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スミシー探偵社調査部門妖精課の事件記録 ブランポリス支部 〜ブラック・スミス短編集  作者: 雅楠 A子
CASE 1:ダンボール町ホームレス誘拐事件 - The Adventure of Cardboard City
4/11

03

 そして、3日後の炊き出しの日。


 会場に現れたふたりに気付き、一方の青年の襟先に付いているスミシー探偵社の徽章――依頼主に分かるよう、表に付けている――に目を留めたひとりの"蹄鉄会"の会員が、ふたりに駆け寄ってきた。ビート族*気取りのファッションと、もったりと重たい瞼が特徴的な、面長な顔の男性だ。彼は少々動揺した様子でふたりに訊ねた。


「"蹄鉄工(ブラックスミス)"ですよね?」

「"蹄鉄会"の方ですか?」


 問い掛けには答えず、どころか聞き返したジェムに、"蹄鉄会"の男性会員は、はっとなにか思い出したような表情を浮かべて、慌てて自身のシャツの袖をジェムに見せつけ、「そうです、僕は"蹄鉄会"の会員です」と言った。彼が見せつけたシャツの袖には、装蹄鎚(そうていづち)削蹄剪鉗(さくていせんかん)を模した特異なデザインのカフリンクスが飾られていた。


 ありがとうございます、と言って、ジェムは男性の腕を下ろさせた。


「ぼくたち、見守り調査の依頼を受けて来たんですが、どうかされましたか?」

「……はい。あっ、あの、炊き出しについては問題ないのですが、そのう、近くのダンボール町で無視できない事態が起こっていて」

「ダンボール町? この近くにダンボール町が来てるのですか?」

「ええ。そこの住人の皆さんが体調不良を訴えてるんです。それで、急遽、炊き出しのスタッフで介抱することになりまして」


 ジェムは黙り込んだ。事前に知らされていた業務からは逸れてしまうが、ダンボール町の緊急事態を無視することはできない。

 ジェムに話しかけてきたこの男性会員も、きっと同じように考えたから、こうして伝えようとしているのだろう――なにかがおかしいと。


「――分かりました。忙しいところ申し訳ありませんが、そちらまで案内して頂けますか?」

「勿論です!」


 炊き出しの会場である、タンブルウィードのリグ広場から、ダンボール町のある高架橋下に向かうまでの間、リリーは先程聞けなかった疑問をジェムに投げ掛けた。


「ダンボール町って、なんですか?」

「ホームレスキャンプ、って知ってる?」

「路上生活者の方々の、仮設住居群のことでしょうか?」

「まあ、そうだね。そのホームレスキャンプよりも、もっと組織化されたものがダンボール町だ」

「組織化?」

「住民を束ねている存在がいるってこと」


 答えを聞いても、リリーの疑問が完全に解消されることはなかった。むしろ、聞けば聞くほど疑問が湧いた。

 どうしてホームレスキャンプが組織化されるのか。組織化されるとどうなるのか。束ねている存在がいるなんて、まるで――部族でも形成しているかのようだ。


  ダンボール町を目前にしたとき、リリーは、自分の想像力の乏しさを痛感した。世間知らずな自分では、とても考えられない光景だった。

 トラック用の幌が掛かったダンボールハウスがいくつも連なり、それらには家らしくみせるためにかペンキで煉瓦や草木の絵が描かれていた。決して上手いわけではないのだが色使いが独特なので、一見するとアート作品にも思えるほどの出来だ。そこに洗濯物がはためき、ゴミ袋や廃品が散乱している様子は、なかなか異様である。


「こちらに」と、"蹄鉄会"の男性が手で示しながら、ダンボール町の奥へとジェムたちを誘導した。ダンボールハウス群の横を通り過ぎるとき、エプロンを付けた人々――多くは女性であった――が、忙しなくそこを出入りしている様子が見られた。話に聞いた、住民の介抱に来た炊き出しのスタッフたちだろう。


 ダンボール町の奥には、大きなトラックがあった。トラックの荷台には、貯水タンクとダンボールの束が置かれていて、それらを守るようにひとりの男が刺叉を持って傍らの白い椅子に座っていた。男性会員がその男に近付くと、男はぐっと顎を引き、刺叉の先を持ち上げた。


「安心してくださいブルース、"蹄鉄会"です、ほら!」

 男性会員がブルースと呼ばれた男の目先に左袖のカフリンクスを突き付けると、男はほっとひと息吐いて、刺叉を下ろした。うっすら脂汗をかいている。


「そいつらは? 医者か?」とブルース。


「……すみません、探偵です」とジェム。そして、「こちらの方に調査を依頼されまして」と、男性社員を視線で示しながら続けた。


「……そうか。いや、確かに、調査は必要だ。こんなことは、有り得ない」


 ブルースは誰とも視線を交わさずに言ったので、それはまるで独り言のようだった。実際、独り言だったのかもしれない。呟きながら、彼は正体の分からぬ敵への怒りで、肩を震わせていた。


「――あの、」とリリーがブルースに声をかけた。「もしかして、どこか具合が悪いのですか? お顔が少し、青白いように見えますが」


「ああ、少しな」


 ブルースは答えた。


「さっきよりは、マシさ。そんなことより早く、皆が苦しんでる原因がなんなのか調べてくれ、探偵さん。オレたちには、ここしか居場所がないんだ。安心してこれからも住めるようじゃなきゃ、困るんだよ」

「全力を尽くします」


 ジェムが応えると、隣に立っていた先程の"蹄鉄会"の男性会員が、満を持してといった具合に彼らをダンボールハウス群へと誘導した。


「感染症の疑いが完全に晴れたわけではないので、中に入って頂くことはできないんですが、」男性は言った。「入り口からなら、会話ができる方もいらっしゃいますので」


 誘われるがままに入り口からダンボールハウスを覗き込むと、厚手の毛布の上に蹲る白髪の女性の傍らで、膝をついて彼女の背を撫で摩り介抱する人物の後ろ姿が見えた。微かに酸っぱい臭いが漂い、新聞紙を敷き詰めた洗面器がある様子から、吐き気等の症状があるのかもしれない。


 ……調査のためとはいえ、あまり長居するのは、彼らの迷惑になりそうだ。


「お手を煩わせるようで大変心苦しいのですが、炊き出しのスタッフの方々にお話を伺うことは可能ですか?」


 ジェムの質問に男性会員は、ええ、と頷き、ちょうどゴミ袋を持ってダンボールハウスから出てきた、エプロンをした中年女性に「すみません、少し、お時間よろしいですか」と声をかけた。呼び止められた中年女性は、少し待ってくれと手で示してからゴミ袋を集積所まで持っていき、手ぶらの状態でジェムたちの許に戻ってきた。


「なんでしょう?」

「ぼくたち、スミスの探偵なんですが、ここでなにが起きているのか、皆さんからお話を聞きたくて」


 ジェムの話に、中年女性は不安げに男性会員の方を見た。男性会員は、女性に大丈夫であることを示すため、何度も頷いた。

 緊急事態であるとはいえ、やけに神経質だな、とジェムは訝しんだ。


「……今朝、ボランティアの方が来て、ダンボール町で無料クリニックを開かれていたそうです」

「無料クリニックですか」

「えぇ。ダンボール町の皆さんは、それを私たちの活動の一環だと思ったみたいで、快く受け入れられたんですって。だけど、そのボランティアの方々が去った後、なぜか住民の皆さんが次々と体調不良になったって……」


 成る程、それで神経質なのか。


「どんな症状なんですか?」

「そうですねぇ……、皆さんが一様に訴えるのは、胃痛や腹部の膨満感ですね。内蔵が潰されるような痛みに、腹が膨らみ過ぎて破裂しそうな感覚が並行してあるんだそうですよ。時々、吐き気を訴える方もいらっしゃいます」


 ジェムは目を細めた。


「吐血は?」

「……数人ほど」

「では、あなたが今とても困惑していらっしゃるのは、これらの症状が胃潰瘍のとよく似ているのに、ダンボール町の住民の誰ひとりとして、食事をした人がいないからですか?」

「どうしてそれを」


 中年女性は驚愕に目を丸くして、目の前の若きスミスの探偵(ブラック・スミス)を凝視した。

 ジェムの隣で、まさか、とリリーが呟いた。ジェムは中年女性に対して商売用の笑みを、にっこりと顔に貼り付けた。


「ただの当て推量です。マダム、つかぬ事をお聞きしますが、ダンボール町の住民で、今朝から行方が分からなくなった方はいらっしゃいますか?」

「そう、ですね……」


 驚きからなかなか立ち直れない中年女性は、もごもごと口を動かした。頭を一所懸命に働かせたが、思うように記憶を呼び起こすことができない。そもそも、ダンボール町の住民が何人いたかなど、把握していただろうか。彼らを介抱するのに必死で、人数の確認は、一度もしていなかったのではなかろうか。


 すると、


「いるよ」


 と、掠れた声が、ダンボールハウスの中からジェムたちの質問に答えた。そっとハウスの中を覗くと、先程まで毛布の上で蹲っていた白髪の女性が腕を張って上半身を起こし、具合の悪い人間にしては力強い目でこちらを見ていた。


 白髪の女性は言った。


「ひとり、いる。わたしの隣人だ。ミアとかいう赤毛の女が、彼女を連れていった」

「――ミア」


 リリーが、白髪の女性が告げた名を復唱する。


「そのお宅、調べさせてもらっても?」


 白髪の女性と目線を合わせるため、身体を少し屈ませながら、ジェムが訊ねた。


「連れ戻してくれるのかい?」


 声が掠れていても威圧感のある態度の女性に、いい加減なことは言えないな、とジェムは姿勢を正した。


「……できる限りのことをします」


 馬鹿正直に、「連れ戻す」とは言えないジェムに、白髪の女性はふん、と鼻で笑った。張っていた腕を折り、再び毛布の上に身体を横たえた。


「調べる前に、ブルースに言った方がいいよ。あとで文句を言われたくないだろ?」


 そんなわけで、白髪の女性の提案通りブルースに事情を話し、ジェムとリリーのふたりは、行方不明の住民のダンボールハウスを調べることになった。

*ビート族:現代の物質文明を否定し、既成の社会生活から脱しようとして無軌道な行動をとる若者たち。第二次大戦後、アメリカを中心に現われた。ビートニク。(『コトバンク』より)


つまり、ビート族をビート族たらしめるファッションはありません。が、ビート族気取りのファッションとは、ビートニクを代表する有名人の着こなしを参考にしているファッションだと思って頂ければ良いかと思います。……多分。

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