引っ越しと歩く本棚
引っ越しの荷造りで私の手を1番煩わせたのは、東日本大震災の余震で私を圧殺しようと圧し掛かった100冊を超す本達である。
100冊と言えば本の虫と自他共に呼ばれる諸君等は「大した量じゃない」と歯牙にもかけず鼻でせせら笑うであろうが、問題は量でなく質。100冊が占める書籍ジャンルの内容にある。
恥ずかしながら白状するが、私の本棚には俗に『ライトノベル』と呼ばれる書物が多量に含まれていた。
この頃の私は20代も前半であった。20代前半と言う年の頃は非常にタチが悪い事で有名だ。
諸君等の周りにも居たかもしれないが、とにかく極端で物事の加減を知らず暴走しまくっている。
料理の味付けで例えるなら、辛い物はより辛く、甘い物はより甘く、そしてマズイ物はよりマズく調理してしまう呪いに囚われており、若気の至りなんて言葉は気休めにもならない。
しかも当時は『涼宮ハルヒの憂鬱』や『とある魔術の禁書目録』を始めとする空前のラノベブームが到来していた。世の中が間違いに気付くまでのしばらくの間、本屋では拡充されたラノベブースコーナーが大いに書店を賑わせ、分別のある思慮深き文読み達を震撼せしめていた。
一方で、この頃の私もアメリカのレインボーなケーキみたいにやたらカラフルに染まった一角に足しげく通う名もなきオタクの一匹であった。
羞恥心を少しでも和らげようと無駄な悪足掻きを書店で繰り広げるのを恒例としており、『カフカ』とか『フィリップ・k・ディック』の本の間に本命のラノベを挟んでレジへ持っていく慎みの深い人間として、一部の界隈で名を知らしめている。
そんな事をしていた私だからこそ、引っ越しする頃には国語辞典のケースにエロ本を隠す工作活動に勤しむ中学生みたいな、好みの傾向に似つかわしくない何処か不自然で堅苦しいタイトルが目立つ本棚が出来上がってしまっていた。
そしてその100冊にも及ぶ量の本を、ついに処分しなくてはならぬ日が来たのである。
「問題はこれをどうやって持っていくか、だ」
某古本買取店は歩いて10分の距離にある近所だが古本専門の窃盗団じゃあるまいし、100冊も本を持ったまま移動するのは初めての経験である。
酔っ払いを介抱しながら部屋まで運ぶ実績こそあれど、昨今のエロ本同然な表紙をした本を三桁も担いで天下の往来を突き進む度胸は私にはない。
しかも件の古本買取店へ連絡をしてみたところ「ウチではそういうのやっていないんですよ」と私は1度断られていた。
共に高校時代を過ごし桃園の誓いよろしく同じ日、同じ時に上京した友人連中は、都会の色に染まりきったせいで心なき薄情者へと成り下がり、「手伝ってやるよ」なんて快い返事は望むべくもない。
私と仕事で仕事を取るとはなんと友達甲斐のない連中であろうか。
従って私は自力で100冊を持って道中を踏破しなくてはならなくなった。
「やるしかねぇ」と立ち上がった私のやる気を、ヒートアイランドで有名な都会の気温が片っ端から削いでいったが、それでもやるしかないと腹をくくった私の志は高かった。
まず90リットルの容量を持つゴミ袋を用意したのである。
三重に重ねた袋の中へ本を入れる作戦だった。
袋の中へ本を閉まいながら私は「なぜ東京のごみ袋は無色透明なのだ」と文句を吐いたが、全ては偏向的なジャンルに邁進した私の趣味が悪い。
極力外側から見える位置の本には純文学だとか海外SFだとか、買ったは良いが読まずに本棚の肥やしになった自己啓発本などをぶち込み、ゴミ袋はみるみる膨れていった。
そしてその重さはかなりの物である。
我が愛しの骨董アパートの床が、持ち上げた瞬間に「やめてくれ!」と軋み悲鳴を上げたほどであった。
もっとも、このアパートの床は普通に歩いただけでもギシギシと不穏にきしむ音を立てるので、聞きなれた悲鳴ではあったが。
こうして万全の態勢が整った私は100冊を超える本と共に大移動を開始した。
しかし部屋を出て数十秒、かつて呪いの市松人形が落ちていた階段を踏み外し、100冊と共に私は落下した。落ちた段差はせいぜい5、6段程度だったが両手が塞がり受け身も取れない私には会心の一撃であった。
不幸中の幸いにも私には怪我こそなかったが、売り物になるはずの本が早くも数冊変形している。
透明な袋だとすぐに中身を確認できるから便利であったが、しかし転落の衝撃で中身は程よくかき回され、胸だの尻だのが出ている破廉恥なキャラクターが露出狂の如く最前列へと躍り出ているので、街を練り歩く私の存在は都の青少年育成条例に片っ端から抵触する危険人物へと化していた。
真昼間のアーケードを闊歩する猥褻物陳列罪の代表取締役みたいな存在になった私は、じわじわと両腕に溜まる乳酸との死闘を繰り広げており、見ようによっては袋一杯のエロ本を後生大事に抱えている風にも見えなくない。
これは極めて危険な状態に陥っているわけだが、日頃の運動不足が祟って全身が悲鳴を上げている最中の事でもあった為、いくら卑猥な本と行動を共にしていると言っても他人の視線など気にしている場合ではない。
しかし、突然ストンと嫌な音が聞こえた時は、流石の私も血の気が引く思いであった。
同時に両腕で抱えている袋の中身が、確かに動いている妙な感触も湧き上がっていた。
恐る恐る足元を見てみると、スカートが短く目のデカイ女が表紙を飾った本が落ちていた。
物言わず私の顔を見つめていた。奇遇にもその本と同じものを私は持っていた。
「う、嘘でしょ……」
まさかと思った私は絶望した。抱えている袋に穴が空いていたのである。
恐らく転落した時に傷が付いたのだろう。そこに本の重さが加わり、ちょうど角の部分で穴が広がる様に押し広げられ、無惨にも破れ落ちたのだ。
そこから先は語るまでもない。私は羞恥心を煽り続ける本と逢引する、地獄の散歩を繰り広げる羽目になった。
私はそもそも三重にしたところでゴミ袋の耐久性はたかが知れていたはずなのに、なぜゴミ袋を選んだのかと自らの浅慮を恥じた。
今や袋は用をなさず、穴を手で塞ごうとしたところで第2第3の穴が生まれ、そこから次々と美少女の艶めかしい肢体が描かれるラノベが産み落とされまくっている。
そんな私の姿を見た老婆は凄まじい物を目撃したと言わんばかりに見つめてきたのは、1秒でも早く忘れたい私の忌まわしき思い出の1つである。
老婆からして見れば、目の前を大量の本が詰まった袋もつ謎の男が通り過ぎたかと思えば、定期的にポロポロと本を零していくのだから不審者極まって見えただろう。
しかもその本の表紙は尽く肌の露出が多いモノばかりである。
中には善意から拾おうとしてくれる年寄りもいて、そのたびに私は顔から火が出る思いであった。
「こっち見んな、落ちたモノも覗くな、おい拾うな婆!」
そう私は心の中で叫び狂った。
お前等は東京の人間なんだから、もっと他人に冷たく接しろ! そう願わずにはいられなかった。
だが私が動揺すればするほど、あざ笑うように袋の中が動き外へ飛び出そうとした。
両腕も限界である。
私は急いで落ちた本を回収し、落としては拾い、落としては拾い、を繰り返した。
最後は袋に入れても仕方がないと諦め、子猫を咥えて移動する親猫のようにラノベを口で抑えていた。
私としては三刀流で名高いロロノアさん家のゾロ君を若干意識していたのだが、悲しい事に咥えた本が肌色成分多めの表紙だったせいで、私の姿はどこからどう見ても完全に変態であった。
まさに世は大後悔時代である。
なにより店に到着するなり店員がいった「お電話いただけましたら出張買取とかしましたのに……」の台詞は深く突き刺さった。
話がまるで違うじゃないか。
おかげで私はまた少し人を信じられなくなったが今となっては笑い話であり、そんな事があったので私はその店を『ラフテル』と個人的に呼んでいる。
ちなみに、私のラノベが欲しいならくれてやる。
探せ、ラノベの全てをそこに置いてきた!
と、いうわけで諸君等も大後悔時代の幕開けを祝い、共に最悪の世代として名を連ねて頂きたい。




