骨董アパートと呪いの市松人形・後編
この話は前回の続きになります。
独立した話ではありますが、前編を見るとより理解が深まります。
我が骨董アパートは他人に迷惑をかけながら、自分はのうのうと平穏を貪る某国の独裁者みたいな隣人が暮らしていた。
『酔っ払って暴れる』『ゴミの分別をしない』『夜中に騒ぐ』は当たり前。
私が知る限りでは賃貸の壁に釘を打った唯一の人物であり、これだけの迷惑行為を繰り返しておきながらまるで反省の色が見られない素行の悪さは、紛うことなき全国で活動する大家の敵である。
もし仮に近所の神社で写真と藁人形のセット販売を始めたら、我がアパートの住民達は喜び勇んんで五寸釘を打ち付けに参拝客を装い列へと並ぶであろう。
お百度参り代わりに、日頃の運動不足の解消に、会社で溜まった憂さ晴らしに、様々な理由で毎夜毎夜とリピーターが現れたっておかしくはない。
しかし現実にそんなサービスを始めてしまえば、神社の杉林が打ち付けられた五寸釘でサボテンみたいなシルエットへ生まれ変わるのも時間の問題であった。
丑の刻は我がアパート住民達の憩いの時となり、神社は心霊スポットへ成り下がるだろう。
現実は、決してそうはならなかった。
そうはならないからこそ、私の目の下のクマが日に日に濃くなっていったのである。
平日における私の平均睡眠時間が5時間を切った頃、全住民共通の願いを無碍にも踏みにじる形で、隣人は最愛の彼女を骨董アパートへ連れ込むという前代未聞の暴挙に出た。
この女の顔を私はついぞ見る事はなかったが、彼女が救急車のサイレンみたいに遠くからでも耳へ届く声を持つ騒音テロリストである事は調べなくともすぐにわかった。なんせ隣から全ての情報が駄々漏れである。
女は口を縛られて殺された前世の記憶でも持っているのか、マグロみたいに口を閉じると死んでしまう生き物なのかは知らないが、寝てる時と飯を食べている時以外は絶えず喋り続ける怪鳥のような女であった。
そんな隣人とのトラブルで強く記憶に残っている事件を今回は語ろうと思う。
私が「明日も朝が早いから」と早々に床へ就こうとした、まさにその瞬間に起きた悲劇であった。
始まりはいつもの騒音かと思った。しかしこの時に限って隣の部屋には2匹の若き阿呆がいた。
なにを血迷ったのか、壁なんてあってないようなアパートにも関わらず2匹の阿呆は愛を育み始めたのである。
突然流れてきた生々しい声に私は耳を疑った。だが内容が女のあられもない嬌声であるだけに、聞き間違いなどあるはずもなかった。
私に聞く耳を立てる気がさらさらなくとも、勝手に向こうから音が飛び込んでくるのである。否が応でも聞こえてきてしまうのだ。
常日頃からロフトで寝起きしていた私は、暗闇の中で絶望した。
隣の部屋ではロフトを主戦場に選び行為へ及んでいるらしく、女が口から漏らす音と連動して何故か壁を隔てて隣にあるはずの私のロフトまでギシギシと揺れ出した。
それは最新の映画館のようですらあった。音と同時に座席が動いたりすると噂で聞いた事があるのだが、この時のロフトはまさにそれと同じである。
臨場感とでも言うのだろうか、その場に居合わせている感覚、同じ時を生きている感が半端ではなかった。
隣人の起こす揺れはギシィ……ギシィ……と、なにやら建築物の寿命をすり減らしている不穏な気配を音へ乗せて響かせていた。
アパートの老朽具合を考えれば、倒壊もあり得ぬ話でないところが実に恐ろしくある。
この賃貸が骨董と呼ばれる所以は、昔から散々使い古された「家が崩れる!」という冗談ですら、男女の情熱を支えきれずに実現しかねないところにある。
そして私の危惧とはお構いなしに、連中の行為は時間と共にエスカレートしていくのだ!
「これは流石にどうにかせんといかん」
だが女を連れた男ほど傲慢で手に負えない生き物もいないのである。
直接部屋へと乗り込み暴力沙汰を起こす輩が極貧アパートには必ずなぜか一定数暮らしているので、おいそれと壁を叩いたり、文句を口にしたり、そのような直接的な干渉も躊躇われる。
では、どうするべきか?
考えていたその時、私の頭の中へ浮かんだのは意外にも1週間前に押し付けた呪いの市松人形であった。
「この手があったか!」
閃いた私はアパートの平和を守る為、ロフトの梯子を急いで降りた。
時に私はなんの役に立つかわからない物を衝動買いする悪癖があった。
通販のサイトを眺める私の目には、奇妙なものほど魅力的に映り、無駄な物に限って財布の紐を緩ませる魔力を秘めていた。
事態を打開すべく私が物置から引っ張り出して来たのは、そんな衝動買いによって手に入れた木魚である。
この木魚がまさかこんな形で役に立つ日がくるとは……。
『人生に無駄なものなどない』とはまったく言い得て妙な格言である。
「今に見ておれよ」と私は木魚の下へ枕を布いて、姿勢を正し準備を整えた。
「しめしめ」と言った気分であった。
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時……」
お経を唱えてまもなく、私の予想を上回る効果がテキメンに隣室へもたらされていた。
隣の部屋からは「何かお経聞えない?」と声がした。
狼狽える女の反応は面白く、笑いを堪えようとするあまり木魚のリズムが狂い、詠んでいたお経も震えが混ざって上手く口が回らなくなった。
「いかん、いかん」と深呼吸して落ち着こうとしたが、笑いを堪えているせいで息を吸おうとすると口から「ヒュイヒュイ」と今まで聞いた事のない音が鳴るのが聞こえた。
それが余計にオカシクて、堪えれば堪えるほどお経は乱れていった。やはり私では修行不足なのだろう。
そんな風に私が隣へ嫌がらせをしていると、下から部屋のドアが荒々しく叩かれる音が聞こえた。
案の定ドアの前に怒り心頭なご様子の隣人が立っていた。
「なにお経詠んでんだよ!!! 舐めてんのか?」
ドアを開けた開口一番に彼は私へ怒声を浴びせるのであった。
私は少しカチンとなり、そこで彼を少し脅かしてやる事にしたのである。
もともと私は隣人が部屋に殴りこもうものなら「ロフトに半透明の人形が現れた」と言って脅してやるつもりではあった。
「すーっと、そっちの壁へすり抜けて行った」「だからお経を唱えたのだ」そういう筋書きである。
私の作り話を聞いていた隣人は、さっきまでの勢いもすっかり忘れて「人形……」と静かに漏らし、すぐに「ウソつくな」と強がるように言い返すのが精々である。
頃合いを見て、私はトドメをさす事にした。
「ウソじゃないです、オカッパの頭をした赤い着物を着た女の子の人形でした」
この時の隣人はさぞ恐ろしかったであろう。
夜中に木魚を叩きながらお経を詠み始めた隣人が、1週間前にポストへ捻じ込まれていた市松人形の姿を言い当てたのだ。
まさか人形を捻じ込んだ張本人が目の前にいて、しかも全ての元凶だとは思うまい。
「なんにせよ、お祓い受けてすぐ引っ越すのをお勧めします」
隣人はすっかり私のデタラメを信じてしまい、それからしばらくして本当に彼は引っ越していった。
そのため、その後の彼がどうなったかは私も知らない。
ただ私の方にこれといって変な事も起こらなかったので多分大丈夫であろう。
ちなみに私が買った木魚は、とある事情で呪われて死にかけている後輩がいたのであげた。
その話もいずれしたいと考えている。
次回は本文に書かれている『呪われて死にかけてる後輩』の話ではありません。
件のエピソードはそのうち公開しますので、気長に待ってもらえると助かります。