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初めてのホテル


一人取り残された燈芽は、ドアと反対側の壁に移動するとぎゅっと壁に耳を押し当てる。


「ねえ…アナタ。お願いがあるんだけど…」


「なんだ、カネの要求ならやらんぞ。そんなに欲しいならオマエの実家にでもせびるんだな」


「違うの…。今日、実家から燈芽に使ってって少しお金をもらって…。大した額じゃないんだけど、折角だからあの子とご飯に行きたくて……。外食と泊まりの許可をもらえないかしら…」


「…はぁ___。テメェも偉くなったモンだなァ?許可なく勝手にカネ受け取って、それを勝手に使おうだなんてよォ……。もういっぺんその身体に教えてやんねェと分かんねえかァ?」


途端に父の声は怒気を帯びると、低く壁越しに響く。


「そ、そんなつもりじゃ…ヤだ…許して、ごめんなさい___ッ!」


「訳ネェだろォが___ッ!!」


「ヤァ____ッ!」


低く鈍く響く、騒然とした音。幾度となく音は立て続けに響き、燈芽は思わず耳を塞いだ。


「____しかし、そうだな。そのカネを九割俺に寄越すなら考えてやらんでもない」


「…え」


唐突に父は振り上げた手を止めると、ふと考え込むようにして顎を浮かせた。


「____分かりました…。お渡しします…」


母は二つ返事で承諾すると、馬乗りになった父から無理やりに脱した。しかしすっかりいい気になった父は、そんな母を快く解放するのだった。



「おかえり、ママ。…大丈夫、だった…?」


母が部屋に戻ってくるなり、燈芽は小さな声で母に駆け寄る。彼の想像を遥かに超えるほどボロボロになっていた彼女の姿に、燈芽は思わず瞳に涙を浮かべる。


「大丈夫だよ、ママは平気!頑丈だから!!それより燈芽、今日はお外行けそうだよ!ママね、いつも頑張ってるから今日は神様が味方してくれてるかも」


「…?パパがあんなことしてきたのに…?」


「ふふふ、とりあえず見てて!」


母はカバンから数十万の札束を取り出した。それを手にすると、燈芽の頭をそっと撫でてから静かに部屋を出ていく。そして、再び燈芽は先程と同じようにして壁にピタリと張り付いた。


「___待たせてしまってごめんなさい。コレなんだけど…」


父は母から金を奪い取ると、目を細めて一枚ずつ数えていく。


「ッチ。シケてんな。……これからも仕送りあったらちゃんと言えよ」


「…はい」


父は手を払って「行け」と母に合図すると、母は小さく頷いて燈芽の元へと戻った。


「燈芽、パパから行っていいって言ってもらえたよ!支度したら、早速お家出よっか!」


「うんっ!


そして母と燈芽は手早く支度を済ませると、キャリーケースを引いてマンションの部屋を出た。




それからタクシーで移動すること数十分。とあるラグジュアリーホテルの前でタクシーは停車する。


二人はタクシーから降りると、キャリーケースを引いてエントランスへと向かう。


「燈芽。大分前にもここに来たことあったんだけど、覚えてる?」


「…んー。分かんない…」


「まあそうよね。じゃあ今日から数日間、思いっきり楽しみましょう!」


「…え?」



ホテルのエントランスに入り、右手側には清楚な身なりのホテルマンたちがフロントのカウンター前に整列していた。

その広大かつ優美に装飾されたエントランスは、タワーマンションに住む二人からしても、心を奪われるものであった。


だが、母はフロントのホテルマンたちには目もくれず、エントランス中央のロビーへと向かっていく。そして、一人の客の対応をしているホテルマンの列に並んだ。


「ママ、どうしてここなの?向こう、空いてるよ?」


「まあ見てて!」


母は燈芽にウインクをすると、順番を待った。そして、前の客の案内が終わり、母が一歩前に出る。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」


「お久しぶり、ユッカちゃん」


母は深く被っていた帽子を浮かせ、サングラスをずらす。すると、驚いた様子でそのホテルマンは母の手を取った。


「ええ!?久しぶりなんてモンじゃないよ…!この子、あの時の燈芽くん!?大きくなったねえ!…ここで立ち話はアレだし、お部屋案内するね」


「うん、お願い」


「ユッカ」が手元の無線を使うと、五分もしない内に高年代の男が現れる。その男は紺色のジャケットに身を包み、グレーのストライプのネクタイを締めている。そしてその背後に、もう一人同じ格好をした男性スタッフが荷物乗せを手に立っている。


「お待たせ致しました。…失礼ですが、まさか本当に橙里とうり様と燈芽様?」


男はサッと四十五度頭を下げた後、おずおずと母、もとい、橙里に問う。すると、橙里は小さく頷き男に耳打ちした。


「ここでは細かいことは言えないの。詳しいことはお部屋に着いてから話すから…ね?」


「あ、ああ…。かしこまりました…。では、そちらのフロントで先にチェックインを。…今回も特別優待ということで、割引させていただきます」


男はそのままの姿勢で小さく告げると橙里と燈芽にニコリと小さな笑みを向けた。


「ええっ、悪いよ」


「良いのです。橙里様と燈芽様の状況は把握しておりますから」


「…ごめんね。いつも」


「とんでもございません」


そして二人は控えていた男性スタッフに荷物を預けると、男にフロントへと案内された。




それから二人は男に案内されると、これから宿泊する部屋へと向かった。


橙里は手慣れた様子だったが、燈芽は記憶のある限りでは初めて来るラグジュアリーホテルの景観に戸惑っているようであった。 


「さて、これでようやくまともに話が聞けるな。燈芽くん、もしかしてビックリしてる?」 


「えっ、あっ…いや____」


唐突に声を掛けられた事と、突然の砕けた様子の男に驚いた燈芽は、咄嗟に橙里の足の後ろに隠れる。そんな彼を見た橙里は困ったように笑いながら男の方に視線を戻した。


「ごめんね。知っての通りこの子普段家で一人の時間も多くて、あの人とも兄弟との関係も変わってなくて…。…全然変わらないの。何も」


「…そっか。燈里ちゃんはまだ働けてるのかい?」 

「ううん。辞めさせられちゃった。家事は私がやれって。家政婦さんたちもみんな辞めさせられちゃって。浮いたお金は、あの人の愛人に行ってるの」


「まだ別れてないんだね。三人目ができたのに」


「…うん。元々作る予定の無い子だったから…。あの人が相手と喧嘩して酔った勢いで私に絡んで、それで……ウッ_」


「大丈夫かいッ!?」


橙里は虚な目をして語ると口元を手で押さえ、うずくまった。それを慌てて男が介抱する。


しかし、燈芽には二人が何の話をしているのか、さっぱり理解できなかった。誰と誰の話なのか、何のことなのか、良いのか悪いのか。二人の顔を交互に見上げながら、首を傾げることしかできなかった。


ただ一つ分かったのは、いつもと同じように母が苦しんでいる。ただそれだけだった。


「__ママ。だいじょーぶ…?ごはん食べれば、元気なる…?」


燈芽は遠慮がちに橙里の服の裾を引っ張る。橙里はその言葉にハッとしたように目を見開くと途端に笑顔を作り、燈芽に向き直った。


「ああッ!すっかり話し込んじゃった!!燈芽、遅くなっちゃってごめんね。じゃ、早速ご飯行こっか!」


「うん、ごはん!」


橙里はにっこりと燈芽に微笑みかけると二人は男と別れを告げ、ホテルのブッフェへと足を運んだ。


「うぁぁぁ!!!すごぉ____いッ!!!」


燈芽はレストランに着くなり、その整然とした出たちの景色と今まで嗅いだことがないほどの美味しそうな匂いに思わず全身を震わせる。


「良い匂いね」


「すごい、うん、ねえ!あの人たちは!?ごはん作ってるの!?」


「うん、ブッフェはみんなが食べたいものを自由に取って行っちゃうから、あのコックさんたちが出来立てを食べさせてくれるのよ」


「すごいっ!!ママ、ありがとう!!ぼく、がんばってガマンしてよかったーっ!!」

おはよぉ〜。

とうがだよー。


え?急にショタ化した??

…ぼくにはよくわからないからお話し続けるねー。

ぼくねー、実は夢があるんだー。

その夢っていうのは、弟を持つこと。

なんでかっていうと、今はぼくが一番下の弟なんだけど、さらにもう一つ下に弟がいればさ、苦しいことも、楽しいことも、一緒にわけっこできるでしょ?

まあ、百パーセントそれができるかっていったらそれはちょっとわからないけど…。

あっ、じゃあ、そろそろバイバイの時間みたい。

それとらいあがね、「今日は朝から暗くなっちゃってごめん」だって!!

じゃあ、また明日も、おたのしみに〜!!ばいばーい!!

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