第二章 出会い
第二章 出会い
2034年4月
1
雲林院葉月、十七歳。
日本からはるばるこのARSS U.S.A.本部に渡米した彼女は、柄にもなく緊張していた。
理由はわかっている。
これから、会う人が会う人だからだ。
月原紅音。
彼女がARSS U.S.A.本部のエースということは、葉月が所属している日本本部にも届いている。
若干ミーハー気質がある葉月としては、直前に挨拶したU.S.A.本部長よりも、紅音との初顔合わせの方が緊張もとい興奮するものだった。
だから、
「初めまして、私の名前は雲林院葉月です!!これからよろしくお願いします!!!!!!」
自己紹介を騒音クラスの超大声でかましてしまった。
……『最初が肝心だから元気よく行こう』と思っていたとはいえ、テンパって想定の四倍くらい大きな声を出してしまった。
その声の騒音具合は、声を出した葉月自身の耳が痛くなるほどだった。
葉月は恐る恐るこれからの上司となる先輩、月原紅音の顔を覗き見る。
その顔は、
(……これ、多分イラッときてるよ。いや、多分じゃなくて絶対怒らせちゃったよこれ……!)
完全なる無表情。
怖い。怖過ぎる。
(ど、どうしよ!?)
……実際のところ、紅音は怒っているわけではなく、呆気に取られているだけなのだが、初対面な上に慌ててる葉月にそんなことわかるはずがない。
せめて、僅かな表情の変化を見逃すわけにはいかないと、葉月は紅音の顔をジッと見つめる。
その結果、わかったことは、
(……綺麗な人だなぁ)
白い睫毛なんてめっちゃ長いし、宝石のように輝く大きい紅の瞳にこれでもかってほど整った顔立ちで、人間離れした美貌が出来上がっている。
……いや、見惚れている場合じゃない。
早く、挽回しないと――
「……月原紅音」
「え?」
「私の名前だ。それで、雲林院葉月。お前のことは雲林院……は少し呼びづらいな。葉月と呼ぶが、それでいいか?」
「あ、は、はい!」
……紅音の顔は相変わらず無表情だったが、思ったより声色が柔らかく、少し動揺してしまう。
そして動揺したままのテンションで、
「じゃあ、私は紅音さんって呼んでいいですか!?」
「……」
紅音は葉月の顔を、何を考えているか全く悟らせない無表情のままジッと見つめる。
「……まぁ、良いか。先に下の名前で呼ぶと言い出したのは私の方だしな。それで構わない」
「はい!改めてよろしくお願いします、紅音さん!」
「……ああ」
紅音はゆっくりと頷き、
「では、そろそろ仕事の話に移そう。リリア……U.S.A.本部長から話を聞いてると思うが、一応確認だ。お前が私とデュエットのチーム組むにあたって、最終的な目的はわかるか?」
「えっと、はい!」
流れるように仕事の話に移り葉月は少し慌てるが、それでも使命感に燃えながら返事する。
「私達の目的は、世界で最も強大と言われてる鵺の巣『カリフォルニアの森林地帯』の鵺の全討伐ですよね!」
「そうだ。それにおいて、最も注意してもらいたいのは、鵺狩りそのものには直接手を下さないということだ。それは理解しているか?」
「はい。私は紅音さんの補助に徹するって話ですよね?」
「ああ、そうだ。わかってくれているのなら、それでいい」
紅音は喋りながら携帯端末をポケットから出す。
「だが、最終目的がスポットに巣食う鵺の殲滅とはいえ、いきなりスポットに行くわけでは――……」
「……?どうかしましたか?」
紅音が携帯端末の画面を見ていきなり固まるものだから、葉月は首を傾げる。
「……いや、なんでもない。ただ、その扉の向こうにいる本部長の手際が良過ぎて驚いているだけだ」
紅音は出したばかりの携帯端末をポケットの中にしまい、
「話を戻すが、いきなりスポットに行くわけじゃない。まず、葉月が普通の鵺相手にどれだけ動けるのかを見ておきたい。だから、街中に鵺が出現したら優先的に私達のとこに案件が回ってくるよう手配をしておいた……というか、もう既にされていた。その連絡が来るまではフリースペースで待機だ。良いな?」
「はい!」
「では、移動する。フリースペースまでの道すがら、どの部屋がどういう機能か一言で説明するから、もし気になることがあったら自由に言ってくれ」
「はい、そうします!」
「……ああ。そういえば、言い忘れてたが、現時点で何か質問あるか?遠慮は必要ない」
「質問ですか、うーん……」
葉月は顎に手を当てて、首を傾げる。
そして、
「今のところは無いです!」
「そうか、それは良かった。ただこれから先、疑問に感じることがあったら、すぐに言ってくれ。互いの認識違いが、互いの首を絞める事態だってあり得るからな」
「了解です!」
最初の名乗りのときほどではないが、十分大きな声で返事をする葉月に対して、紅音は頷く。
「では、フリースペースに移動するぞ」
「はい!」
紅音が先頭を歩き、葉月がそれに付き従う形で二人は待機場所であるフリースペースに向かった。
2
「ここがこの建物の中で一番広いフリースペースだ。とりあえず、ここで待機してもらうことになる。ここだと、仕事から娯楽まで色んな本があるし、飲み物も基本フリーだ。何か質問は?」
紅音が葉月を案内した場所は、フリースペースといっても小さな一室ではなく、百人ぐらいなら余裕で入りそうな大きいホールだ。
そのフリースペースを敢えて他のものに例えるなら、少し豪華な図書館のホールだろうか。ホールの中心には大きいテーブルと小さいテーブルがいくつもあり、そのテーブル群を囲うかのように決して少なくない数の本棚が乱立している。
このフリースペースではPCも置いてあるようで、ホールの一角ではPCを通してリモート授業(または会議)をしている人が何人か居た。
葉月はそのホールをぐるりと回って見渡しながら、
「……えっと、他にこういうスペースは?」
「ここまで充実したのは無い。ただ、ここ四分の一ぐらいの広さで、飲み物を常備してるのはどの階でもある。他に聞きたいことは?」
「他は……今のところ、特に無いです」
「そうか。鵺が出現したら携帯端末に連絡来るから、それまで自由にしてていい。私もそうする」
そう言いながら、紅音は近くの席に座り、
「用があったら起こせ」
一瞬で眠りについた。
……。
「え?」
葉月はつい素っ頓狂な声を上げる。
……本当に、寝た?
葉月は自身の顔を紅音の顔に近付け覗き込む。
……宣言通り、紅音の瞼はシッカリと閉じられていた。
それを見た葉月は驚きのままつい、
「紅音さん……?」
「なんだ?」
「うわっ」
紅音はパチクリと目を開け、驚いている葉月の顔をジッと見つめる。
そして、
「……何か用か?」
無表情で、問いを発した。
「あの、えっと」
用なんて、何もない。
ただ、あの一瞬で本当に寝たのかどうか気になっただけだ。
でも、『寝てるかどうか気になって起こしました』って答えるのはNGな気がする。
なら、用件を作ればいい。
葉月のパニクった頭で一生懸命考えて出た『用』は、
「紅音さんの好きな食べ物って何ですか!?」
超どうでもいいことだった。
いや、全く興味ないわけではないのだけれど、『用』としては明らかに成立してない。
その問いを受けて紅音は、
「……」
(眉をちょっと動かされただけなの、めちゃくちゃ怖い……!)
気のせいかもしれないが、葉月は自身のこめかみから汗が流れるのを感じる。
葉月は自身のことをパニックになりがちとも怖がりとも思ってなかったが、紅音の雰囲気が常人とはかけ離れ過ぎてつい動揺してしまう。
そんな葉月を見て紅音は突然、
「……ああ、そうか。寂しかったのか、お前」
表情を柔らげ、納得したように頷いた。
「え?」
「考えてみれば、他の同期と一緒に来たってことは資料で見ていたが、こっちに知り合いなんてほとんど居ないだろ?」
「……こっちにいる知り合いは、確かにその同期一人だけですね」
「だろうな。……ブレザー姿ってことは、葉月はまだ高校生か。なら、これが初めての海外か?」
アーベントは鵺に対するものとはいえ一種の兵器としての面があるため、中々渡航許可が下りづらい。
そのことを踏まえての紅音の予想だったが、それは正解だった。
「はい。初めてです」
「そうか……。初めての異国の地で、お前を案内する立場の私がそのお前を放置して寝るのは良くなかったな。すまない」
「いや、謝らなくていいですから!」
葉月は手をパタパタ横に振りながら、心の中で首を傾げた。
さっき、自分は寂しくて寝ている紅音の顔を覗き込んだのだろうか?
……自覚はなかったが、あの時の自分は確かに一人で置いていかれた気分だった。
『寂しい』とはっきり言われるほど強い感情ではなかったが、その方向に気持ちが向かっていたのは確かだった。
そんな風に葉月が考え事をしていると、
「ステーキ」
「え?」
「さっきの質問の答えだ。他にも聞きたいことがあれば、基本的になんでも答える。ただ、もうなんとなくわかると思うが、私はあまり人とのコミュニケーションが得意な方ではない」
紅音は赤い瞳をしっかりと見開いて、葉月の茶色い瞳と目を合わせる。
「それでもよければ雑談に付き合おう。言いたいことでも聞きたいことでも好きに言ってくれ。勿論、無ければ無いでいい」
「えっと……」
葉月は首を傾げ、少し考えるようにしてから、
「あ、美味しいラーメン屋って知ってますか?私、ラーメンが好物なんです」
「悪いが、知らない。ただ、ここロサンゼルスには中華街があるから、そこに行けばラーメン屋ぐらい何軒もあるだろう。……というか、今度案内しようか?美味いかどうかは知らんが、数軒の居場所は知ってる」
「是非お願いします!」
葉月は若干食い気味で頷く。
それに対し紅音がやや引き気味に、
「……期待してもらってるとこ悪いが、美味いかどうかは本当に知らんぞ?それに、ラーメンはアメリカより日本の方が盛んじゃなかったか?」
「それは確かにそうかもですが、それでもご当地のラーメンというのは気になるんですよ!そもそも、日本の中においても、たった一つの『豚骨』だけで何十いや、何百も分かれているんです。元は海外の料理の一つがですよ?そのラーメンが一体アメリカではどう進化と変遷を遂げたのか、気にならないことがあるだろうか、いやない!」
「反語なんて高校振りに聞いたぞ……。とにかく、お前がラーメン好きだというのは伝わった。約束はキチンと守ろう」
紅音は了承の意を表して僅かに頷く。
そんな紅音の動きに、葉月としてはちょっと気になる部分があった。
正確には、頷く動作で頭と一緒に揺れた花の髪飾りが気になっていた。
「そういえば、その髪飾り、可愛いですね」
髪飾りの見た目が可愛いというのは確かにそうなのだが、その髪飾りだけ紅音の容姿から少し浮いていたため、気になったのだ。
ただ、それは悪い意味ではない。
紅音の見た目は顔、肉体、服装のどれもが『綺麗』と表現されるもので、同じ『見た目が良い』でも『可愛い』ではない。
だが、その髪飾りだけ可愛い、可愛らしいものに葉月は感じたのだ。
「ああ、これか」
紅音は心無しか少し嬉しそうに髪飾りに手を触れる。
「昔贈り物で貰った物なんだが、結構気に入ってるんだ。だから、あまり私に合うかどうかは気にしないで着けてるんだが、似合っているか?」
「よく似合ってると思いますよ、ワンポイントになってて可愛いです」
葉月は思ったままを口に出す。
実際、髪飾りが浮いているとは思ったが、それ以上に髪飾りがアクセントになって綺麗さと可愛さの両方が強調できていると思っていたのだ。
そんな葉月の直接的な言葉に紅音は、
「そうか?ありがとう」
少し照れ臭そうに笑った。
その可愛らしい笑顔を見て葉月は『こんな風に笑う人なんだ』と思い、同時に肩から完全に力が抜け切ったのを感じた。
結局、そのあとも紅音と葉月はずっと雑談をし続けた。
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三十分後。
「それでね、紅音さん、東京駅の近くにあるダロワイヤって店で買えるマカロンが程よい甘さで本当美味しいんですよ!いつか食べてみてください!」
「ああ、いつかな」
テンションが高い葉月に対し、紅音はやや苦笑気味だ。
それも若干仕方のないことで、葉月は先程からずっと食べ物の話しかしてない。
たまに別の話もするが、食べ物→その他→食べ物→その他→食べ物の無限ループだ。
しかも、明らかに食べ物の話をしてる時が一番生き生きしている。
最初、紅音は葉月のことをラーメン好きだと思っていたが、食べること全般が好きらしい。
「東京駅とはいえば、他にも――」
葉月が何か他のことに話を移ろうとした時だった。
紅音はポケットから、葉月は巾着袋から携帯端末を素早く取り出す。
その画面に表示されていたのは、
「葉月、仕事だ」
「はい」
二人は同時に椅子から勢いよく立ち上がる。
その二人が握る携帯端末には、鵺の出現情報が表示されていた。
「ついて来い」
「はい!」
お喋りはもうお終い。
ここからは、二人で行う初めての『仕事』の時間だ。