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葡萄石

「前々から君には弟子をとらせようと思ってたんだ。エスメの医術は一人だけのものにするには勿体ないからね。」

「ありがとうございます!」


 打った頭を抑えながらも不自然に微笑むガザニアを、少年は冷ややかな目で見つめた。

 立ち話も何だからとガザニアに言われ、少年は二人と共にカフェに入った。少年はカフェというものに立ち入ったことがなかった。しかし、温かみのある木造の、コーヒーの香ばしい香りとお菓子の甘い匂いが混じったこの空間を、少年が気に入るのは言わずもがなだった。

 それにしても、ガザニアのような貫禄のある大人が幼い女の子にペコペコしているのは妙な眺めだった。少年は首を傾げながらサイプレスのくりくりした紫の瞳を見つめる。


「なあ、おまえ何者なんだよ?」

「コラ!教授になんて口聞くのよ!」


 答えたのはサイプレスではなくガザニアだ。


「この方は、泣く子も黙る界立医大名誉教授、シャーロット・サイプレス教授よ。教授を知らないなんて、恥を知りなさい!」

「名誉教授…?おまえいくつだよ?」


 サイプレスは少し考える素振りを見せてから、左手をパーにして、右手の指を3本立てた。


「8歳。」

「あははははは!」


 突如、ガザニアがわざとらしく笑い出す。


「やだぁ教授ったら冗談がお上手〜。ほら、あんたも笑いなさい!」

「いった!」


 バシッと背中を叩かれて少年が涙目になっているとガザニアが人差し指を立てた。


「教授の奇病はね、不老病なの。」

「不老病?年をとらないってことか?」

「そう。つまり不死!かっこいいです教授!」

「はは、そんなに良いものでもないよ。」


 サイプレスは目を伏せてコーヒーを飲んだ。


「それで本題に戻るけど、エスメ。この子を弟子にとってみてはどうかな。」


 ガザニアは目を反らしてココアを飲み込んだ。


「……どちらにせよ、こいつが奇病じゃなきゃ、魔法治療出来ないし意味ないですよね。」


 サイプレスがカップをテーブルに置く。


「なら私がこの子に呪いをかければ済む話だね。」


 少年は飲んでいたホットミルクを吹き出す。


「うっ、げほげほ、呪いっ!?」

「教授!さすがにそれは……!」

「さて何の呪いが良いかな。」


 ガタガタと震える少年をしばらく見つめて、サイプレスはニヤリと微笑んだ。


「こんなのはどう?」


 サイプレスの小さな手のひらからチカチカとした光が漏れる。少年は必死に振り払おうとしたが、やがて光に包まれた。

 そしてそれが消えると、少年の頭の上でピョコッと三角の耳が動いた。


「な、なんだコレッ!」


 少年が自分の頭をなで回すものだから帽子が落ちてしまった。サイプレスは露わになった少年の額を見て目を細め、人差し指をクルッとする。金色の水晶がついた首輪が少年の首に巻き付いた。


「その首輪を絶対に外してはいけないよ。それから」


 サイプレスは席を立つ。


「額の紋、消しておいてあげたから。」


 少年は初めて帽子が取れていたことに気付き、慌てて額を触った。以前は紋でボコボコとしていたが、平らだ。顔を上げてみれば、もう既にサイプレスの姿は無かった。


「ッはあああ……助かった……!」


 ガザニアは背もたれに寄りかかろうとしたが、少年が胸ぐらを掴んだため「おふ」と言った。


「俺はぜんぜん助かってねえよ!」

「教授はこの世界で唯一呪うことが許されてるの。神様のイタズラだとでも思いなさいな。」

「だって、何だよこの耳は!」

「ハイハイちょっと待って。いま診るわ。」


 ガザニアは自分が鞄をゴソゴソ漁るのを、少年が不思議そうな顔で見つめていることに気づいた。


「あんたが診察費払えないことくらい分かってるわよ。だけどこれからあんたが患者を治療するとき、自分の奇病が何なのか知っておかないと不便でしょ。」

「これから俺が、患者を、治療……」


 急に少年が立ち上がるのでガザニアが診療道具を取り落とした。


「弟子にしてくれるのか!?」

「さすがのあたしも教授には逆らえないしね。その代わりあたしの言うことは絶対だから。わかった?」

「うん!ありがとう!」


 瞳を輝かせる少年の服の隙間から尻尾が出て来てパタパタしている。ガザニアはため息をついて、少年の鼻先に人差し指を当てる。エメラルドの爪の先から、光が漏れ出た。


「このエスメ・ガザニアの名において、吾への絶対服従を対価とし、汝――」


 厳かだったガザニアの声がささやき声に変わる。


「あんた、名前なに?」

「ルディ。」


 光の眩しさに目を細めながら、ルディは答えた。


「ルディ・セージ。」

「汝、ルディ・セージを弟子とし導く事を誓う。」


 光は消え去り、ルディが目を開いた。


「今のなんだよ?」

「敬語。」

「は?」

「口の聞き方がなってない。敬語。」

「嫌だけど。って、痛っ!?」


 ムチで叩かれるような痛みが走り、ルディの目に涙が浮かんだ。


「さっき契約したじゃない。あたしには絶・対・服・従。返事は?」

「…………ハイ。」


 これでもかというくらい顔をしかめて返事をする。その刹那、顔を掴まれ口を開かされた。薄い唇の間から鋭い牙が覗く。


「ふぁひふんは!」

「診察。ちょっと我慢ね。」


 ガザニアはライトで口の中を照らし、それから目も照らした。


「眩しっ!扱いが雑なんだよ!」

「あーこれ人狼病だわ。」

「人狼病?」

「月光に照らされると姿が狼に近づいていく奇病よ。その首輪の水晶には月光樹の樹液が込められてるから、ある程度制御できるけど。」

「何言ってるのかよくわかんねえんだけど。」


 ガザニアは面倒くさそうな顔をして頬杖をついた。


「人狼病にかかるとね、一定量の月光をとらないと死んでしまうの。だから満月が近づくと、月光を効率的に吸収できる狼の姿に変わっていく。でも完全な狼になると理性を失ってしまうから、先生はその首輪をくれたのよ。」


 ガザニアは微かに光るルディの首輪の水晶に触れた。


「月光樹の樹液は発光性があって、その光には月光と同じ成分が含まれてる。あんたはその首輪から少しずつ光を吸収できるから、完全に狼にならなくても済むってわけ。」

「……わかるような、わからないような。」

「こんなにわかりやすく説明してあげてるのに?先が思いやられるわ、こりゃ。」


 ガザニアはココアを残したまま席を立った。


「とりあえず帰るわよ。」


 ルディはミルクを飲み干してから立ち上がる。


「なあ、妹を迎えに行っていいか?」

「敬語。」

「……妹を迎えに行ってもいい、デスカ。」

「まあ、しょうがないからいいわよ。」

「ありがとうゴザイマス……。」


 ルディは眉間をピクピクさせた。

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