2 もふもふは薬師を手伝う
白馬に乗った王子様(?)
それから毎日、イルマリはやってきた。グリュ町の宿屋に泊まっているらしい。
差し入れのつもりなのか、町で惣菜パンやチーズを買ってきて、お昼はそれを二人で食べた。さらに、自慢げに魔法鞄から動物や魔物の肉を出し、それを夕食に提供する。
午前中からわたしの仕事を手伝い、夕食を食べて帰る。
それがわたしとイルマリの日常になった。
彼が来るまでに家事をして、薬草を仕分けている頃に彼が来る。
イルマリに仕事を頼むと、なんでも気軽にやってくれる。それに丁寧だ。
薬草を丸薬にするために練るときは力がいるが、それもなんなくこなしてくれる。乾燥させるために根気よく釜の中で乾かすときも、ずっと火の前にいてくれる。
その間わたしは、ポーションを作ったり、乾燥させた薬草を粉にして軟膏に練り込んだりすることができる。
薬作りの最後に作った薬におまじないをかけるのだが、それはイルマリが帰ってからした。祖母に「これは一人でするんだよ」と言われていたからだ。
おまじないは最後の仕上げだ。
「それぞれが最大限の力を引き出しますように。必要なものが必要なだけ働きますように」
手をかざして言う言葉には、この薬たちが役立って欲しいというわたしの願いが乗せられていた。
市に出る日はイルマリが荷物を持ってくれて、販売まで手伝ってくれた。いつもよりも女性のお客さまが多かった。
この国ヒルシュでは半獣の人は珍しい。だが、この町の人も市に買い物に来る人も、イルマリの耳やしっぽを気にしなかった。「おや?」という顔をするだけだ。
そちらよりもイルマリの綺麗な顔が気になる様子だった。
子どもは「耳ー!」「しっぽがあるー」と騒いだが、イルマリが「かっこいいだろう」と言うと、「かっけー」と目を輝かせていた。
たまに、二人で並んでいるのをからかわれもした。顔が熱くなったけれど、適当に誤魔化した。
イルマリもほんのりと赤くなっているのを見て、さらに頬が熱くなったのは内緒だ。
「そろそろ半月以上すぎたけど、仕事はいいの?」
わたしたちは朝から薬草摘みに出ていた。次の市に向けてまた薬作りに励まなくてはならない。
イルマリの白馬タハティがいるので、いつもより遠くの場所だ。ここには久しぶりに来たから、採れるものもいっぱいある。
わたしは採取する薬草をイルマリに次々と指示していた。
薬草を採りながら、のんびりとイルマリは答えた。
「ちょっと事情があって、三十歳まで自分の用事を優先させてもらっているんだ」
「へー、イルマリっていくつなの?」
イルマリがどうしてもとわがままを言い、二人は名前を呼び捨てしあっていた。敬語もなしだ。
「ん、あと二ヶ月で三十歳」
わたしの十歳下かぁ。若いね。
「あと少しね。もう用事は大丈夫なの? こんなところでこんなことしていたら終わらないでしょう」
「ああ、大丈夫」
イルマリが意味深に笑ったので、わたしはつい眉を潜めた。
「ほら、言われたので良さげなのは、全部摘んだ」
わたしがチェックした薬草を、イルマリは袋に入れて魔法鞄にしまった。
「次はどれを摘めばいい?」
「これを根っこごと。大きいのを採って、小さいのは残して。半分くらい」
薬草のそばに屈んでそう言ったわたしは、顔を上げてあせった。イルマリの顔がすぐ近くにあった。
近い近い近い。
イルマリは表情を変えずに「これだね」と根っこの部分を確かめるように屈んだまま下を向いた。
彼の耳が、わたしの目の前でぴこぴこと動いた。
か、かわいい。触りたい。ふわふわしていそう。
思わず指で、イルマリの頭の上の耳の後ろ、琥珀色の短い毛が生えているところを触って、そのまま撫でた。
つやつやだぁ。
わたしはそのまま撫で続けた。耳の動きがぴたりと止まったみたいだけれど、わたしは気づかなかった。
「ア、アウロラ、もういいかな」
手の下から、掠れた声が聞こえた。
「ごめんなさい」
わたしはあわててイルマリの耳から手を離した。
撫でていたのはどのくらいだったのか。わたしはあっという間だと思ったが、イルマリはそうでなかったかもしれない。
「ここはやっておくから」
イルマリはそっぽを向きながらそう言った。
その後、夕食を狩ってくるとイルマリが森の奥に行ってしまった。
帰りもタハティに二人乗りだ。
いつもよりも歩みが遅く、いつもよりも強く抱きしめられていた気がした。
* * *
その数日後、イルマリと一緒に薬草の処理に追われていると、小屋の扉がガンガンと叩かれた。
イルマリと顔を見合わせ扉に向かおうとしたけれど、彼は手をあげてわたしを止めて扉のところに行った。
「誰だ」
それはいつもニコニコしているイルマリの、初めて聞いた硬い声だった。
「アウロラさんのお宅ですよね。アウロラさんいらっしゃいますか。ベン・シュミットです。急遽、薬が大量に必要になって。
在庫があったら、なんでもいいので分けてください」
扉の外から聞こえてきたのは、焦った声だった。
この声には覚えがある。市の常連の騎士さんだ。他の騎士も連れてきて、傷薬や回復薬をかなりの分量買ってくれる。
ベンは、二つ先のクラウ町に駐屯している騎士隊のメンバーだった。何かあったときには、このグリュ町にも駆けつけてくれる人たちだ。
わたしがうなずくのを確認してイルマリは扉を開けた。わたしはテーブルにベンを座らせ、水の入ったコップを渡した。
イルマリはベンの斜め横に座って、彼から話を聞き出してくれるようだ。前回の市で、イルマリとベンも顔を合わせている。
ベンの話を聞きながら、わたしはポーションや丸薬の在庫をかき集め始めた。
「魔物の大発生だ。
最近魔物が多いと思っていたら、山の向こうで大発生していやがった」
彼が言う山とは、騎士隊のいる町のさらに一つ向こうの町の先にある山だろう。ここからは大発生したところから町三つ分以上離れているが、大発生が長引けば、ここまで魔物が来る可能性もある。
このところ魔物が多いと、市で町の人が言っていた。前に魔イノシシが出てきたのも、その影響かもしれない。
それなら、回復薬と傷薬、血止め、気付け。魔力回復のもまだあったかしら。
注意が必要なので市では扱わないが、深い傷の感染予防と細胞再生促進の薬も引っ張り出した。
ざっくりえぐり取られた部分まで再生するが、本人の体力を奪うので、これを服用すると動けなくなる。それでも大きな魔物の爪や牙の傷で必要な場合があるだろう。
「今あるのは、これだけです。この間、市で売ってしまったところですので」
集めた薬をテーブルの上に並べた。
再生薬は口頭で説明し、さらに貼ってあるラベルを差し示す。その上でそれを保管する人にも説明してもらうようにお願いした。
「先日買ったのは第一陣が持って行った。あのときいっぱい買えて助かった」
「明日の朝にまた来てくれれば、今ある材料でさらに追加できます」
「ありがてぇ。誰かよこすからお願いする」
ベンは大きな鞄に薬を詰め込み、ぺこりと頭を下げ、馬を急がせて去った。
「この間いっぱい採取していてよかったわ。さて、作りますか」
わたしは、イルマリを見た。イルマリはにっこりした。
「僕は何をすればいい?」
「調合するので、丸薬をお願い。いつもの倍量でも一度に作れそう?」
わたしはちゅうちょなく力仕事をお願いした。力がいる上に、火を長い時間使うので暑い作業だ。
「わかった」
イルマリは上着を脱いでシャツ一枚になった。
彼の薄着を見たのは初めてだった。体を動かすと、厚い筋肉が動くのがよくわかる。
もしかして馬に乗っているときって、あの胸に抱かれていたの?
赤くなって見惚れたわたしにさらに見せつけるように、イルマリは腕を動かした。力瘤が盛り上がり胸の筋肉が張った。耳はぴんと立ち、しっぽまでポーズをつけている。
「ほら、どう? 惚れた?」
「ばか。すぐやるわよ」
わたしは薬草を刻み出したけれど、顔の熱はなかなか引かなかった。
* * *
目が覚めた。あたりはまだ暗い。
違和感を覚えたのは、寝室ではなかったからだ。ソファーに横になっている。
何か固いものに頭を乗せ、体にかけられた薄いショールの上の背中からお腹にかけて、ふわふわした温かいものがある。手で撫でると厚みのある毛皮の手触りで、ずっと撫でていたくなる。
「起きた?」
頭の上から男性の声がした。そして、自分がイルマリの膝枕で寝ていたのに気づいた。ふわふわは彼のしっぽらしい。
「おはよう」
あわてて体を起こして、挨拶をした。
「僕のしっぽ、気に入った?」
そう言われて初めて、わたしはしっぽを両手でかかえていていたことに気づき、慌てて手放した。
「ごめんなさい。気持ちがよくて、つい」
「ううん、大丈夫。だけどできれば、今は先っぽだけにしてもらえないかな。僕たちが……」
そのあと呟いた言葉は、小さすぎて聞こえなかった。
自由になったしっぽは、わたしの背中を撫でるように上がったり下がったりしていた。
手元にあった材料を使いきり、夜半までかかって仕上げて、わたしたちは仮眠をとっていた。
練った丸薬を冷ますように鍋から出して広げてくれてから、イルマリは休んだらしい。
きっとわたしはソファーに倒れ込んで寝ていたのだろう。イルマリは目についたショールをかけ、寝やすいように膝を貸してくれたに違いない。
しっぽで包んでくれたのは、わたしが寒そうだったからかな。
二人で、丸薬を瓶に入れ、軟膏を小分けにし、ポーションも含めて割れないように梱包した。
出荷するすべてのものに、わたしはまとめておまじないをかけた。
「それぞれが最大限の力を引き出しますように。必要なものが必要なだけ働きますように」
確実にすべての薬におまじないがかかったことを確信して、わたしは広げていた手を下ろした。
イルマリの前で初めておまじないをかけた。
彼は不思議な顔をしたが、何も言わなかった。わたしも何も言わなかった。
「アウロラ、僕は薬を取りに来る人と一緒に行くよ。
騎士隊の人たちと一緒に戦ってくる」
行ってしまうの?
不安が押し寄せた。魔物の大発生だ。傷ついたり死ぬ人もでるだろう。
「イルマリは、騎士なの?」
「ま、そんなようなもんだ」
アウロラは、イルマリが何をしている人だということさえ知らなかったことに、気づいた。
行って欲しくない。けれども、わたしにはそんなことを言う資格はない。わたしとイルマリは、どんな関係も結んでいない。
十歳年下のイルマリ。せめて姉と弟だったら。
わたしは、願いを口に出さぬまま、朝食の用意を始めた。急がないと、薬を受け取る人が来る。
暖かいスープには、肉をたっぷり。
煮ている間に、残っていたパンにいろんな具材を詰めていく。これで昼食になるだろう。
干し肉を倉庫から取り出し、自分用に作ってあった薬と一緒に、イルマリに渡した。
「わたしの念ががっつり入っている丸薬だから、イルマリ専用よ。体力が切れる前に飲んでね」
「ありがとう。使わなくてもいいように頑張るよ」
薬瓶ごと、イルマリの手がわたしの手を包んだ。
片手で薬瓶を受け取って胸ポケットにしまい、もう片方の手はわたしの手を掴んだままだった。
「またここに戻ってくるよ。待っていて欲しい」
イルマリの唇がわたしの手の甲に触れた。
「はい」
返事をしたと思ったら、わたしはイルマリの胸の中にいた。力強い腕が背中に回され、ふんわりとしたしっぽが腰に巻きついている。
「魔物を退治して帰ってきた騎士の方々のために、いっぱい薬を作っておくよ」
あえて軽い口調で、言った。
「素材を採りに行って自分が怪我をするなよ」
イルマリも、口調を合わせた。
到着した騎士に朝食を食べてもらってから、イルマリは白馬タハティに乗って、彼と並んで出て行った。
読んでくださって、ありがとうございます。
=覚え書き=
・ベン・シュミット クラウ町騎士隊員