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第四章 評定と鍛錬


第四章 評定と鍛錬



 2034年4月


 1


「そういえば、紅音さんの趣味って何ですか?」


 月原紅音と雲林院葉月が組んで一週間経った平日の午後。

『仕事』に一段落つき、ARSS U.S.A.本部のフリースペースにて二人してコーヒーを飲んで休んでいる最中、葉月はそんなことを言い出した。


「『趣味』、か」


 紅音は口に付けていたコーヒーカップを、カチャリと音を立てながらソーラーの上に置く。


「あまり趣味らしい趣味は思いつかないが、敢えて言うなら寝ることだろうな。と言っても、寝具とかの拘り特に無い。……よく仮眠を取るくせに寝起きは良くないことが多いんだが、気にしないでくれると助かる」


 それを言われた葉月は、紅音と初めて会った日に彼女が一瞬の隙を突いて寝て、起きたら少し機嫌が悪くなっていたのを思い出していた。


「わかりました、気にしないことにします。……それにしても、紅音さんって完璧そうなのに、寝起きが苦手とか、なんか意外です」


「……私としては『完璧そう』と思われてたことに驚きだ。私はそんな出来た人間じゃない」


 紅音はやや苦味が混じった笑みを浮かべる。


「それに、むしろ葉月の方が色々とシッカリとしていると私は思う。高校生なのにアーベントの仕事をキチンとこなしているし、確かもうこっちで友達できたんだろ?すごいと素直に思うぞ」


「……ありがとうございます」


 紅音に直球で褒められたのがむず痒くて、葉月は口ごもってしまう。


「私の趣味……というか趣味もどきの話はしたが、そういう葉月の趣味はなんだ?」


 紅音は質問しつつも、『食べ物についてよく喋ってるし、多分食べ歩きかな』と予想を立てる。

 聞かれた葉月はニパっと笑みを浮かべて


「私の趣味は美味しいものを食べること、食べ歩きです!」


 予想通り。

 なんとなく微笑ましい気持ちになる。

 しかし、


「あと、それと――」


 葉月の言葉には、まだ続きがあった。


「カラオケに、ボウリング、ダーツ、旅行、ハイキング、廃墟巡り、テニスにバトミントン。サーフィンとかのマリンスポーツも結構好きです。あと、裁縫とかもやります。季節限定のものだと冬にはスノボーとかでもよく遊びますね。あと小説とか漫画も結構読むかな。というか、折角ロサンゼルスに来たので、海で遊びたいなと思ったんですけど、流石にまだ寒いからできない、残念!」


 なんか、一杯あった。

 それらを勢いよく口にする葉月は実に楽しそうだった。


「そんな数の趣味、よくこなせるな」


「意外と頑張ればなんとかなるものですよ。思い立ったら吉日の勢いで色んなことチャレンジしたら、どんどん趣味が増えて行っちゃったって感じです!」


「そうか。楽しそうで何よりだ」


 紅音はブラックコーヒーが淹れられたカップに口を付けながら、内心関心していた。

 葉月はARSSのアーベントとしてかなりの努力家だ。

 立ち回りや影胞子の操作、固有能力の使い方など、どれを取っても鍛錬の跡が見て取れる。

 こんな若いにも関わらず、真面目に仕事に取り組みながらも趣味に打ち込めているのは、人生を謳歌してて良いと紅音は思った。


「?いきなり微笑んでどうしたんですか?」


「いや、なんでもない」


 そう言うと紅音は、カップに残っていた僅かなコーヒーを一気に飲み、空になったカップをソーサーの上に置く。


「さて、そろそろ仕事の話をしようか」


「はい」


 葉月は頷いて、姿勢を僅かに正しくする。

 そんな葉月を見た紅音は小さく頷いて、


「私とお前が組んでから今までの間で、お前には三度鵺と戦ってもらった。それは、葉月が一体どれだけ動けるのかを上司である私が把握するためだということは説明したと思う」


「……はい」


 葉月の体が硬くなる。

 これから何を言われるのか、ある程度察知したからだろう。


「その三回の戦闘を通して、私がお前に下す評価は――」


「……!」


 葉月は更に体を固める。

 だが、葉月は決して紅音から目を逸らさなかった。

 だから、紅音は葉月の目をシッカリと見ながら告げる。


「――期待以上のものだった。ほとんど満点で、優秀と言えるだろう」


『これからも一緒に仕事を手伝って欲しい』。

 そんな意味も孕んだ、最高の評定を。

 ……。


「……ふうぅぅ………………」


 告げられた葉月はゆっくりと息を吐きながら、文字通り胸を撫で下ろす。

 そして、その直後、


「やった!!!!」


 力強いガッツポーズを取った。

 それを見た紅音は再び微笑みを浮かべるが、すぐに引き締まった表情に変える。


「葉月、お前は一回目から欠点は少なかったが、その少ない欠点も二回目以降見られなくなった。とりあえず私の言った通り体を動かし、私の判断に対する疑問などは戦闘後にちゃんと私に言って解消した。そういう対応がお前の成長に繋がり、そんな成長するお前なら信頼できると思う」


「ありがとうございます!」


 葉月はテーブルにぶつかる勢いで頭を下げる。


「だから、少し予定を変えることにした」

 

「?」


 葉月は頭に疑問符を思い浮かべながら頭を上げる。

 それに対し紅音は涼しい顔で、


「本当はここまでする気はなかったんだがな。だけど、葉月の動きを見て、少し本格的にお前を鍛えたくなった。葉月に戦闘力そのものはあまり期待してない……というか『横取り』のことを考えると有り過ぎたらむしろ困るんだが、それでも多少程度だったら強くしておいた方が何かと良いだろう」


 紅音の言葉を聞いた葉月は目を見開く。

 この一週間、紅音は葉月に『どうすれば良かったか』を教えることは度々あったが、それは葉月の思考力と判断力を試して伸ばすためのもので、葉月の能力そのものを鍛えるものではなかった。

 そして、先程紅音本人が言っていた通り、目の前の先輩が自分に鵺を倒す力を求めていないのはもうわかっていたから、その手の鍛錬を自分に施すつもりはないのだろうと葉月は思っていた。

 でも、このままではダメかもしれないとも思っていた。

 紅音は先程褒めてくれていたが、それは葉月が強いという話ではなく、『戦場で生き残れる』という最低ラインを越えられたという話だということを葉月は正しく理解していた。

 だから、いくら葉月の役割がサポートのみとはいえ、今の実力のままだと自分は紅音のお荷物になってしまう可能性は高いと考えていた。

 スポットの攻略任務において、自分は『ARSSのアーベント』としての勤めを果たせないかもしれないと、そう考えていたのだ。

 だから、紅音から直接鍛えてもらえるのは意外かつ、元々『強くなりたい』と思っていた葉月としては嬉しいものであったため、つい一瞬ぼんやりとしてしまう。


「今から演習場に移動する。ついて来てくれ」


 紅音はそんな葉月に気付かず、空のコーヒーカップを載せたソーサーを持ちながら立ち上がり、フリースペースの出口に向かって歩き出す。


「あ、はい!」


 呆然としていた葉月も、ソーサーを片手に慌てながら紅音の後ろについて行った。




 2


 ARSS U.S.A.本部の演習場は、屋外二つに屋内一つの計三つ存在する。

 中身の概要はどこも大体同じで、広大な場所に鵺を模した様々な形と大きさのオブジェが並び立ち、遠距離能力を鍛えるための射撃場など一部の能力に合わせた『的』がいくつも乱立してある。

 それらの能力標準用の的があるエリア以外は大きい広場になっており、アーベント達はそこで『手合わせ』することが多い。

 なぜそんな演習場が屋外に二つもあるのかというと、U.S.A.本部がある大都市ロサンゼルスのど真ん中で確保できる土地に限りがあったというだけの話だ。

 そのため屋外演習場は本部に隣接している第一演習場と本部から離れた場所の第三演習場の二つあり、離れている第三演習場は車で移動しても三十分強はかかる。

 しかし、第三演習場の方は遠い代わりに2平方キロメートルを誇る広大なスペースがあり、U.S.A.本部所属、もしくはU.S.A.本部に出向してきたアーベントなら誰でも自由に利用できる。

 それに対して第一演習場は、高校のグラウンドの数倍程度の広さで、アーベント何十人も自由に使えるほどの広さではないため、事前申告制になっている。

 ゆえに、本格的に演習したければ広い第三演習場。本部に用事があって、そのついでに演習を行なうのならば本部に隣接されている第一演習場かそれより一回り小さい屋内の第二演習場を使うことが通例となっている。

 だが、実際の所、ARSS U.S.A.本部に所属しているアーベントは一万近く居るとはいえ、そのほとんどが全国各地の支部及び事務所に散らばっており、U.S.A.本部に直接出入りするアーベントは二百人程度のものだ。

 そのため、本部に隣接している第一演習場と屋内の第二演習場の両方とも使用者で埋まることは滅多になく、広い第三演習場の方も、年に数度あるU.S.A.全土の支部も含めた合同演習のときに使われるぐらいのものだったりする。

 そんな三つの演習場の内の一つの第一演習場の端っこに、白い髪を腰まで伸ばした黒装束の美女とジャージ姿に着替えた可愛らしい茶髪の少女が立っていた。

 月原紅音と雲林院葉月の二人である。


「葉月、お前、影胞子操作のやり方について、誰かに教わったことあるか?」


「最初に受けた基礎研修のとき以外ではありませ――。あ、同期の円ちゃんにちょっとだけコツ教えてもらったことはあります。一緒にコッチに来た子なんですけど」


「……百鬼円、だったか。彼女は一度見かけたことあるが、最低でも中級(オルデン)レベルの実力はありそうだったな」


「そういうのって、見ただけでわかるものなんですか」

 

「大体な。とは言っても、わかるのは影胞子の量ぐらいだし、実際には、彼女はもう上級(ヘルト)レベルに達してるかもしれないが」


「おー、すごいんですね、円ちゃん」


「そうだな、U.S.A.本部に所属して以来何人もアーベントを見てきたが、彼女はその中でも上位に入る強さだろう。とはいえ、彼女もまだ若い。若くて強い奴は感覚でしか自身の強さを理解してないことがあるからな。……百鬼円は葉月にどんなことを教えていた?」


「えっと、影胞子で自身の肉体を強化する際に、必要に応じて部位ごとに強弱をつけての攻撃力や防御力の集中上昇。あとは、天候や環境へ対応するため影胞子で自身の身体を守らせる防御法とか、そんなとこですかね」


「なるほど、確かにそれらは必要な技術だ。葉月がそれらを既に習得してるのも、今までの戦いの中でわかる。よく、鍛錬したんだな」


「はい!」


 葉月は明るく笑みを浮かべる。

 だが、その直後に肩を落として、少し悲しそうな表情を浮かべる。


「でも、円ちゃんはアーベントになった直後にはもう出来てたらしいんです。才能の差を感じられずにはいられません」


「才能があるかないかなんてどうでもいいことだ、葉月。出来るか出来ないかが問題であって、それが努力によるものだろうと才能によるものだろうと関係ない。結果が全てだ」


 紅音は無表情のまま、ぶっきらぼうに言い放つ。

 だけど、その言葉はどこかあたたかくて、葉月は紅音が自分を慰めようとしているということをちゃんとわかった。

 だから、葉月は笑顔を浮かべて、


「そうですよね。私はまだ、成長途中です。これからがんばって、紅音さんみたいに『結果』に繋げてみせます!」


「?私は結果と呼べる物は何も残してないぞ?」


「え?」


 紅音と葉月が二人揃って首を傾げる。

 そんな中、先に口を開いたのは葉月の方だった。


「紅音さんって、強い鵺を……それこそ上級(ヘルト)すら苦戦するような鵺ですら倒してるんですよね?その功績と強さは、『結果』じゃないんですか?」


「それは途中結果と手段であって、結果ではないよ。私はまだ、あそこに居る鵺を殺し切ってない」


 そう言って紅音は顔を逸らし、どこか遠くを見つめる。

 葉月は知らなかったが、紅音が顔を向けた方角には、地球に現存する最大級の鵺の巣が在った。


「五十年もかかってるのに、あそこにはまだ鵺は残ってる。私が殺したい『それ』が生きている可能性はまだ有る。だから、私はまだ何も為せてない。『それ』が生きてるかもしれないことが、どうしても許せないんだ。だから、本当は、一秒だって早く――」


「紅音、さん……?」


 紅音の異様な雰囲気に、葉月はつい彼女の名前を呟く。


「……話が脱線してしまったな、すまない」


 紅音は自身の頭に付けている赤い花型の髪飾りを撫でるように触れると、顔の向きを葉月の方に戻した。


「それで鍛錬方法の話だが、葉月には『先取り』をやってもらう。……とりあえず、服の袖をめくってくれ」


「……はい!」


 ……さっきまでおかしかった紅音の雰囲気は、もういつも通りになっていた。

 紅音の言う通りに袖をめくりながら、『紅音さんが元に戻って良かった』と葉月は心の中で胸を撫で下ろす。

 ……というか、今、自分は言われるがままに袖をめくったけど、そういえば目の前の美人な先輩は何をしようとしてるんだろう?

 葉月が質問すれば紅音はキチンと答えてくれただろうが、後輩少女は直前まで考え事をしていたため問いを発するタイミングを逸し、故に何も聞かれなかった先輩は淡々とやることを進める。


「少しチクッとするぞ」


「!?」


 紅音が葉月の素肌が出ている腕を指差すと、紅音のその白い指から先端に針が付いた赤い糸が射出された。

 紅音の己の身体を操る固有能力『血躯操作(オペレートブラッド)』によって作られたその赤い針は、そのまま指が向けられていた葉月の腕に刺さり、紅音の言葉通りにチクッとした痛みが腕に走る。


「え、何ですか、これ????」


「私とお前の間で『パス』を繋げた。……アーベントが自分のだけでなく、触れている影胞子も操作できるのは知っているな?」


「えっと、はい。『黒い霧』が発生した場所では、霧を構成している影胞子を吸収することで、一時的なバフを自分に掛けるんですよね。私はそのスキル上手くできないんですが……あの、もしかして、それって他人の所持してる影胞子に対しても可能だったりするんですか?」


「よくわかったな。そうだ」


 葉月は、紅音が針を刺して『触れている』状態にしたことから、そう推測したのだろう。

 その反応の良さから、紅音は満足そうな表情を浮かべる。


「とは言っても、他者に対する影胞子干渉は本人からの抵抗があった場合、上手く行かないことがほとんどだ。『霧』みたいにまだ誰も手を付けていない影胞子なら、自由に奪い取り自分のものとして使えるが、もう既に他者の物になった影胞子はどんな達人でも横槍で干渉することは難しい。だが、この話には二つの例外がある」


 説明しながら紅音は、葉月と『接続』してない方の手で指を二本立てる。


「それは、干渉する側と干渉される側の実力差がかけ離れている場合と、干渉される側が抵抗しなかった場合だ。基本的に前者は敵に対して攻撃する時で、後者は味方に支援するときにそうなる。今回は鍛錬のため後者に当たり、葉月の影胞子に私が干渉することで葉月の影胞子操作能力を一時的に上昇させ、葉月を普段より一段階上の『強化状態』に持っていく。強さの上がり具合はそうだな……影胞子の総量自体は変わらないから、通常の中級(オルデン)程度ぐらいまでには上がると思う」


「本当ですか!?」


 葉月は目を見開く。

 まさか、一時的とはいえ、こんな簡単に中級(オルデン)クラスの力を手に入ることができるとは。


「ああ。だが、言った通りに一時的なものだし、実戦の戦場(スポット)では私は自分の影胞子操作に集中してるから、その時には葉月の影胞子まで干渉してる暇は無い。だから、今回葉月がやってもらいたいのは、一歩上のステージを体験してもらうということだけだ。そうすることで、葉月に『どう影胞子を操るのが一番効率的か』を文字通り肌で理解してもらいたい。自身の力を理解できたら、それだけで強くなれるだろうからな」


「……理解しました」


 葉月は拳を握り締める。

『一時的に最も効率なやり方を体験させ、それをどれだけ自身のものにできるか』。

 それを今、自分は試されている。


「よろしくお願いします!」


 葉月は勢いよく頭を下げる。

 そんな葉月に紅音は一瞬面を喰らうが、すぐに元の無表情に戻る。


「やる気があるのはいいことだ。では、私が葉月を影胞子干渉で強化したあとは自由にしていい」


「……えっと、特に特訓メニューとかはないんですか?」


「無い。葉月が『巧い努力家』なのはわかってるから、葉月自身が考えて自由にやった方が良いだろう。要は、私はただお前に新しいトレーニング手段を与えるだけだ。……勿論、困ったら好きに質問しても、トレーニングメニューを考えて欲しかったら聞いてくれても構わないし、もし強化をオフにしたい時があったら自由に言ってくれ。……あと、休憩もほどほどに取ってくれ」


「……なるほど、了解です」


 葉月はめくってた袖を下ろし、両手にグローブをはめる。

 はっきり言って、葉月は紅音に『月原紅音直伝!これで君も強くなれる、最強トレーニングメニュー!!!!』みたいなのを期待していたが、よくよく考えてみると、紅音はアーベントになって一ヶ月でもうスポットに居る強力な鵺をばったばった倒しまくった天才型だ。

 それを踏まえると、紅音本人のはともかくとして、他人のトレーニングメニューを考えるのは苦手な可能性は決して低くない。

 ならば、確かに紅音が言う通り、葉月が自分でトレーニングメニューを考えた方が良さそうだった。


「……では、強化をお願いします!」


『他者からの影胞子干渉を受け入れる』なんて経験は初めてのため、葉月は僅かに緊張し、目を閉じる。


「ああ、了解した」


 その様子を見た紅音はいつも通りの口調でいつも通りの声を出す。

 まるで、『これからやることは怯えるようなことではない』と、目の前の後輩に伝えるかのように。


「では、始めるぞ」


 紅音がそう言った次の瞬間。

 葉月の全身に、今までまで感じたことの無い『力』が駆け巡った。




 3


 雲林院葉月の鍛錬が始まって二時間後。

(やはり葉月は巧い)


 紅音は葉月の鍛錬風景を見て、心の中でそう呟いた。


(もう既に中級(オルデン)クラスの影胞子操作技術を物にし始めているな。現に、強化してないときと強化してるときの差が段々と狭まってきている)


 葉月が選んだトレーニング方法は、『時折紅音に細かい助言を仰ぎながら、10分毎に強化状態と未強化状態を切り替える』という方法だった。

『強化状態』は、あくまで紅音の影胞子干渉によるものではあるが、使っている影胞子は葉月自身のもの。

 なら、理論上、『方法論』さえ身につければ、紅音に影胞子干渉されなくても、葉月の自力で『強化状態』になれるはず。

 ゆえに葉月は紅音に『強化状態』にしてもらった直後、その感覚を体が覚えているうちに自力のみで可能な限り再現する……という鍛錬を6セット以上続けていた。

 そして、この二時間でもうその成果は如実に表れていた。


(鍛錬させて正解だった。これで、ある程度の身体能力と運動神経、そして『眼力』が向上するだろう)


 今までは、葉月が死なないことだけを期待していた。

 当初の予定では、スポット内の戦闘時には、葉月にはサポートの意味でさえ一切働かせず、戦闘が終わったあとに自他の体力を回復させる『生命奔流(サプライエナジー)』で自分の体力を回復させてもらおうと考えていた。

 実際今まで、葉月の眼は戦闘中の紅音の動きに全くついていけておらず、『リアルタイムの戦闘中に固有能力で支援してもらう』なんてこと、考えるまでもなく無理な話だった。

 だが、こんな短時間でこれだけ影胞子操作を物にできるなら、すぐにでも紅音の補助無しで『眼』と運動神経の強化もできるようになるだろうし、もしそうなったら、スポット内でのリアルタイムの戦闘中だろうと葉月から『生命奔流(サプライエナジー)』の支援を受け取れるだろう。


(葉月が優秀で良かった)


 雲林院葉月は、自分の要望に確実に応えてくれる。

 だから、本当に良かった。

 この様子だと、雲林院葉月は、自分の目的に間違いなく『使える』だろう。

 ……。


(……こういう思考は良くないな)


 慕ってくれる後輩を道具のように扱ってしまったら、例え『願望』を叶えることができたとしても、『あの誓い』は果たせなくなってしまう。

 ……。


「葉月」


「っはぁはぁ……何ですか?」


 声をかけられた葉月は、軽い息切れを起こしながらも紅音の方に振り返る。


「そろそろ疲れただろう。休め」


「はい!」


 葉月自身、そろそろ休憩を取ろうと考えていたので、丁度良いとばかりに元気よく返事しながら倒れるように地面に腰を下ろす。

 ……『丁度』というよりはむしろ、葉月がそろそろ限界だと紅音は察したから、声をかけてきたのかもしれない。

 葉月は地面に置いてあったペットボトルを手に取り、中身のスポーツドリンクを一気に呷るように飲む。

 そんな葉月をジッと見ていた紅音は、スカートのポケットからプラスチックの包装で包まれた10センチの棒のようなものを取り出し、


「葉月、これをやる」


 葉月に向かって軽く投げた。

 茶髪の少女は驚きで一瞬目を開くが、片手で紅音が投げた何かをキチンと受け取める。

 葉月はその棒状のものをマジマジと見つめ、


「?何ですか、これ」


「携行食のビスケットタイプのレーションだ。結構美味いぞ」


 紅音はもう一本、ポケットからレーションを取り出し、包装を開けて齧り付く。


「へー……。じゃあ、いただきます」


 葉月も目の前の紅音に倣い、棒型ビスケットのレーションを少しだけ齧る。

 ……。


「確かに美味しいですね、これ」


 ビスケットは苦味の中にほんのり甘味があるチョコ味で、食感もサクサクとしていて悪くない。

 正直、レーションには不味いイメージしかなかったが、これは普通にお菓子と言っても通じそうなぐらい美味しかった。

 それをそのまま紅音に伝えると、


「イメージではそうだよな。実際、五十年前に私が初めて食べた時は不味かったんだが、しばらくしたら結構美味くなってた。とはいえ、レーションなんて軍隊か非常時ぐらいでしか食べないから、不味いイメージが中々払拭されないんだろう」


「なるほどです。……軍人じゃない紅音さんが持ってるのって、スポットに行く時に備えてですか?」


「そうだな。スポットに居る時の習慣で、常日頃食糧を邪魔にならない範囲で携帯する癖がついている」


 そう言いながら紅音は残りのビスケットを口の中に放り込み咀嚼する。

 葉月も丁度食べ終わり、満足そうな笑みを浮かべる。


「新しい美味しい物に出会えてよかったです、ありがとうございます!」


「……ああ」


 紅音としては、休憩を提案したのは葉月の身体を慮ってのことだったのだが、携帯食(レーション)をあげたのは直前までしていた『考え事』でバツが悪くなったから……という理由であったため、そんな純粋な笑みを向けられたら余計に後ろめたさが増してしまう。

 そんな紅音を目の前にした葉月は僅かに首を傾げるが、気のせいだと思ったのか、紅音の様子には触れず別の話題を口にする。


「そういえば、さっきの紅音さんがやってくれた『強化状態』による訓練法って初めて聞いたんですけど、なんであまり知られてないんですか?」


 葉月としては、一気に強くなれた感覚があったため、もっと早く知りたかったし、もっと普及した方が色んな人のためになると思う。

 やはり、広まってないということは、何かしら理由があるのだろうか。

 聞かれた紅音は考えるように腕を組み、


「『なんで』、か。……ザッと私が思いつく限りだと、三つほどある」


「三つもですか」


「ああ、三つだ」


 葉月が意外そうな声を出し、紅音はそれに対して短く肯定する。

 そして、そのまま後輩の質問に答えようと、紅音は指を一本立て、


「まず一つ目。それは、この訓練方法を他者に施せるアーベントの絶対数が少ないからだ。最低条件として中級(オルデン)以上かつ、固有能力が『自身の身体の一部を柔らかい物への変化』できる能力である必要がある。アーベントは基本的にどれだけ優秀な影胞子操作能力を持っていても触れてるものしか操作できないからな、葉月と繋げてた私の血のロープのような『触れながらも触れられてる相手の動きを阻害しないことが可能』な固有能力をもってない限りは不可能だ。そのため、自然と『教師』の数は限られてくる」


 紅音は指をもう一本立たせる。


「二つ目の理由が、この方法は教えられる側もある一定のレベル以上に達してないといけないからだ。そうではないと、『強化状態』を解いた後、『強化状態』の感覚に引っ張られるのに自分では一切再現できずに違和感だけが溜まるという、むしろ長期的には弱体化する事態に陥りかねない」


 最後にもう一本指を立たせ、


「そして、三つ目の理由だが、『教師』と『生徒』の素質があるもの同士が、互いに相手が『そうだ』と知る機会自体が限られてるからだ。中級(オルデン)以上は千人しか居ないのに、下級(スート)は二十万人……つまりは、中級(オルデン)一人の下に付いてる下級(スート)の数はざっくりと言って二百人だ。そんな人数差だと、中級(オルデン)に特別目をかけられてる下級(スート)でもない限り、こんな一対一の修行法を施すどころか適性があるかどうかすらわからないだろう」


「はー……確かに、言われてみるとそうですね。そう考えると、紅音さんって師を得られた私って運が良かったんですね!」


「そこで『ああ』って言えたら良かったんだがな、私はそこまで自惚れてない。だが、いつか私が『多少とはいえ自分はあの雲林院葉月に鍛錬を施したことがある』という台詞を誇って言えるよう、私はお前の活躍に期待している」


「はい、期待に応えてみせます!」


 葉月が元気良く返事し、それを見た紅音は柔らかい笑みを浮かべる。

 その直後、葉月は、


「あ、そういえば、鍛錬中にアーベントについて一つ疑問ができたんですけど、良いですか?」


「ん?なんだ?」


「アーベントって影胞子操作ができるのって自身の影胞子と触れてる影胞子だけって話なのに、なんで大気に漂って影胞子を吸収して自分の物にすることができるんですか?前者の理屈だと、吸収できるのは精々体表面に触れてる分だけですよね?」


「ああ、そのことか」


 紅音は軽く頷き、


「大気の影胞子を操れる理屈について、はっきりとした定説は無い。ただ、曖昧な説と、私だけの自説ならある。少し胡乱な話になるが、それでも構わないか?」


「はい、是非に!」


 葉月は噛み付くように即答する。

 元々ただの興味本位の知的好奇心だったので、どんな不確定な説だろうと面白ければ構わなかったのだが、これから聞けるのがまさかのU.S.A.本部の切り札(ジョーカー)が抱える持論だと聞いて、葉月は目を輝かせる。

 そんな興奮気味な葉月を見ながら、紅音は淡々と葉月の要望に応るために口を開く。


「では、ます曖昧な説の方から話そう。その説というのは、理屈としては単純で、皮膚から影胞子を吸い取り、空白地帯になったところをすぐ側にある影胞子が充填され、そしてまた吸って……を繰り返すことで最終的に大気中の影胞子を取り込むって説だ。この説は論理としては自然だが、私達アーベントの感覚としては、大気に浮く影胞子の霧を一つの塊として一気に操り、自分のものとして取り込んでいる。ゆえに、この説は理屈としては正しいはずなのに『定説』とまでは言われてない」


 ここまでは、曖昧な説。

 そして、ここからが紅音の自説だ。


「これからが私の持論だが、そもそもアーベントの能力の仕組みが直結してるんだと私は思ってる」


 紅音は右手を胸のところまで持ち上げ、自身の手の平に視線を落とす。


「アーベントの能力は人の思考に最も直結している機能だ。人間の『動作』というのは本来、脳で思考し、そこで作った指令を神経を通して各種筋肉に伝えるというプロセスを経ることで成り立つものだ。だが、アーベントの能力は」


 虚空から、いや正確には紅音の手の平から赤い血の刀が現れる。


「考えるだけで発動する。だから、影胞子干渉も含めアーベントの能力は、神経や筋肉などを介さない分最も純粋に己の思考……『心』が反映される『動作』だと私は考えてる」


 しかし、出現した数秒後には紅音の手の平から血の刀は消えていた。

 そうなるよう、紅音の『心』が思い描いたからだ。


「アーベントが『黒い霧』……大気の影胞子を我が物のように操作できるのも同じ話だ。私達アーベントは『霧』を構成する影胞子に侵食されることでアーベントになり、影胞子を操れるようになった。だから、私達は大気にある影胞子を『自分の中に入って自分のものにできる存在』と無意識に感じる傾向が強い。その無意識の認識が『心が直接反映される動作』である影胞子操作に適用されることで、直接触れなくても大気の影胞子を操れるようになるんだと私は思う。勿論、操るアーベント本人の影胞子操作の練度や容量(キャパシティ)によって、範囲や操れる量も全然変わるがな」


「……なるほど、そういう理屈だったのですね」


 それだと、『大気に浮く影胞子は操れるのに、触れてない人の影胞子は操れない』理由にも説明がつく。

 他者が持っている影胞子には、『それは他者の物』と認識が働くため、先程の紅音のように直接接触しない限り干渉ができないのだろう。


「……あ、ということは、理屈上だと、もし他人の物だろうとナチュラルに自分の物だと認識できちゃうアーベントが居た場合、その人は触れてなくても他人の影胞子を操ったりできるんですか?」


「……」


 紅音は少し考えるように顎を手に当てる。


「……少なくとも私はできないし、そういう奴に会ったことはない。だが、葉月の言う通り確かに可能性としては十分にあり得るだろう。葉月、お前、頭良いな」


「おー、褒められました!めっちゃ嬉しいです!」


 葉月は満面の笑みを浮かべる。

 それに対し紅音は神妙な顔で、


「……そういえば、欧州本部の本部長がそんなことをできるという話を耳に挟んだことがある。私には関係ない話だし、眉唾だと流していたが、案外そういう理屈だったのかもしれんな」


「へー、そんな人が居るんですか」


『世界には色んな人がいるもんだ』と、葉月は感心したように首肯する。

 しかし、その直後いきなりハッとした顔で手首に巻いてある可愛らしいピンク色の腕時計に視線を落とし、『あちゃー』とでも言いたげなしかめ面を作る。


「いつの間にか、結構時間経っちゃってました。色んな疑問に答えてくれてありがとうございました!影胞子操作の練習に戻りたいと思います!」


「ああ。トレーニング、がんばってくれ。……強化する必要はあるか?」


「んー……とりあえず、一旦無しで。10分後にまたお願いします!あ、あと切り替え時に細かいアドバイスもお願いです!」


「了解した」


 その会話を最後に、葉月は紅音から視線を外して立ち上がり、目の前の鵺を想定した数メートル大のオブジェに向かい合う。

 巨大なオブジェに向かう葉月の顔は、数秒前までの緩い笑顔とは違い真剣そのものだった。

 直後、葉月はオブジェに向かって拳を打ち込み、影胞子操作による身体強化がどこまで上手く行っているのか確認をする。

 そして、その動作を何度も何度も繰り返す。

 そんな葉月の練習風景を、紅音は不思議な気持ちで眺めていた。


(なぜ、こんな真剣に鍛錬に打ち込んでいるんだろう)


 この鍛錬方法はつい数時間前紅音が口にしたばかりで、そこから何度か休憩を挟んでいるとはいえ葉月はずっと鍛錬を行なっている。


(正直、ここまでやるとは思ってなかった)


 紅音が『鍛錬しよう』と言い出したのは唐突で、葉月には寝耳に水な話だったはずだ。

 とはいえ、葉月の今までの言動から上昇志向がそこそこあることがわかっていたから、提案自体には乗ってくれるだろうと思っていた。

 だが、初回からここまで真剣に――健気にやるとは思っていなかった。


(提案は、葉月にも利があることとはいえ、あくまで私の都合。それは葉月もわかっているはずだ)


 それなのに、葉月はこれ以上ないくらい真面目に鍛錬に取り組む。

 まるで、紅音という人間の期待に応えたいと言わんばかりに。


(私には葉月を異動させる権限がある。だが勿論、葉月自身の希望で異動することも可能だ。私の補助なんて任務、いつでも辞めていいと方々から言われてるはずだし、少なくとも本部長のリリアはそう言うだろう)


 だから、自分の元から去っても何も経歴に傷は付かないはずだ。

 それなのに、葉月はこの一週間、嫌な顔一つせず付いてきてくれた。


(さっきの休憩ときもそうだ。葉月は、本当に嬉しそう笑顔を私に向けてくる。しかも一度じゃなくて、何度も)


 なんでなんだろう。

 自分みたいな無愛想で冷たい人間、嫌うのが当然だろうに。

 なぜ、笑いかけてくれるんだろう。


(流石に昔に比べれば愛想は良くなったと思う。だが、それでも愛想がない人間なことには変わりない)


 なのに、どうしてこの後輩は私を慕ってくれるんだろう。

 考えても、その答えは見つけられなかった。

 だから、紅音は心の中でこう結論付けた。


(世の中、物好きって結構いるもんなんだな)


 そんなことを考えながら、紅音は何の気もなしに頭の髪飾り触れる。

 そして、そのまま真剣に行われている葉月の鍛錬を見つめ続けた。




 一生懸命鍛錬に励む後輩を見守る紅音の視線がどこか優しげなものだったことに、視線を向けている本人だけが気付いていなかった。






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