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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

原爆~広島で一瞬にして奪われた14万の命~

作者: 獅孔

この話は、実話を元にして書いた小説です。

実際の人物に許可を得て書いています。

著作権侵害行為等は行わないで下さい。


※昔の言葉を今風に言っている物があります。

それは僕の知識不足等ではなく、意図的な物です。

例)少国民→小学生……etc

 私は佐々木明子(ささきあきこ)

 ついこの間女学校に入学した。


 母に加え、まだ小学2年の妹と、小学校にも入学していない妹の3人兄妹、合わせて4人で、広島県に暮らしている。


 母は佐々木幸子(ささきさちこ)

 真ん中の妹は佐々木久子(ささきひさこ)

 下の妹は佐々木千代子(ささきちよこ)




 8月の25℃ある暑い日の早朝だが、母はもう仕事に行っている。

 母は血反吐の出る思いで、毎日1日中工場で働いているが、未だに給料は上がっていない。


 因みに給料についてだが、給料と言っても、実際は私たち3人に茶碗1杯のご飯も食べさせられない程の物だ。


 だから、母は私たちに自分の分の食べ物をいつも分けている。

 私は、苦労をかけている母に少しでも楽をして貰おうと、──母程ではないが──製糸場で働いている。

 そこで得た給料は、本当であれば母に回したいのだが、下の妹(ちよちゃん)に回している。




 この日本には、子供たちを魅了した物が存在する。

 それは、幼児用のミルクである。

 高いお金で買えるミルクは、小さな子供にとっては至高の一品なのだ。

 甘くて濃厚なミルクは、数々の子供たちを魅了した。

 そんなミルクを、私の妹だけが欲しがらない訳がない。


 すでに離乳したちよちゃんだが、ミルクの味は覚えている。


 甘くて美味しい!


 そんなミルクは、本当に魅力的なのだろう。

 母は私に、「いいからいいから。そのお金は、私みたいに死んでいく者よりも、未来ある千代子に回しなさい」と言った。


 私は渋々それに従い、ちよちゃんにミルクをあげ続けている。


 別にちよちゃんが嫌いという訳では無いのだが、この家で1番苦労している母を労ってやりたいという思いの方が大きいのだ。


 戦争に出兵した父は、帰ってきそうにもないから、尚更そうである。




 父は佐々木明夫という。


 父は、暴君()()()

 大酒飲みの父は、1日中酒を呑み続けるという、だらしない生活を送っていた。


 しかし、父は、小説家でもあった。

 酒を呑んでばかりの父だが、そんな父が書く小説は一世を風靡した。

 言わば、売れっ子小説家である。

 父は、私たちの生計を支える程売れていた。


 そんな父だが、よく家族に手を上げていた。

 特に、母。

 と言うのも、私たちにくるものを、全て母自らが受けてくれていたからである。

 だから私は父が嫌いだった。

 小さい私は、そんな父に嫌気が差していた。




 暫くして、御国から赤紙が来た時は、好機とばかりに喜んだ。

 母に暴力を振るう男が消えたからである。

 ようやく我が家に平和が訪れたと思った。




 しかし、それは勘違いだった。

 その感想は、小学生()が抱く感想である。

 今になってようやく分かった。

 その結果が、今の母である。

 仕事のし過ぎの過労で、今にも倒れそう。

 それなのに、家族の為にと働き続けている。

 だから私は密かに、父の無事を祈っている。

 例え、私や真ん中の妹(ひさちゃん)が働きに出ても、家計を支える事は不可能である。


 父が居ないと、母が死んでしまう。

 それを、女学生になってようやく理解したのだ。




 今日も、ひさちゃんが南瓜の煮付けを食べている。

 「南瓜、美味しい!!」





 ひさちゃんは、小さな頃から食いしん坊だった。

 父はよく、ひさちゃんに色々な食べ物を食べさせていた。

 父が「小説の味について書く時の参考になるから、買って来た」と言って、食べ物を買って来るのだ。


 だが、それは大義名分でしかなく、本当の目的はひさちゃんだ。

 小学生の私はまたまた誤解をしていて、これは私や母を虐める為に、ひさちゃんだけ沢山食べさせて、それを私たちに見せつけているのだと思い込んでいた。


 しかし、それは違った。

 父は、ひさちゃんが食いしん坊なのを知っていて、ひさちゃんを可愛がって食べさせていたのだ。

 その当時はちよちゃんが居なかったので、ひさちゃんが最年少だった。

 親が最年少の子供を可愛がるのは納得だ。

 それが、親心というものなのだから。




 もう中学生になるひさちゃんは、成長期真っ只中だ。

 今まさに食べ盛りなので、家での食料消費量は1番だ。

 ただでさえ苦しい生活なのだが、私と母はそんなひさちゃんが可愛くて仕方ない。

 何とか私と母の食べる量を調節し、ひさちゃんに回している。

 それを知らないひさちゃんは、ニコニコしながらご飯を食べる。

 美味しそうにご飯を食べる姿は、癒しの象徴だった。


 本当は母も食いしん坊だった。

 しかし、ひさちゃんの為に我慢して貰っている。

 これについては、母を止めようにも止められなかった。




 本当に、国は何故戦争などしているのだろうか。

 国民がこんなに貧しい思いをするなんて。


 私は知っている。

 新聞では、アメリカより優勢な様に報道しているが、実際は負けているのだと。

 これは、女学生の友達から聞いた話なので、証拠は無い。

 しかし、私はそうだと直感している。

 アメリカに勝っているなら、国がこんなに貧しい訳が無いからだ。




 さてと。

 そんな話は置いておいて、私は出勤だ。

 製糸場は徒歩15分の場所にある。

 広島の街には、広島電鉄、つまり路面電車が通っている。

 路面電車に乗る為には、もう出なければならない。

 製糸場には早めに着くが、仕方ない。

 遅刻より100倍マシだ。


「行ってきま〜す!!」

「「行ってらっしゃ〜い!!」」


 私は重い足取りで駅へ急ぐ。

 仕事の疲れが、体を蝕んでいる。

 はぁ……と溜め息をつく。


 もう嫌だ。

 働きたくなんか無い。

 戦争に負けると分かりながら、「御国の為に!!」と働くのにも、うんざりだ。




 駅に着いた。

 幸い、まだ電車は来ていなかった。

 ほっと一息つく。

 憂鬱な気分が、少し晴れた気がした。

 そして、


「やっほ〜!」


 と言われる。


 その声の正体は女学校の同級生、田中文子(たなかふみこ)だ。

 その「海藻」と呼ばれる御下げ姿は見慣れた。

 いつも首に付けている、エメラルドを象ったブローチが印象的である。

 文子とは同じ製糸場で働いており、いつも隣同士だからである。


「やっほ〜!元気してた?」

「当然じゃ〜ん」


 この会話も飽きた。

 しかし、辞められない。

 何故か辞めようと思っていても、中々辞められない。

 それ程、この会話を繰り返しているのだろう。

 そして、もう生活習慣となったのだ。


「おっ、来たよ!」

「乗ろう乗ろう!!」


 文子と話しながら、電車に揺られる。

 これも、定型だ。




 文子と話す時間は短いものだ。

 あっという間に製糸場に着く。


「もぅ、また製糸場に来ちゃったよ!!でも、家族の為!」

「そうだよ。家族の為に、私たちが働かないと──」

()()()()……?」


 びっくりした!

 急に背後から声がした。

 この声の主は、私たちの上司の祝原智子(いわいばらともこ)だ。

 もう40代と中年だが、まだまだ現役である。


()()()()じゃなくて、()()()()でしょ?」

「「はっ、はい!!」」


 この様に、智子さんは盲目的愛国者だ。

 国を愛し、御国の為に働いている。

 こんな人は、この製糸場には沢山いる。


「さっ!仕事よ!!お互い頑張りましょ!!」

「「はいっ!!」」





 私たちは、製糸場にある更衣室で、仕事着に着替える。

 割烹着姿で、いつもの配置に着く。

 ここからはただ黙々と作業をする。


 暑い。

 8月に入りたてで、夏の気温だ。

 もう30℃は超えただろう。

 もう8時過ぎだ。


 まだまだ作業は続く。


 辛抱しなければ……。


 私が家計を支えなければ……。


 そんな思いが私の頭を過ぎる。

 ただ黙々と作業を続ける。

 それだけならば、どれだけ幸せだっただろうか。

 ()()は、突然やって来た。




════════════════════════

 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。

 広島に、原子爆弾が投下された。

 世界で初めて、原子爆弾が使われた。

════════════════════════




 あれ?何が起こったのだろうか。


 痛い。


 とにかく全身が痛い。

 冷静になり、周囲を見渡す。

 凄い音と共に、衝撃波(ソニックブーム)が襲ってきた。

 いや、違う。

 これは、何かの爆風だ。

 何かが爆発して、こうなったんだ。


 逃げなきゃ。


 でも、体が動かない。

 あ、分かったぞ。

 製糸場が崩れた瓦礫の下敷きになっているんだ。

 幸い、そこまで大きい瓦礫では無かったようで、大怪我という訳では無いようだ。

 直ぐに瓦礫から抜ける。




 改めて周囲を見渡す。

 周囲は、瓦礫の山だらけだった。

 大きく開いた天井から光が差している。

 晴れた空には、まるで茸の様な雲が出来ている。


 文子はどうなっただろうか。


「文子〜!!」


 誰も居ない製糸場跡に、私の声が木霊する。

 返事は無い。

 それもその筈。

 私は、自分の真横に落ちているブローチに見覚えがあった。

 血で汚れたそのブローチは、紛れも無い文子の物だ。

 それが示すのは……。


 隣の瓦礫の山の下から、御下げの頭が見えていた。

 それは、いつも見慣れた頭。


「……文子?」


 首から下は、さっきの私の物よりも大きい瓦礫に押し潰れている。

 その瓦礫の下からは、赤い血も流れていた。


「……あぁ……、文子ぉ……!!」


 私は、小さな時に父に殴られた時以来、久しぶりに泣いた。

 声にならない叫び声を上げて。




「ああああああああああああああああああああ!!!」




 そう叫ぶ筈だった。

 しかし、何故かそれは声にならなかった。

 別に、悲しみが引っ込んだとか、そういう訳では無い。

 本当に、人間辛い時は声が出ないんだなと思った。


 そこで、私は大切な事を思い出す。

 爆弾が何処に落ちたかは知らないが、私の家はどうなったのだろう。

 ひさちゃんは既に登校した筈。

 ひさちゃんよりも、ちよちゃんが心配である。


 ひさちゃんが登校すれば、家には誰も居なくなる。

 だからちよちゃんは隣の家に預けている。

 だから、ちよちゃんは隣の家に行けば見つかるだろう。

 文子みたいに、死んでなんか……いない筈。




 私は、捻挫をした足で走った。

 今思えば、あの時なぜ走れたのだろうか。

 何処からか力が湧いてきたのだ。

 まるで、水を飲んで走ったメロスの様に。


 痛かった。


 辛かった。


 疲れた。


 休みたい。


 そんなネガティブな感情が、私を支配していく。

 しかし、私はめげない。

 ただ走る。

 息を切らして、肺が痛くなろうとも。




 家に近づくにつれて、被害が目に見えて分かる様になる。

 何故かは知らないが、人、馬、牛、皆が川や用水路に顔を突っ込んで死んでいる。

 まだ生きているかもしれなかったが、彼らを助けている時間は無い。

 しかも、余りに残酷過ぎて、目を逸らしたくなったから、私はその場を後にした。




 そのすぐ後に、「うぉぉ……」とゾンビの様な声を出しながら這いずっている、推定60代の男性に会った。


「み、水ぅ……」


 男性は私に必死に訴え掛けて来たが、生憎私は水を持っていなかった。


「水なら、あっちに川がありますよ」


 私がそう言うと、男性は「うぅっ……」と唸り声で返事をし、川の方へと這いずって行った。




 本当に地獄を見ている様だ。

 あの男性も、爆弾が落ちる前までは元気に生活していたのだろう。

 今日もやるぞ!という思いで1日を過ごしていた。

 それなのに……。

 やなり、戦争など間違っている。

 こんな事など、絶対にあってはならない。




 遂に、私は家の近くの通りまでやって来た。

 近所の家々の大半は、無惨に倒壊していた。

 しかし、私の家の近くは奇跡的に建っていた。

 私は無我夢中で走った。


「──ちよちゃん!!」


 隣の家の門を通り、私は叫んだ。

 しかし、それに返ってきた答えは、私が想像していた答えとは若干違っていた。




 私が想像していた答えは2つ。

 何も難しくなんか無い。


 1つ目。

 ちよちゃんは生きていて、隣の家で避難しようとしている──避難している──。


 2つ目。

 ちよちゃんは、もう……。


 後者にだけはなって欲しくは無かった。

 しかし、現実は酷かった。





「あぁ、明子ちゃん。ちよちゃん、さっき息を引き取ったのよぉ……」


 お隣さんが、涙ながら告げる。


 世界が音を立てて崩れ出す。


 私がもっと早くついていれば……。


 私が危機感を持っていなかったが為に……。


 遂には、あんな男性なんてほっとけば良かったという結論にまで至った。


「うっ……、ううっ……」


 私の物とは思えない声が聞こえた。


「ちよちゃん……目を開けてよぉ……!!」


 現実はそう甘くない。


「ちよちゃぁぁあん!!」


 私は、文子の時とは違って、声を上げて泣いた。

 今度は、めいいっぱい叫んだ。

 多分、明日はガサガサ声だろう。


「ああああああああああああああああああああ!!!」





 泣き疲れて、気持ちが落ち着いた。

 お隣さんが、私を慰めてくれたのだ。


 お隣さんは、添田千世子(そえだちよこ)という。

 お隣さんは1人暮らしだった。

 夫は戦争で出兵し、帰って来ない。

 しかも、2人には子供が居なかった。

 だから、隣の家の子供だが、ちよちゃんを我が子のように可愛がっていたという訳だ。


 ちよちゃんと千世子さんは、「千代子」と「千世子」という同音の名前だった為、気が合ったそうだ。

 千世子さんは昔ながらの遊びを得意としていて、よくお手玉やけん玉、おはじき、手遊び等で遊んだらしい。


 千世子さんと遊んで帰って来たちよちゃんは、いつもニコニコしていた。

 そして、よく「ちよちゃんとあそんだ!」と言っていた。

 そう言う姿は、本心からそう思っている感じだった。


 でも、そんなちよちゃんも死んでしまった。

 私は、ちよちゃんの段々冷たくなっていく手を触りながら、涙を流した。

 しかし、声は出なかった。

 声も無く、ただ泣いた。




 爆弾が落ちたのは、私の家の近くだった。

 割と近かったのだが、生憎の所、私の家は無事だった。

 しかし、その周辺の被害は甚大。

 暫くは避難所生活を余儀なくされるだろう。




 気持ちを切り替えよう。

 既に近辺には、日本兵たちが蔓延っている。

「ほらほらどいて〜」と言って死体を足で退け、担架で怪我人を運んでいる。

 しかし、人助けをしているのだから、何も言えない。

 やっている事は正義なのだから。

 まぁ、私は家で寝るとするか。

 疲れたし、少し現実から目を背けたい。




 翌日。

 爆発の後に降った黒い雨が降ったらしい。

 私は自分の家の中にいたので、全く気づかなかった。

 お隣さんは縁側でその様子を見ていたらしい。

 日本兵が「何だこの雨は!?」と言ってテントに避難していたらしい。

 あの爆発は、ただの爆発では無かったのかもしれない。

 もしかしたら…………。




 私はひさちゃん、そして母の安否が気になったので、日本兵の診療所に行ってみた。

 ついでに私の容態も診てもらおうと思ったからだ。

 診療所の先生は、私には異常が無いと説明してくれた。

 足の痛みも、ただの捻挫だと分かった。

 怪我をしていた場所に、軽く包帯を巻いて貰った。

 もっと酷い人には良いのかと聞いてみたが、先生はこう答えた。


「君の言う重症患者だがね、正体不明の病に犯されている。だから、治療したところで無駄だね」


 もう30年も軍医を続けている先生が言うのだから、そうなのだろう。

 もう、手の付けようが無いって事か。

 ふと、私は恵まれてる方なんだなと思った。


 因みに、軍医さんに黒い雨について聞いてみた。


 「あぁ、あの雨か。あれは絶対に浴びたら駄目だ。放射能にやられるぞ」


 どうやら、あの雨は放射能に汚染された雨らしい。




 そして、およそ1週間と少しが経過した。

 その間に色々あった。


 まずは私の大ニュースから。

 母の死亡が確認された。


 母は、務めていた工場で割れた窓の硝子から人を庇って、硝子の破片が体に突き刺さって出血死したらしい。

 幸い、母が死ぬ直前に庇った同僚は生きていたそうだ。

 その同僚の方は、私に感謝とお悔やみを言ってくれた。

 とても優しく、良い方だった。

 母がこの人を守ったのは納得だった。


 ひさちゃんの安否は不明。




 そして何より、日本の大ニュースが2つ。

 1つ目は、長崎にも広島に投下された爆弾(原子爆弾と言うらしい)が投下されたらしい。

 長崎でも、広島同様甚大な被害が出た。

 広島に来ていた日本兵の少数も、長崎に移った。

 長崎の方々にも、お悔やみ申し上げます。

 早く家族と安心して暮らせるようになりますように。


 そして2つ目。

 2つの都市の原子爆弾投下をきっかけに、日本が連合国のポツダム宣言を呑み、戦闘停止したのだ。

 そして、昭和天皇様による玉音放送も行われた。


 ようやく終戦か。

 日本のボロ負けだろうが、それは関係無い。

 それより、ここに至るまでに何人の人が命を落としただろうか。

「欲しがりません勝つまでは」とか言って、国民まで巻き込んだ。

 しかも、こうやって原子爆弾が投下された都市の人は、沢山死んだ。

 国はどう責任を取ってくれるのだろうか。

 死んだ人や、国全体に出た被害についてだ。

 全く、国も馬鹿な事をやったもんだよ。

 こんな結果になるって分かってんのにさ。




 まぁ、国にキレていても何も始まらない。

 まずは目先の事を終わらせよう。

 私はまず、島根県にいる親戚の家に居候させて貰えないか頼んでみる事にした。

 しかし、今の広島は紙も、ペンも無い。

 移動手段も、徒歩のみ。

 江戸時代に戻った気分で、缶パンを持って歩き出す。

 目指せ、島根県!


 民家に泊めて貰ったりして、何とか島根県に着いた。

 それも、2泊3日。

 缶パンしか食べていない人間は軟弱だ。

 島根の親戚は、ボロボロの服を来た私を見て、まずは家に入れてくれた。

 前に文子が話と照らし合わせると、こんな家は滅多に無いだろう。

 戦時中で、みんな切羽詰まっていたからだ。




 風呂に入って、親戚から服を借りる。

 そして改めて親戚に居候のお願いをした。

 親戚は優しかった。

 ご飯は少ないが、寝床や風呂、トイレの確保をしてくれた。

 有難い以外の何物でもない。

 私は土下座をしてまでして、親戚にお礼を述べた。


 そして、借りた部屋に入って、紙とペンを貰った。

 知り合いに手紙を書くという目的もあるのだが、私にはそれ以外の目的もあった。

 それは、この原子爆弾の惨劇を後世に引き継ぐ事だ。

 二度とこんな事はあってはならない。

 それを、これから世を支えていく若者に知らしめてやらねば。

 そういう使命感が、私の感情を埋めつくしたのだ。

 ペンを手に取り、紙に文字を書いていく。

 私は文才が無い。

 金を貯めて、文才のある人にでも書いてもらおう。

 ………

 ……

 …

 私はこうして、原子爆弾の惨劇の語り手になった。

 歳をとった今でも、日本中を駆け回り、原子爆弾の恐ろしさを語っている。

 そして、二度とあんな惨劇が起こらないようにと願いながら活動を続ける内に、とある小学校で公演をした時。

 私は、(本名)君と会った。


(ここからは、佐々木(勝部)明子さんご本人のお言葉です。嘘偽り無い言葉です)


 獅孔(本名伏せる為にこうします)君は、小説家になるのが夢だった。

 先生と獅孔君にお願いして、小学校の作文を見せて貰った。


 獅孔君はとても文才のある子だった。

 獅孔君になら、私が書いたあの紙を託しても良いかも!!

 そう思った私は、先生を通じて、獅孔君に私が書いた「原子爆弾物語(仮)」を託した。


 先生から聞いた。

 獅孔君は私の随筆を受け取ってから目を通し、こう言ったらしいですよ。


「これ、手直し要らなくないですか?」


今回、ご協力頂いた佐々木(勝部)明子さん、本当にありがとうございました。

そして、安らかな眠りを。


明子さんは、僕にこの「原子爆弾物語(仮)」を託してから、およそ1ヶ月後に、原爆病でお亡くなりになられました。

明子さんの意思を継ぎ、この物語を完成させました。

本当に嘘偽り無い、実話による物語を完成させる事が出来ました。


最後に。

佐々木(勝部)明子さん、本当にありがとうございました。


追伸

明子さん曰く、ひさちゃんは行方不明で、今も尚見つかってないそうです。

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― 新着の感想 ―
戦争って、やっぱりこんなもんですよね。 だから、ウクライナとかガザ地区とか、救ってあげないとですよね!
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