その5 ヤタの独白「静寂が、うるさい!」
ナミにスマホを壊された日、アルバイトを終え自宅に帰ったヤタ。
夜6時から8時までのドラッグストアでのアルバイトを終え、自宅に帰り風呂に入った。スエットを着てリビングに入ると、両親がソファーでくつろいでいる。僕に気が付いた母が、キッチンで温め直したカレーをテーブルに座ったの僕の前に置いてくれる。僕は母の美味しいカレーを黙々と食した。ひー、ひっひっひっ。父がテレビでバラエティー番組を観がなら独特の引き笑いで笑っている。
今日僕は、アルバイトを辞めた。
ドラッグストアの店長にスマホが壊れたことを伝えた。もちろん、自分の彼女が乱心して叩き壊したなんて言えないから、自転車を漕いで小石につまづき、転倒した拍子に後方の車輪でうっかり轢いてしまったと、少し考えればあり得ないシチュエーションを虚言した。
「さて、困ったなあ。シフトの調整が出来ないね」
店長が腕を組んで小首を傾げ、実に分かりやすく困っている。この店は、アルバイトのシフト調整をグループラインで行っていた。
「ヤタ君、すぐに新しいスマホをご両親に購入してもらえる?」
「無理です。とても親に言い出せません」
報告など出来る筈が無い。高校に入学する時に両親に無心をして何とか買ってもらったスマホだ。付き合っている彼女が何や知らんけど突然半狂乱と化して破壊したなどとは、口が裂けても言えない。店長と同様に親にも嘘をついたところで、どちらにせよ、すぐに替えのスマホを買ってもらえるとは思えない。うちはそんなに裕福な家庭ではないのだ。
「それなら、緊急で連絡が取りたい時は、自宅の固定電話に掛けるよ、いいかな?」
「それは困ります。それこそ両親にバレてしまう」
「困ったなあ。誰かが突然休むとか、逆に君が急に来れなとか、緊急時に連絡が取れないのでは、話にならない」
「……辞めます」
「え」
「僕、今日限り、このアルバイトを辞めます」
「いやいや、そんなつもりで私は話をしているのではなくてね」
「実は、ぼちぼち辞めようと思っていたのです。この際だから言いますけど、僕、店長のことが生理的にどうしても無理みたいです。心が折れそうです」
嘘だ。僕は、このどこか抜けているようで、実は優秀な、人柄の良い店長が決して嫌いではなかった。
心が折れる。僕たち未成年の最後の切り札。未成年がこの言葉さえ発すれば、今の大人たちはヘナヘナと脱力し、この言葉の前にひれ伏す。
「今日までお疲れ様ね。これに懲りず、忙しい時は助けてね。何かごめんね。きっと色々とこちらサイドに落ち度があったのだね」
その日の仕事を終え、タイムカードを押す僕に、店長が労いの声を掛けてくる。謝らなければいけないのは僕の方です。店長、誠に申し訳ありませんでした。それではお疲れさまでした。僕は店長に深謝して裏口から店を出た。
カレーを食べ終わり、自室に籠る。
テレビも、パソコンもない、僕の部屋。
昨日までの僕は、この時間は、ここで寝るまでスマホをいじっていた。
さて、今日から何をしよう。
…………うわあ、やることが何もねえ。
僕は部屋の照明を消し、ピストルで撃たれたみたいにベッドに倒れ込み、毛布にくるまった。
両親にいつどうやって報告しよう。
時間は限られている。
少なくとも月末に請求書が届けば、その額面から僕がスマホを利用していないことが判明してしまう。
明日から、学校の友達と、どうやって付き合っていこう。
スマホのない僕は仲間外れにされてしまうのだろうか。
新しい情報をいかにしてキャッチすればいいのだ。
時代に乗り遅れてしまうよ。
ナミとの関係はどうなる。
連絡を取る手段がない。
自宅の固定電話から電話なんて掛けられない。
僕たちは、このまま別れてしまうのかな。
僕は、この先、どうなってしまうのだろう。
どんな大人になるのだろう。
どんな人生が待っているのだろう。
どんなふうに死ぬのだろう。
ああ、うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさい!
静寂が、うるさい!
両耳の穴に指を突っ込んで塞ぐ。
静かになった。静寂が聞こえない。
もう何も考えたくない。このまま死んだみたいに眠りたい。静かだ。とても静か。
スマホがない、ただそれだけのことなのに。
まるで世界が終わったみたいに静かだ。
次回は、同刻のナミの独白。