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インフルエンザと健康な老人

 人生初のインフルエンザに感染したのは20歳の頃であった。


 それまでの私は「インフルエンザなんて少しキツイぐらいの風邪だろう」と甘く見ていて、私の周りの人間が1人、また1人とウィルスの脅威によって自宅療養を余儀なくされる現実を面白がるド畜生であった。


 感染するまでは謎の自信があった。

 朝になると「今日から○○さんはお休みです」とか「〇〇君がインフルエンザになりました」とか新しいニュースが飛び込んでくる。


 毎朝の速報を聞きながら「うひょー、ホラー映画みてェだ!」と台風を喜ぶ子供みたいにハシャギ、そして自分以外の全ての人間がインフルエンザで全滅する展開を密かに期待していた。


 こうなると毎朝流れる不幸も、ちょっとしたエンターテイメントである。

私は「次の犠牲者は誰だろうな」と不謹慎ながらも楽しんでいたのであった。


 しかし次の犠牲者は私であった。

 天罰が下ったのは虚弱(きょじゃく)体質の軟弱者(なんじゃくもの)達をインフルエンザウィルスがあらかた席巻(せっけん)し終えて間もなくの頃である。



 Xデーは唐突にやってきた。

 感染経路は特定できないが、前日に夜中の2時まで酒を煽っていた私の目覚めは最悪である。

 二日酔いとも違う妙な体の気怠さは、目が覚めたばかりの私ですら『インフルエンザ』に違いないと直感を得る程ハッキリとした症状が現れていた。


 謎の関節痛で節々が痛むのである。鼻水も出る。頭も重い。猛烈な寒気が体を襲い、アル中患者みたいに体が小刻みに震えて止まらない!


 なんだこれは!?


 このまま私は死ぬんじゃないだろうか。

 途端に不安な気持ちになっていくのは私が小心者だからである。

 記憶の中で蘇る「インフルエンザなんて少しキツイ風邪だ」と吹聴(ふちょう)していたバカ共を殺してやりたい気分にもなっていた。言ってた話と違うじゃないか! そう喚き散らしてやりたかったが、全身を襲う気怠さの前ではすべてが億劫である。


 体温を測った私は、自分の身体に常夏(とこなつ)が訪れているのを知った。

 体温計のデジタル表記は『39度』と示しており「安心しろ、お前はインフルエンザだ」そう無慈悲な太鼓判を押している。


 39度と言えば南極の氷が解けるどころの騒ぎではない。

 外で鳴いている蝉さえも暑さで死に、アスファルトで目玉焼きが作れるぐらいの高温だ。

 暑さで頭がバカになった人間が半裸で動き回る、そう言う温度である。

 ……にも関わらず私の身体は「寒い寒い」と訴えている。

 だが体の体温は明らかに高い。


 一先(ひとま)ず寒さをどうにかするのが先決だと思った私は、ミノムシのように毛布にくるまった。

 しかし全身に繁殖したウィルスをぶっ殺す為に、私の身体は「39度を絶対に下回るな」と迷惑なスローガンを掲げて体温を維持し続ける為、今度は高熱で意識が朦朧(もうろう)とし始めた。


「ヤバい、このままでは死ぬ」


 流石に生命の危機を感じた私は、痛む全身の関節に鞭を打ちながら医者までの長い旅路を始めたのである。


 そんな町医者までの道中は擦れ違う通行人すべてが敵に見えた。

 私がこれほど苦しんでいるのに「何をのうのうと社会生活を送っているのだコイツ等は」と咳でも吐きかけてウィルステロの1つでも見舞ってやりたい気分になったが、今の私にそんな余裕は残されていない。

 とにかく人混みが邪魔であり、目の前を動く壁が立ち塞いでいるような恐るべき幻覚が見えた。


 人混みの中をゾンビに噛まれた被害者のような足取りで進む私は、10分かからず到着出来る道のりに30分も要した。

 ようやくの思いで見つけた医院の看板に天竺(てんじく)を目指して旅を始めた三蔵法師(さんぞうほうし)のような達成感に包まれていたが、すこぶる悪い体調にすぐ気は引き締められた。現に到着したばかりの体調は、ボコボコに殴られまくった瀕死(ひんし)のボクサーと変わらないノックアウト寸前の状態であった。


 

 這うように受付まで辿り着くと、顔こそ妖怪の面構えであったが「よかったら横になりますか?」と天使のような軽やかなソプラノで身を案じてくれる女神が居た。

 この提案は、まさに地獄に仏、渡りに舟の申し出である。


 しかし私は遠慮した。なぜか我慢が気高い行為に思え、余計に心配をかけるのも躊躇(ためら)われたのでお断りしたのである。私ならこの難所を乗り越えられると、やはり謎の自信もあった。

 

 その時の待合室は数人の老人が居合わせているのみだったのも、勘違いを加速させる原因として大きかった。

 この調子なら五分もせずに自分の番が回ってくると、日頃ろくに医者へかかる事のなかった私は世の中の理不尽さを甘く見ていたのである。


 それからすぐに私は自分の見通しの甘さを恥じた。状況は一変した。

 次から次へと老人達がゾロゾロと現れ、あっという間に占拠された。

 待合室は東京で最も『あの世』に近い連中の集会所へ化したのだ。

 アンビリーバボーであった。しかし本当の奇跡体験はこの後に襲ってきた。

 どういうわけか明らか私より後にやってきた老人が、私よりも先に名前を呼ばれ診察を受けていくのである。その足取りは軽快そのもので、私よりも遥かに健康体に見える。


 隣の老人達は「○○さん最近見ないわねぇ、具合でも悪いのかしら」なんて巫山戯た雑談を広げている。


 何のために彼等は医者へ通っているのだ。

 

 さも自分達は具合が悪くないと言いたげな台詞には年長者の(おご)りのようなものすら感じられ、私は怒りの余り血圧が上がり再び眩暈に見舞われた。

 しかし私の名前は一向に呼ばれない。それでも病院の奥から看護師さんが現れる度に私は顔を上げ、藁にも縋る思いで彼女を見た。


「今度こそ私の番か?」

「もうそろそろ呼ばれてもいいだろう」

「流石にそろそろ呼ばれないとおかしいはずだ」

「まさか私の事を忘れているのではないだろうな?」


 ……等々と期待した私は年功序列(ねんこうじょれつ)金科玉条(きんかぎょくじょう)に掲げた医療方針にむべもなく裏切られ、今も体内に潜む病魔が「ニシシシシ」とほくそ笑むのを感じた。


 これはマズい!


 再三にわたる危機感がピークに達した私は、最終手段に打って出た。


 仮病である。


 実際にインフルエンザなのだから仮病ではないのだが、より深刻そうな素振りを見せつけ、のっぴきならない事態を察してもらおうと無駄な努力を始めたのだ。

 小賢しい私は少しでも自分の番が早く回ってくるようにソファーに座りながら死んだふりを始めたのである。


 ちなみに私は死んだふりに自信があった。

 これまで数々の嫌な事を何度となく後回しにし続けてきた私の死んだふりは、映画のエキストラでも通用すると自負している!


 そして私は必死に、だが無言で訴えを始めた。


 ……ほら、早く私の名前を呼べ。このままだと私は死ぬぞ、いいのか? 死ぬぞ? 本気だぞ?


 受付で事務作業に追われる看護師をチラチラ見ながら「ほら、早く、死ぬぞ?」と泣き脅しで我儘(わがまま)を押し通そうとする小学生みたいな真似をした。


 しかし私よりも先に老人の名前は呼ばれ続けている。こんな時でも老人のお迎えは早い!


 そして私は健康な老人達の背中を見送る虚しさこそ、体内のウィルスを増殖させる効果があると確信を得た。現に体調がどんどん悪くなっている。余命の短そうな連中に囲まれながら、死んだ振りなんかしてるのだから当然と言えば当然である。


 時間と共に、なんだか三途の川に並んでいるような気分になりつつあった。

 死んだ振りは時間と共に振りではなくなりつつあった。


 私の名前が呼ばれたのは、そこからさらに1時間後の事で、

 私はこの国の老人が多すぎる問題を肌で感じる有意義な時間を嫌々過ごしたのだった。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 悪態つきまくりで笑っちゃいました。 >顔こそ妖怪の面構えであったが「よかったら横になりますか?」と天使のような軽やかなソプラノで身を案じてくれる女神が居た。 最低すぎる(笑) [一言]…
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