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ダンボール町とは、路上生活者――路上に限らず、定まった住居や職を持たない人々――が、雨や寒さを凌ぐためにダンボール等で簡易的な家を作り、それらが連なって町のようになった、哀しき不法占拠地のことである。もちろん、住所として登録されることも、地図に書かれることもない。そしてこれは、動く町なのだ。
この国、エルヴェシア共和国の主要都市であるブランポリス市には、タンブルウィードという名の有名なスラム街がある。ここにダンボール町があるかというと、その答えはイエスであり、ノーだ。一口にスラム街といっても、極貧層が住み暗黒街であるからスラム街と呼ばれるわけではない。ときに、人種差別や文化摩擦が原因で、国民の多くを占める文化圏の人々が、彼らの基準を満たしていない地域をスラム街と呼ぶことがある。タンブルウィードは、その一例だ(とはいえ、低賃金層の住民が多かったり、時折ギャング抗争が勃発したりすることがない……とも言えないのだが)。つまるところ、ダンボール町はタンブルウィードにも時々現れるし、突然消えてしまうこともある、というわけである。
今日、このダンボール町は、タンブルウィードの盛り場からさほど遠くない高架橋下の一角に建設されていた。彼らがここに移動してきたのには、わけがあった。このときばかりは、ギャングたちが決して抗争を起こさず(または休戦し)、そして、誰もが温かい食事にありつける日――エルヴェシア全国で活動する社交兼奉仕クラブ"蹄鉄会"が催す、炊き出しの日である。
そのダンボール町の傍に、早朝、1台の車が停まった。ベゴニアの花のような、オレンジ色の商用バンだ。
バンに乗っていたのは、同じポロシャツに同じサマーニットを着た5人ほどの男女と、ビーチファッションのような装いの、小豆色の髪の女性だった。彼らはバンから降りると、白地に赤十字を模した箱を手に、ずらりと横に整列した。一方で小豆色の髪の女性は、逆さまに置いたボトルコンテナをテーブル代わりに囲う、ダンボール町の住民の前に立ち、にこやかに彼らに話しかけた。
「こんにちは、あたしはミア。あなたの友だちよ。今日は、みんなの健康状態を診にきたの――楽しい食事会の前に、ね。頭痛、腹痛、肩凝り、手の痺れや膝の痛み、なんでもいいわ。鬱々とした気分がいつまでも晴れなくて、仕事を探す気も起こらなくて困ってるとか、そんな心の悩みでもいいの。あたしたちはみんなの助けになりたいの。あなたたちは明日のあたしたちかもしれないし、あたしたちは未来のあなたたちかもしれないから。つまりね、困ったときは、お互い様よ。だから、どんどん話して頂戴。ね?」
ミアは、白磁器のような白い肌にアイスブルーの瞳を持ち、唇はぽってりとしていて、目鼻立ちがはっきりとした派手な顔の、豊麗で艶っぽい女性だった。ミアの美貌にぽうっと見蕩れていた者たちは、彼女に誘導されるがまま、この団体の診察を受けた。その他の者たちも、得体の知れない薬を飲まされたり注射をされたりするわけでないなら、と団体を受け入れた。
救急箱を持った5人組はそれぞれにダンボール町の住民の許へ赴き、膝をついて、問診と触診を行った。ミアは、それをダンボール町の入り口から、うっすら笑みを浮かべながら眺めていた。やがて5人組のうちのひとりがミアのところへやってきて、彼女の耳になにやら耳打ちした。それを聞いたミアは、わざとらしく目を見開いた。
「あら、ほんと? 案内して」
そうしてミアが案内されたのは、ダンボール町の『家』のひとつだった。そこには朽葉色のくせっ毛のある髪にブラウンの瞳を持つ、目つきの鋭い女性が住んでいた。
ミアは、女性の姿をまじまじと見つめながら、にんまりと微笑んだ。