5 薬師は受け入れられる
彼のお家訪問
町の人たちは、わたしが引っ越すと聞いて残念がった。が、結婚を報告すると大喜びしてくれた。
イルマリはカンガス辺境伯の騎士だと説明した。
「寂しくなるけどね、いい人と幸せになるのが一番さ」
「仲がいいと思ってたけれど、そうか、もう決まったのかい。おめでとう!
あんちゃん、うちの町の大事な娘だからな、泣かさないでくれよ」
二十年以上住んだ町は、優しかった。一線を引かれているなんて、わたしの思い過ごしだったのかもしれない。
薬師がいなくなることについては、
「きっと誰かが来てくれるよ」
と楽観的だった。
「またネルケばあさんが戻ってくるんじゃないかね」
「そうさねぇ」
ここでも祖母は必要なときにいてくれると考えられているようだ。
少しでも薬を置いていこうと、二人で薬草を採ってきて調剤をしているところに、ベンさんがやってきた。
わたしの薬がなくなったら騎士隊の死活問題だと、大騒ぎだ。
イルマリが間に入り、月に一回程度、注文を受けた数の薬を国境の砦に届けることになった。
キウル国側は、カンガス家の兵士が受け渡す。それをヒルシュ国側で騎士隊の誰かが受け取って、ついでにこの町まで薬を届けてくれる。
注文は、カンガス家の薬師アウロラ宛にしてもらう。
「悪いが、これからアウロラも忙しくなる。今までのように全てをアウロラが作るわけにはいかない。
その分効力が落ちるかもしれないが、いいか。
あと、ここのネルケさんが戻ってくるかもしれないと噂されている。そのときにはまたネルケさんに頼んでくれ」
ベンさんへ話しているイルマリは、わたしへの言葉遣いと全く違う。わたしには違和感があるが、男同士だとこんなもんなんだろうか。
「効き目については承知した。それでも他所のよりはずいぶんいいと思っているがな。
ばあさんが帰ってきても、アウロラさんの作る薬は欲しいんだよな。
まあ、そのときはまた相談ということで」
よし、と二人は手を重ね合った。
市がない日もお店をあけている小間物屋さんに作った薬を預けて、小屋の戸締りをし、わたしたちはまた白馬タハティにまたがった。
* * *
国境を越えるのは、あっという間だった。
砦というだけあって、双方に建物があり兵士がいた。だがそこに流れる空気はまったりとしたものだ。
国境の塀の間に開けられた門を挟んで、兵士たちは笑いながら話をしていた。
魔物が出たときには、お互いに国境を超えて助け合うのだそうだ。
国境門を越えると、もうそこはカンガス領だった。イルマリの家が治める土地だ。
国境から少し進んだところに、小さめの屋敷があった。
「ここは僕の家の別荘なんだ。国境の町ヴィフレアはすぐそこだよ。
タハティ、大人しくするんだよ」
馬を降りて鼻面を軽く叩きながら、イルマリは説明をしてくれる。彼はあろうことか、タハティを連れたまま屋敷の中に入った。
「ぼっちゃん、馬は裏口からと何度言ったらわかるんですか」
お仕着せをきたすらりとした男性が、イルマリに声をかけた。茶色の髪にかなり白髪があり、わたしよりはずっと年上のようだ。
「失礼しました。ようこそカンガス伯爵領へ。こちらのお屋敷を預かっているノイモン・ウスヴァと申します」
彼はわたしの方を向いて頭を下げた。
「アウロラ・クーシです」
「このたびはぼっちゃんのお嫁さんになってくれるそうで、ありがとうございます。この日の来るのを、家臣一同どんなに待ち焦がれていたか……」
ノイモンさんは、涙目になったかと思うと、むせび泣き始めた。
イルマリはもうすぐ三十。いままで結婚の話がなかったのは確かに珍しい。後継だと言っていたから、よけいだろう。
そんなに待ち焦がれた伴侶がわたしでいいのだろうか。
今更ながら、そんな不安が心をよぎる。
「ノイモン、見つかったのだからいいだろう。
今日はこのまま飛ぶ」
イルマリはタハティを連れたまま、廊下の奥へと入っていく。
ついたのは、大きな部屋だった。
床に大きな円と複雑な模様が刻まれている。大きめの馬車が馬をつけたまま入りそうだ。
バタバタと廊下を走る音がした。
「ぼっちゃまー、ぼっちゃまー」
女性の声が近づいてきて、扉が開いた。はあはあと息を吐きながら女性が近づいてくる。
「ぼっちゃま、わたしに挨拶をせずに行ってしまうなんて、ひどいです。
あ、こちらがお嫁さんですね。見つかってようございました。
フナヤ・ウスヴァです。これからどうぞよろしくお願いします」
最初はイルマリに怒るように言い、後半は私に向かって微笑みながら言ってくれた。
わたしも挨拶を返したら、フナヤさんに手をとられた。
「ぼっちゃんはあまり笑わないので周りからは厳しいと言われますが、優しい方ですから。
どうぞいっぱい、ぼっちゃまに甘えてあげてください」
「甘やかすのではなく」
おもわず、わたしは確認してしまった。
「はい。甘えれば甘えるほど、ぼっちゃまは喜んでくださります」
「おい!」
イルマリの声が鋭く入る。軽く睨んでいるが、イナヤさんは気にもしていない。
「それでは行ってらっしゃいませ」
フナヤとノイモン、二人の声がそろった。
イルマリはタハティをひいてわたしに手を伸ばした。わたしは彼の側に寄り添い、手をつないだ。
「暗くて不安定になるけど僕がいる。大丈夫だから」
イルマリはわたしにそう言ってから、円の外にいる二人に声をかけた。
「行ってくる」
そのとたん、視界が暗くなり、体の支えがなくなった気がした。
* * *
気がついたら、周りは明るくなっていた。
タハティの体の温かさが背中越しに伝わり、手をイルマリに握られているのがわかる。
「お嬢さま、ようこそ、カンガスへ。
ぼっちゃま、お帰りなさいませ」
声をかけてくれたのは、先程のノイモンと同じお仕着せの男性だった。わたしと同じくらいの歳か、落ち着いた佇まいだ。
「帰った。両親は?」
イルマリは表情が消えた顔で、短く会話をしている。
「はじめまして。アウロラ・クーシです。よろしくお願いします」
今言っておかないと、挨拶をし損ねそうだった。
通されたのは、ほどほどに大きめの部屋だった。
二十人ほど人が入っても問題ない広さだが、座って話せる場所が何ヵ所かつくられていて、植物の鉢などもあり、落ち着いた空間になっていた。
奥の庭が見えるところに、イルマリの家族らしき人たちが座っていた。わたしとイルマリを立って出迎えてくれている。
「帰りました。着いたばかりなので、このような格好で失礼。
まずは紹介を、と。
僕の妻となるアウロラです」
「アウロラ・クーシです。よろしくお願いします」
わたしはそれだけ言って、目の前の人たちに頭を下げた。緊張して、頬がこわばる。
顔を上げたわたしの目に映ったのは、目を潤ませて嬉しそうにしている夫妻と、満面の笑顔の女性と男性だった。
みんな、イルマリよりは濃いが、明るい茶色の髪をしている。ヒルシュ国の人たちよりも色の薄い容姿に、隣の国に来たのだと実感する。
イルマリにあるような耳はなかった。たぶんしっぽも。
「父のオタヴァ、母のイーリス、妹のルース、弟のコトカ」
「オタヴァ・カンガスです。ようこそ」
「この息子を選んでくれるなんて……ありがとう」
イルリスのお母さんに手を取られて、ぎゅっと握り込まれる。地味に痛い。
「お母さん、そんなに力一杯握ったら痛いでしょ。
妹のルース。隣のユーセラ伯爵家長男オッリの妻です。
この館のことでもお兄ちゃんのことでも、なんでも聞いてね」
「姉ちゃんは、いつもここに遊びに来ているんだから。オッリも甘いよな。
弟のコトカです。よろしく、姉上。
これで煩わしい領地の業務からやっと開放されるー」
コトカは大きく伸びをした。
イルマリの家族は賑やかで明るい。だからイルマリも、あんなに明るいのだろうか。
見上げたイルマリの顔は、ほんのり微笑んでいるだけだった。
いつもの顔いっぱいの表情はどうした?
見上げたわたしに気づいて、イルマリと目があった。
とたんに彼が満面の笑顔を浮かべた。
「うわぁぁぁ、アニキがこんな顔するなんて。番ってすげえなぁ」
弟のコトカが叫び、妹のルースはあんぐりと口を開け、父のオタヴァは目を見開き、母のイーリスはむせび泣いている。
「この子にこんな顔ができるなんて。旅に出してよかった」
イーリスの背中を、オタヴァが撫でている。
「本当によかった。待った甲斐があったな」
「あの、わたしは小さな店の商人の娘なのですが。それにもう年齢も」
わたしは心に引っかかっていることを口にした。貴族社会では、貴族以外のものは入れないはずだ。
「そもそもヒルシュ国には貴族がいないであろう。
それに我が国の平民であろうと、我が妻よりも年上であろうと、私たちは受けいれるつもりでいた。
それがこんなに魅力的な女性だったのだから、息子のことを思ってもこんなに嬉しいことはない。
私たちはあなたを大歓迎だ」
まだまだ話が尽きなさそうなのを遮って、イルマリはわたしを連れ出してくれた。
読んでくださって、ありがとうございます。
ブックマーク、ご感想、評価、大感謝です。
=覚え書き=
・オタヴァ・カンガス イルマリ父、キウル国カンガス辺境伯領主
・イーリス イルマリ母
・ルース・ユーセラ イルマリ姉、オッリ・ユーセラ夫人
・コトカ イルマリ弟
ヴィフレア町別荘
・ノイモン・ウスヴァ 執事、別荘管理人
・フナヤ・ウスヴァ 家政婦長、別荘管理人、ノイモン夫人