貧乏ゆすりと最悪の大晦日
私ほど大晦日に煮え湯を飲み、辛酸を舐め、砂を噛み、そして苦渋を味わった20歳は居ないであろう。
氷漬けのマンモスにすら引けを取らない孤独と酷寒の中、朝日をひたすら待ち続けたあの時間を私は生涯忘れはしない。
今にして思えば東京の文明的な暮らしを捨て、同郷の阿保共に囲まれながら故郷のど田舎で年を越そうと目論んだ私の浅慮が生んだ自業自得であるが、それでも良かったら聞いていただきたい。今回は私の愚痴である。
我々の大晦日は、何処かでネロとパトラッシュが仲良く凍死してそうな酷い吹雪に見舞われていた。
よほど日頃の行いが悪いメンバーの集まりだったのであろう、外はシベリアを思わせるブリザード。
雪女がヒステリックを起こしたような猛寒波、地球温暖化の怠慢である。
友人が運転する車に揺られ続けること数十分。
車内の会話も落ち着き始め、何気なく外へ目を向けていた私は一軒の民家が目に止まった。正確に言えば、その民家の傍に建てられた小屋にギョッとさせられていた。
それは無人島の漂流物をかき集めて作ったような、素人目にも厳しい出来栄えの建物である。
大工経験皆無の私ですら半日もカナヅチを振り回していればどうにか作れそうな見た目で、これと比べたら隣の部屋からイビキが聞こえ、老朽化で雨漏りが絶えず、ときおりネズミが顔を覗かせる骨董アパートが金殿玉楼に思えるほどであった。
運転手を務めた友人から今夜の宴がこの中で開かれる旨を聞かされた時は「なんの冗談だ」と私は思わず感情を持て余してしまったが「10人近く集まるから、部屋を用意できなかった」と言われては、何も文句を言えなかった。「そんなに人いるの?」とさらにギョッとはさせられたが。
ちなみにこの友人は「いくら寒くても酒を飲めば温まる」と冬を少し舐めてるキライがあった。大晦日に暇を持て余している阿保が中で8人も集まっており、酔っ払いながらバカ騒ぎをすれば吹き飛ばない寒さはない! と彼は自信満々であった。
友人に背中を押され、私は「お邪魔しまーす」と外の寒波から逃れるように小屋へ入った。
先に寛いでいるメンバーが一斉にこちらを向き、一瞬ピタリと音が止んだ気がした。その間、私は眼前に並ぶ彼等の顔を見て逃げ出したい気分になった。
その顔触れに、一切面識がなかったのである。
「誰だ、コイツ等?」
その疑問に答える親切な人間はどこにもいない。
それどころか8人は各々が持参したノートパソコンの画面を見つめるので忙しいらしく、社交性の欠片もなかった。自分が閉じこもった殻以外の世界に興味はないと言わんばかりに一心不乱に打ち込んでいやがるのである。カタカタとキーボードを叩く彼等の姿はあまりに不愛想で、まだ籠の鳥と話していた方が会話も楽しく弾むのではないかと思われた。
不運は続いた。
本来なら用意されてるはずの酒やツマミがテーブルの上から消えていたのだ。
「買い出し係が来れなくなった」そう理由を説明されたが、それならどうして我々に連絡を回すなり、誰かが買いに走るなりしないのだ!
「それで誰なんだよコイツ等」
やや怒気を滲ませて尋ねたところ、申し訳なさそうに友人が「知り合い」あるいは「知り合いの知り合い」そして「知り合いの知り合いの知り合い」と他人も同然な間柄によって作られた集団が目の前にいると私へ告げた。
主催者の友人ですら友面識のない人物が3人も紛れ込んでいるらしく、なんでそんな連中と新年を迎えなきゃならんのかと私の疑問は頂点へ達した。
一方で先に到着した8名は随分と仲良さげであった。
趣味が合うのか、さっきからずっと裸の男の動画を見て腹を抱えながら爆笑しており、その内容は軽快な音楽に合わせ珍妙なリズムで互いのケツを叩き合うと言う、私にとっては遺伝子レベルで理解不能な内容である。
悲しい事にしばらく見ても何が面白いのかわからないので、私は貧乏ゆすりをしながら煙草を吸い続けるしかやることがなくなった。そしてその横には私から煙草を当たり前のように貰いながら、美味そうに吹かす友人がいた。我々はその後もずっと貧乏ゆすりをしながら煙草を吹かし、気付けば2箱近くが灰となって消えていた。
除夜の鐘が鳴る頃、私の退屈も限界へ到達した。
煩悩まみれなホモ8人は鐘の代わりにケツを108回シバキ合うと言う謎のゲームを始め、盛り上がりがピークに達している。
新年のカウントダウンに合せてケツを叩き合い、最後に「ハッピーニューイヤー」と唱えた彼等は今年1年どういう気持ちで過ごすのだろうか。その時の私は煙草の吸い過ぎで気持ち悪くなってそれどころではなかったが、なんだか散々な目に遭いそうな予感がしていた。
以上が私の20歳の大晦日である。
ちなみに、これを最後に私へ大晦日のお誘いはピタリとなくなった。
おかげでそれ以降、清からかな気持ちで新年を祝う事が出来ている。




