その4 ナミの独白「私が全て叩き壊したのだから 」
スマホを壊しているナミに、ヤタが恐る恐る近づいてくる。
「ナミ、君、いったい何をしているの?」
大好きな私の彼が、私のことを、保健所の職員が園児を噛んだ狂暴な野良犬を捕獲するような動作で近づいて来ます。
あれ? 確かに。私は今、いったい何をしているのだろう? 私、どうかしちゃったのかなあ。自分が分からないよ。まあ、恐らく外観上は、付き合っている彼氏のスマホを路傍にあったテニスボールぐらいの大きさの石で、バッキバキに叩き割っているように見えているのだろう。それは誰が見たって歴然たる事実なのだろうけどさ。
おかしいなあ。正直に謝るつもりだったのにな。何でこうなっちゃうかな。
彼にとってスマホは、まるで彼の体の一部のようたっだ。傍から見ても、それぐらいスマホとヤタ君の一体感って半端なかった。だからその大切なスマホを噴水の池に水没させてしまった時、私、何だか彼の肉体をナイフで削いで抉り取ったような気がして。
正直に謝罪すればこの罪悪感を速やかに処理出来たかもしれない。でもこの時の私は、心の奥のに手を伸ばし、暗闇をすーっと撫で、その指先に付着した埃の粒のような、小さな小さな意思に従った。
正直に謝罪をする。それは自分の罪を認めること。自分の罪を素直に認めること。それは、とどのつまり最悪感を倍増させること。であればいっそ、それを上回る怒涛の行為で、既存の罪悪感を打ち消してしまえばどうだろう。
現に、彼のスマホを水没させてしまった時にのしかかったメガトン級の罪悪感は、彼のスマホを石で叩き割ることによって、見事に上書きされました。確かにその罪の意識からは逃れることが出来た。ただし、彼のスマホを石で叩き割ったという罪悪感が、新規に保存された訳なのけれど。
「あなたの為! これは全てあなたの為なの! この際だからハッキリ教えてあげる! あなたは真性のスマホ脳! でも安心して! 私があなたをスマホから救ってあげる!」
私は金切声を上げました。どだい意味不明の言葉を叫びました。そうするとほら、スマホを石で叩き割ったという罪悪感が上書きされ、意味不明の言葉を叫んだという罪悪感が新規に保存される。
「ねえ、ナミ、一旦深呼吸しようか。少し落ち着こうか」
「私は落ち着いています!」
そう雄叫びを上げ、私は、また黙々とスマホを石で連打し始めた。
既存の罪悪感の上書き。新規の罪悪感の保存。
「こんなもがあるからいけないのよーーー!」
秋の始まりの夕暮れ、彼のスマホは綺麗な放射線を描いて宙を舞い、トップンという音を立て噴水の池の中央辺りの水面に呑み込まれて消えた。
既存の罪悪感の上書き。新規の罪悪感の保存。
「謝ってよ」
「え?」
「ヤタ君、私にちゃんと謝ってよ」
「……ごめん」
既存の罪悪感の上書き。新規の罪悪感の保存。
「ヤタ君、分かってる?」
「は?」
「私が何で怒っているか、分かっている?」
「……分かってるよ」
「分かってない! ヤタ君、全然分かってない! 帰って! 顔も見たくない! 出て行って!」
私は、一心不乱に罪の意識の上書き保存を繰り返しました。
ヤタ君が、首を左右に振りながら、乗って来た自転車に跨り、公園を出て行きます。
今にも涙か溢れ出そうだった。でも私は泣かなかった。私が泣く道理はどこにもない。そう思ったからです。
私の目の前で、さっきまで上空を旋回していた病気の鳩が、私を睨み据えています。
「お前はいったい何をしてるのだ?」
鳩の目が、私に語りかける。
私は、地面に落ちていた干からびた軍手を、靴の先で捲るように思いっきり蹴飛ばす。病気鳩はその動きに反応して飛び立ち、いびつな飛行で秋の夕空に消えて行きました。
謝ろう。今ならまだ間に合う。
私はとっさに自分のスマホを取り出し、ヤタ君に電話をしました。
――電波の届かない場所にいるか電源が入っていないためかかりません――
そっか、そっか、そうだ、そうだよね、ヤタ君。
繋がる訳けがないよね。私が全て叩き壊したのだから。
次回は、自宅に戻り、スマホのない環境に改めて狼狽するヤタの独白。