいのでしょうか?その、私が働くのはいつぐらいからがちょうどいいですか?」


【そうだな、こちらとしても早い方が助かるから、そちらができうる限りでいいから早く来てくれ。あ、もちろん、そちらが『できうる限り』だからな?無理して早くしてほしいと言うわけじゃない。ちゃんとしっかり準備してきてくれ。】


 念を押して伝えてくれる気遣いに、玄はまた心がぎゅっと締め付けられるような心地を覚えた。


「引越しの荷物とかはどうしましょう?業者に頼んで、そちらに送ってもらっても構わないでしょうか?」


 そう聞いた途端、久遠は急にぁー…と返答を濁し始めた。そして、業者はこちらが手配するから、と言った。


「え、本当にいいんですか!?お、お金は」


【お金は構わんよ、だが住所を後でメールで送ってほしい、チラシにメールアドレスが描いてあるだろ?それに送ってくれ。アァ、それからこっちからも旅館の住所を送っておく。そちらの目処が立ったらこっちに連絡してほしい。そのあと決めた日時にすぐに必要になる貴重品をもってうちに来てくれ】


「は、はい!わかりました」


 ぴ、と電話が切れる。


「…はぁあぁ…!」


 玄はふにゃふにゃとその場にへたり込むと安心から溶けそうになった。決まった、ついに決まったのだ、悩みの種だった就職先がついに決まった、しかも引っ越せるうえに、住み込みで働ける場所である。


「じゅんび、準備しないと!あ、連絡もしろって言われたな…!」


 それから3日後、連絡をとり旅館に行く日程を立て、それから大家に解約のことを話して諸々の手続きをし、旅館が手配した引越し業者に荷物を持って行ってもらい、最初に連絡をとった日から二週間ほど経ったあと、ようやく旅館に行く準備が整い、玄は旅館に行く日を迎えた。そして、教えられた住所まで行ったのだが、


「…な、んだ、これ」


 そこは町外れにある廃屋だった。

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