月光の弓と黒髪の噂
ザルガの住む街の夜は、王都とは違い落ち着いた灯りに包まれていた。
石畳の道を通る人々の足音と、酒場から漏れる笑い声が静かな街角に響く。
「ふぅ……今日も疲れたな」
武闘会開催まであと二ヶ月。
今日はザルガと一日中、武闘会に向けた鍛錬をしていた。
……ザルガさん。……お仕事は?
シュウはザルガと共に、街外れの小さな酒場の一角に座っていた。
木製のテーブルには肉と野菜の串焼き、泡立つエールのジョッキ。
日没後の酒場は常連たちの憩いの場で、今日も戦士や鍛冶職人たちが笑い声を上げている。
「シュウ殿、こうして酒を飲むのも、武闘会までの貴重な休息だぞ」
ザルガは大きなグラスを掲げ、虎の目を細めて笑う。
「……いや、休息も何も今日は一日中鍛錬してたでしょうに。まあ、確かに。酒を飲むのも息抜きになりますね笑」
仕事終わりに居酒屋で一杯。みたいな感覚はわかる。
ザルガさんや……アナタのお仕事は?
そんな軽口を交わしていると、
酒場の扉が静かに開いた。
暖かな灯りの中、すらりとした影が立っている。
銀の髪が揺れ、翡翠色の瞳が光を宿す。
その姿はまるで――月明かりが人の形を取ったかのようだった。
一瞬、酒場の喧騒が静まり返る。
「……ここがガルファナの街か。情報を集めるには丁度いい」
ザルガが眉をひそめる。「……お主、エルフか?」
エルフは軽く会釈し、柔らかな声で答えた。
「ええ、エルドラドから来ました。武闘会の件で、情報収集と修行のために立ち寄ったのです」
「エルフさん……ですか?武闘会、参加するんですか?」
シュウは思わず声を上げた。
初めて見るエルフ――しかも美人。
すげー綺麗!やべーー!
内心の動揺を、なんとか表に出さないよう必死に努める。
「はい。ガルファナでの武闘会は、我々にとっても力を試す貴重な機会です」
……この世界の住人は大丈夫なのだろうか。
僕が聞いている武闘会は、デスマッチですぞ?
命懸けですぞ?
力試しで命懸けって、身体はりすぎでしょうに!!
ザルガは興味深げにグラスを置き、シュウの肩を叩く。
「ほう、面白い。では酒の席で少し情報交換と腕試し、というわけか」
リシェルは微笑む。
「はい、でももちろんお手柔らかに。ここはまだ街ですし」
……え?酒の席で腕試しって何?
ここは飲食をする場所ですよ!!?
「やめなさい!そーゆーのは武闘会でお願いします!」
僕は御二方脳筋に頭を下げてお願いした。
リシェルはこちらを見て、首を傾げた。
「人族?……なぜここに? 黒髪?」
どーやら、初見では気づかなかったらしい。
しかし、黒髪って言った?珍しいのか?
ザイードの奴らって髪何色だったっけ?
やはり人族はエルフさんにも嫌われているのかね。
よし――滅ぼそう。
やつあたりじゃぁぁぁあ。
「エルフの、こちらの御仁は強いぞ」
ザルガが獰猛に笑う。
「へぇ、人族のあなたがね。それより獣人と共にいるなんて珍しいわね」
リシェルは興味深そうにこちらを見た。
「エルドラドでは、人族が獣人の国にいるなど前代未聞ですよ」
「えぇ、まぁ……いろいろありまして」
僕は苦笑しながらグラスを手に取る。
事情説明は長くなる。
(というか、説明したら引かれそうだ……)
「私はリシェル。エルドラド王国の近衛弓士団に所属しています。
今回の武闘会、国の名を背負って出場します」
「おお、国の代表とは、また面白い相手が来たものだ!」
ザルガが上機嫌にグラスを掲げた。
「ですが、単なる力比べに興味があるわけではありません」
リシェルの瞳が、翡翠の光を帯びる。
「この大会には、“黒髪の戦士”が出るという噂を聞いたのです。
それが真実なら……確かめたい」
……黒髪の戦士?
あれ?……僕のことじゃないよね?
いや、でも黒髪って僕しかいなくない???
いや、黒髪なんて他種族にもきっといるよね!……きっと!
「……あの、リシェルさん?その黒髪の戦士とはどーいったお方なのでしょうか?」
「数ヶ月前、砂の国ザイードが壊滅したことはご存知でしょう?
ザイードを壊滅させたのが“黒髪の戦士”――“黒髪の災厄”として各国に情報が送られました。
賞金も懸けられています。王宮を壊滅させ、宝を奪った盗賊だとか。
……黒虎の獣人と共にいたとも聞きます。偶然でしょうか?あなた方も黒髪と黒虎ですね」
リシェルの瞳が怪しく光った。
「そ、そんなことに……! へ、へぇ〜、物騒な世の中ですね!
ただその二人だけで国を壊滅なんて、できるわけがないと思いますけどね!!」
冷や汗がとまらん……!!
賞金?通達?
それ、完全に指名手配犯じゃないか!!
「ふふ……勿論、私も半信半疑です」
リシェルは軽くグラスを傾ける。
「ですが、最近の報告では――
ザイード軍がこのガルファナに侵攻し、再び“黒髪の戦士”に壊滅させられたそうです」
酒場の空気が、静まり返る。
「黒髪の戦士と黒虎の獣人。そしてガルファナ。……できすぎています。
我が国エルドラドは、“黒髪の戦士”がこの地に潜伏していると見ています。
もしそれが真実なら――警戒に値する存在です」
「…………」
いや、わかりやすすぎる説明ありがとうございます。
ええ、はい、犯人は僕ですね。間違いありません。
心の中で泣きながらエールをあおる。
ザルガが笑いながら僕を見る。
「シュウ殿、心当たりでもあるのか?」
「え!?い、いやぁ〜ないですよ!?全然!!」
動揺してグラスを落としかけた。
リシェルはそんな僕の反応を見て、意味ありげに微笑む。
「……ふふ。
もしあなたが“その黒髪の戦士”なら、私が見極めます。
――武闘会の場で、ね」
夜風が窓から吹き込み、酒場の灯がわずかに揺れる。
武闘会まで、残り二ヶ月。
嵐の前の静けさは、確かに始まっていた。




