11 番外編1 家令クスターの考察
カンガス家の元家令クスター視点後編です。
シリアル度は前編より低くくなります。
氷の騎士の謎の解明、になるか。
弟のコトカぼっちゃんがお生まれになった頃、五歳のイルマリぼっちゃんはカンガス領の騎士隊の演習に参加することになりました。
貴族の子息としても、少々早い訓練ですが、飛び抜けて身体能力が高く、いつも走り回ったり、裏庭の林の木々を飛び移ったりしているぼっちゃんは、すでに基礎はできていました。
まずは旦那さま自ら、ぼっちゃまに剣の稽古をつけられました。
当然守り役のロニーも一緒です。不憫ですが仕方がありません。
使用人の息子の立場でありながら最高の指導を受けられると、諦めてもらいましょう。
「力の制御を覚えるためにも、剣を習うのが良いだろう。
それに、戦いに勝つ爽快感や負けて悔しい気持ちを味わうことは、あの子にとって良い影響となる」
表情に乏しく、普段から感情をほとんど見せないイルマリぼっちゃまを、旦那さまも奥さまも、いまだに心配されていました。
私クスターが知る限り、ぼっちゃんが感情をあらわにしたのは、オッリぼっちゃんとのケンカだけです。
けなされた怒りと、己の暴力への怖れ。これらは成長するにつれ、向き合っていかなければならない課題となるでしょう。
騎士隊でもまれるのは、力の使い方を正しく覚えるという意味でとても良いことです。
自分を主張し、力を振るう必要があるときにはきちんと振るうことも、連中が体で教えてくれるのを期待しましょう。
騎士隊の半分以上は、脳が筋肉でできていると揶揄されている者たちです。きっと期待以上の働きをしてくれるでしょう。
旦那さまは、ぼっちゃんを贔屓しないように騎士隊に言ったらしく、ぼっちゃんは騎士隊から帰ってくるときにはいつもぼろぼろになっていました。当然ロニーはぼっちゃん以上にぼろぼろです。
それでも体が慣れてくる頃には、ぼっちゃんのお顔に、ほんの少しですがすっきりした表情も見受けられました。
ロニーですか? 諦めの表情一色です。
* * *
ある日、イルマリぼっちゃんがお一人のときに、私に声をかけてくれました。内緒で聞きたいことがあると。
私は、どんな話題が出てもいいようにぼっちゃんの部屋の鍵をかけ、ぼっちゃんを椅子に座らせ、視線を合わせて向き合いました。
「父上と母上には、ぼくがきいたことはないしょにしてほしい」
私はこくりとうなずきました。旦那さまに相談できないことを聞かせていただくのは、家令冥利につきます。
「ぼくは父上と母上の子ではないの?」
とんでもない言葉が、ぼっちゃんのかわいらしい口から飛び出しました。いつも変化のない耳はしょぼくれ、しっぽがだらりと垂れ下がっています。
「誰から何かを聞いたのですか?」
ぼっちゃんにそんなことを吹き込んだものは、許しません。死ぬのが楽なくらいの目に合わせましょうか。
「ううん。
でも、ぼくは父上とも母上ともちがう。ルースとも、コトカともちがう。
このやかたで、はたらいてくれている人たちとも、ちがう。
きしたいのみんなとも、ちがう。
ぼくだけ、みみがあたまのうえで、しっぽがある」
ぼっちゃんのくりくりとした目には、涙の膜が張っていました。
「だから、ぼくはこのやかたの子ではないんじゃないの?」
ぼっちゃんの勘違いをどう説明したらいいのか、私は悩みました。
最初の返事に時間をかければ、私の言葉まで疑われてしまうでしょう。
「ぼっちゃんは、この館のお子ですよ。奥さまからお生まれになったとき、旦那さまも、私も、サイミも、一緒にいました」
奥さまのお部屋と、扉を挟んだ廊下と、同じところにはいなかったが、それは些細な問題です。
「生まれたばかりのぼっちゃんは、おかわいらしかった。
館の者みんな、大喜びでした。領地の者も、みんな喜んでお祭り騒ぎでした」
下を向いていたぼっちゃんのお顔が、ちょっと上向いてくれました。耳も私の話をしっかりと聞こうと、ぴんと立っています。
「生まれたとき、旦那さまはぼっちゃんをみんなに見せて、こう言ったのですよ」
私は旦那さまの声音を真似ました。
「かわいいであろう。先祖返りだな。
皆、我が子が産まれた。英雄クルタススの再来だ!」
「ぼっちゃんの耳としっぽが英雄クルタススさまと同じであっても、コトカぼっちゃんのように他の人と同じであっても、旦那さまは、ぼっちゃんを可愛がり自慢に思われます。
けれども、生まれたときにぼっちゃんの耳としっぽを確認されたとき、カンガス家の家長である旦那さまは、誇らしかったのですよ。自分の息子がカンガス家の英雄クリタススさまと同じで。
イルマリぼっちゃんのそのお姿は、旦那さま、ひいてはカンガス家の誇りなのです」
私は一気に、けれども一言一言噛み締めるように、ぼっちゃんにお伝えしました。
私の言葉が、これから半獣として生きていくぼっちゃんの支えとなるように。
子が成長するのを支える言葉は、いくつもあった方が良いでしょう。何人もの言葉であれば、その力は増します。
イルマリぼっちゃんがお生まれになったときに私が感じた不安の原因が、これからぼっちゃんを苦しめるかもしれません。
せめてそれを防ぐ鎧の一つになりたい。
私はそう考えるのです。
「ありがとう。
もう一つ、きいていい?」
ぼっちゃまはこの小さいお体に、どんなに悩みを抱えられているのでしょう。
「どうぞ。ご遠慮なさらずに」
「ぼくは、ルースやコトカとちがって、うれしいとか、たのしいとか、よくわからないの。
ルースがにこにこしていたら、うれしいんだろうなっておもうし、コトカがおおごえでわらいながらさわいでいたら、たのしいんだろうなっておもう。
だけど、ぼくのことは、よくわからないの。
父上も母上もすきだし、だっこされたりあたまをなでられると、きもちがいいけれど、ルースやコトカと同じくらいすきか、わからないの」
ああ、だから表情が動かないのですね。
私は、私が立てた一つの仮説を確認するために、ぼっちゃんに質問しました。
本当は蒸し返したくないのですが、しかたありません。
「ユーセラ家のオッリぼっちゃんと最初にケンカしたときは、気持ちはどうでしたか。よくわからなかったですか」
イルマリぼっちゃんは、私の顔をじっとみた。
あのときのことを思い出し、自分の気持ちを計っているのがよくわかる。
「あのとき、はらがたった。くやしかった。そして、あいつをつきとばしたぼくがこわかった」
イルマリぼっちゃまの声が、硬く大きくなっています。
「いつもの何倍くらいでしょう」
「百ばいくらい」
本当にお辛かったのですね。
あのときのぼっちゃんを思い出した自分もまた、腹わたが煮えくりかえってきます。
「ぼっちゃんのように、たとえ自分が悪くなくても、気持ちは動くのです」
私はぼっちゃんの髪を手で撫でて、目を合わせました。
「あのとき百倍つらかったなら、ぼっちゃんの嬉しいとか楽しいという気持ちも、今よりも百倍動くはずです」
「でも、かわらないよ。
きしたいでも、かおがうごかないっていわれた」
「そうですね。それは」
私は、自分の仮説をぼっちゃんに話すことにした。
これは旦那さまにも話していない、私だけの思いつきです。
けれどもこれが本当なら、ぼっちゃんに希望が生まれます。
「これは、私が考えたことです。本当かどうかわかりません。
それでも聞いてくれますか」
ぼっちゃんはこくりとうなづいた。
瞳が興味津々に輝いている。これは私やぼっちゃんに近い者だけがわかる。
ぼっちゃんは本当は、とても感情豊かなお子なのだ。
「半獣には、番というものがあるそうです」
「つがい?」
「はい、旦那さまと奥さまのように、伴侶として絆を結ぶ二人のことだそうです。
ただ、半獣の番というのはとても深い絆で、それゆえに珍しく、生涯に一度会うことができるかどうかなのだそうです。
それは強烈な絆で、その人のことをさらって閉じ込めても自分のものにしたくなるそうですよ。
獣人や半獣の中には、気持ちがついていかなくても、番というだけで求め合うものもあるそうです」
半獣が住むこの国でも、このあたりには半獣はいません。なので、幼な子が番という言葉を聞くことはありません。
ぼっちゃんは、不思議な話だというように、目を丸くして聞いていました。
「ぼっちゃんの、嬉しい気持ちや楽しい気持ちの一番強い状態は、その番である女性とご一緒のときなのだと、私は思います。
普段が一で、ルースじょうちゃまやコトカぼっちゃんと遊んでいるときが十だとすると、もしかすると番の女性と一緒にいるときは百かもしれませんよ」
今や、ぼっちゃんのしっぽが持ち上がって、ゆっくりと振られています。
ぼっちゃんの気分が高まっているのでしょう。
「つがいといっしょにいるときは、ひゃくばいうれしいってほんとうかなぁ」
「本当だといいですね」
私は簡単に請け負ってしまいました。
「ぼく、つがいのおんなのこをみつける」
イルマリぼっちゃんの大きな宣言でした。
「ぼっちゃんの運命の人ですね」
「うんめいのひと?」
「はい。番は半獣からの言い方で、半獣でない場合は、運命の人と言うのですよ」
「うんめいのひと」
私は後に、このときのことを後悔します。
まさかぼっちゃんが番を探して放浪の旅に出て、三十歳まで独身でいるとは、このときは想像しませんでした。
後悔はしても、このときに戻って私の発言をなしにしようとは考えません。
私の言葉がぼっちゃんの人生を前向きなものに変えたのは、間違いないのです。
* * *
このあと、ぼっちゃんは積極的に人に関わるようになりました。
番を見つけるためには、人と出会わなければならないからでしょう。
騎士隊で揉まれ、剣の腕や体術を磨き、旦那さまに師事して魔法の修行を積みました。
半獣であることを誇りに、耳やしっぽを隠さずに、堂々としていました。
半獣であることでけなすものは、物理的にか魔法でか徹底的に叩きのめして、どちらの能力が上かを見せつけました。
表情が変わらないなど、こんなぼっちゃんには些細なことでした。
後に氷の騎士と呼ばれることも、ぼっちゃんの優秀であることの証でもありました。
ぼっちゃんは内心嫌がっていたようですが。
ロニーですか?
ああ、哀れとしか言いようがありません。ぼっちゃんの成すことすべて付き合わされるのですから。
ぼっちゃんは、学校に入学してからも文武両道で、座学も実習もどちらもトップの成績で卒業なさいました。
大変女性におモテになりましたが、ぼっちゃんは番以外に興味を惹かれないようで、氷の騎士そのままの表情で対応されていたそうです。
それがまた女心をくすぐるとさらにおモテになったのですが、女性の心はわからないものです。
すべては、これから出会う番、ぼっちゃんが口にする運命の伴侶のためでした。
番見つからないと三年間も旅に出て帰らず、家にもほとんど連絡せず。
ぼっちゃんは番が見つからなかったらこのまま失踪するのではないかと心配したことなど、些細な……、はぁ。
心からアウロラさまと出会われて、結ばれて、よかったと思います。
カンガス家の今の家令はロニーです。
ぼっちゃんより十歳年上ですが、ぼっちゃんのお守り役兼遊び相手として毎日ぼろぼろになり、一緒に騎士隊で揉まれました。
半獣の能力のないロニーがぼっちゃんと一緒に毎日を過ごすのは、並大抵のことではなかったでしょう。
家令としても私がしっかりと仕込みましたので、ぼっちゃんの右腕として活躍するはずです。
老兵は去るのみ。
英雄のクルタススさまと同じ金狼のイルマリさまに振り回される日々からは、旦那さまと一緒に引退です。
これから私は、悩みのないのんびりとした日々を送れるでしょう。
まさか、イルマリさまのお子たちにまた振り回される……。
それもまた、楽しいかもしれません。
番外編まで読んでくださり、ありがとうございます。
これで家令クスター編は終わります。
このあとはイルマリ視点の番外編で、完結とします。
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