利子と小百合の魔法授業
この星の住人は多かれ少なかれ魔力を保有しており、体内の魔力を消費して様々な魔法を使用することができる。そして、魔法は世界そのものに干渉することで物理現象をも引き起こす。
魔法を発生させる回路を魔術回路、または魔力回路と呼び、体内に蓄積された魔力が変換機を通って各種魔法回路へ流れ込むことで魔法が発生する。これは車の燃料ラインや電気機器の回路に似た構造になっており、その回路の一部でも不具合があった場合は思いもしない誤動作につながることがある。
孤児院の裏山は山と言うよりは丘陵となっている。山頂付近には木が生えていない場所があり、程よく吹く海風と眺めの良さから、ハイキングやピクニックには最適の場所だ。また、孤児院に近いこともあって子供達も遊びに来る事がある。
シュウイチの後ろを歩く利子は、自分より背が低く、鼠の尻尾が生えている教師を見ながら不思議な気分になっていた。動画で見た鼠人と実際の目で見た鼠人は明らかに違って見えていたのだ。
「本日はよろしくお願いします。えーと、先生、何で私だけ個別授業なのですか? 」
利子は初めての魔法授業を楽しみにしていたが、てっきり小百合と一緒に授業が受けられると思っていた彼女は、自分だけ個別授業なのは魔法を使えず、何の知識も持たないのが原因なのかと不安に思い始めていた。
「自分の名はシュウイチ、先生と言われるほどの人間ではないので、名前で呼んでください。」
シュウイチは現在29歳、利子より10歳以上年上なのだが、相手が大妖怪クラスの魔力を持っているので、年下の生徒であっても有り得ないほど気を使って話しかける。
黒霧外の先進国では、高い魔力を有していても功績をあげなければ認めてもらえず、倭国もジアゾ国との接触で大きく変わっていたが、未だに妖力や魔力の高い者ほど格が高いという風習が根付いていた。と、言うよりも、瘴気外には魔族がいないため、魔族のプレッシャーを受けていない、団栗の背比べ程度の魔力差しかない人々が決めたルールを倭国が導入したに過ぎない。
利子のような存在は倭国で例が無いため、シュウイチは大妖怪の前で話すように対応する。勿論、必要のない気づかいなのだが・・・
「あっ、わかりました! シュウイチ先生。」
シュウイチは全く分かっていない利子を最大限警戒しつつ裏山の坂道を登っていく。
「赤羽さん、あなたが魔法を使えないのは魔術回路が機能していないからです。今日の授業では少し手荒な方法ですが、回路を強制的に引きます。」
「それって、危ないんですか・・・」
「あなたのように回路を上手く引けない者は珍しくありません。その場合は他者に引いてもらうのですが、失敗は万に一つもありませんよ。」
シュウイチは言葉で問題ないと言っているものの、自分が置かれている状況から鈍感な利子でも察してしまう。
利子は触手と出会った次の日に、魔法について質問していた。そこでは暴発についても注意点として話が出て「主様は周囲の物を壊すような暴発はしません。」と言われていたので、ほとんど気にしていなかった。
「触手、話が違うんだけど・・・」利子はアパートで情報収集している触手を今すぐ問い詰めたかったが、先ずは生きて帰ることが先である。
今回は授業では多くの人目につくことから、触手本体は連れてきていない。しかし、これでは利子が無防備になってしまうため、触手は護衛として体の3割を同伴させたのだが、その携行方法は利子の想像をこえるものだった。
「確かに機能性はいいけど、何て言うか、うん。」現在、利子は触手を着ていた。触手は薄く延びて利子の胴体にぴったり密着することで、携行性と利子の護衛を両立させていたのである。いわゆるボディースーツというもので、体と体のお付き合いというやつだ。
当初、利子は触手を着用することを拒否したが、使い魔との契約を破るわけにはいかず、「私の体は斬撃に強く、拳銃の弾丸も防ぎます。また、暑いときには体を冷やし、寒ければ暖めることもできます。服として見ても最高の機能性を備えております。」とのセールストークに押されて渋々着用を決めていた。
触手の着心地は最初「おぞましい」の一言だったが、慣れれば気にならなくなり、山に登っている現在は体を効果的に冷してくれるので以外と悪くないものだった。
「いつも言いくるめられている気がするけど、今回は悪くないかな? でも、汗を舐めとられる感じだけはダメだ。」
緩い斜面をしばらく登ると、目的地である木々の生えていない広い場所に出る。そこは山を少し回り込んでいるため、孤児院は端が見えるだけで下には田園地帯が広がり、遠くにはグレートカーレの街並みが見える。こんな状況でなければかなり良い景色だ。
シュウイチは、ここなら暴発しても被害が最小限に抑えられると考えていた。
「着きました。では、そこの石に腰かけて気を落ち着かせてください。始まればすぐに終わります。」
シュウイチは利子を落ち着かせてから後ろに立ち、利子の頭に手をかざして魔術回路を確認する。魔術回路引きは確固たる魔術回路を持つ者なら誰にでもできる簡単な作業で、川の流れを作る感覚で魔力が上から下へ流れるようにすれば1分とかからずに自然と機能し始めるのが通常である。
以前、シュウイチは大妖怪に匹敵する本島鼠人の魔術回路を覗いた経験があり、本人は後人の育成として特別に魔術回路を公開したのだが、その回路は無数の源流がいくつもの支流となり、大河を形成したかのような壮大な回路だった。この経験があったためシュウイチは利子の回路引きにも自信を持って取り掛かることができたのだが・・・
「何だ、これは・・・」
シュウイチの目の前には幾何学模様の複雑かつ膨大な魔術回路が広がっていた。
「あり得ない、魔術回路に魔導機関が組み込まれている? 」
「まさか、回路が2つあるのか? 片方は機能していないようだが、深くて中が見えない。」
利子の回路はシュウイチの手に負える代物には思えなかったが、このままでは暴発の危険を放置することになるため、持てる技術を全て使って出来うる限りの事をする。
「この生徒は魔法が使えないと言っていたが、魔力的にそれはあり得ない。何処かで回路が切れている可能性があるな。」シュウイチは少ない情報から原因を予想し、複雑な未知の回路で魔力が流れていない箇所を探す。そして、魔力が供給されていない区画を見つけることで遂に原因を特定した。
「ここか・・・魔法が使えないわけだ。これは、何かしらの魔法が発動しているな。」
シュウイチは配線の誤接触で1つの回路が常時使用状態になっている個所を発見し、細心の注意をはらって線を離してから本来接続されているであろう箇所に繋げる。その瞬間、利子の魔術回路が眩い光を放って本来の機能で動き始めた。
「うっ! 」
シュウイチは余りの眩しさに、利子の魔術回路から目を離す。
「終わりましたか? 動いていいですか? 」
利子は後ろにいたシュウイチが離れたので、回路引きが終わったか尋ねる。
「あぁ、終わったよ。気分はどうです? 」
「えーと、特に変わった感じはありませんね。」
利子は率直な感想を言うが、本人の自覚なしに強力な魔術回路が機能を始めていた。
「今日の授業はこれで終了です。まだ回路は不安定だと思いますので、次の授業までは魔法を使わないようにしてください。」
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シュウイチが不発弾の処理をしている間に、タケは孤児と小百合の授業を行っていた。授業内容は手抜きもいいところであり、孤児達には前回の復習をさせ、小百合には別室で魔術回路の確認と知識、力量の把握をメインに行っていた。
タケは日本政府関係者から小百合が魔法を使えると聞いていたのだが、本人に会って魔力量を見たところ、普通の日本人に毛が生えた程度の魔力しか持っておらず、南海鼠人の子供どころか、死者に近い魔力で魔法が使えるのか? この魔力量で魔法を行使して生命に危険が無いのか心配になっていた。
「最初に回路が出来ているか確認するのは基本なんでね。そこに座ってリラックスしていてくれ。」
「わかりました。」
小百合は言われる通り椅子に座るが、後ろに他人が立つということ自体苦手なので警戒は怠らない。それが妖怪に近い存在ならなおさらである。
この娘はやけに隙が無いな。と、言うか殺気立っていないか? タケは小百合の不自然さに気付くが、「まっいいか、こんな日本人もいるんだろう」と深く気にすることは無かった。
「そんなに緊張しなくても、痛いことなんてしないぞ。」
「すみません。初めての事なので緊張してしまって・・・」
タケは小百合の回路を見るが、それはあまりに細い回路のため、集中しなければ機能しているのか切れているのかすら分かりづらい代物だった。
「細っそ! それに魔術回路が魔法陣? 何だこりゃ? 」タケは心の中で叫び、常識外れな回路に1人で突っ込みを入れる。
小百合の魔術回路は五芒星だった。通常ならば植物や川のような形が自然なのだが、人工物と言わざるを得ない形をしている。
「この娘は魔法生物か? 異世界の回路は変わってるな。」
回路確認は簡単な作業だが、タケにとっては新発見ばかりである。
「終わったぞ。少し聞きたいことがあるんだが、日本人の魔術回路は全て形が決まっているのか? 」
「それは分かりません。私達は魔術回路を見るということ自体できないので・・・私の回路は何か変なところがありましたか? 」
「ああ、すまない。最近になって使えるようになったんだよな。次は何ができるか見せてくれ。火とか出すのなら屋外に移動するぞ。」
小百合の言葉にタケは最近まで日本に魔法が無かったことを思い出して、授業の続きに移る。
「教室で大丈夫ですよ。火とか雷とかは一切出せませんので・・・」
この言葉にタケは首をかしげる。火、水、雷は基本魔法で最も簡単な部類であり、魔力が少ない南海鼠人の子供ですら初日から使える者もいるほどだ。それが出来ないのなら、更に少ない魔力で何ができるのか逆に興味が湧いてくる。
「よし、じゃあ魔法を唱えてくれ。」
「既に魔法は使っています。目の前をよく見てください。」
「はぁ? 目の前って、ん? 糸? 」
「良く切れるので、触れると危ないですよ。」
タケは慎重に糸を触り、何の魔法、或いは妖術なのかを調べる。「うん! わからん。」小百合の魔法はタケの理解を超えるものであり、無詠唱で発動させることも凄いが、驚くことに糸の強度は倭国でも強い分類に入っていた。
「え~と、白石さん? あなた、蜘蛛の妖怪とかじゃないですよね・・・」
本職でなければ出せない魔法の糸に、タケは「この娘も妖怪ではないか? 」との疑念を持つ。
「そんなことは絶対にないですよ。フフフッ・・・」
突然妖怪の疑いをかけられた小百合は笑顔で全否定しつつ、今すぐ目の前の鼠を糸で絞めあげたい衝動を全力で押さえつけるのであった。
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「おっ、無事に戻ってきたか、どうやら成功だったようだな、お疲れさん! 」
裏山から戻ってきたシュウイチをタケは労う。タケ自身、回路引き位は簡単だろうと考えていたが、午後の授業が終わっても2人が戻ってこないので心配していた。
「シューイチ、白石とかいう日本人は天才だ、俺が教えられることはもうないぞ。」
小百合と子供達を担当していたタケは授業内容をシュウイチに伝える。そして、シュウイチはタケに利子の教育方針を伝えた。
「タケ、あの妖怪は俺の手に負えない。」
「回路引きが出来なかったのか? 」
「そこは何とかできた。だが、俺は専門家じゃない、魔法科学院に協力依頼しないと・・・」
「こっちも学院に報告書を出さないとな。」
シュウイチはタケの話が耳に入っていないのか、心底疲れ切った表情で校舎へ戻って行く。
小百合は授業が終わっても戻らなかった利子を待っていた。送り迎えをする国の担当職員も待っていたため、2人で授業の報告書を書いていたところである。
「 !! 」
「どうしました? 」
小百合は突如現れた巨大な妖気を感じ取って、その方向を見ると・・・
「白石さん、お待たせ~。」
利子は帰りを待っていた小百合に言葉をかけるが、小百合は利子を見た瞬間に全身が硬直する。目の前の妖怪は今までの人生で見たことも無い危険な妖気を放っていて、小百合は恐怖で動けなくなっていた。
「どうしたの? 体調でも悪いの? 」
「何でもありません。」
小百合の様子が少し変なので利子は体調を尋ねるも、そっけなく返されてしまう。
利子は全く自覚はなかったが、小百合が自分に恐怖していることを気付かずに、初日の授業は無事終わるのだった。
国の職員にアパートまで送られてきた小百合は部屋の隅で震えていた。利子本来の姿は想像を遥かに超えるものであり、妖怪としての本性を把握した小百合は久しくなかった恐怖を感じていたのだ。
「赤羽さん、貴女の本性を見せてもらったわ・・・「捕食者」それが貴女の正体。でもね、貴女は私の獲物、獲物なの。あくまでもこちら側が狩る立場。」
そう自分に言い聞かせることで、小百合は恐怖を制して赤羽利子に対する本格的な対応策を練るのであった。
アパートに戻ってきた利子は触手の元へ一直線に向かう。
「お帰りなさいませ主様。」
「触手~、魔法回路を引くのが危険だなんて聞いてないんだけど。」
利子は今日の授業を触手に言って問い詰めた。
「危険が全く無いということはありませんが、主様の場合は物理的な被害の心配が無いのは事実です。」
「いつも上手く言いくるめられている気がする。」
実際に被害が無かったので利子は簡単に納得してしまうが、彼女にとって魔法が使える土台ができたのは大きな前進であり、収穫だった。利子の夢が叶うのはもうすぐである。しかし・・・
この時点で利子の魔法が既に暴発していたことを知る者は回路を引いたシュウイチ以外、触手しかおらず、シュウイチ自身も実害が確認できていなかったため、大したことが無いと判断していた。
この暴発事故は利子が南海大島を離れた後も暫く余韻を残すこととなる。そして、未来の日本に大きな変化をもたらすのであった。
利子の夢がもうすぐ叶うところまで来ました。利子は何の妖怪? と思うかもしれませんが、作者オリジナルの妖怪です。パンガイアには同族がひっそりと暮らしていて、大学に行く途中で偶然にも出会ってしまいます。
小百合ですが、前回までは妖怪を見る目がありませんでした。今回、利子本来の妖力を目の当たりにしてナギの能力がランクアップしました。利子の正体を直ぐに把握して恐れますが、彼女以上の妖怪が多く住んでいる倭国本島では暮らせないですね。
触手服を出すかどうかで数日間迷いましたが出してみました。この程度ではノクターン行きにはならないはず。また、触手服以上に小百合の魔術回路を出すか迷ったのですが、思い切って出してみました。
次回は日本本土に話が戻ります。




