神竜ヴィクター
ヴィクターランドは大小3千を超える島で構成される群島国家であり、気候は熱帯で1年中高温多湿な環境となっている。また、多民族国家でもあり、中でも環境に適した爬虫類族が人口の多くを占めていた。多種族多民族国家である理由は神竜ヴィクターを信仰する者が瘴気内外から移り住んだためであり、この国には世界に存在する7割以上の人種が住むとされている。国の中心はヴィクターの住むピナド島であり、政治と宗教の中心地である。
ヴィクターランド、ピナド島ピナド山
山頂で巨大なドラゴンが日本国総理大臣を出迎えていた。総理はその圧倒的な存在感に威圧される。
「遠路遥々ご苦労であった、異界の指導者よ。竜語では会話出来ぬゆえ念での会話を許してくれ。」
総理は頭に直接話しかけられて戸惑うが、慣れないながらも話し始める。
「私は・・・」
4時間前、ピナド山
ピナド山は標高約2400mあり、山頂から約150m下の位置には永い年月をかけて大聖堂が建てられていた。この大聖堂は外交機関としても機能しており、各国の王族や指導者が訪れた場合は神官長が対応している。
大聖堂から山頂までの間は暗雲が立ち込めており、雲の中はガラス片のような雹が吹き荒れているため、部外者が直接山頂まで行くことはできないようになっていた。そのため、神竜への謁見を希望する者が現れると、神官長は会うに相応しい相手か、または時期かを判断して神竜のいる山頂までの案内をしていた。
大聖堂にはヘリポートのようなものがあり、現在その場所には自衛隊のヘリコプターがとめられている。
「神官長が参られます。今しばらくお待ちください。」
総理大臣一行に対応した神官は、最低限の会話を行い部屋から出ていく。
「写真でしか見ていなかったのですが、本当にトカゲのような人間ですね。」
鱗をもったトカゲのような人間を見て、総理は異世界に来たのだと実感する。
「総理、あの者はトカゲではなく竜人族です。」
付添いの職員に注意され、総理は事前資料を思い出す。爬虫類族と竜人族には大きな違いがあり、種としても異なった存在である。その2種族を混同することは大変に失礼なことなので、絶対に間違ってはいけないと書かれていた。また、見分け方は体格が良く強力な魔力を有しているものが竜人族とあるが、魔力のない日本人が見極めるのは難しいため、種族の話題は極力出さない方向で対話することが好ましいと対処法として記載されてあり、総理は不適切発言に細心の注意を払うのだった。
総理大臣一行を待たせている部屋へ繋がる通路では、神官長の前に数人の神官が立ち塞がっていた。
「ゲール神官長、奴らは魔力を持たない、生きながらに死んでいる存在です。」
「そのような者をヴィクター様に会わせるわけにはいきません。」
「どうかご再考を。」
神官長ゲールは立ち塞がる神官を気にも留めずに歩いてゆく。神官の中にも上下関係があり、立ち塞がっている神官たちはゲールが一定の距離まで近づくと道を開けていく。
「皆の心配は我も感じている。ヴィクターと会うに相応しいかは我が判断する。」
神官長が発するドスの利いた低い声に、周りの神官たちは静まり返る。
総理大臣一行が待つ部屋のドアがノックされ、神官たちが入室してくる。テーブルを挟んで相対すると一際大きな竜人の神官が声を発する。
「我は神官長ゲールである。ヴィクターと会う前に、そなたらの事を少し聞かせてほしい。」
日本側も総理が挨拶し、日本の立場を話し始める。
30分後・・・
「なるほど、ではヴィクターと会って話すのだな。会えるのは指導者のみ、我についてくるがよい。」
総理は立ち上がり神官長の後をついていく。
「後をたのみます。」
総理が部屋を出ていき、他の職員は部屋に残ることとなる。職員の一人は護衛艦へメールを送る。「総理が単独行動に入る。不測の事態に備えよ。」このメールを受け護衛艦隊は警戒状態に入った。
重要な情報を無線では無くメールのやり取りとしたのは、会話の内容が分かってしまう可能性があったからである。この世界では会話が自動翻訳されてしまうため、聞かれたくない情報は暗号を使うしかない。しかし、暗号を使うとあからさまに何かを隠していると相手から見られるため、メールという自然な形をとって重要情報を送っていた。
総理は神官長の後をついていき、大聖堂の外に出る。二人は参道まで進んだところで歩みを止めた。すぐ目の前には漆黒の雲が渦巻いており、行く手を塞いでいたのだ。
「異界の指導者よ、この雲には触ってはならない。この雲の中に入れば、刃雹によって瞬く間に切り刻まれる。」
総理は目の前の暗雲の密度、風と雷の音に圧倒される。すぐ目の前にあるにもかかわらず風を感じず、雹や雨がない事を考えると内部のみで相当荒れていると考えられた。
神官長は呪文を唱えて自身の周りに結界を形成する。
「結界の中であれば雲の中を移動することができる。我から離れずついてくるがよい。」
総理は意を決して雲の中に入っていく。
雲の中は雷と突風、こぶし大の雹があらゆる方向から飛び交う地獄のような環境であった。結界内は風も雷も雹も完全に防がれ、結界にぶつかる雹が一瞬で消滅する不思議な光景が広がる。しかし、時折発生する突風と雷による地震のような揺れが急斜面を登る総理の恐怖心を最後まで煽っていた。
2時間後、二人は山頂に到着する。
そこは開けた空間があり、周囲を囲む崩れかけた壁には見たことのない文字が刻まれていた。
「はぁ、はぁ、はぁ。神竜は、どこに、いるのでしょうか・・・」
息も絶え絶えに総理はゲール神官長に尋ねる。山頂にはドラゴンらしきものは何もいなかった。
「異界の指導者よ、体に病を抱えながらも、良くついてこられた。」
ゲールは上機嫌に総理に答える。
「何故、そのことを・・・」
この世界では外交の場で総理が難病を患っていることは隠されていた。しかし、「相手に弱みを見せない」という基本方針だったものの、見る者が見れば総理の病状はすぐに分かるものであった。
「我は日本国が転移してきてから今までの全てを見てきた。」
総理は息を整え冷静になってゲールの言葉の意味を考える。
「まさか、貴方が・・・」
ゲールは広場の中心へ移動していく。
「そうだ、我がヴィクターである。」
そう言うとゲールは光り輝き、数秒で巨大なドラゴンの姿に変わる。
「遠路遥々ご苦労であった、異界の指導者よ。竜語では会話出来ぬゆえ念での会話を許してくれ。」
総理はヴィクターに対して正式に挨拶する。
会談は事前に大聖堂でほぼ終了していたため、スムーズに進んだ。国交の樹立、資源開発と輸出の許可、蜀皇帝と会談するための仲介など、当初の外交目標は全て達成される。
総理は会話をしつつ重要な話題を出す機会をうかがっていた。
「ヴィクター様は何故身分を偽って神官長をしているのですか? 」
「それはな・・・」
ヴィクターは過去を語る。約500年前に大陸から瘴気を抜けて、魔石が豊富に含まれるこの地に移り住み、静かに暮らそうとしていた。ところが、神竜を信仰する者達が次々に移り住んで勝手にヴィクターランドという国を建国し、ヴィクターの住む山には大聖堂をつくり始めた。日が経つにつれて自分に会いに来る者が増えていき、とても静かに暮らせる状態ではなくなったため、ヴィクターは山頂と大聖堂の間に暗雲を発生させる。しかし、信者は死をも厭わずに登ってくるので、自らが神官長となることで神竜に会う条件をつくり、訪問者を限定した。また、一般信者には大聖堂に捧げ物をし、祈ることで神竜は言葉を聞いてくれるとの御触れを出して対応したのだった。
現在、この国にヴィクターとゲール神官長の関係を知る者はヴィクターの信頼が置ける極一部の人間しかおらず、多く神官や信者はゲール神官長のことを竜人族であると疑わない。
「我が国が転移してきてから今までを見てきたと伺いましたが、転移の瞬間を見たのですか? 」
「あぁ、我に瘴気は意味をなさない。総理、お主は上手く国を導いている。」
自身に対して臆することなく会話を続ける総理に対してヴィクターは上機嫌に話す。この世界の住人は全て魔力を保持している。個人が保有する魔力は危険察知や上位の存在を探知する際に役に立ち、この世界の社会構成を形作っていた。人間は神竜という生態系の頂点に立つ存在に対して、敬意よりも畏怖が勝っており、ヴィクターに対しては信仰の対象や象徴、あるいは人類の天敵としてしか見ていなかった。魔力を持たない日本人はそういった偏見が無く、ヴィクターに接してくれる希少な存在だったのだ。しかし・・・
「上手く国を導いている、ですか・・・あなたは見ていたはずです。南海大島での出来事を。殺傷する必要の無い民間人を30万人も殺害する命令を出した指導者が、上手くやったとはとても思えない。」
自らの指導力不足によって多くの人命が失われた事を「上手くやっている」と評価された総理は反論する。
「それを踏まえても、お主は上手く国を導いているのだ。国を導く能力の無い者であったのならば、日本国は今頃カニ共の巣窟になっているか、瘴気内の治安を悪化させていただろう。我のところまで来れた時点で良き指導者というわけだ。」
現在の日本国には総理大臣が神竜に会いに行ける余裕がある。それは国内を魔物の侵攻から守りつつ、蜀で精霊を討伐して資源開発を行えるようになり、倭国で南海大島の動乱を国際協力によって治め、黒霧内の治安を改善させたためにできた余裕であった。このどれか1つでも失敗していたら、総理が神竜に会うなどという余裕は無かっただろう。
「では貴方に問います。貴方なら既に把握しているでしょう。今、瘴気外では先進国が中心となって連合軍が組織され、瘴気が晴れたら瘴気内国家への侵攻を始めようとしている。大国の侵略に貴方はどう対処するのですか。」
総理はここで重要案件を切り出す。
「それはその時に考えることだ。ただ、奴らは北から攻めてくるだろうな。」
ヴィクターは日本が最前線になると予想し、その予想は既に日本側も出していた。
「我が国は戦争を放棄している。戦争は必ず回避します。」
「お主等はこの世界の事をあまり知らんようだな。大陸の奴らには人類の存続を賭けて戦わなくてはならない理由がある。その理由を今は話せんが、日本国がどう考えようと関係ないのだ。」
ヴィクターは日本側が把握していない大陸の事情も知っているようだった。「人類の存続を賭けた戦い」とまで言われたことで、総理は戦争回避ができない場合を想定して行動しなければならなくなった。
人類の存続を賭けて攻め込んで来る相手を、どうやって説得できるのだろうか? 総理が思案しているとヴィクターがある提案をする。
「各国の指導者にも行っていることだが、我はその者の未来を見せることができる。その未来は変えることのできないものだが、見る価値はあるだろう。少し体に負荷がかかるが、利用するかね? 」
これは外務省の調査で判明していた神竜の能力であり、提案された場合は利用してもらいたいとの要望が総理に来ていた。見たい時期がある程度操作できるのため、他国の指導者は必ず利用し、国家運営に反映させていた。総理自身としては、未来を見るという行為は後出しジャンケンのように見えて乗り気がしなかったが、国民の命を預かる身としては少しでも国を良い方向へ導かなくてはならなかった。
「お願いします。私は、戦争が回避できるのか知りたい。」
「始めるぞ、力を抜くがよい・・・」
ヴィクターが独自の魔法陣を展開すると総理の意識は段々遠のいていく・・・
瘴気が晴れて数日後・・・
総理は地下に建設された内閣情報集約センターで戦闘の推移を見守っていた。パンガイア連合軍は第1次上陸部隊が新潟市に上陸し、市内では激しい戦闘が繰り広げられている。水際防衛線は既になく、海岸は敵に制圧されており、市内では2足歩行のロボットのような兵器がライフルに似た武器を連射し、10式戦車の部隊が交差点を通過しながら砲撃していく。
日本海海上では連合軍本隊が日本国を目指して侵攻してきており、その大艦隊に対して海上自衛隊と航空自衛隊が対艦ミサイルの雨を降らせていた。古代兵器の艦隊は飛来するミサイルを感知すると追尾光子弾を発射して迎撃していく。だが、圧倒的な数のミサイルを前に迎撃は追いつかず被弾する艦が多数発生し、海上にはいくつもの黒煙が上がる。その中で対艦ミサイルの飽和攻撃を物ともせずに進んでいく巨大な戦艦が存在していた。ミサイルは追尾光子弾、副砲、近接防御火器による迎撃を潜り抜けても防御スクリーンで防がれ、巨大戦艦の侵攻を止めることはできない。巨大戦艦の遥か後方には海を埋め尽くすほどの輸送艦隊が日本を目指して進んでいた。
内閣情報集約センターで戦況を把握している総理はある言葉を呟く・・・
総理の意識が戻る。
起き上がって後ろを振り向くと、ヴィクターが呪文のようなものを唱えていた。
「すまぬ、魔力を持たぬ者に見せられる未来はこれが限界だ。」
どうやら、大幅に早く終わってしまったらしい。総理としては見れるものが見れたので大きな成果である。
「戦争は避けたい・・・」
「そう焦るでない、瘴気の消滅までは時間がある。それに、日本国とて戦争が全くできぬ国ではあるまい、国に戻り民に訴えかけるがよい。」
ヴィクターは悩む総理に助言する。2人の会談は総理の体力が尽きるまで続いた。ヴィクターは総理が気に入り、総理も的確な助言を与えてくれる神竜は、会談相手としてストレスの少ない相手であった。その後、総理は休暇をヴィクターランドで過ごすようになり、短い間だが神竜との良好な関係を築くことになる。
日本国へ帰る艦の中で総理はこれからの予定を考えていた。未来を見ることによって優先してやらなければならない事が幾つも判明したのである。帰国後の予定を考えている中、総理は未来で1つ頭から離れないことがあった。
「あの状況で、なぜ私は笑みを浮かべていたのだ・・・」
自分自身、あの笑みを浮かべる時は決まって「あること」が確定した時である。あの状況ではとてもできない仕草だった。
フェイルノートの偉業は今後の世界をどんどん変えていきます。




