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ペテン師と天才占い師

 小学生低学年の頃、夜中にサンタへ(ふん)した親から足を踏まれて飛び起きた私は、サンタの正体を暴いた罪で誰よりも早く大人の階段を上ってしまった悲しい過去の持ち主である。

 それ以来何かにつけてサンタを穿(うが)った目で見る夢のない人間へと成長してしまったわけだが、それでも私は占いと言う如何にもオカルティックで胡散臭いコンテンツに関しては、何故か心を許し傾倒(けいとう)していく傾向(けいこう)にあった。


 毎朝のテレビニュースで流れる血液型占いや十二支星座占いに一喜一憂し、ラッキーカラーやラッキーアイテムで全身をさり気なく武装する平安貴族みたいな生活さえ(いと)わずにいる。

 それでも落ち着かない時は上級生が植えていたひまわりの花弁に手を伸ばし、花占いと称して良い結果が出るまで片っ端から散らせまくった。

 ……もうすでに時効であるから白状するが、担任の先生が植えていた鉢植えの花を毟り取り、侃々諤々(かんかんがくがく)の学級会議を巻き起こした張本人も何を隠そうこの私である。

 

 

 そんな私に占い師に見て貰える機会が訪れたのは、二十代前半の頃であった。

 私の地元では占い師はツチノコかチュパカブラに近いレアリティーの職業であった為、手相を見て貰えると聞いた時は大変興奮したのを覚えている。

 私が占いで訪れた場所は某観光地の一角にある広く開放されたフロアであった。

 見るからに胡散臭い女性の占い師が5、6人直線状にテーブルを並べており、物好きな客が列を作って並んでいた。


「どういう感じなのか、とりあえず様子を見てみよう」


 なにせ占いと言うのは金がかかる。大した額ではないが金欠の私にとって毒にも薬にもならない話を聞かされて千円失うのは痛い出費であった。

 観察を続けていると占い師は手相が専門らしく、棒で手の平を突いたりベタベタと触れており、その姿は見ようによっては売れない地下アイドルの握手会場に見えなくもない。

 年齢は私の知るアイドルよりも2回りほど上である。サバを読んでも15歳シーズン3と言う恐るべき現実を目の当たりにした私は、5人いるうちの一番若い占い師に見て貰う事に決めた。

 それでも私の目には40代に見えたので、占い業界も若手不足と言う切実な問題を抱えているようである。


 

 私の手相を見た占い師は如何にもなレースで顔を覆い隠した、爪を黒く塗った得体のしれない女性であった。

 言われた通りに手の平を見せると「アナタはよほど用心深い人物で、石橋を叩いても渡らない。叩きまくって石橋を壊す人物だ」と初対面にも関わらず何故か盛大に貶された。


 臆病者の烙印を押しつけられた私はすかさず「そんなことはない」と反論を試みたのだが「アナタはプライドも高い」と言われ、まるで会話が成り立たない。

 ダメ押しで「人の話も聞かない」と告げられた時「なんで私は金を払って罵倒されているのだ」といよいよ意味がわからなくなっていた。


 この一件から私の占い師に対するイメージは詐欺師以下にまで成り下がった。

 少なくとも詐欺師は嘘で人の金を取ろうとするが、騙そうとする相手に毒舌を振り撒いたり、酷評を浴びせたりしないだけ紳士である。 

 

 私の目の前に再び占い師が現れたのはそれから3年ほどした頃である。

 私は「どれどれ占われてやるか」と過去の嫌な経験から、すっかり占いを生業にしている人間に不信感を抱いていた。

 しかも私の前に現れた2人目の占い師は、出店と言う形で花見に参加している商売人なのである。

 テナントも明らかに他の店と比べて毛色の違う商いをしているせいか、圧倒的に胡散臭いオーラが解き放たれていた。客足はまるで寄り付かず、なぜかその店の周りの木だけ桜が大目に散っていて、謎の禍々(まがまが)しさすら漂わせているほどである。


 私は冷やかしで「ご尊顔でも拝んでやるか」と占い師への興味という不純極まりない理由で立ち寄ったのだった。

 店主は意外にも眼鏡をかけた中年の男性で、占いより馬券の方が詳しそうな顔をしていた。

 手を見せろと言うから言われるがまま手を出した私は「本当に占いなんて出来るのか」とロクに信じてなど居なかった。

 「さぁ今度はどんな文句を言われるのだろうか」そんな風に半分小馬鹿にした態度で私は占うオヤジの姿を観察していたのである。


 すると、この占い師は予想よりも遥かに衝撃的な事実を私へと告げた。


「アナタは器の大きい人物です」


 なんと……!


 私は驚きの余り閉口した。ゾワゾワと鳥肌が立ってもいた。

 「コヤツ、出来る……」たった一言でそう判断せずにはいられなかった。

 この時の私は能ある鷹は爪を隠すと言うありきたりな言葉を思い出し、目の前の占い師がタダ者ではないかもしれないと評価を考え直した。


「頭も良い、人の言葉に耳を傾ける素直さも持っています。友人にも恵まれ……」


 ……何と言うお方であろう。

 私には雨が降っているのに、この占い師の背後から光が差してるように見えた。

 いつしか私は人目をはばからず、この占い師の事を『師匠』と呼び、慕いたい気持ちにすらなっていた。


「いったい、この人は何者なのだ!?」


 なにせ目の前の占い師は手を取り少し見ただけで、私の正体を看破してしまったのである。

 これほどの実力者が国内にいるとは驚愕である。なんという占いの才能であろうか。私はすっかり脱帽(だつぼう)していた。


「なんでわかるんですか?」堪らず私はそう尋ねていた。すると彼は「全部手相に出ています」と必要以上に語ろうともせぬではないか!


「ほ、本物だ……」


 そう、まさに本物の占い師の在り方であった!!


 師匠の慧眼(けいがん)は、さらに私の度肝を抜いた。「金が欲しい」と言えば「君は金運がある」と言い「愛が欲しい」と言えば「将来的にモテるから頑張れ」と励ましてくれる。なんて素晴らしい人なのであろう。

 師匠は私の悩みを紳士に聞き、ときおり「うんうん」と絶妙な間合いで相槌を打つコミニケーションの天才でもあった。天は二物を与えたのである。


 そして極めつけは、最後に言われたこの一言であった。


「いいですか、アナタは大器晩成型の人物です。いろんな事にチャレンジしている。きっとどの仕事も上手くいくでしょう」

 

 私は体に落雷が落ちたかのような衝撃を受けた。

 それはキリスト教の在り方に疑問を感じ、聖書を読み直し発見に気付いたルターの衝撃にさえ匹敵している。


 何と言う事だ! 私は驚きの余り意識が遠のき、足元がぐらついた。

 此処までべた褒めされるとは!!

 いや、まさか私にそれほどまでの才能まであるとは……。

 私は自分の才能が恐ろしくなり、その日はお礼を言い500円を払って帰宅した。


 ちなみに私が師匠と会ったのはそれっきりである。

 すでに数カ月が経ち、私は是非もう1度会って占ってもらいたいのだが今は何処で何をしているのか詳細は不明である。

 もし占いで居場所を突き止められる方がいたら、是非とも連絡を頂きたい。

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