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第三章 初陣


第三章 初陣



 ――ARSSのアーベントには、三つの階級がある。

 二十万人近くいる基本構成員『下級(スート)』。

 抜き出た戦闘力を持ち、下級(スート)を束ねる千人の部隊長『中級(オルデン)』。

 そして、ARSS全体を管理・運営する十二人の本部長(とうかつしゃ)上級(ヘルト)』。

 級の基準としては、ARSSが鵺討伐のための組織であることもあり、主に戦闘力ではあるのだが……戦闘以外の項目――例えば部下育成や部隊指揮などの実績も当然求められており、上級(ヘルト)に至っては必須項目となっている。


 そんな、組織の中で。

 今、一人の白い中級(オルデン)と、一人の茶髪の下級(スート)が、初陣に赴こうとしていた。



 2034年4月


 1


 鵺の出現情報が、紅音と葉月二人の携帯端末に入ってきた。

 それ見た二人は、紅音を先頭にARSS U.S.A.本部の廊下を足早に移動する。

 その最中に紅音は、


「任務の内容をまとめると、『ロングビーチの浜辺で現れた鵺を駆除しろ』というものだ。近隣住民などの一般市民の避難は完了済みという報告も共に上がっている。現場には、大体ここから15分ぐらいで着く。何か質問は?」


「15分って、そんな時間がかかるとこなんですか?だったら、もっと近くのチームが対処しなきゃまずくないですか?」


 基本的に鵺が現れた際に対処するのは、10分以内でそこに辿り着けるチームだ。

 10分というのは鵺による人的被害を確実に抑える最低ラインとされており、葉月が所属する日本本部では少なくともそうだった。

 アメリカ合衆国でも、その危険性は変わらないと思うが……。


「葉月の懸念は正しい。だが、その原則はここU.S.A.本部では当てはまらない。その理由は、U.S.A.本部長であるリリア=ウォーカーが、固有能力『完璧なる解答(パーフェクトゲーム)』の持ち主だからだ。能力の内容としては、『見聞きした情報から最適解を見つけ出す』というもの。だから、アイツが『鵺が人的被害を出すまでに、私達がロングビーチ到着する』と判断したからにはそれは絶対と考えていい。情報不足によっては『解答』の精度は落ちるらしいが、今回のような人命が関わることで間に合う『かもしれない』程度の確度で仕事を回したりはしない。リリアはそういう奴だ」


 紅音と葉月はエレベータホールに辿り着くと、紅音は緊急出動用エレベータのボタンを押す。

 すると二秒も経たない内に扉が開き、二人はエレベータの中に滑り込むように入る。


「リリアが本部長に就いて、鵺による死亡率は格段に下がった。一般市民、アーベント関係無くな。私も長くアーベントをやっているが、指揮能力と作戦立案能力に置いてリリアの右を出るものは居ない」


 エレベータ内に入ると紅音は素早く地下一階のボタンを押す。

 正門に続く一階のボタンを押さないことに葉月が不思議に思ったのだが、それに気付いたのか紅音は、


「移動は車だ。これがU.S.A.本部の主流とは言わないが、車やバイクで移動するアーベントはここではそこそこいる」


 そう言うのと同時にエレベータの扉が開く。

 エレベータの移動はあまりにも静かかつ短く、葉月はエレベータが動いていたことにすら気付かなかったほどだ。

 そのためエレベータから下りる紅音に微妙に遅れ、葉月は慌てて紅音の後ろを付いて行く。

 白い髪を僅かに揺らしながら前を歩く先輩の後ろを歩きながら葉月は、ふとあることを思いつき、携帯端末で素早く検索する。

 そして、気付いた。


「あの、紅音さん」


「なんだ、葉月」


「私達、これからロングビーチに15分かけて行くんですよね?」


「そうだ」


「ロングビーチってここから40キロですよね。ってことはつまり――」




 2


「うわーー、うわーー!、うわーーーー!!」


「葉月、気持ちはわからなくもないが、少しボリュームを下げてくれ。うるさい」


 今紅音と葉月の二人は、紅音の運転で鵺の出現した現場に向かっている最中だ。

 これは問題ではない。

 紅音が所持している車は赤のスポーツカーで、これも葉月は『カッコいい』と思っただけで、勿論問題ではない。

 運転の仕方も問題ない。

 葉月が今まで乗せてもらった運転の中で、一番上手くて丁寧だと言えるだろう。

 ただ一つ問題だったのは、


「だって、メーター見てくださいよ!時速220キロって、異世界過ぎる!!というか、計算上ではロングビーチまで時速160キロでしょ、それでも十分速いですけど!!」


「今は高速道路だからスピードを出せているが、下で走る時はどうしても周りの車に合わせなきゃいけないからな。今のうちに距離を稼いでおきたい」


 紅音はそう言いながら、ハンドルを回し車線を切り替える。

 その次の瞬間、先程まで数十メートル前にあった車はもう後方に居た。


「いくら鵺討伐に向かうアーベントはランプ付けて飛ばして良いと言ったって、それでも限度があるでしょう!事故ったらどうするんですか!?」


「ああ、葉月の不安はそれか。というか、葉月は私の固有能力について聞いてないのか?」


「身体操作系としか!それがこの状況で何の関係が!?」


「私の固有能力『血躯操作(オペレートブラッド)』は私の肉体を自由に操るというものだ。そして、その操作範囲は脳にも及ぶ。要は、計算能力、認識能力、感知能力ともに数十倍まで引き上げている。だから、過去に何度もこの程度のスピードは出しているが、意図してない事故は起こしたことないし、これからも絶対に起こさない。安心して欲しい」


「……」


 今、サラッととんでもないこと言わなかったか、この人?

 戦闘能力的な意味でぶっ飛んでいるのは聞いていたが、まさか脳みその面でもそうだとは思っていなかった。

 だから、とりあえず王道に、


「紅音さん。156,328×259,639はなんですか?」


「40,588,845,592だ。……気になって試したくなるのはわかるが、電卓持った小学生でも秒で解ける問題ではテストにならなくないか?」


「電卓無しで一秒かけなかった人が言わないでくださーい」


 葉月はツッコミ入れながら、落ち着きを取り戻してきているのを感じた。

 すごいスピードで流れて行く景色にまだ多少の恐怖はあるが、葉月はそれ以上に紅音の言葉を信用していた。

 なぜだかわからないが、出会ってから数時間程度のやり取りで、葉月は隣の白く美しい人を信頼し切るようになっていた。

 だから、紅音の『意図してない事故は起こしたことないし、これからも絶対に起こさない』って言葉を信じることができ――。

 ……『「意図してない」事故は起こしたことがない』?


「あの、紅音さん、すみません。もしかして、『意図した事故』は起こしたことあるんですか?」


「ああ。時速200キロオーバーで鵺に突っ込んだことが何度かあるな」


「死ぬ!!このままだと、私死んじゃうー!!」


「毎回突っ込んでるわけじゃない、十年弱に一度程度だ。それに、流石の私でも助手席に人を乗せてる状態で特攻したりはしないぞ」


「いや、一人でもダメですからね!?」


 というか、紅音の言ってることが本当なら、紅音は何度も時速200キロオーバーの事故に生還していることになる。

 もしかして、時速200キロオーバーの事故程度、この人にとっては些細なことに過ぎないのだろうか。

 だとしても、


「というか、突っ込んだ車って廃車確定ですよね……?もしかして、今乗ってるこの新型のコルベットもいつかそうするつもりで……?」


「まぁ、その時が来たらな」


「ダメでしょ!!」


 葉月は最早恐怖を忘れ、熱く拳を握る。


「紅音さん、車はもっと大事にしてください!車というものは宝なんです。人智の結晶なんです!!人を快適に運ぶことを目的としながら、そこに更に突き抜けた機能性とカッコ良さを求めて実現して行くのがこういうスポーツカーなんです!!というか、紅音さん、これ、値段結構しますよね!?それをポンポン壊すのは、お金が勿体無いでしょう!?」


「……壊すと言っても十年に一度ぐらいだぞ?そのぐらいなら、車を買い替えるサイクルが速い奴だったら、十分普通の範囲内の頻度じゃないか?」


 それに、紅音はARSS全ての本部を通して最大討伐数を誇るアーベントだ。

 つまり討伐報酬は誰よりも手にしており、趣味らしい趣味が特に無い紅音には、十年に一度スポーツカーを買うことはそんなに痛くなかった。


「高いものを粗末にするのがダメだと言っているんです!!人が丹精込めて作って、それこそ高いことが妥当となるほどのものは、そう簡単に壊してはいけないのです!簡単に壊すのは、その方々の熱い想いを無かったことにしてしまうようなことなんです!!だから!!ダメなんです!!!!」


 葉月は隣の運転席に乗り込む勢いで、顔を思いっきり紅音に近付ける。


「……あぁ。確かに葉月の言う通りだったな。作った方々に悪かった。今からでもなるべく気を付けよう」


 一瞬でヒートアップした葉月に紅音は驚き、拳を握って語る隣の少女の勢いに負けつつも『これからは車をもっと大事にするか、確かに製作者に悪いしな。だが、どうしても突っ込むのが一番効率良く鵺を狩れるときがあるんだよな……』という反省してるのか反省してないのかよくわからない思考を広げる。

 そんなことを考えながら紅音はハンドルを切って、


「もう高速を降りる。ここからカーブが多いから、舌を噛まないよう口を閉じておけ」


「そのセリフ、映画以外で初めて聴きまし、痛ぁっ!?」




 3


「葉月、現場に着いたぞ。下りろ」


「ふぁい」


 無表情の紅音と何故か口元を手で押さえた葉月が赤いスポーツカーから、浜辺の広い幹線道路に下りる。

 葉月は少し涙目になりながら、


「鵺は……あの霧の中に堂々といますね」


「これ以上ないくらい分かりやすいな」


 二人の視線の先には、数十メートルの及ぶ『黒い霧』と、その中心に仁王立ちする『鵺』が居た。

 この『黒い霧』は影胞子によるもので、世界のあちこちで突発的に現れては数十分から長くて数時間で消える。

 そして、この『黒い霧』に触れた動物は、濃度や運にもよるが異形の怪物『鵺』に変異する。

 ……人が触れた場合に限り、大脳が他の動物より進化しているのが関係してるのか、人の形と精神を保ったまま特殊能力者『アーベント』に変異する可能性も極低確率であるのだが、少なくともこの場には居なかったらしい。

 ここに居るのは、『身元不明』の鵺が一体だけ。

 紅音と葉月の目の前に居るその鵺は、全長四メートルほどの大きさで、全身に羽根もどきが生えたゴリラのような見た目をしていた。

 その羽根は腕の至るところに生えており、あの少なさと小ささでは何も役目を果たせないだろう。

 しかも、目などの感覚器官があまり良くないのか、鵺は基本的に動く物を見れば襲ってくるはずなのに、数十メートル先にスポーツカーを走らせて現れた紅音と葉月に対し全く反応を示さない。

 紅音はその鵺から視線を外さず、その場で葉月に対し作戦の確認をする。


「届いた情報によると、この鵺は『法臓持ち』とのことだ。『法臓持ち』の鵺の特徴と対処法はわかるか?」


「『法臓』が身体の中にある鵺は、『法臓』を持ってない通常の鵺とは異なって頭蓋を砕いても首を切断しても死なず、時間と共に再生します。唯一致命傷が与えられる箇所は、体のどこかにある『法臓』のみで、その『法臓』は『法臓持ち』鵺の能力の源となり、『法臓持ち』鵺はアーベントと同じように超能力が使えます!」


「正解だ。本来、法臓持ちの鵺は下級(スート)なら一人で向かい合うことは避けるべき事態で、必ず四人組(フォーマンセル)で対処するのが原則だ。だが、今回は私が見ていることもあり、葉月一人で当ってもらいたい。それで良いか?」


「……はい、大丈夫です」


 今まで流暢に答えていた葉月の言葉に、緊張による遅れが僅かに生じていた。

 しかし、彼女の声に淀みは一切無い。

 それは、葉月の強い意志の表れだった。

 紅音は緊張しながらも目に火を灯す葉月を観て『良い状態だな』と判断する。

 程よい緊張感が人を注意深くさせ、強い意志が人を刃へと変える。


「敵の法臓の内容は出力が低い『念動力』という比較的ポピュラーなものだ。なるべく実戦に近付けたいから、これ以上の敵の情報は無しだ。その上で何か質問は?」


「……時間制限ってありますか?」


「私が『下がれ』と言ったときまでだ。他は?」


「……もう、大丈夫です」


「わかった。では、準備の後、戦闘開始してくれ。タイミングは葉月のタイミングで構わない」


「はい!」


 葉月は頷きながら、巾着袋から所々鋲が打たれている革のグローブを取り出し、両手に着ける。

 両手を何度か閉じては開いて、グローブの調子を確認した葉月は、次に視線を前方の鵺に向け、


「では、雲林院葉月、戦闘を開始します」


『敵』に向かって駆けて行った。

 走りながら葉月は、残していた最後の戦闘準備に取り掛かる。

 と言っても、二言口の中で呟くだけだ。

 ARSS設立当初から能力のトリガーとされているある言葉と、己の能力の名前を。



「狂気解放――『生命奔流(サプライエナジー)』」



 その瞬間、葉月の全身に不可視の力が駆け巡った。




 4


(想像以上に動けているな)


 それが、葉月の戦闘を見た紅音の感想だった。


(『生命奔流(サプライエナジー)』は資料に書かれていた通り補助向きの能力のようだが、それを上手く工夫できている)


 雲林院葉月の能力『生命奔流(サプライエナジー)』。

 その内容は、『自他を問わず、葉月が触れた相手の体力を上限まで回復させる』というもの。

 つまり、葉月と組んだチームはスタミナ切れが起きないということだ。

 鵺に対する殲滅力こそ欠けているが、長期戦においてはこれ以上無いほど優秀な能力だと言えるだろう。

 だから、本来であれば葉月はチーム戦向きで、一人での戦闘には向いていない。

 紅音は事前にリリアから見せてもらった資料でそのことを知っていたが、紅音は葉月がどれだけ動けるのかを知りたくて、今回一人で戦わせた。

 その戦闘の中で葉月は、何度も飛び跳ねるようにして鵺の攻撃を躱しながら、何度もグローブに包まれた拳を鵺に突き当てている。


(本来なら体力を著しく削るような無茶な動きでも、『生命奔流(サプライエナジー)』で立ち所にスタミナを回復させるから何も問題なく無茶な動きができるということか)


 正直、予想以上だった。

生命奔流(サプライエナジー)』は明らかに補助向きの能力のため、葉月の資料を読んだ時点では、戦闘はからっきしの可能性も考慮していたのだ。


(資料に載っていた戦績でも、葉月はチーム内の補助に徹しているようだった。それに、葉月が好戦的な性格ではないのも今までの会話でわかっていた。だから、一人での戦闘は苦手な可能性も高いと思っていたが……それは杞憂だったようだな)


 ゴリラのような鵺がその太い腕を振り下ろすが、葉月は危なげなく躱して、拳を鵺に向かって出す。

 それを何度も繰り返し、確実に敵にダメージを与える理想的なヒット&アウェイ。

 しかし、


(やはり攻撃力は欠けているな。才能なのか努力によるものかはわからんがここまで動けるにも関わらず、そこだけは『他のチームでは』欠点とされるだろう)


 アーベントなら誰でも、自身が抱えている影胞子を操り、身体能力を向上させることができる。

 しかし、その練度は千差万別で、葉月のそれははっきり言って高くなかった。


(とは言っても、影胞子の操作能力に関して言えば下級(スート)の中の平均を超えてるかもしれないが……。それでも、決定打に欠けていることには変わりない)


 そしてそれは、紅音にはありがたい話だった。

 この様子だと、スポットに連れて行ったとき、『仇』である鵺を横取りされる心配は無いだろう。


(元々スポットに人を連れて行くに当って、そいつのことは絶対に守るつもりではいた。私の復讐に付き合わせるんだ、それぐらいは当然のことだろう。だが、万が一のこともある。本人の『生き残る』という意思に反応できる肉体が無いと、どうしようもない事態というのはあるものだからな……。しかし、これぐらい動けるのなら、万が一も起きないだろう。……ん?)


 紅音は心の中で首を傾げる。

 その紅音の視線の先で葉月は――





(このままじゃ、勝てない!)


 鵺のあちこちに拳を何度も当て、ダメージを与えているが、それも立ち所に回復されてしまう。

 鵺の弱点である法臓を見つけなければ話にならない。


(これじゃあジリ貧。『生命奔流(サプライエナジー)』で体力は回復するけど、私の中にある影胞子内のエネルギーが尽きる!)


 葉月は今、自身の内にある影胞子を操ることで身体能力を上げている。

 これはアーベントなら程度の差こそあれ誰でも使える基礎技術で、直接的な攻撃手段が無い葉月はこの技術を鍛えていた。

 しかし、それでも『下級(スート)の中では上手い方だけれど、通常の中級(オルデン)の足下にも及ばない』程度の練度で、総合的な攻撃力は結局のところ、補助向きの固有能力を持つ葉月は下級(スート)の中でも下の方だった。

 そして、中級(オルデン)なら何時間だろうとぶっ通しで身体能力向上させられるが、大体の下級(スート)は一時間も経たずに影胞子内のエネルギーが枯渇してしまう。

 葉月も、その例に漏れなかった。


(もう少し打突のスピードを上げても問題無く敵の攻撃に対応できる。なら、もっと速く!)


 葉月は鵺の太い腕によるパンチをギリギリで躱す。

 その腕にはナイフのように鋭い羽根が何枚もあるため、本当はもっと余裕を持って躱したいだが、今は攻撃の手を一切緩めたくない。

 葉月は腕を掻い潜るようにゴリラのような鵺に近付くが、


「Uooooooo!!」


(!来る!!)


 葉月は両腕をクロスにして、顔の前に掲げる。

 その直後、葉月の全身に衝撃が走った。

 これが、目の前の鵺の能力、念動力(テレキネシス)

 威力は低いが、目には見えず範囲も広いため、なんとも躱し辛い。

 もっとも、このゴリラ型の鵺は能力を発動させる度に大きな声で叫ぶため、タイミングは完全にわかるため、防ぐことは難しくない。

 問題なのは、この後だ。


(ッ!危なかった!)


 丸太のように太い脚が、屈んだ葉月の頭スレスレを通過する。

 葉月は飛び跳ねるようにして起き上がり、鵺の懐に入る。


「ハァァ!」


 左右の拳をそれぞれ三発ずつ打ち込み、すぐにバックステップで距離を取る。

 直後、葉月が居た場所に拳が振り下ろされ、轟音が響く。


(私の拳でも、ギリギリダメージは与えられる。なら、法臓さえ見つけなきゃ!そうすれば、そこを狙えば、この鵺を倒せる……!)


 紅音に任された初めての仕事。

 目的を考えると、仕事というよりもテストに近いかもしれない。

 どっちにしたって、これが初めて託された任務だ。

 こんな、最初の壁に立ち止まるわけには、いかない。


(葉月の奴、焦ってきてるな。先程まで僅かにはあった余裕が無くなっている)


 先程までの葉月は余裕を持って大幅なステップで鵺の攻撃を躱していたが、今はスレスレで躱している。

 少しでも鵺との距離を近付けて、攻撃の機会を増やそうと考えたのだろう。

 正直、見てて危なっかしい。


(一発貰ったところで、仮にもアーベントの葉月が大した怪我を負うことはないだろうし、そもそも私が当てさせない。だから、ある意味、葉月の判断は間違ってはいないのだが……)


 ……もう、良いだろう。

 葉月がどれだけ動けるのかは大体わかった。

 だから、紅音は大きく息を吸って、


「葉月、もういい!下がれ!」


「まだ、行けます!」


 葉月は一瞬も間に開けず、戦闘続行の主張をする。

 その間も、葉月は決して目の前の鵺から目を逸らさず、鵺の攻撃をスレスレだが完璧に躱し、カウンターのパンチを打つ。

 それを見ながらも紅音は、


「葉月、もう下がれ!」


「まだ、やれます。私は、コイツに、勝てます……!」


 葉月はそう言いながらも、本当はわかっていた。

 自分では、この目の前に居る鵺に勝てない。

 それでも意地がある。

 その意地を通し抜こうと葉月は目の前の鵺に拳を――。


「え?」


 葉月は素っ頓狂な声を上げる。

 なぜなら、今目の前に居たはずの鵺が一瞬ブレたかと思ったら、いきなり数十メートル先に移動していたからだ。


(え、え?)


 そんな能力、今まで見せなていなかった。

 しかも、あの鵺の能力は威力の低い『念動力』のはずだ。

 それなのに、一体どうやって。

 葉月の頭は混乱に塗れながらも、急いで拳を構えようと――


「あの鵺は今お前を見失って混乱している。その間に、葉月に言っておきたいことがある」


 すぐ隣から、五十メートル以上後方に居たはずの先輩の声が聞こえてきた。


「……!」


 葉月は勢いよく、体を横に向ける。

 そこには、自分の肩から手を離す白く美しい女が立っていた。

 目の前に立っている紅音の姿を見て、ようやく葉月は気付いた。

 鵺が葉月から離れたのではない。

 葉月の方が、鵺から離れていたのだ。

 紅音が、葉月の肩を引っ張ることによって。


「葉月、私のアーベント歴はかなり長い。ゆえに、戦闘経験をかなり積んできた」


 一瞬、って言葉ですら生温い。

 刹那の間に、紅音は葉月を鵺から数十メートル引き離したのだ。


「だからこそ、言う。お前、今一度死んだぞ」


「……え?」


 葉月は再び素っ頓狂な声を上げ、そしてようやく気付いた。

 目の前に立つ紅音の声に、底冷えするような鋭利さが混じっていることに。


「私はお前に『下がれ』と言った。もしそれが、命に関わることだったらどうするつもりだったんだ?」


「……」


 紅音の赤い瞳が、葉月を見つめる。

 その大きく宝石のような瞳は何かしらの感情で彩られていたが、葉月はその感情を読み取ることができなかった。


「私の判断に……私の指示に、従うかどうかはお前が決めることだ、葉月。生きるか死ぬかの瀬戸際での選択に、他者の誰もお前の責任を肩代わりなんてしてくれない。間違えたときには死んでるんだからな、責任の果たしようがない。だから、生きるためには他の奴の意見は参考程度に留めて、最終的には自分で決めるのが道理だ。……さっきの私の指示だって、『従ったら危険だ』と思ったら無視したって全然良いし、むしろ無視するべきだ」


 しかし、紅音の感情を読み取ることはできなくても、先程までの彼女とは違うということだけは葉月にも理解できた。


「だけど、さっきお前は、意地を張るために私の『下がれ』という指示を無視した。そして、その指示がたまたま命の危険に関わるほどの物じゃなかったから、お前が意地を張っても死ななかった。これがもし、命に関わるレベルだったら、お前は意地を張って死んでいた。……一番あり得そうなところだと、『他の鵺が現れて襲いかかろうとしていた』とかだろうな」


「……!」


 具体的な『死の可能性』を突き付けられた葉月は、無言のまま体を固める。

 紅音はそれに気付いていながら、声色を一切変えなかった。


「私は、お前に本当の命の危険が迫っていようと先と同じように『下がれ』とだけ言うだろう。命のやり取りの最中なんだ、本来なら説明する時間すら惜しい。……戦闘中じゃなかったり、先も言ったが戦闘中でも私の指示に命の危険を感じていたとかだったら、逆らったって全然良いんだ。それが、勘違いによるものだとしても……それはそれで問題だが、お前が『生きよう』として選んだ選択を他人の私が責める筋合いは無い。だが、お前は今、意地を通すために私の指示を無視した。今回は無事だった。だけど、それは結果論だ」


「でも……!」


 葉月はそのまま『意地は通さなきゃ、何も為せれないじゃないですか!』と続けようとしたが、葉月の口は動かない。

 そんなのは言うまでもなく明らかなことで、葉月が今紅音に反論するとしたら、その『意地』が命より大切なものかどうか、あるいは命の危険が無いと確信していたかどうかという話になる。

 そして、先程葉月が抱いた『意地』は、そこまでの覚悟を背負ったものではなく、『この場に他の鵺が居るかも』なんてことは気にしてすらいなかった。

 紅音は待っても葉月の言葉に続きが無かったたため、台詞の続きを口にする。


「そして、スポット内での危険性はここより遥かに高い。さっき私が仮定したことが実際に起きる可能性がゼロではなく、そのときは今みたいにのんびり説明してる時間なんてないだろう」


 続きを口にすると言っても、もう紅音の言いたいことはほぼ終わっている。

 それに、


「だから、厳しい言い方になるが、戦闘中のみに限り、お前の上司である私の指示には基本即従ってもらわないと話にならない。『万が一』の可能性を抱えなければならない奴を、スポットに連れて行くことはできない。お前の命の保証が、できない」


 標的を見失って戸惑っている鵺が、ようやく数十メートル離れた紅音と葉月に気付いた。

 鵺が雄叫びを上げながら、襲い掛かろうとこちらに近付く。

 それに対し、紅音はゆるりと右手を前に突き出す。

 そして、一言。



「狂気解放――『血躯操作(オペレートブラッド)』」



 己の能力名をボソリと呟いた。

 それと同時に、紅音の右手の中に赤い刀が生まれた。

 ……紅音の『血躯操作(オペレートブラッド)』は、自分の身体を自由に操る能力だ。

 つまり、彼女は今その能力をもって、自身の血を増殖させ、その血をどこまでも鋭利な刀の形に変えたのだ。

 これが紅音の基本的な戦闘スタイル。

 彼女はこの文字通りの血刀を振るうことで、数々の鵺を屠ってきた。

 そして、それは今も。


「……」


 紅音は無言で、今はもう十メートルまでに近付いてきた鵺の顔に一瞥を投げかける。

 それと同時に、紅音の右手がブレた。

 直後。



 四メートルにもなる鵺の巨体が、左右真っ二つに分断された。



「……」


 紅音と葉月、二人の視線の先で、ドンという音が二回響いた。

 数秒後、二つに分かれた鵺の体が徐々に溶けるように消滅していった。

 鵺は死体になってしばらくすると、体が跡形も無く消滅する。

 つまり、紅音はたった一撃でどこに有るかわからないはずの『法臓』を破壊したということだ。

 しかし、葉月はそれを偶然ではないということを知っている。

 なぜなら、U.S.A.本部長のリリア=ウォーカーに挨拶したとき、紅音についてある噂を聞かされていたからだ。




『そういえば、質問なんですけど、これから私が組む月原紅音さんって、「復讐姫(クローザー)」って呼ばれてるんですよね?』


『そうよ。それがどうかしたの?』


『なんで「復讐する者(アヴェンジャー)」じゃなくて「終わらせる者(クローザー)」なんですか?聞いてるイメージだと、アヴェンジャーと呼ばれる方がぽいと思うんですけど』


『ああ、それはね、結局人の渾名を決めるのは本人じゃなくて、周りの人々だからってだけのことよ』


『?月原紅音さんは実は復讐者ではないんですか?』


『そんなことは全くないわ。でも、その彼女の復讐を目にした人はほとんど居ないの。彼女の復讐の舞台がスポットなんだからそれは当たり前なんだけど。つまり、U.S.A.本部所属のアーベントでさえ、自分達への救援の時ぐらいしか紅音さんの戦闘を目にする機会は無いっていうこと。そして、紅音さんは救援で向かった戦闘で敗けたことがない……どころか、どんな鵺だろうと……それこそ本来ならエースとされる中級(オルデン)ですら倒せない強力な鵺だろうと、一撃で倒してるのよ、彼女』


『……え?』


『信じられない、って反応ね。でも、事実よ。彼女は中級(オルデン)どころか上級(ヘルト)ですら手を焼くような鵺だろうと一瞬で倒し、どんな危険な案件だろうと確実に終わらせる。その紅音さんの姿を多くのアーベント達が目撃していて、いつの間にかそんな彼女を指して「終わらせる者(クローザー)」って呼ばれるようになったっていうわけ。ま、話を聞いただけだと実感湧かないだろうけど、本人に会って、本人の戦闘を見ればすぐにわかると思うわよ』


 U.S.A.本部長の言う通りだった。

 葉月だって、経験が少ないと言っても、アーベントとして活動してから一年は経っている。

 だから、目の前に居た鵺が、鵺の中では強い方とは言えないまでも弱くもない鵺だということはわかっていた。

 葉月には中級(オルデン)アーベントの知り合いが何人かおり、彼らでも苦戦……とはならなくても、倒すのに何分かはかかるだろう。

 そんな鵺を、月原紅音は一撃で倒した。

 その一撃を、葉月は認識するどころか理解することすらできなかった。

『右手に持つ赤い刀で、葉月の目にも止まらぬ速さで鵺を一刀両断にした』。それはわかるのだが、どう切断したのかがわからない。

 だって、そもそもリーチが足りてないのだ。

 紅音が持つ刀の刃渡りは一メートルほどで、鵺との距離は四メートル近くはあった。その上、紅音の身長とと刀の長さを足しても、四メートルを越す鵺の頭頂部に届くわけない。

 それなのに、結果として視線の先に居る鵺は真っ二つになっている。

 予想としては、葉月の目に止まらぬ速さで跳びながら近付き真っ二つにしてすぐに元の位置に戻ったか、あるいは刀から何かしらの超高速の遠距離攻撃を放ったか。

 法臓の位置を特定した方法に至っては、想像することすらできなかった。


「葉月」


 目の前で、自分の名前を呼ぶ先輩。

 彼女は間違いなく、葉月が出会った中で最強のアーベントだ。


「本部に戻るぞ。車に乗れ」


 そんな彼女に――、この数時間という短い時間ですぐに仲良くなれたと思っていた先輩に、失望されたのかと思うと、葉月の心に影を落として止まなかった。




 5


 ARSS U.S.A.本部への帰路にて。


(はぁぁぁぁ…………)


 葉月は心の中では大きくため息を吐きながら、紅音が運転する助手席に無表情で座っていた。

 失敗した。

 見栄張って、大失敗した。


(この任務が、重要で危険なものだってわかってたはずなのに……)


 鵺の巣であるスポットがどれだけ危険なのか、知らないアーベントはいない。

 アーベント成り立ての研修の時に何度もそれこそ耳にタコができるほど言われ、実際ARSSの規則では『下級(スート)は一部の特例を除き、スポットに入ることを禁ずる』とまである。

 しかも、先輩でバディである紅音が何度も攻め行っているスポットは、過去に最も死者を出した最大級のスポット。

 葉月もいずれそこに向かうのなら、演習にさえ気を抜いてはいけないのは明らかだった。


(気を抜いていたつもり、無かったんだけどなぁ……)


 意識している範囲内では、そんなつもりは全くなかった。

 でも、心のどこかで、浮かれていた。

 最強と名高く、人間離れした美貌を持つ彼女のバディになれたことに浮かれていて。

 そんな彼女に見守られることで、気が緩んでいた。

 葉月達の任務が、命掛けの現場にも関わらず。


(こんなんじゃ、失望されてもしょうがないよね……)


 先程の戦闘の際、紅音に言われるまで、『鵺がまだ居て潜んでいる可能性』なんて考えもしなかった。

 そんなことも思い付かないのに、命懸けの戦場だったのに、実戦経験を遥かに積んできた先輩の言うことに『意地を守りたい』というだけで逆らった。

 ……実際のところ、隠れた鵺が居たところで、月原紅音は対処できるだろう。

 葉月が苦戦した鵺を瞬殺するほどの腕を見せた紅音なら、もう一体急に現れても、そっちも一瞬で倒せただろう。

 でも、何らかの事情で紅音が動けなかったら?

 離れたところに逃げ遅れた一般市民が居て、紅音がそっちの救援に回らざるを得なかったら?

 もし、そうだったら、本当に葉月の命は危なかっただろう。

 葉月が、命令を無視して『自分だけで目の前の鵺を倒せる』と見栄を張ったばかりに。

 ……全て仮定の話だ。

 でも、隣で運転する先輩が自分に抱いた失望は正しいものだと、その『仮定』から導かれる『仮説』は酷く正しいものだと、葉月は理解していた。

 理解してしまった。


(はぁぁぁぁ…………)


 紅音への当て付けにならないよう、葉月は心の中でもう一度ため息を吐く。

 しかし、顔が表情が硬くなってしまうのは、どうしても抑えられなかった。




(……さっきは、怒り過ぎだったかもしれない)


 紅音は、行きとは違って周りの車と同じ速度で運転しながら、そんなことを考えて無表情で少し気落ちしていた。

 紅音は顔を前に向けたまま、意識だけを横に向ける。

 その先には、明らかに落ち込んでいるのに平然とした顔を浮かべようとしている茶髪の少女が居た。


(行きではあれだけ騒がしかったのに、帰りでこうも無言だとな……)


 ……紅音は、自分の言ったことが間違っていたとは思っていない。

 だが、反論できていない相手に、あんな長々言うのは良くなかったとも思う。


(ただ、戦場では咄嗟に言うこと聞いて反応してもらわないと命に関わるのも事実。だから、強い言い方をしてしまったが……)


 どこまで強く言って良かったものか、加減がわからない。

 この五十年、人とのコミュニケーションをあまり取らなかった弊害か、『後輩に注意する』ことすら覚束なかった。


(……いや、この手のことは昔から苦手だったか)


『こういう時、「アイツ」だったら上手くやれるのかな』とか、そんな益体もないことを考えてしまう。

 ……今の自分は一人だ。

 そんなこと、考えたってしょうがない。


(それにしても、どうしたものか……)


 先の言葉は確実に守って欲しいものなので、撤回するわけにもいかない。

 だからと言って、このまま放っておくというのも――


(……ああ、考えてみれば、違う可能性だってあるのか)


 例えば、愛想を尽かされた可能性。

 出会って数時間の先輩にあんな一方的に怒られたのだ、悪感情を持たれても仕方ないだろう。

 それだと、紅音が抱いていたの違和感の答えにもなる。

 その違和感とは、


(葉月をあんな風に叱ったのは、『この程度で落ち込んだりしないだろう』と思ったということもある)


 初対面では、紅音は葉月のことを『子供っぽい』と思っていたが、鵺との戦闘前での会話と戦闘そのもの様子を見て『意外としっかりしているな』と思い直していた。

 そんな葉月なら、強く言っても大丈夫だろうと、紅音は自然とそう思っていたのだ。


(嫌ったというのなら、落ち込んでもおかしくな……いや、よく考えてみるとそれもそれで理屈に合わないな)


『嫌って無愛想になる』というのならわかるのだが、紅音の見立てにはなるが、葉月の様子は『落ち込んでいる』と言えるものだ。

 だが、思い返してみても叱られた程度でここまで引きずるような印象は受けな――


(……もしかして)


 一つ、ある可能性を思い付いた。

 紅音はハンドル操作をしながら、その思い付きのまま口にする。


「葉月、お前、さっきの戦闘を自分でどう評価している?言葉にしくかったら、点数で表現してもいい」


 紅音のその言葉で葉月は体を僅かに震わせると、


「……二十点です。低い理由は、鵺を倒せなかったことと命が掛かってる現場での命令無視。唯一の加点理由は敵の有効打には被弾しなかったことです」


 そう、消え入るような声で答えた。

 その答えを聞いて、ようやく合点がいった。

 葉月は少し勘違いをしている。

 しかし、それは紅音が正しく伝えていなかったからで、仕方のないことだ。

 だから、紅音は遅まきながらも、葉月に対しての『評価』をそのまま伝えることにした。


「八十点」


「え?」


「私がさっきの葉月の戦闘に点数を付けたなら、の数字だ。あぁ、勿論百点満点での話でだぞ」


「……意味が、わからないです。私は鵺を倒せませんでした。失望されても、おかしくないです。なのに、どうしてですか?」


 紅音は視線をチラリと横を向けると、葉月は本当に不思議なそうな表情を浮かべていた。

 やはり、葉月は『紅音が自分に対して、失望した』と勘違いしていたようだ。

 紅音は視線を前に向き直して、


「それは、私はお前にあの鵺を倒せるほどの攻撃力があるとは思ってなかったし、求めてもいないからだ。今回の私とお前の二人組(ツーマンセル)のチームにおいて、鵺を殺すのは私の役割で、お前の役割はその私のサポートだ。だから、私は初めに言った通り、お前が鵺を倒せるかどうかではなく、鵺に対しどこまで動けるのか知りたかっただけだ。実際、私は『倒せ』とは一度も言っていない」


 喋っている最中に赤信号が近付いてきたため、紅音はゆっくりとブレーキを踏む。


「私は、お前が単体戦闘には不向きな固有能力持ちということしか知らなかったからな、お前が鵺を目の前にして全く動けない可能性も考慮していたんだ」


 紅音達が乗る赤いスポーツカーは徐々にスピードを落とすと、停止線の直前で完璧に動きを停止した。

 今の間だけは、正面を見てなくても良い。

 だから、紅音は身体ごと顔を葉月の方に向けた。


「実際には、お前は私が想定していた中で最高に近い動きを見せてくれた。お前は一度も被弾しなかったことで低めの加点評価をしていたが、私は正にその能力をお前に求めていた。サポートであるお前は、サポートとして支え続けてもらうのに必要不可欠な『生き残る力』を示してくれた」


 紅音の言葉か、もしくはいきなり体をこちらに向けた彼女に驚いたのか、葉月は無言で目を見開いて紅音を見つめる。

 紅音はそんな葉月としっかりと目を合わせて、


「しかも、お前、鵺に全方向から拳を当てていたのは、弱点の法臓を探していたからだな?本来、お前のスペックではあの鵺に勝てない。あれは、下級(スート)なら四人組(フォーマンセル)で倒すべき相手だ。そんな相手に視線を自分に引きつけ、弱点を探すのは、私のパートナーとしてだけでなく、補助型の固有能力持ちアーベントとしては最も良い動きだったと言えるだろう」


「……そう、なんですか?」

 葉月は自信無さげに、目と鼻の先にいる先輩に問い掛ける。


「そうなんだ。だからこそ、最後のあれには怒ってしまったが……それでも初回ということを考えると、お前の動きは総合的に見て『かなり良かった』と表現できるものだった」


 そんな後輩に対し、紅音は堂々とした表情で葉月の疑問に答えた。

 紅音の言葉で不安になった少女を、せめてこれ以上は落ち込ませないように。


「……でも、紅音さんは、『話にならない』とも『スポットを連れて行くことはできない』とも言いました」


「それはこのままだったらという話だ。死に直結しかねないことだから強く言ってしまったが、最初から完璧な奴なんて居ない。これからも何度か鵺との戦闘をしてもらうから、その中で直してもらえばいいことだ。そのことを考えると、私の先の言葉は言い過ぎだった。すまない」


 紅音は葉月の頭にぶつからないよう、僅かに頭を下げる。

 葉月がそれに戸惑っている間にはもう、紅音は頭を上げて、葉月の茶色い瞳に再び赤い瞳を合わせていた。


「今日お前に出会ってから今までの間で、私はお前にこれからの仕事を手伝ってもらいたいと思うようになった。だから、その、手前勝手な話で悪いが、期待してるぞ、葉月」


 紅音は葉月に一方的にそう言うと、身体を前に向けた。

 信号はもう青になっていた。

 紅音はアクセルペダルを踏み、赤いスポーツカーを発進させる。


「……」


「……」


 紅音は少し気恥ずかしくなって、葉月の表情をチラリとすら見れない。

 でも、それでは何も話が進まないから、結局紅音は顔を進行方向に固定したまま、視線だけ横に向ける。

 その視線の先にいた少女は、相変わらず無言のままではあったけど、先程の暗い表情から一転して、ニヤニヤと嬉しそうに笑っていた。

 その笑顔を見た紅音は、『愛想を尽かされたわけではなくて良かった』という安堵と『褒められて喜ぶところは子供っぽいな』という微笑ましさから、つい頬が緩んでしまう。


「……私、もうダメかと思いました」


 葉月はそう、ボソリと呟く。


「一日でコンビ解消になってしまうものかと、すごく不安でした」


 本当に、不安だった。

 葉月はU.S.A.本部長から既に『葉月の上司に当たる月原紅音の判断によっては、違うチームに異動する可能性もある』という旨を聞かされている。

 そのため、この初任務での失敗が、そのまま異動に繋がると……そこまでの失望に繋がっていると、本気で思っていたのだ。

 だから、今の紅音の言葉が、すごく嬉しかった。


「そうだったか……。でも、そんなことは決してない。だから、安心してくれ」


「もうわかってます。もう、安心してます」


「そうか。それは、良かった」


 紅音はハンドルを回して、大きな幹線道路に入る。

 そうやってU.S.A.本部へ向かう中で、紅音は本部で葉月と一つ小さな約束をしていたことを思い出した。


「そういえば、確かこの辺にラーメン屋があったな……。葉月、今日の昼食はもう決めているか?もし無かったら、案内の約束を果たそうと思ったんだが」


「え、連れて行ってくれるんですか!?ありがとうございます!!」


「食いつきがすごいな……」


 紅音は小さく苦笑を浮かべるが、その顔はどこか楽しそうだ。


「紅音さんは、そこのラーメンがどんなのか知ってますか?」


「いや、何も知らない。だから、まぁ、不味かったらすまん」


「つまりは不明。それはめちゃくちゃ美味しい可能性もあるということ!是非お願いします!!」


「ああ、任された」


 そう言って、紅音は目的地をARSS本部から、近くのラーメン屋に変更した。


「そういえば、一つ……いや、二つ言い忘れてることがあった」


「?なんですか?」


「U.S.A.本部にようこそ、葉月。それと、初任務、お疲れ様」


「……ありがとうございます。これからも、一生懸命がんばります!」


「ああ、期待してる」






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