別れ
トウガは静かに言葉を紡ぐと、最後に「ごめん」と付け足した。その顔はどこか憂いを帯びている。
私は一瞬困惑した後、そのトウガの言葉に思わず心が揺らいだ。
そんなこと、言うのか。…でもこれから先、本当に大切な人なんて現れるのかな…。私なんかを大切にしてくれる人なんて、いるのかな____
「…うん。ありがと…」
「いいえ!それと、敬語疲れるようならタメでもいいよ」
「わかった。でも、表向きは雇用主?なんでしょ?それなら、外いる時は敬語使うね」
「りょーかい」
そんな人懐っこい笑顔を浮かべるトウガの顔は初めて見た時とは違って、少し穏やかに見えた。
その後私たちは身支度を整えると、早速昨日と同じように現世へ向かった。
昨日はセイロクの手下と思われる者の監視の目もあったためあまり目立った行動は出来なかったものの、今日はそれもなくなったから私の仕事初デビュー…らしい。
「じゃあ今日は昨日オレがやったことをキョウがやってみよっか。今回の自殺志願者はこの人たちなんだけど、どの人を担当したいとかってある?」
トウガは分厚いファイルをペラペラとめくって見せる。
…一日でこんなに自殺したいって思ってる人がいるんだ…。ていうか、トウガさんは一体今まで何人の死に直面して来たんだろう…。
「…えっと…。特には…」
「まあ最初はそうだよね。急に言われても分かんないだろうし。じゃ、パラパラってやって出た人の所に行こう」
「えっ…でも、それで選ばれなかった他の人たちはどうなるんですか?」
「うん、他の死神のみんなが行ってくれるよ。…でも、さすがに全員はムリ。最近の日本の自殺志願者は多くてね。ただでさえ少子高齢化で年々霊界に導かれてる魂が増えてるってのに、それに追い討ちを掛けるかのように自殺志願者の増加…。オレたちが助けられなかった魂は、申し訳ないけど肉体と共に消滅してしまうんだ」
「…?どういうこと?」
「人間の死後、魂の生存制限時間ってものがあって、それが肉体と並行してるんだ。だからもし、自殺して火葬されてしまったらそのまま魂も燃え尽きて無くなっちゃうし、長期間発見されずに腐敗してしまったら、魂も腐っちゃう。だから、オレたちの仕事は責任重大なんだ」
分厚いリストを音を立てて閉じると、トウガは小さく息を吐いた。その顔には、どこか影が落ちているようにも見える。
「私も、頑張ります」
「え、うん」
「行きましょう」
「えっ!?」
私はトウガからリストを奪うと目的地を一読し、現地へと翼をはためかせた。
現地に到着すると、そこはどこにでもありそうな雰囲気のビルの一角だった。中には陰気な名の知れていない中小企業のオフィスが入っている。
「…ここ…?」
「うん。情報は絶対だから」
「そんな感じの人は居なさそうだけど…」
「しばらく様子見てみよっか」
オフィスの中を忙しなく動き回る人々は、よく目を凝らしてみると、どの人も目の下にクマができていて髪も服装も乱れている。
しかし、窓際の大きなデスクに腰掛け、一人の若い男性社員に向かって怒鳴りながら資料を投げ付けている中年太りしたオッサンはクマもなく、唯一まともな格好をしている。
コレがいわゆる、パワハラ上司…。ブラック企業ってやつなのかな…。
「キョウ、あの人」
「え?」
トウガが指差した先には、先ほど怒鳴り飛ばされていた男性社員の姿があった。彼は山積みの資料とエナジードリンクの空き缶で狭まったデスクに座って仕事をしていて、特に動きは見られない。
「行くよ」
「え?え?」
トウガは私の手を取るとビルのガラス窓を通り抜けて、その男性社員のすぐ側へと降り立った。私もそんなトウガの後ろに立つ。
その刹那。男性社員は椅子から崩れ落ちる。が、周りは誰も何も発しなかった。
なんだ、このカオス…。
「キョウ、出番だよ」
「出番って…どうすればいいの…?」
「この人の身体から魂を分離するようにして抱き上げればいいんだ。その時に、何か相手が安心するような言葉を言ってあげるのがポイントだよ」
「えっ…じゃあ……」
「うん、残念だけど。でも、本人も多分気づいてたんじゃないかな。それに、そこのエナジードリンク。急性カフェイン中毒だね。それを狙って毎日飲み続けて、今日はドカ飲みしたのかも。ほら見て」
トウガは床を指差すと、男性社員のデスクの下には隠すようにしてエナジードリンクの空き缶が大量に転がっていた。
「……」
「助けられるのは、キョウだけだよ」
耳に静かに響いたトウガの声に、私はそっと男性社員に近づき、ゆっくり彼の身体を抱いた。
だが、その身体は遥かに軽く、まだ死んで間もないはずなのにどこかひんやりとしていた。
「おはようございます。今までちょっと、ムリしすぎちゃいましたね。そろそろ、たっぷり好きなことして休みましょうか」
ゆっくりと目を開いた男性社員は静かに辺りを見渡すと、こちらに顔を向けた。すかさず、私はにこりと笑って見せる。
「僕…どうなったの…?」
「さぁー…」
「えっ…」
次の答え、準備してなかった。やばい、どうしよう。
「それに関してはオレが。ま、こんな所で立ち話もアレですし、移動しながら話しましょうか」
「え?はい」
トウガは私たちの間を取り持つと男性社員に近づき、そっと手を取った。
「これで呪力が無くてもアナタの霊力だけでオレたちについてこれると思います。それじゃ、行きましょうか」
「霊力…?」
「あ、そっか。霊力ってのは幽霊になると必然と身につく身体能力のようなものです。霊力があれば飛ぶことだってできますし」
そうなんだ…。だからトウガは初めて会った時、私のこと凄いって言ったんだ…。
「便利ですね」
「はい、それじゃあ行きましょうか」
そして私たちはビルから飛び立つと、今度は杉並区、荻窪駅上空へと来た。
「すごい、アニメの聖地じゃないですか…ッッ!」
「え、もしかして社員さんも?」
私は思わず男性社員の方を反射的に見る。するとそこには目を輝かせ、人間の時よりも血色を良くした彼の姿があった。
なんだ、人間っぽい顔できるじゃん。ゾンビみたいな顔してたクセに。
「うん…!ここ、アニメの制作会社がメッチャあるってずっと前に知って、一回来てみたかったんだ…!アニヲタなら誰もが知る神の聖域…エイトビットに、MAPPAにバンダイナムコピクチャーズ!他にも数えきれないくらいたーっくさんッ!!僕もブラックで働くならアニメの制作会社が良かったーーっ!!うぉぉぉっ、マジで大好きみんなありがとうぅぅ超、超、愛してますぅぅぅッッ!!死んだ後だけど、来れて良かったァァァ____ッ!!!」
「トウガさん…生き返りそうな勢いだけど、大丈夫…?」
「うん、たまにあることだよ。それにこういう人は転生後に報われることが多いから…。羨ましいよ、オレとしては」
トウガはどこか遠くを見るようにして口を紡ぐと、目を細めた。
この人はたまに、こんな目をする。どこかつまらなそうで、寂しそうで、悲しそうで、儚い。一体過去に何があったんだろう____
トウガに許可をもらった男性社員は荻窪駅上空で待ち合わせをすると、瞬く間にどこかへと飛び去っていってしまった。それを見送ると私たちも地上へと降り、羽根を休めた。
こうして改めて見ると、トウガの羽根はすごく綺麗な色をしている。遠巻きに見ると真っ黒だと思ったけど、近くで見るとなんとも言えないほどに美しく艶やかな紫黒色。そんなどこか妖艶な美しさを持つ彼の羽根は、陽の光を受けツヤツヤと輝く。
少し、触ってみたいな…。
「「触るなッ!!」」
「ひィッ!?」
突然、荻窪の街の人の流れを見ていたトウガは今までに聞いたこともないような荒っぽい声を上げると、横目でこちらを睨みつけ、勢いよく私の手を叩いた。そんな彼の視線は私の心臓を貫きそうなまでに鋭く、一瞬して弾き返された私の手はその反動の余り、身体ごと後ろへと倒れ込む。
束の間の出来事に私は咄嗟に起き上がってトウガを見上げると、彼はハッとした表情になりこちらに向き直る。
「あっ…ご、ごめんっ…!羽根は大事な場所なんだ…。あまり触らないで……」
「え、あっはい…。分かりました…。ごめんなさい…」
突然のトウガの豹変ぶりに驚きはしたものの、新たな彼の一面に少しまた「何か」を思う。本当に過去何かあったのか、それとも____
「…あの人戻ってくるまで、しりとりでもしませんか?」
「えっ」
「ヒマですし」
「ふふっ、いいよ。じゃあ、しりとり」
「りんご」
そして男性社員が戻ってくるまでの間、私たちはしりとりとマジカルバナナと連想ゲームをした。そして、完勝した。
「いやー…。ほんと今日は人生最高の一日でした!最高の思い出を作らせてくれてありがとう。最期に、名前教えてもらってもいいですか?」
霊界に着くと、男性社員はこれまでのしがらみから解き放たれたかのような、とても温かな笑顔を浮かべていた。きっと、これが成仏ってやつなんだろう。
「私はキョウです」
「オレはトウガです。もしかしたらこの後の転生の裁判の時に会うかもですけどね。その時はまたよろしくお願いします」
トウガは柔らかく笑うと、ぺこりと会釈をした。
「僕の方こそ。どんな裁判かなんて想像も付きませんけど…。今日の思い出に加えてトウガさんがいれば、怖いもの無しです!!」
男性社員は強気な顔で拳を突き出す。出会ったばかりの頃と比べると、ずいぶんと変わったもんだな…。
「それじゃ、そろそろ行きましょうか」
「はい!」
「じゃあ私はこれで…」
「何言ってるの?」
「え?」
「キョウも一緒に行くんだよ?」
え、え?
「僕を助けてくれたのもキョウさんでしたしね!最後まで来てくれると嬉しいです!」
「いやでも…私…どうすればいいか…」
「ほら、駄々こねてないで行くよ!」
「あぁぁぁ…」
そうして私は、半ば強制連行といった形でトウガと男性社員と一緒に霊界の奥地へと足を踏み入れていった。
着いた先は「幽体収容所」。
位置的に、私が初めて霊界に来た時に右手側にあった薄らと光ってた場所だと思われる。
響きだけを聞くとちょっとアレだけど、厳かな出で立ちの旅館やビジネスホテルのような少し低めの高さの宿泊施設、そして、ラグジュアリーホテルまで。現世の市街地のように広がる広大な土地の中に、点々と宿泊施設が立ち並ぶ。宿泊施設の他にも様々な娯楽施設や食事処、アウトレットモールがあり、施設としてはかなり充実しているようだ。
「お疲れ様でした。ここが最終目的地、幽体収容所です。オレはここまでしか送れませんけど、この中は現世と似たような造りになっているので不自由に思うことはないと思います。飲食や宿泊、娯楽等に金銭の支払いは必要ありません。ですが反対に、肉体も存在しないので食事や排泄、その他肉体を必要とした行為は全て『感じる』事はできません。ご了承ください」
「えーと…つまりこういうコト?ご飯食べても味しないとか?」
「はい…」
「なんだ〜。そんなのヘーキヘーキ!僕の食事なんて、気づいた頃にはいつも栄養ゼリーとエナジードリンクだけで、毎日味なんてしてなかったから!!アハハハッ!」
「笑い事なの…?それ…」
トウガは一瞬気を取られていたものの、気を取り直すと続けて口を開いた。
「そして次に要望が多いものなんですけど…。身体の方も…ちょっと…」
「ん?」
「いや、だから、その…」
トウガは言いにくそうに目を逸らす。
あぁ、そういうことか。
「エッ◯なことはできないって言いたいんでしょ?」
「ちょっ…!?」
「ハッキリ言わないとわかんないよ」
トウガは私の突然の発言に目を見開く。
「ま、まぁ…そういうことです」
「アハハ…。僕には無縁な話ですね。ちなみに、アニメとかって見れますか?仕事で見れなかった作品がたくさんあって…」
「見れますよ。宿泊施設のテレビのビデオや映画館から作品名を検索していただければ」
「よっしゃァァ____ッ!!それさえあれば僕は十分です!それじゃ、ありがとうございましたーッ!!」
男性社員はお礼の言葉もそこそこに、一目散に収容所へと消えていった。
「なんだか忙しない人でしたね」
「だね。…今日の仕事はもうこれで終わり。タメでいいよ」
「いえ。外なんで」
「あ、そう」
「帰りましょう」
私は収容所から背を向けると、翼を広げる。すると、トウガは静かに口を開いた。
「待って」
「?」
「次はキョウの番、でしょ?」
「え」
「さすがにオレも気づいてるよ。キョウはずっとここにいることを望んでない。多分、オレのことを気にしてくれてるんだよね。それだったら、もうオレは大丈夫だから。キョウもほら、行きな」
正直、驚いた。何も気づいてないと思ってたし、悟られてないと思ってた。なのに、心の中全部見透かされてたなんて。さすが、この仕事のプロってだけあるな____
「…ありがとうございます。でも昨日セイロク様の目があるとか、振り回したからここには連れてこられないとか、言ってませんでしたっけ?」
「うん。それは監視があったから一応…ね」
「え」
「時期右腕候補ともなると、たまに監視が入るんだ。…って言っても、正確にはパパラッチみたいなもんだけどね。オレを蹴落として、みんな上に上がりたいんだよ。どこから聞かれてたのか分からない以上、着いた火の粉は落としておかないと。キョウにも被害が出るのは絶対にイヤだからさ」
トウガは困ったように笑うと、そっと私の手を取った。
「短い間だったけど、今までありがとう。『キョウスケ』」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
⸜(*ˊᗜˋ*)⸝
遂に、トウガとキョウスケの別れ(?)のシーンです!これで完結してしまうのでしょうか!?いいえ、しません!!
これからの展開に、こうご期待ッ!
ではでは、また明日〜!!