壊れたエアコンとアイスで体を壊した阿保
夜勤からの帰り道、私はとあるコンビ二へ寄ると決めている。
そこは東京某区の駅前、いわゆる一等地と呼ばれる場所である。
あえて店名は伏せるが、価格とカロリーが割高な商品ばかりを陳列させる病気を店主が患っており「世間が言う不景気とは眉唾物だ」と強気に選び抜かれた商品のラインナップが無秩序に棚へと並んでいた。
そのどれもが「我こそは庶民とダイエットの敵である」と言わんげな気風を漂わせており、それで美味ければまだ納得もいくが、決してそうでないのだから最早何がしたいのかわらからない。
そんな店へ私が仕事帰りに立ち寄る理由は晩酌の買い出しである。
夜勤という退社時間の関係上、私が立ち寄るコンビニは出勤前の辛気臭いサラリーマンが通い詰める草臥れた労働者のメッカと化していて、普段ならそんな不景気な連中と顔を合わせるのは御免被りたいところではあるのだが、今回に限っては彼等と鉢合わせるのが目的であった。
店内の客層が眠たそうな面をこすりながらコーヒーを求める者や、無言でオニギリやサンドイッチを選ぶ表情の死んだサラリーマン達によって占められていると最高に気分が良い。
なぜなら出勤前に彼等が見せる悲壮な姿は、私にとって都合のいい酒の肴となるからだ。
そんな連中の前で容赦なく手に下げた籠の中へガコンッガコンッと缶ビールを放り込む私は日本のサラリーマン共通の敵である。
これでもかとカゴ一杯にツマミや酒を放り込む私は、コンビニの経営戦略と言う手の平の上で転がせられまくっている1匹の阿保であった。
しかし単純に商品ではなくサラリーマンの嫉妬や羨望を金で買ったのだと思えば、例えコンビニの思う壺、都合の良い客であったとしてもさほど悪い気はしない。むしろこれは有意義な金の使い方ではないだろうか。
そんな性格の悪い買い物を楽しみとして欠かさず行っていた私に、神は散財とは別の天罰を用意していた。
不幸にもその日はテレビのお天気キャスターが朝っぱらから「熱中症に注意しろ」と警鐘を鳴らす真夏日であった。
本当ならばエアコンの効いた部屋で「ああ、昼間に働いている連中は大変だなぁ」と彼等の苦労を肴に、買ってきた缶ビールで一杯やってるはずであったが、その日に限って私の目論見は破局を迎えた。
大量の買い物袋を携えて骨董アパートへ帰宅した私に待ち構えていたのは、壊れて熱風を吐きだしていたエアコンであった。
「え……嘘、暑っ!?」
帰宅に合せてエアコンのタイマーをセットしていた私にとって、蒸し風呂のような部屋への帰宅はありえない出来事である。
もしかしたらタイマーのセットを忘れていたのだろうか。
あるいは手違いで冷房ではなく暖房を入れてしまったのではないか?
壁の薄いこのアパートの事だ、まかり間違って隣の部屋のリモコンから発せられた信号を誤探知し、エアコンが止まった可能性だって考えられなくはない。
……そんな事は普通の物件では絶対にあってはいけないことだが。
部屋についた私は急いでテーブルの上に置かれたエアコンのリモコンを手にした。
そこに紛れもなく表示された冷房との2文字に、私は一瞬頭の中が真っ白になった。
手狭な六畳間にもそこはかとなく嫌な空気が漂い出し、エアコンへと視線を投げればゆっくりと動くエアコンの羽が確認出来た。
リモコンを操作して見た所、いつ取り替えたのか記憶にないほど昔に買った単三電池も無事である。
しかしエアコンだけは1度電源を落としても、私の部屋を冷やそうとはせず静観を決めていた。
ほぼ毎日動いているパソコンですら文句の1つも言わず、再起動すれば大抵のトラブルを解決してくれると言うのに。
よりにもよって真夏日にストライキを起こすとは何事か。
ユダですら真っ青な裏切りに私は世界から見捨てられた気分である。
たらりと頬を伝った汗は、冷や汗なのか部屋の熱気が呼んだ別の汁なのかの判断などつかない。
ただ時間と共に部屋の気温はぐんぐんと上がる事だけは確実で、この中で寝ないといけない私はもう晩酌どころの気分ではないのであった。
さっきまでの至福は一転し、冷房の効いた部屋で仕事をするサラリーマンが羨ましく思え「なんで私だけがこんな目に遭うんだ」と我が家のお荷物と化したエアコンを怨んだ。
そこから私の地獄のような我慢大会が始まった。
聡明な読者諸君等であれば考えられないだろうが、暑さで頭が阿保になっていた私はいつも通り我慢が気高い行為のように思える錯覚へ心が囚われていた。いつもの病気である。
こんな中で眠れるわけがない。それでも眠らなくてはいけない私は、なんとか体温を下げる方法を模索した。その結果思い浮かんだのは『アイス』の涼し気な3文字である。
「他に方法はない」
こうして私は更なる出費を重ねるのである。
急いでコンビニへこむら返りした私は、そこで今度は夏休みの小学生の前で片っ端からアイスをカゴへ放り込む性格の悪い大人の大人買いを見せつけてやり、財布を部屋に忘れてくると言う三度の天罰に見舞われた。
性格の悪い客としてすでにコンビニの定員とは顔馴染みであったのが幸いし、商品を預かってもらって急いで部屋まで財布を取りに行ったが、この部屋とコンビニを往復するロスタイムが致命打となったのか購入したアイスは無惨にも溶け始め、尽く取っ手の棒が引き抜けると言う悲劇に見舞われた。
私は急いでアイスを食べ始めた。
生まれて初めてのアイス早食いである。
アイスを食べ勧めるにつれ、私の体温は確実に下がっていった。
眠れるぐらいに体の熱を冷ました時、私は「東京の夏も大したことないな」と勝利を確信し、体が熱くなる前に急いで寝た。
それでも寝てる内に私の身体は暑くなり、どんな夢の途中でも構わず目を覚ますので、その度に胃の中へガンガンとアイスを叩きこんでやった。幸いにも私は眠気をキープしながら冷たい物を食べる才能の持ち主であったらしく、アイスで体を冷たくし微睡の中へ戻る事も難しくはなかった。
そんな生活を3日ほど繰り返していた時である。
なんだか胃の辺りが四六時中冷えている妙な感覚と共に、謎の体調不良が私の身に振りかかっていた。
「まさかコレが噂に聞く夏バテだろうか」そう訝しむ私の体重は、アイスの食べ過ぎで増加しており、痩せ我慢をしていたのに夏バテで太ると言う意味のわからない、やるせなさだけは青天井の状態へ陥っていた。
暑さで眠りから覚める度に暑気払いで寒くなるまで大量のアイスを食べ続けてきたのだから、こうなるのも当然と言えば当然であるが、それにしてもあんまりである。
冷涼を求めたせいで身に着けた脂肪と言う名の上着を重ねた私は、あまりのショックからたった3日で暑さに負けて音を挙げた。
私のSOSを受け取った業者は、まさかこの真夏をエアコンも扇風機もなくアイスだけで乗り切ろうとする阿保が都内に潜んでいるとは思わなかったらしく、私の生活を聞いて仰天した。
「とにかく早く直してください」
私が言うと業者は「ほっといたらこの阿保は本当に死ぬ」とでも思ったのか、とても協力的であった。
おかげですぐにエアコンは直った。経年劣化を理由に新しく取り換えて貰えたのだ。
部屋にエアコンが戻った時はとても嬉しく、またアイスから解放された喜びは筆舌にし難いものがあり、嬉しさのあまり涙が出そうになるほどだった。
水不足で悩む民族の村に新しく井戸が掘られたぐらいの感動は間違いなくあっただろう。
少なくとも『この夏、東京でもっともしょうもない理由の感動』であったのだが、私にとって死活問題である以上、込み上げる幸福感はひとしおである。
ただ同時に私の3日に及ぶ我慢は何だったのかと虚しさを運ぶ呼び水にもなっていた。
そして悲しい事に私の夜勤はそれからすぐに終わり、あっという間に夏も終わった。