外交交渉の裏話
パンガイア大陸極東、都市国家サマサ
パンガイア東方貿易の一大拠点であるサマサは、古くから瘴気内国家と交易で栄えた都市国家であり、その始まりは魔族帝国が繫栄した時代にまで遡る。辺境の資源都市(現在の倭国)から魔石を帝国各所へ輸送するハブとして繁栄し、現在でも当時の文化が残っている等、パンガイア大陸内でもその歴史は古い。
近年の再開発によって更なる発展を遂げている新サマサ市とは対照的に、旧サマサ市は数々の歴史的建造物群が現役で使用されているため、劇的な発展から取り残されており、生粋のサマサ人が暮らしている。そんな旧市街地で、寂れながらも歴史あるホテルに日本の代表団は拠点を構えていた。ホテルは完全に貸し切りであり、出入り口には警備員の他、装甲服を身に纏った装甲歩兵まで配置され厳重な警備が敷かれている・・・こう聞けば誰でも外交団が特別待遇を受けていると思うだろうが、現実は全く異なっていた。
「負傷した職員は帰国させることが出来ましたが、もう職員はほとんどいませんよ。」
「そうか、戻っていいぞ。」
外務省の職員は交渉を担当する福島へ報告と共に現状を伝えたが、アクションは無い。
日本の外交団は人が辛うじて住めるホテルに押し込められただけでなく、警備員や護衛から度重なる嫌がらせを受けていた。当初、日本側は戦争回避のために百人以上の外交団で事に当たっていたが、最日から強烈な妨害工作が行われ、職員が次々に負傷して帰国を余儀なくされてしまう。被害は女性職員にも及び、男性職員とは異なる執拗な妨害から心身共に病む者が相次ぎ、外交団は早々に男性職員中心の構成となっていた。しかし、男性職員も数を減らして行き、1人1人の業務負担は重くのしかかり、外交交渉に目に見えて影響が出ている。ただ、福島にとっては好都合だった。
政府は戦争の回避を既に諦めており、戦争準備態勢を着々と整えている中、非戦を掲げる福島は、政府方針である平和条約締結のため、日本が戦争に巻き込まれる事自体の回避に向けて動いていた。国の特性として、日本政府が宣戦布告する事は無い。日本、パンガイア双方において交渉を軟着陸させるためには日本の武装解除が最低条件であり、そこから国民の生命を守るためにはパンガイアの主要国同士で武装解除した日本をめぐって争ってもらわなければならない。
福島は交渉回数を重ねる中で、その道筋が見えるところまで来ていた。パンガイア側のグェンとは話の見通しが立った、後は憲法改正国民投票で半数近い票が反対に入れられれば、国内の反戦勢力が行動を起こすだけ。
国民の半数近くが戦争自体に反対票を入れれば、国家は思い切った戦闘はできなくなる。総力戦による勝機を見出した現政府にとって、国民という戦力が拒めば戦争などできるはずもない。
「あの力が国民に向けられる事だけは避けねば・・・」
妨害工策に業を煮やした職員が警備員へ抗議して言い争いになった時、装甲歩兵が仲裁に入った事があり、抗議を行った外務省の職員は装甲歩兵に撫でられただけで肋骨を3本折る重傷を負って帰国を余儀なくされていた。
この世界では魔力を持たない日本人は無力であり、世界は我々を日本人とは呼ばず、死者と呼んでいる。彼等から見たら、日本人は人間ではないのだ。戦争となった場合、民間人だろうが人間として扱われないのは明白。故に強大な力が国民に向けられることはだけは絶対に避けねばならない。
コンコン・・・
「失礼します。」
「入れ。」
次の交渉で使う資料の作成に入った福島の部屋へ、ある女性職員が入ってくる。
「指示された資料がまとまりました、ご確認ください。」
「早いね。流石、組織が送った人材なだけはある。」
福島は女性職員を名も無き組織の息がかかった人物であると見抜いていた。男性職員からは彼女も酷い嫌がらせを受けている旨の報告を受けており、顔にはテープが貼られて痣を隠している。他の女性職員同様に国内へ異動していない彼女に注意が向くのは自然な事だった。
「組織とは、私は存じ上げません。私はただ、国のために働いています。」
女性職員は持ち前の笑顔で対応する。彼女はここに来てからも、その笑顔を絶やしたことは無かった。このような女性が日本にいるというのは素晴らしい事だ。もっと早く出会っていれば専属の部下にしたかったのだが・・・
指摘するようなミスが無い。
福島は仕事をテキパキこなす女性職員へ、1つの提案を行う。
「君のような人材は貴重だ。次の交渉では、私の補佐をして欲しい。」
「私で宜しければ喜んで。」
大したものだ。
何時もの笑顔で大仕事を了承する女性職員に感心する。
福島は名も無き組織の構成員と知りながら、稲飯聖那を側近に据えるのだった。
稲飯聖那は倭国で発生した動乱の際に帰国し、直ぐにパンガイアへ派遣されている外交団へ異動を命じられていた。外交団は深刻な人手不足であり、海外経験のある人物に白羽の刃が立てられたのだ。人事異動が告げられた時、何も知らない職員からは同情と哀れみの視線を送られたが、この人事は彼女と名も無き組織が最初から予定していたものである。組織は最強の人材を投入し、彼女は異なる方向からの外交アプローチをしたに過ぎない。
日本側の外交資料を予め把握し、パンガイア側の出方も熟知している聖那は外務省の仕事をしつつ、個人的な仕事もこなしていた。
外務省職員はできるだけ大人数で行動する事を心がけている。特に女性職員がいる場合は男性職員が壁となって移動していたが、聖那はその理由を初日で思い知ることとなる。
「使者を丁重に扱う気は無さそうですね。」
聖那は警備の質を確認するために紙の束を持って部屋の外に出たが、聖那が1人で歩いているのを見た警備員はおもむろに近づいて体をぶつけるだけでなく、足払いをして転倒させていた。
「大丈夫ですか? 」
普通は手を差し伸べる所を、警備員は聖那の髪を掴んで持ち上げる。
「私は大丈夫ですから。」
何時もの笑顔で対応した聖那は、警備員の特徴からグェンの私兵であることを見抜いた。マフィアとまで呼ばれるグェンにとって脅迫と挑発は十八番であり、常套手段なのだ。
聖那が福島の補佐となって最初の交渉日。
交渉場所は新市街に建設された国際会議場である。日本の外交団は一早く会場に到着し、準備に取り掛かろうとしていた。この準備が交渉において最も重要であると言っても過言ではなく、相手側の質問に素早く応えられるように大量の資料が持ち込まれ、交渉時には必要な資料を瞬時に取り出して福島に渡さなければならないのだ。
「ちょっとお化粧を直しに行ってきます。」
「今ですか? 会場ゲートを越えてからの方が安全ですよ。」
「大丈夫ですよ。申し訳ありませんが、私の荷物をお願いします。」
聖那は男性職員に荷物を預けて場外のトイレに向かおうとしたが、すぐさま警備していた装甲歩兵に囲まれてしまう。
「チッ、トイレくらい済ませてから来い。」
「付き添いの警備が来るまで待っていろ。」
外交団は全員が監視対象であり、ホテルの外では警備か兵士の誰かしらが監視していなければならない。それはトイレでも適応され、個室トイレの場合は監視員が中を確認して水を流さなければならない決まりがあった。
「何の騒ぎだ。」
「はっ、ルシード大佐! 」
そこへ、装甲歩兵2人を引き連れたスキンヘッドの厳つい軍人が現れ、彼を見た瞬間、聖那を囲んでいた兵士は態勢を整えて敬礼を行う。
「私が付き添いをしよう。」
「し、しかし。」
「装甲服を脱ぐわけにはいかんだろう。」
ルシードは装甲服を装着していない自分が付き添いをすることがベストだと伝えて部下を配置場所へ戻した。
「行こうか。」
「お手数をおかけします。」
聖那はルシードとその部下2人と共にトイレへ向かい、まず、ルシードが個室トイレに入って中を確認してから聖那へ入る許可を出した。
「終わりましたので確認を願います。」
聖那の使ったトイレに入ったルシードは最初に確認した時と変わった箇所が無いか入念に確認していく。過去には外交官を装った諜報員が工作員への指示書や装備を隠していた事例があり、外交の最前線となったサマサで外交官は特に警戒されていた。
「む・・・」
ルシードはゴミ箱から微かな魔力波が発せられている事に気付く。注意を払って中を確認すると、小さな紙切れがあった。
~エルフと共にノルドの心を砕け~
読み終わると、紙切れは青白い炎に包まれて消滅する。
ルシードが外に出ると、女性は部下と共に待っており、少し離れたところには、心配そうに見つめる男性職員達がいた。
「異常はありませんでした。連れがお待ちのようですよ。」
この2人は日本の外交職員とサマサの軍人の他、裏の顔を持っていた。それは瘴気が薄くなる前、日本を出発した原子力潜水艦シャーロットが沿岸に積荷を届けた日、ルシードは部下と共に積荷を受け取りに来ていた。積荷は紅魔石、パンガイア東部の暗殺教団復興に必要不可欠な物だった。
海から来ると考えていたルシードは海中から出現したシールズの面々に遭遇して臨戦態勢を取りつつも無事に受け取る事ができ、長年壊滅状態だった東部の暗殺教団復興を成し遂げる。教団はトップがいても人員が足りていても、シンボルである紅魔石が無ければ拠点を起ち上げる事はできないのだ。
ルシードは数世紀ぶりにコンタクトの取れた教祖から、仕事と引き換えに紅魔石を報酬として受け取っていた。
「お疲れ様です。交渉期間中は大体滞在していますので、これからもよろしくお願いします。」
聖那は何時もの笑顔で話し、ルシードはトイレの異常を一切無視した。
福島は聖那が名も無き組織の構成員と見破りましたが、正体までは把握していません。これが総理だったり菊池だったらバレていたところです。