02
「拉致、ですか」
緑目の少女は、ジェムの話を聞き終わるなり、そう呟いた。徐々に狭まっていく彼女の眉間を目にして、ジェムは少女に呼びかける。
「リリー、」
「分かってます。でも、今までもきっと、そういうことがあったんだろうなと思うとやっぱり、やるせなくて」
スミシー探偵社の事務所から『パットズ・バー&グリル』に戻ったジェムは、電話を借りて、とある人物を店に呼び出した。その人物が、今、彼の目の前に座っている少女である。
この少女の名をリリアーヌ・ベルトラン、愛称をリリーという。オリーブ色の肌にアーモンドグリーンの目を持つ、神秘的な容姿のこの少女は、数週間前まではジェムの依頼人だった。それがどうして彼の仕事仲間になったのかというと様々な事情があるのだが、ここで説明する必要はないだろう。それはまた、別の物語だ。
ジェムはリリーの表情を窺いながら、慎重に言葉を選んだ。
「きみが背負っているもののことを考えれば、責任を感じる気持ちは理解できるよ。だけど、いちいちきみの関与しない過去のことを悔やんだって仕方ないだろ、きみは子どもだったんだから、なにも知らされてなかったんだ」
「だけど、知らなかったってことが辛いんです。罪を感じてしまうんです。ジェムだって、タンブルウィードの子どもたちのことを考えたら、やるせない気持ちになるでしょう? それを、知らなかったから仕方ないだなんて、言えます?」
「……ごめん、言えない」
慰めにもなっていなかったと、ジェムは素直に謝った。
タンブルウィードは、ジェムの生まれ故郷だ。そこには普通には暮らせない子どもたちがわんさといて、互いに助け合って生きていた。半ば、家族のような関係を築いていたのだ。その子どもたちが、自分のあずかり知らぬところで辛い思いをしていたとして、知らなかったのだからなにもしてやれなかったとしても仕方ないなんて、無責任な考えが正しいとは到底思えない。
すっかり険しい表情になってしまったジェムに、リリーはしまったと思って、慌てて話題を切り替えようと口を開いた。
「ごめんなさい、責めるような言い方になってしまって。わたし、ちょっと気が立ってたみたいです。ほら、だって――」
えへん、と咳払いし、リリーはそれが誤魔化しなのがばればれな態度で続けた。
「――助手って言われるのは、なんだか複雑な気分で」
「やっぱり気になるよな、そこ」
笑い声が言葉とともに思わず口から漏れ出たジェムに、リリーはこれ幸いと前のめりになった。
「気になるというか、はっきりさせたいというか。わたしって、ジェムの助手なんでしょうか?」
「ぼくは仲間だと思ってたよ」
「でも、わたしが"ワトソン役"と呼ばれるアルバイトの身であることは確かです。ジェムの許可なしに、勝手なことはできません。それって、わたしたちの間に上下関係があるということじゃない?」
「その言い方だと、雇う側が偉いように聞こえるけど」
「報酬を支払ってくださるのだから、そうなのでは?」
「でも、雇う側が相手の才能に惚れ込んでいた場合、雇われ側の方が立場が上になるんじゃないか?」
「わたしの才能に惚れ込んでるの?」
「頼りにはしてるよ」
「ずるい言い方」
リリーはぷく、っとむくれて、唇を突き出した。子どもっぽい仕草なのに、彼女がやるとどうしてこうも上品に見えるんだろう、とジェムは思う。
「だけど、」とリリーの質問に対して答えをはぐらかしたジェムは、今度は真剣な顔つきで言った。
「有事の際には、きみの安全を第一に優先する。その責任が、ぼくにはあると思ってる」
すると、リリーは眉根を寄せ、やや怒気を含んだ声で応えた。
「それを言うなら、わたしだって、ジェムになにかあったら必ず助けにいきます。雇われの身として、雇用主を守る義務がありますから」
「そんな義務はないだろ、用心棒じゃあるまいし。いや、そもそも、ぼくは雇い主か? きみを雇うと決めたのは、うちの社長じゃなかったっけ」
「……言われてみれば、そうですね」
「これで、ぼくたちは対等だな」
「いえ、わたしたちにはまだ、先輩と後輩という関係が、」
「やめよう、リリー。終わらないぞ」
早急に話題を切り上げたジェムに、リリーはくすくすと笑った。
「――でも、意外でした。ミスター・ロイドが、わたしのことを聞かされてなかったなんて」
リリーが、カフェラテの入った陶磁器のカップを口許に運びながら、言った。ちなみにこのカフェラテは、最近、ウィリーの発案で追加された、『パットズ・バー&グリル』の新メニューである。
ジェムはくい、と片眉を上げた。
「どうして?」
などと、自分自身は一度も不思議に思っていたことなどなかったかのように振る舞う。
「だって――知ってるでしょう? わたしのお父様やお祖父様の過保護ぶりを」
「間接的には、知ってる。だから、これから言うことは、ただの憶測だけど、」ジェムはテーブルに肘をついて、ぐっと身を屈めた。「彼らはきみを守るために、きみを普通に見せようと必死なんだよ」
「……どういう意味ですか?」
カップを両手で握ったまま、リリーは訊ねた。
「うちの会社の"ワトソン役"は、会社じゃなくて探偵個人が雇っている、言わば日雇い労働者みたいなものなんだ。なのに、きみのお父さんかお祖父さんに、突然よろしく頼まれたらおかしいだろ?」
「でも、わたしはお祖父様に」
「そう。そして、それを知られたら、きみが特別だってことがばれる。この意味は、分かるな?」
「……わたしが、お祖父様の弱みになる。昔、お母様がそうだったように。だけど、わたしの目が――」
「そのことなら、なんとでも説明できる。珍しいとはいえ、この広い世界できみの家系だけが、その色の目を持っているってわけじゃないからね」
リリーはじっと動かず、目を伏せて考え込んだ。長い睫毛が、瞬きの度に微かに揺れる。その様子を眺めていたジェムは、やがて睫毛が持ち上がって現れた緑の目の美しさに、どきり、とした。
「……もしかして、わたし、ジェムにものすごく迷惑をかけてる?」
「……なんでそうなる?」
予想していなかった問い掛けに、ジェムの顔が強ばった。人は、自分の想像を超えた事態に直面すると、身体が強ばってしまうものらしい。
リリーは、それまでずっと握りしめていたカップをテーブルの上のソーサーに戻し、ジェムを問い詰めた。
「さっき、有事の時にはわたしの安全を最優先にする、って言ったでしょう? それって、お祖父様にそうするように言われたの? それとも、お父様に脅迫された?」
「そんなことされてないよ」
間を置かずに答えたジェムに、リリーは目を細めた。
「……嘘だわ」
ぱちぱち、とジェムの目が瞬く。
リリーは少しでも高圧的に見えるようにと顎先を持ち上げ、見下すような視線をジェムに寄越した。彼から真相を聞き出すためである。
「ヴィンスに教えてもらったの。ジェムは嘘を吐くとき、絶対にこっちを見ないって」
「なに?」
「嘘を吐くことに罪悪感を覚えるから、人の目を真っ直ぐに見られないんですって。ねえ、もう一度聞くけど、ジェムはわたしのお父様に脅されたことがあるのね?」
「なに言って――そんなことされてな――い」
熱い視線を注いでくるリリーに負けて、ジェムの目が逸れた。
「ほら、目を逸らした!」
「逸らしてなんか――」思わず泳ぐ目。「――ああ、くそっ」とジェムは悪態をつき、ぎゅっと目を閉じ、手で覆った。
くくくくく、と店内に忍び笑いが響き渡った。忍び笑いのくせに、全然忍べてないこの笑い声の正体は、おそらく、店の主人だろう。
ぎろ、とパットを睨みながら、ジェムは脱線した話を無理矢理戻した。
「とにかく、炊き出しは3日後の10時からだから。当日、9時にきみを迎えに行く」
リリーは真実を有耶無耶にされて、むっとしたが、素直に「分かりました」と頷いた。




