過去編 紅音の思い出6
過去編 紅音の思い出6
1977年1月
1
1976年11月。
この月には、高校の文化祭があった。
私達のクラスの出し物は、山崎ひかりの提案で『体育館でダンスショー』となった。
私は最初裏方に回ろうとしたのだが、ひかりに半ば強制的に誘われて、しばらくの間は皆とダンスの練習に明け暮れることとなった。
その結果、文化祭当日は成功し、想像以上の盛り上がりだった。
練習も含め、なんだかんだ楽しかったが、人前で踊るのはやはり恥ずかしかった。
しかもダンスが終わった直後、一騎がわざわざ『さっきのダンス、カッコ良かった』なんて言いに来るものだから、余計に恥ずかしかった。
出し物以外の時間は、友達と出店を回った。
文化祭は二日間あって、一日目はダンス以外の時間は、ひかり達と色んな出店を見て回った。
みんなで食べた季節外れのアイスクリームは、寒々とした季節の中でも美味しかった。
二日目は、一騎と二人で出店を回った。
色々回ったが、その中で特に印象に残ったのはお化け屋敷と弓道部体験だ。
前者のお化け屋敷は、私は何も怖くなかったのだが、一騎が時折無表情のまま体をビクッとさせていて、なんか可愛らしかった。
後者の弓道部体験では、私も一騎も初めての弓道だったにも関わらず結構マトに当たって、二人揃って驚いた。
そんな風に色々店を見て回った後は、男子のダンスの出し物ーー1日目は女子、2日目は男子に分かれてたーーを私は客席の前の方から観ていた。
そのダンスに、一騎も参加していた。
ダンスが終わった後、私は一騎に、前日彼に言われた言葉をそのまま返した。
……別に、意趣返しがしたかったわけじゃない。
ただ本当に、そう思ったのだ。
1976年12月。
冬休みが始まった。
でも、冬休みが始まる前日に、一騎と二人でショッピングモールに出掛ける約束をしていた。
ショッピングモールで適当にウィンドウショッピングして、店内で互いの服をあーでもないこーでもないと言い合った後、モール内に併設されてある水族館に行った。
あまり大きい水族館では無かったが、青い水槽を悠々と泳ぐイルカが印象的で、隣で見ていた一騎も『かわいいな……』としみじみ呟いていた。
私はそんな彼を横目に、『そういえば一騎も動物の類が好きだったな』と以前一緒に野良犬を愛でたのを思い出していた。
水族館を出る頃には、辺りはもう暗くなっていて、モール中がイルミネーションでライトアップされていた。
しかも、雪がパラパラと降っていて、中々ロマンチックな光景だった。
そんな場所だったからか、意識してみるとモール内には結構な数のカップルが居て、彼らは手を繋いで歩いていた。
なんとなくその人達を眺めていると、隣に立つ一騎が『……手、繋いで歩かないか?ほら、今寒いし』と訳の分からないことを言ってきた。
正直に『そんなんで、あったかくなるのか?』と返すと『なる』と思いっきり断言された。
勢いで言って、後に引けなくなっているのは明らかだった。
そんな彼の様子がなんだか可笑しくて、私はクスリと笑う。
そして、私は何も返事をしないまま、黙って彼の手を取った。
……そしたら、本当に体があったくなってきたんだから、人の体って不思議だ。
そして、1977年1月。
今はもう冬休みは明けており、現在私は、一騎と一緒に放課後の教室でのんびりとしていた。
今日は互いに教室及び廊下の掃除当番で、掃除が終わった後に休憩がてら二人で駄弁っていたのだ。
いつもだったら、放課後のお喋りは帰り道を歩きながらするのだが、今日は一騎が部活のため、教室に残って世間話をしていた。
教室の清掃が終わってから少し時間が経っており、夕日が差し込む教室に残るのは私と一騎の二人だけだった。
その目の前の一騎が鞄を持って立ち上がる。
もう部活に行くということなんだろう。
私も鞄を肩に掛けて、一騎と並ぶように立ち上がる。
そしたら、何故か一騎は黙ってこっちをジッと見つめていた。
だから、私も同じように彼を見つめる。
すると数秒後、一騎は体を固くして、こう言った。
「俺、紅音のことが好きだ。俺と付き合ってください」
「何を言ってるんだ、お前」
私は思ったままを口にする。
何を言われたのか、本当に理解できなかったからだ。
……。
…………。
……………………あれ?
今、一体、何が起きた?
……。
……もしかして、私は今、告白されたのか?
一騎が私に?
本当に?
夢じゃなくて……?
……。
…………。
……混乱していて、痺れたように何も頭が働かない。
……一旦、状況を整理しよう。
私は今さっきまで、一騎とお喋りをしていて、『こいつの笑顔って良いよな』とか『一緒に居ると楽しい、というか安心するな』とかそんなことを思っていた。
今日は一緒に帰れないことにほんの一抹の寂しさを抱きながら、これから一人で帰り道を歩くはずだった。
その別れ際に、一騎は私に告白してきた。
そんなこと、夢にも……。
……。
……だって、こんな私だ。
無愛想で、人との関わり方なんてわからなくて、一騎に声を掛けられなければ独りでずっと教室の隅に居続けただろう人間だ。
そんな人間には、『物好きなお人好し』の友情が精一杯で、恋心を向けられるなんて、そんな現実があり得るなんて思ってもみなかった。
だから、私は、一騎の言葉を飲み込めずに、体を固くしてしまう。
しかし、いくら体を固めようとも、時間が止まる訳もなければ。
先程、私がつい口に出した言葉が、無くなるわけでもなかった。
(……あ)
私、さっき、なんて返した?
一騎の告白に、私は一体なんてーー
「あー……」
唸り声のような出す一騎の顔を、私は見上げる。
そこにあったのは、
「そうだよな。いきなり変なこと言ってごめん。迷惑だったよな?」
明らかに無理矢理作った、愛想笑いだった。
「俺、予定通りこのまま部活に行くから」
彼の笑顔を見て、こんな辛い気持ちになるなんて、思わなかった。
「じゃあな。紅音も気をつけて帰れよ?」
それほどまでに、彼の笑顔は傷付いていた。
そして、彼はその笑顔のまま、宣言通り教室から立ち去った。
だから、教室に居るのは私一人。
何もわからず、何もできなかった。
夕日が落ちかけた教室で、私はただ一人立ち尽くしていた。
2
昨日、一騎に告白された。
その後のことは、あまりよく覚えていない。
家に帰ったあと、夕飯を食べて風呂に入ってそして寝た。
毎日のルーティン以外のことは、何をしたのか覚えてない……というよりも何もしていなかったのかもしれない。
とにかく、私は今、登校するため通学路を歩いていた。
今日はいつもと違って早めの時間に起きため、このまま歩けば遅刻せずに高校に着くだろう。
いつものあの教室に、辿り着くだろう。
……。
……昨日の出来事に対し私は、一日経ってさえ、心の整理が付いていなかった。
何が起こったのか、理性としては理解できても、感情では理解し切れていなかった。
ただそれでも、『私が一騎を傷つけた』ということと、『もう一騎は、前のように仲良くしてくれないだろう』ということはわかった。
……私は、一騎の告白に対して、『何を言ってるんだ』なんて言ってしまったんだ。
なら、当然のことだろう。
あの言葉は、実際の私の想いはともかくとして『拒絶』の言葉にしか聞こえないし、断りの言葉の中でも特に最悪だと私でも思う。
だから、嫌われたって、おかしくない。
「……」
もう何も考えたくない。
何も。
しかし、足が止まっていない以上、教室には辿り着く。
「……」
私は止まりたくなる足を無理矢理動かして、教室に足を踏み入れた。
教室を見渡すと、そこに一騎の姿は無かった。
「……」
私は無言で自分の席に座り、窓の外をーー。
「紅音、おはよう」
私は体をビクッと僅かに震わせながら、顔を横に向ける。
そこには、丁度今登校したらしき少年のーー月原一騎の姿があった。
「……」
私は驚きで目を丸くする。
その理由は、一騎が私に挨拶してくれたこともそうだが、笑顔が昨日の帰り際に見たものとは違って、いつもの明るい笑みだったからだ。
「……紅音、少し話聞いてもらってもいい?」
一騎は自分の先に座りながら、そう言った。
私は言葉での返事はできなかったが、勢いよく首を縦に振ることで答えた。
「そっか、良かった」
一騎は安堵したように胸に手を当てる。
その直後、彼は申し訳無さそうな顔をしながら、こう言った。
「昨日は、困らせてごめん」
「……っ」
『何かを言わなければ』と、私は口を開きかけるが、何を言っていいのかわからず結局は固まってしまう。
『せめて、そんなことないって否定しないと』と思ったが、私がそのことを口にするより先に、一騎が口を動かす方が早かった。
申し訳無さそうな表情から一転、一騎は柔らかい笑顔で、
「ちゃんとわかってる。昨日のことはショックじゃない……って言ったら、嘘になるけど、紅音に悪意なんて無いのは、ちゃんとわかってる。……だって、俺達、仲良かったよな?」
「……」
私は開きかけていた口を閉じて、コクリと頷く。
「そっか。俺だけじゃなくて、良かった」
一騎は『わかってる』と言っても不安だったのか、私が頷いたのを見て笑みを強くした。
「だからさ、振られた手前、図々しことはわかってるんだけどさ……」
一騎は視線を床に落とす。
でも、それは一瞬で、すぐに顔を上げて私を見つめてきた。
「俺はこれからも、今まで通り紅音と仲良くしたいと思う。今まで通りお喋りして、どうでもいいことで笑いあって、一緒に帰り道を歩きたいって、そう思う」
「……」
一騎の言葉に私は何も反応することができず、口を閉ざしたたまま彼を見つめ返す。
「本当は、一度全部諦めようと思った。話しかけたりしない方がいいんじゃないかと、そう思った」
「……」
そう言いながらも、一騎は私を見つめ続ける。
だから、私も彼から視線を外さなかった。
「でも、無理だった。今までみたいに紅音と一緒に居られないんじゃないかと思うだけで、すごくすごく辛かった。だから、勝手だけど、これからも話しかけ続けるよ。初めて、紅音に声をかけた時みたいにさ」
「……」
だけど、私は口を開かない。
開くことが、できない。
そんな私に対して一騎は、
「だから、これからもよろしく」
そう言って、まるで仲直りの握手を求めるように、右手を私に向けて差し出した。
「……」
……。
……私は差し出されたその手をジッと見つめる。
そして、私は。
その差し出された手に対し無言のまま。
恐る恐るといった風にゆっくりと。
何か壊れやすい物に触れるように、そっと握った。
……。
……こんな怯えたような態度では、私は嫌々一騎の手を握ったと思われるかもしれないのに、そうとしかできない自分が情けない。
もし本当にそう思われたら、どうしよう。
そんな不安の中、目の前の男は、
「よかった。ありがとう」
ニッコリと、いつも通りの明るい笑顔を浮かべた。
「……」
あぁ、良かった。
私の本当の気持ちが、少しでも伝わってくれて良かった。
そう思って心の中で胸を撫で下ろすと、
「……はは」
何故か目の前の男が、声を出して笑っていた。
「……なにがおかしい」
……ようやく、声を出せた。
しかし、心なしか、その私の声は拗ねたものになっていた。
そんな私を見た一騎は更に笑いながら、
「俺さ、実はさ、本当は『もう一度仲良くしたい』って話、紅音が嫌そうだったら言うのをやめようと思ってた。好きな奴を嫌な気持ちにさせたくないからな。でも、そうじゃなくて、本当に嬉しかった」
「……それがなんで笑いに繋がる。というか、私はほぼ無言だったのに、なんで私が嫌な気持ちじゃないってわかったんだ?」
「だって」
一騎は自身の目元をトントンと叩いて、
「紅音の目を見ていたら、何を思っているか大体わかるよ。そんな紅音がわかりやす過ぎて、可愛くて、つい笑っちゃった。ごめん」
一騎は口だけは謝っているが、まだ笑い続けている。
私はそんな一騎から視線を外して、窓の方に向ける。
私の態度は明らかに良くないものだったが、私が恥ずかしがって一騎を見れなくなってることぐらい、彼ならわかるだろう。
それがなんとなく、無性に悔しい。
……ああ。それにしても。
(一騎に、嫌われていなかった)
本当に良かった。
(またこれからも、一緒に居られるんだ)
心の底から、本当に良かった。
すごく嬉しい。
気を緩んだら、涙目になってしまいそうなぐらい、すごく。
……ああ、そうか。
やっと、自分の気持ちが、わかった。
私はずっと、諦めていたんだ。
……昨日まで、一騎に好きになってもらえるだなんて、あり得ないことだと思っていた。
ついさっきまで、一騎とはもう一緒には居られないと思ってた。
私は一騎に対して、私が彼に向けている以上の感情は無いと勝手に思い込んで、そして諦めていた。
だから、自分で自分の感情に蓋をしていた。
自分が、傷つかないように。
ゆえに、自分の気持ちに今の今まで気付けず、昨日は混乱のままあんな返事をしてしまった。
本当は痺れを感じてしまうほど嬉しかったはずなのに、そのことに気付けないまま。
……ああ。
私は、なんて自分勝手な人間なんだろう。
こんな人間を好きになる奴は、物好きが過ぎる。
本当に、自分勝手だ。
だって、
私も一騎のことが好きなんだって。
そんな単純なことに。
今更ながら、気付いたのだから。