09
ジェムがなにやら考え始めたのに気付いたグレアムは、注意が自分から逸れているのを利用しようと詰問を再開した。
「んで、その『予告』についてだが――カトリーヌから色々聞いたよ。お前、あれが自分の計略だと言ったのか?」
「ル・ロワ警部がそう言ったの?」
焦点の合わない目でジェムは言った。一方で、グレアムは一切ぶれることのない視線をジェムに注ぎ続けている。
「お前のことを怪しんでいたぞ」
「そっか。警察に嘘を吐くもんじゃないね」
「実際には、カトリーヌはお前が『協力的なわりには、予告についてだけ詳しく語ろうとしなかった』と言ってたんだがな」
グレアムの告白にジェムははっとして、ようやく義父と視線を交わした。グレアムは、にやり、と片側の口角を上げた。
「いつも言ってるだろ、相手の目をちゃんと見て話せって。お前、別のこと考えてただろ」
反論できず、ジェムは苦虫を噛み潰したような顔をした。ふっ、と忍び笑いをして、グレアムは気持ちを切り替えた。
……子どもの頃と変わらない息子の表情を見ると、どうしても顔がにやけてしまう。
「――で? なんでカトリーヌにそう思わせたかったんだ? うちの会社の印象を改めたいんなら、そんな囮作戦なんか、逆効果だろ」
あのときの行動について全て説明するのは、自分の頭の出来を曝け出すようで恥ずかしいが、アラン・グレアムの前で誤魔化すのも嘘を吐くのも、得策ではない。ジェムは躊躇いながらも正直に話すことにした。
「……事を荒立てたくなかったんだ」
「そりゃ、どういう意味だ?」
「警察にまで、スミシー探偵社と"かの組織"との確執を知られたくなかったんだ。猫の予言が本当かどうかは別として、妖精闘争がこれ以上規模を大きくするのは避けたい。そう思ったんだ」
ふうん、と唸って、グレアムはジェムの回答を飲み込んだ。
「"奴ら"との戦いに警察まで介入するようになれば、預言通り、国を巻き込みかねないからか?」
「……うん」
「それは、俺の真似か?」
ぐっ、とジェムの手に力が入る。グレアムはジェムの姿を慎重に観察しながら、淡々と話す。
「なんでも自分ごとのように考えて行動するのは結構だがな、自分ひとりが全部背負えば済むって話じゃないんだぞ」
「わかってる」
「まさか、俺の教えたことをなんでも鵜呑みにしているわけじゃないよな?」
「そんなことないよ」
ジェムから抑揚のない声が返ってくる。そのとき、一瞬だが目線が斜めに動くのを、グレアムは見逃さなかった。
「図星か」
指摘されるも、ジェムは特別嫌な顔もしなかった。ばれると分かって吐いた嘘だった。スラム由来のプライドの高さゆえに、こればかりは恥を忍んで肯定することができなかったのだ。
グレアムは複雑な気分で溜め息を吐いた。
「なあ、ジェム。何度も言ってると思うが、俺のやり方がお前にとっても正しいとは限らないんだぜ。ただ、この仕事についてなんにも知識がないってのも辛いだろうから、参考にと教えてやってただけなんだ。数学の公式とは違う」
「そうだけど、ぼくは父さんのやり方しか知らないから、父さんを真似ながら自分のやり方を見つけるしかないんだよ」
ふむ、とグレアムは左手で顎を撫で、人差し指で口髭をさわさわと触った。
思い返せば、ジェムはスミシー探偵社に入社したての頃から、ひとりで依頼を請け負っていた。新入社員の誰しもが彼と同様に仕事を任されるわけではない。ジェムの場合、グレアムのワトソン役として入社前から探偵事業に携わっていたので、教育係を付ける必要がなかったのだ。
自分のせいで、ジェムの視野を狭めてしまったのかもしれない。グレアムは心の内で、若き日の自分を責めた。
「――そうか。確かにそうだな。お前の言う通りだ」
「うん?」
何度も頷きながらジェムの言葉を噛み締めるグレアムに、ジェムはぽかん、と魚のように口を開けて、目を瞬かせた。
グレアムはソファに座ったまま前のめりになって、熱弁を振るった。
「今の会社のやり方じゃあ、みんな誰かの物真似にしかならない。大抵の奴がひとりの人間からしか仕事を学んでないのに、そこから各自で主体性を育てろなんて言われても無茶な話だ。たまには社員同士で学ぶ機会も必要だろう――ああ、そうだ」
にや、とグレアムは悪戯小僧のような笑みを浮かべる。
「次の依頼からはふたりで担当してもらおうか」
「だったらもう、してるけど」
「他の探偵と、だ。ワトソン役は数に入らない」
いや、でも、とジェムは食い下がった。
「うちは年中人手不足だろ? それに、ぼくはひとりでやった方が効率が、」
「効率? 効率を優先するのか? じゃあ、さっきまでの話はなんだったんだ、その場しのぎの言い訳か?」
いや、本音である。しかし、それがこのような改革をもたらすとは予想していなかった。
……口は災いの元とは、よく言ったものだ。
ジェムは面倒だと思いながらも、まあいいか、と肩の力を抜いた。
「……要は、社員教育をすべきだって言うんだろ。父さんがそうするべきだと思うなら、そうしなよ。効率がどうっていうより、新しいことをするのはちょっと気が引けるって思っただけで、どうせぼくは父さんの決定に従うんだから、大したことじゃない」
「決まりだな」
グレアムは嬉しそうに目を三日月形に歪めた。そんな彼の様子を、ジェムは奇妙な感情を抱えながら眺めていた。
……自分の意見を尊重してくれていると喜べばいいのか、口車に乗せられたと悔しがればいいのか、それとも……。まだ、この人との関係がどうあれば正解なのか分からない。父親って存在と、どう接するのが普通なんだ?
だが、考えたって仕方がない、とジェムは瞼を閉じた。自分が心地よいと思う関係を、これからも続けていくだけだ、と。
「父さん」
「ん?」
ソファの背凭れに身体を預け、寛ぎ始めていたグレアムは、ジェムの呼び掛けに視線を上げた。
「調べたいことがあるんだけど、」
「――誰が最初にダンボール町の異変に気付いたか、か?」
気怠そうな目のようで真剣なグレアムの眼差しに、ジェムはほっとした。
この目の父さんと話しているときが、一番居心地がいい。
ジェムは、確認するように訊ねるグレアムに、うん、と頷き、「――それと、」と続けた。
「誰がダンボール町の異変を知らせに来たか」
真剣な眼差しのまま、グレアムはソファに上半身を沈め、膝の上で手を組み、足を組んだ。
「それも"奴ら"の計画のうちだと思うか? 単純に、ダンボール町の住人が助けを呼びに来たのかもしれないだろ」
「『なんにせよ、調べるに越したことはない。』忘れてないよ、父さんの教え」
すると、グレアムは口をへの字に曲げた。
「……それは、その通りなんだがな。息子が素直に親の言うこと聞いてるとか、なんていうか、気持ち悪いな」
「なんでだよ。良い息子だろ」
「俺はな、俺の分身が欲しいわけじゃねえんだよ。従順な奴隷になるのが親孝行ってんなら、くそ喰らえだ。反抗こそすれ、敵対はしないぐらいの距離感が、ちょうどいい」
「……変なの」
言いつつ、そんなものか、とジェムは思った。親子という概念について、自分は些か難しく考え過ぎていたのかもしれない、と。
「――まあ、いいだろう」とグレアムは組んでいた足を元に戻し、身体を起き上がらせた。
「総務部が記録を作成するのに追加調査を行っているはずだから、そっちに行って、話を聞くなり調査に携わるなりさせてもらえ。俺から口添えしといてやるから」
「ありがとう、アラン」
「"アンヘル"だ」グレアムは語気を強めて言った。「お前たちの前では"アラン"にならないように努力している。それが社長との約束でね」
「"アンヘル"にしては、やけに仕事熱心だね? いつもは、他人をどうやって顎で使おうかとしか考えてないような怠け者なのに」
「おいおい、そこまで酷くはないぞ。――まあ、なんというかさ、最近、お前のこととなると、ついつい熱が入るみたいなんだよな。俺も歳なんだろ」
「それ、本当に最近の話?」
「なんだよ。お前は俺からなにを聞きたいんだ?」
ふい、とジェムはグレアムから視線を外した。
「別に。じゃあ、今度から名前を呼ぶときは、いつも"アンヘル"でいいの?」
これは、とグレアムはジェムの様子を観察した。ジェムは嘘が下手だ。だが、隠し事は得意だった。彼がなにかを隠していることは分かっても、それを暴くことは難しかった。なぜならジェムは、その秘密を自分の胸にいつまでもしまっておける人間だったからだ。
「ああ。是非、そうしてくれ」
グレアムは、ジェムの問い掛けに答えながら、改めて決意した。この可愛くも生意気な息子を守るためにも、いずれは彼がひた隠す秘密をも明らかにしなければ、と。
じゃあもう行くね、とジェムはソファから立ち上がり、それにグレアムは、ああ、と応じた。ジェムが支部長室から出ていき、グレアムは自分の書斎机に戻って、再び報告書に目を落とした。
マデリン・E・ラーキンズ。
グレアムは、先に誘拐されたという女性の名前を、とんとん、と人差し指で叩きながら、ぼんやり眺めた。