その1 ヤタの独白「事の始まりは、公園の噴水のところで」
僕の彼女は、頭がおかしい。
僕の彼女の名前はナミと言う。ナミは出会った頃から、時々突拍子のないことを仕出かす女の子だった。なんというか、はんなり不思議少女とでも表現すればよろしいか、まあ、ちょっと変わった女の子だなあとは薄々感じていた。
でもまさか、まさかここまでヤバい女だとは思わなかった。正直ドン引きだ。ナミが今日、僕のスマホを壊した。それも、わざと。あり得ない。信じられない。
公園の落葉樹たちが遅すぎる秋を待ちわびて中途半端に色づき始めている。
ばさばさの毛の鳩が僕たちの上空を旋回してる。
干からびた軍手が一枚地面に落ちている。
スマホ画面を凝視しながらベビーカーを押す金髪のママが、不機嫌そうに僕たちの前を通り過ぎて行く。その黒いベビーカーの中では、彼女の赤ん坊が土中のミミズが唸るような低くて弱い声を漏らして泣いている。ちょっと耳障り。
事の始まりは、このいつもの公園の噴水の前で起きた。僕たちは違う高校に通っているから、いつものようにお互いの下校時間をラインで連絡し合って集合した。平日の夕方は毎日ここでデートをする。
「これ、見てよ、決定的瞬間。爆笑不可避。」
噴水の石積みのいつもの定位置に並んで座り、お互いがスマホで撮影した写真などを見せ合った。僕は、今日学校の廊下で同じクラスの親友のキュースケが僕の目の前で豪快に滑って転んだ瞬間を捉えた写真をナミに披露した。
「何これ、マジうける。ずっこけているの、これ誰? キュースケ君? だはは、仰天するとは文字通りこの表情、あはははは」
ナミは、僕のスマホを覗き込んで、親指と人差し指の幅を広げる動きでキュースケの画像を拡大して大笑いする。あまりにお気に入りのようなので、僕はその画像をナミのスマホに転送した。「お腹痛い! お腹痛い!」ナミは自分のスマホで改めてその画像を吟味して爆笑する。その後は、おもむろにポケットからガムとキャンディーの中間みたいなお菓子を取り出し、ひと粒を口に放り込んだ。ナミは、よくしゃべり、よく笑い、そしてよく食べる女の子。僕はそんなナミのことが大好きだ。
「ナミ、今度の日曜日どこ行く? たまには電車で遠出をしてみるかい?」
「おお、いいっすね。私、景色が綺麗なところに行きたい。海とか見たい」
「名古屋港水族館とか行ってみる?」
「ホント! うれしい! でも私には入場料を払う財力がありましぇん。しゅん」
「大丈夫だよ、僕、もうすぐバイト代が入るんだ」
「おごってもらうのは嫌だな。気が引ける」
「分かってる。おごらないよ。貸すんだよ。いつか返してくれたらいいよ。ほら、見て、イルカのショーの演出とかハイテクで凄いってみんながコメントしているよ」
僕はグーグルで名古屋港水族館を検索して、画像や口コミなどを横にいるナミに見せた。
「ほら、どの口コミも高評価だよ。楽しいこと間違いなし。今週の日曜に行こうよ」
「嬉しいっす! ヤタ君、私、テンション上がるっす!」
ナミが僕のスマホを手にして画面をノリノリでスクロールしている。
「ナミ、僕、ちょっとオシッコさんに行ってくるね」
「うぃーーっす」
僕は小便がしたくなったので、水族館のイルカショーの画像に興味津々のナミをその場に残し、公園内にある公衆便所へ向かった。
もし陳腐なSF物語に出てくるパラレルワールドなんてものが本当に存在するのであれば、あるいはこの日、僕はこれまでの世界に一見してよく似た、でも軸の部分の全く異なる世界に迷い込んでしまったのかもしれない。そんな戯言を言いたくもなるぐらい、便所から戻った僕の目の前には、奇想天外、摩訶不思議、奇々怪々な光景が広がっていた。
人生というものを語るほど僕は長くは生きていない。けれども言わせて欲しい。人生における難局ってのは、秋の始まりを告げる今日という日の心地よいそよ風のように、なんの前触れもなく訪れるものなのだ。兎にも角にも次の瞬間、僕はそのことを嫌と言うほど思い知らされた。
広い公園の端にある公衆便所で用を足し、僕は足早にナミのもとへ戻った。
もう一度言う。
僕の彼女は、頭がおかしい。
僕がナミのもとへ戻った時、ナミは、僕のスマホの液晶画面を、路傍にあったテニスボールぐらいの大きさの石で叩き割っていた。
僕たちの怒涛の物語が幕を開けた。
次回は、同刻同場所にいたナミの独白。