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3 薬師ともふもふは伝えあう

いつも一緒にいると気づかないことが、離れてはじめて気づいたりするものです。


 イルマリがいなくなってから、わたしは寂しくて仕方がなかった。


 それまで何年も一人暮らしをしていたのに。

 たった一ヶ月弱、それも昼間一緒にいただけの人なのに。


 低くてあたたかな声を聞きたかった。

 笑った顔が見たかった。

 ぴこぴこ動く耳を見て、こっそり笑いたかった。

 ふわふわしたしっぽに包まれたかった。



 わたしは薬草摘みと薬作りに精を出しながら、町に行っては魔物の大発生について聞いて回った。


 一週間経っても、何も情報は届かなかった。




 一日の終わり、わたしはソファーに横になる。

 あの日イルマリが座っていたところを頭にし、首まわりにあのときにかけてあったショールを抱え込む。

 ほんのりとイルマリの匂いがした。


 馬に一緒に乗っていたときと同じ匂い。抱きしめられたときと同じ匂い。

 いつのまにか安心できるようになった、男の人の匂い。イルマリの汗の匂い。



 こんなことは初めてだった。


 婚約していたときも、相手を大切にしようという気持ちはあったけれど、こんな風に胸が苦しくなることはなかった。

 おばあちゃんが旅に出たときも、こんなにさびしくはなかった。



 イルマリに抱きしめられているつもりになったまま、わたしは眠りに落ちていった。



 * * *



 午後も回ってきたのでそろそろ一休みしようかと考えていたときに、馬の蹄の音が聞こえた。わたしは、ポーション作りの手を止めて、扉に向かった。


 開いた扉の先に、埃だらけになったイルマリがいた。



「お帰りなさい」

飛びついたわたしを、イルマリはしっかりと抱き留めた。

「ただいま」

そして、ぎゅっと抱きしめられた。


 ああ、イルマリの匂い。


 わたしはイルマリの胸に顔を埋めた。



 しばらく玄関先で抱き合ってから、イルマリは自分が旅の汚れまみれなのに気づいたようだった。

「ごめん。宿で湯を浴びて着替えてくればよかった」

「お風呂沸かすから、入って」



 わたしは、居間から家の裏手に向かう扉を開けた。そこに洗面などの水回りが集まっていて、浴槽がおいてある風呂場もある。

 水道の栓をひねると水が出て、浴槽の下にある釜に火をくべるとお湯が沸くようになっている。


 イルマリは、わたしの後ろから浴室を覗いた。手には着替えを持っている。魔法鞄からだしてきたらしい。


 いつもは薬草摘みから帰ってきても顔や手をお湯で拭くだけだった。宿で全身を洗っていたはずだ。

 小屋で風呂に入るのは、初めてだった。



「これが石鹸。髪も顔も、全身洗えるの」

 浴室の壁に取り付けられた棚の、緑色の塊を指す。

 そして、脱衣所兼洗面所の棚にある瓶を指差した。

「これは保湿水。顔の他、荒れてしまったところに。髭剃りあとにも使って。あと、タオル。

 これで、大丈夫?」


「うん、問題ない」

イルマリは、髭剃り用の剃刀を持ち上げて見せた。


「脱いだ服は、洗濯をしてしまってもいい?」

「いいのかい?」

 イルマリはためらった。

 けれど、彼が浴室に入ったのを確認して、脱いだ服を持ち去り、すぐに洗って干してしまった。

 肌着がなかったので、わたしはほっとした。浴室に持ち込んだらしい。そこで洗うのだろう。

 わたしも、さすがに彼の肌着を手に取るのは恥ずかしかった。


「湯加減は大丈夫?」

「ああ、気持ちいい」

 イルマリの声は、満足げだった。




 お風呂から上がったイルマリは、もう一枚渡したタオルで乾かしたら、毛はつやつや肌はすべすべになった。

 まだちょっとだけ湿った髪やしっぽから、薬草石鹸の香りが漂っている。


「石鹸も保湿水も薬草で作っているんだよね。何か特殊なの使ってる?」

「え、どこでも取れるものだけよ。ただ組み合わせが変わってるかな」

「そうか」


 イルマリは、近づいてきて、わたしの頬を撫でた。


「君の、日に当たっているのにシミひとつない真っ白な肌の秘密は、これだったんだね。

 滑らかで、張りがあって。二十歳だと言ってもみんな信じる」

 イルマリの手は、首から鎖骨へと滑り降りた。

「この真っ白の首には、どんな宝石が似合うだろう」


「わたしは四十のおばちゃんだって言っているじゃない。宝石なんてつけていくところがないから縁がないわ。いままでつけたアクセサリーは、父の店の売れ残りくらいよ。

 さっぱりしたら、ご飯にしましょ。お腹空いたでしょう」

 わたしはつい早口になった。



 イルマリの顔を見ながら食べる食事は、ここ数日の食事の何倍もおいしかった。イルマリの美味しそうに食べる様子を見ていると、さらに美味しさが増す。


 でも、このドキドキする落ち着かない感じはなんだろう。




 食卓を二人で片付け、イルマリはソファーに座った。

 髪もしっぽも乾いてふわふわになっている。その横にちょこんと座ると、イルマリの腕が回って、わたしをぴたりと引き寄せた。


 わたしの頭は彼の手で彼の肩に寄せられた。しっぽが腰にまわっている。

「ああ、アウロラだ」

 ため息とともに、わたしの名前がこぼれ落ちた。

「長かった。こんなにつらいと思わなかった」



 わたしは、胸の鼓動がとまらなかった。けれどそれを無視して、自分のお腹に回ったしっぽの先っぽのふわふわ具合を楽しんでいた。軽く握るとするりと逃げるので、また握りたくなる。


 ああ、イルマリの匂いだ。


 いつもの石鹸の香りの奥に、イルマリの匂いがした。


「わたしも、イルマリがいなくて寂しかった」

わたしは香りを楽しむように目をつぶっていた。



「ありがとう」

 肩に寄りかかっていた頭が持ち上げられたと思ったら、唇に温かいものが触れた。


 そっと触れ、離れ、また触れてしばらくそのままで、そして離れた。


 驚いて目を開けると、まん前に琥珀の瞳があった。



「好きだ。アウロラが好きだ」

 離れた唇が言葉を紡いだ。

「愛してる。離れたくない」

 彼の言葉が、じんわりと胸に滲みた。


 ああ、欲しかった言葉だ。わたしには縁がないと思っていた言葉だ。

 彼に言われたらどんなに嬉しいかと考え、ありえないとあきらめていた言葉だ。


 今はただ、自分の正直な想いを伝えたかった。

「イルマリ、愛してるわ。あなたとずっと離れるなんて、耐えられない」



 イルマリの瞳が、きらきらと輝いて熱をもった。彼はごくりと喉を鳴らした。

「ねえ、結婚して、アウロラ。

 僕は帰らなくてはならない。約束しているから。

 一緒に行ってくれないかな」



 わたしは思わず下を向いて、手に持っていたしっぽで顔を覆った。イルマリの顔がほんのりと赤くなったのが、目の端で見えた。


 すぐに「はい」と言いたい。

 けれども、彼とわたしは年齢が違いすぎる。



「わたしはもう四十なの。イルマリと十も違うのよ。

 こんなわたしを連れて行ったら、あなたの家族がびっくりする」


「僕がアウロラと一緒にいたいんだ。歳なんて関係ない。

 それに」

 イルマリがくすくすと笑った。

「アウロラの歳を言わなければ、絶対僕より年下だって言われるよ」


「まさか。それに、子どもが」

 わたしはしっぽから顔を離して、イルマリを見つめた。言いたくないけれども大事なことだ。

「難しいわ」



 イルマリは、アウロラの髪をなでて、頭を抱きかかえた。


「アウロラのくれた丸薬、よく効いたよ。

 魔物がやっといなくなって、疲れ果てて、それでも早くアウロラに会いたかったから飲んだんだ。

 山の向こうから駆けてくるのに、休まずに来れた。


 タハティにも飲ませたんだ。僕を乗せて走るのはあいつだからね。

 水と食べ物を摂る以外は駆け通しで、ここに向かってくれた。


 今は外でゆっくりと休んでいるけど、疲れが溜まっている様子も見えない。

 僕がお風呂に入っている間に世話をしてくれみたいだから、もうわかってるよね」


「馬にも効くのね」

「ああ、僕の三倍量を飲ませた」



「いつもあの丸薬を飲んでいるんだろう?」

 わたしはこくりとうなずいた。

「少しずつだけれど」


「僕は鍛えてあるから、普段から普通の人より動ける。

 それでもアウロラは、いつも僕と同じくらい動いても、疲れた顔を見せないじゃないか」

 わたしは首を傾げたが、イルマリの言葉は続いていた。

「二十歳の女性だって、君ほどは動けない。四十だからっていうけれども、実質は二十歳と思ってもいいと、僕は考えている。

 それに、子どもができなければ養子をとればいい」



「僕は、君が今のままで大丈夫と論破したよ。さて、反論は?」

にやにやしながら見つめてくるイルマリに、わたしはわざと頬を膨らました。


 そっちがわたしをからかうなら、子どもみたいに拗ねてやる。


「んもう、そんなこと言ったら無理って言えないじゃない」

「言われないように、がんばっているんだよ」



 イルマリはわたしを抱え上げて膝に横に座らせた。そして腕としっぽで抱え込んだ。


「僕は、伴侶を見つけるために旅に出たんだ。僕が伴侶と決めた人は、どんな人だろうと両親もみんなも受け入れてくれることになっている。

 その代わり、期限が過ぎて伴侶を見つけられなかったら、親が僕の結婚相手を見繕うことになっていた。三十歳の誕生日が期限だったんだ。

 あ、まだ親は誰も選んでないからね。候補も決めてないからね」

 イルマリが髪に頬を擦り寄せてくる。

「期限が切れる前に、アウロラに出会えてよかった。アウロラが僕を愛してくれてよかった。

 来てくれるよね。僕の伴侶として。僕の住まいに」


「はい」

 わたしはイルマリの言葉を信じることにした。

 実際に彼の家族に会うまで不安は残るが、反対があったらそのときにまた考えればいい。

 何よりわたしが、彼と離れるのがつらすぎる。


 イルマリは、わたしを上向かせて唇を合わせた。長いキスが、何度も落とされた。


「愛しているよ、僕のつがい

 頭の中が真っ白になっていて、かすかに聞こえた彼の言葉は、ただ耳を通り過ぎた。




 このグリュ町は、国境近くだった。国境の向こうは、隣国キウル国のカンガス辺境伯領だ。

 イルマリがカンガス辺境伯の後継だと知ったのは、次の日の朝だった。


 この国には貴族がいない。

 わたしの頭からは、この国では珍しい半獣のイルマリが他国から来た、しかも貴族である可能性がすっぽりと抜け落ちていた。


 イルマリが辺境伯の後継者だと聞いたわたしは、頭を抱えた。



読んでくださって、ありがとうございます。

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[良い点] あったかくてフサフサで、ツヤツヤですべすべ。 なんて魅力的でしょう。 読んでいるとモフモフが欲しくなってきます(*´ω`*)♡ 想いが通じて番となる二人。 次話から新展開ですね!? どう…
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