怪我人と怪人
小学生時代の私は生まれながらのカナヅチで、逆恨みは得意であったが逆上がりは1度も出来ず、縄を飛ばせりゃ弱音を上げて逃げ帰るスーパー小学生だった。スーパー運動が出来ない小学生であった。
縄を飛ぶのが下手な私は足も鈍足、球技をやらせれば即戦力外通告を叩きつけられ、体育のマット運動と跳び箱は授業そのものが公開処刑、新手の精神的拷問ぐらいにしか私は考えていなかった。
そんな私が自転車に乗れるようになるまで、それはもう大変な苦労を要した。
今でこそ信じられないが、私が小学生だった時代は車のシートベルトすら任意である。
ヘルメットを被って自転車に乗る人を1度も見た事がなかったし、2人乗りすら薄らと黙認されていた。
安全への配慮が根底から現代の感覚とかけ離れているのだ。
それは「自転車は怪我をしながら乗り方を覚えるモノだ」と公然の事実の如く語られる因習にすら反映され、私の自転車の練習にも多大に負の影響を及ぼした。
私が練習していた場所は、犬が間抜け面でフリスビーを追いかけてる青々とした芝生の上ではない。
高校球児が泣きながら掻き集める、甲子園の土みたいな柔らかい公園の中でも断じてない。
すり減ってサメ肌みたいな地面になった、コンクリートで埋められた駐車場である。
こんな場所で練習すれば命懸けである。
転べば膝を擦りむくし、腕から青痣が消えた日はない。
小さな小石や砂粒が手の平に食い込みもするので、自転車で転んだ日の風呂は全身が滲みる地獄の呵責を受けながら身を清めなくてはならなかった。
加えて私の両親は保健所に虐待の勘違いをされないかと肝を冷やしたそうで、いよいよ本格的に誰も得をしない練習場であった。
そんな場所だったからこそ、両親は私に自転車の乗り方よりも上手な転び方を先に学ばせた。
私も死因自転車だけは絶対に避けたかったので、自転車の乗り方以上に真剣になった。
自分の運動神経と練習環境を思えば、受け身の習得はどう考えても必然ではある。
そんなわけで私はコンクリートの上に自分の身体を叩きつける気が触れたような練習を始めた。
近所の連中が何もない駐車場で転び続ける私を見て、その手の機関へ通報せず留まってくれたのは今にして思えば僥倖であろう。しかし受け身が上達したところで転倒の痛みが消えるわけではなし、必定私は明らかに全身がズタボロの状態になり、受け身を覚える前よりも自転車の練習が嫌いになった。
嫌いな乗り物を嫌々練習するのだから覚えも当然人より悪い。
それでも根が真面目であるがゆえに毎日欠かさず乗り続けた私は、気が付けば『自転車が壊れるのが先か、私が負傷して乗れなくなるのが先か』と言う町内一どうでもいいチキンレースを1人開催する運びとなっていた。
以上が私と自転車にまつわる昔話である。
まあ最終的に何とか自転車に乗れるようになったわけだし、自転車の練習に関しても私が特別運動音痴だった事を覗けば、この手の苦労は誰しもが通る道のはずである。別段そこまで取り上げる程の話ではない。
しかし、私にはもう1度同じ地獄がめぐってきたのである。
忘れもしない小5の夏の事だ。
ここから先は阿保の時間になる。
心して括目して頂きたい。
時に読者諸君は『トンカラトン』と呼ばれる謎の怪人をご存知だろうか?
トンカラトンは全身を包帯でグルグル巻きにした男で、背中には赤い鞘に仕舞われた日本刀を背負っている。
「トン、トン、トンカラトン、トトン、トン、トン」と響く軽快なリズムからは考えられぬバリトンの響きを持って歌いながら現れ「トンカラトンと呼べ!」そう脈略もなく謎の命令を下すのだ。
彼の言葉に従うなら良し、逆らえば背中の日本刀で切り捨てられ殺される。
ちなみに名前を呼べと言われた時以外に名前を呼んでも同様に殺される。
そして殺された少年は何故かミイラ男みたいに包帯でグルグル巻きにされ、新しいトンカラトンとして2度目の生を受けるのである。
そんなトンカラトンだが、この謎過ぎる化け物の存在を私は当時見ていた某アニメで知った。
怪人の癖に自転車に跨り歌いながら現れるので、「なんだコイツは!」と相当な衝撃が走ったのを覚えている。また私がそうであったように、この番組を見ていた当時の小学生達のハートをトンカラトンは公共の電話と言う最強の握力で鷲掴みにしていた。
トンカラトンの話はほどなくして学校で広まった。
自転車に乗りながらトンカラトンの真似をする遊びが空前のブームとなった我が小学校で怪我人が続出するのはもはや時間の問題であった。
と言うのも話題のトンカラトン、普通に自転車を乗らないのである。
ハンドルから両手を離し、バレリーナが躍る『白鳥の湖』の振り付けが如し、頭上で優雅に手を振りながら足だけで自転車を操作する奇抜な走法を用いている。
さっきも言った通り、コレが我が校で阿保面を晒している暇な小学生達の心に火をつけた。
今思えば何がしたいのかわからんが、私も当然阿保だったのでトンカラトンになりたくてアレほど転ぶのが嫌だったにも関わらず再び必死になって自転車を練習し始めた。
汗水垂らしながら両手を話して自転車のペダルを漕ぎ続ける日々は不毛の極みである。
今度こそ通報されてもおかしくないし、両親も頼むからやめてくれと言う目で私の事を見ていた。
実際傍目から見れば、ただの阿保。
私以外にも練習中に転び首から腕を吊ってる者や、包帯を巻かれているものまで現れたので救いようのない阿保の巣窟へと我がクラスは落ちぶれていった。
そんなトンカラトンのブームだが、あっという間に広がった反動か流行は極短期間で終焉に向った。
トンカラトンゴッコは短期間でコンスタントに怪我人を生み出すので、「危ないからヤメロ」と問題になったのだ。
怪人ゴッコが転じて怪我人になってしまうのだから、それもトンカラトンに襲われたわけでもないのに体へ包帯を巻く生徒が続出するのだから、教師やPTAを始めとする大人連中が黙っていられるわけがない。
もはや花子さんにも助けられない、闇子さんすら些事を投げて霊界へと帰る阿保らしさであったに違いない。




