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猫舌

作者: 売市時世


ある雑誌編集長のもとを、生物学者が訪れた。


「突然のことで失礼いたします。ネコに関する私の研究結果について、雑誌に載せていただけないでしょうか」


生物学者は思いつめた様子だった。


「ネコに関して?私が担当している雑誌は都会的なカルチャー誌だ。科学雑誌かペット情報誌の担当を紹介しましょうか」


「いいえ、科学者への発表はもう済んでいるのです」


「それじゃなぜ私の雑誌に?たしかにネコは女性に人気のペットだから、内容によっては掲載しないこともないが・・・単にわが出版社で一番の売上の雑誌だからということなのか?」


「それもあります」


「いやに正直だな。とりあえず研究結果の内容だけでも聞いてやろう」


「はい。今回の研究は動物の舌についてです。ネコは熱いものを口に含むのを嫌がるとされてきましたが、実はそうでもなかったのです。と言っても熱いものが得意というわけではありませんが・・・食べ物を熱して食べるのは人間くらいなもので、ほとんどの動物は熱いものが苦手です。動物全体を考えると猫は普通くらいで、もっと熱いものが苦手な動物がいたのです」


「ほう、それはなんだったんだい?」


「ゴリラです。ゴリラはほかの動物以上に熱い食べ物を嫌がるのです」


「そうだったのか。ゴリラは人間らしい見た目をしているのでちょっと意外な気がするな。しかしそれを女性好みのカルチャー誌に載せてどうにかなるというのかね」


編集長は目を通し終えた次号の特集記事を秘書に渡しながら聞いた。


「私が気になったのは「猫舌」という慣用表現です。熱いものが苦手な人のことを猫舌と呼びますが、それは正しくないのです。「ゴリラ舌」が正しいでしょう」


「なんだか聞きなれないな。慣用表現なんて科学的根拠がなくて当然じゃないか」


「科学者のクセで、つい細かいことが気になってしまい夜も眠れないのです。どうか発行部数の多いそちらの雑誌にこのことを載せて、世間で使われる言葉を変えてほしいのです。世の科学者には、自らの研究が招いた過ちを正すために半生を捧げる人もいます。私も先人に倣い・・・」


「それとこれとは違う気もするが・・・専門家に言われてしまってはしょうがない。次号では新しい慣用表現「ゴリラ舌」について記事を掲載し、今後の記事でも表現として「ゴリラ舌」を使おう」


「ありがとうございます」


生物学者はほっとした面持ちで長い前髪を撫でつけると、編集長室を出て行った。


 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


「猫舌」という表現が「ゴリラ舌」と正されると、世の女性たちの飲食事情は変わってしまった。


それまでは熱いカフェラテやなべ料理をいつまでもしつこくふーふーしながら「私猫舌なの・・・」というのがお決まりだったのが、無理をしてでも口に入れ込むようになった。


彼氏に「ゴリラ舌」なんて言われてしまったらたまらないからである。


編集長と秘書もこの時流には気が付いていた。


「世の女性たちは大変ですね。慣用表現が変わってこんな思いをするとは」


秘書が郵便物を渡しながら言った。


「無理をしているというよりは、変に猫を被る必要がなくなっただけかもしれないがな」


「そういえば、「猫を被る」という表現もありましたね。猫はおとなしくてかわいらしく、ゴリラは力強く横暴、というのは普遍のイメージなんですね」


「うーむ、そうしたら、そのイメージを逆にしてしまうのも面白いかもしれないな。」


「イメージを逆にするなんてことができるんでしょうか」


「雑誌が生み出す流行の力はすさまじいのだ。見ていなさい」


編集長のこの言葉で、次号では「ゴリラ系女子」の特集が組まれることになった。


ゴリラほどかわいい動物はいない。気ままでミステリアス、でも甘えるときはかわいらしい。そんなゴリラらしい女性がモテる。素敵な女性はゴリラの生き方を真似している。思えば古代アマゾンでもゴリラはあがめられていたのだ・・・。


世の女性たちはまた、大げさに食べ物をふーふーするようになった。そして上目遣いで「私、ゴリラ舌なの・・・」と言うようになった。


猫のようなつり上げたアイラインは廃れ、ゴリラのような彫り深い陰影を作り出すメイクが好まれるようになった。


服やメイク用品のブランドマークにもゴリラが増えた。


金持ちは品種改良されたゴリラを飼い、金のない若い女性はゴリラカフェへ行くようになった。


酔ったふりをした女性は、男性の方にもたれて「うっほほ・・・」と甘えた声を出すのだ・・・。


 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


「編集長、もうすっかりゴリラのイメージは変わってしまいましたね」


「ああ。人のイメージなんてそんなものさ。それにしても女性とは大変なものだ。他者からのイメージに振り回されて、自分をとりつくろって・・・」


「男性は違うっておっしゃるんですか」


「まあそんなところだな。少なくとも私はイメージなんて気にしないさ。群れることも、他者の評価を恐れてびくびくすることもない、一匹狼ってわけだ」


その言葉を聞いて秘書が思い出したように言った。


「そういえば先ほど、先日の生物学者さんがお見えになりましたよ。動物の習性について新しい研究結果があるので見てほしいとか・・・ちょうど編集長がいらっしゃらないので論文だけお預かりしていたんです」


そういって秘書が差し出した文書のタイトルは『動物の群れ行動について~オオカミ以上に単独行動を好む動物は野生のブタである~』だった。


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