変態 その2
夜、利子は明日行う変態について触手から最後の説明を受けていた。
「融合が終われば主様のサポートができない状態となります。しかし、これまで得た知識が引き出しにありますので自由に利用してください。」
「触手、融合は本当に痛いとか苦しいとか、ないんだよね。」
「以前説明した通り、融合を始める前に主様は薬品と魔法によって深い眠りに落ちています故、目を覚ませば全て終わっています。」
触手としては融合して変態が完了するプロセスは完璧であり、間違いなく成功させることが出来るのだが、利子にとっては大手術のイメージがあり、人の体を捨てる以前に大きな恐怖となっていた。
「目が覚めれば、これまでに経験した事の無い空腹に見舞われます故、すみやかに用意された食事を摂ってください。」
変態完了後は消耗が激しいため直ぐに何かを食べなければならない。食事は倭国が用意しているとはいえ、この時の空腹は理性を失わせるに十分であり、触手最大の不安要素となっていた。
日本政府は利子の変態用に特殊な檻を2つ用意している。檻とは言うものの、コンテナを改造したものだが1つは触手が設計に関わり、内部に手術台のようなものが置かれた融合に専念する檻で、もう1つは食事用の檻である。予め2つの檻を連結させておき、変態が終わる頃に連結部分が行き来できるよう扉が開く設定となっている。
倭国は場所と食料と警備を担当しており、この上なく良い環境が整えられていた。
主が魔法に興味が無く周囲に自身の状態も隠していた場合、触手は1人で準備を整え、人気のない場所で行なうつもりだった。変態を行わない場合、急成長によって主の体が崩壊するため、触手は主の意志に関係なく変態を行う気でいたのだ。社会に認知されずに融合した場合、主が人間社会に受け入れられる可能性は無かっただろう。しかし、ここまでの環境を整えても触手は満足していない。
「目が覚めたらご飯食べて、それから? 」
「後は国の指示に従い、大学を目指してください。主様がこの世界を生きるには大学を卒業することが最低条件なのです。」
触手にとって、融合で自分の役目が終りというわけではない。戦争で瘴気内連合が敗北した場合、戦後に行われるのは魔族狩りであり、主にはスーノルド帝国大学卒業の肩書を最大限活かすよう助言する。触手は最善の行動を伝える事で融合後の利子を出来る限り生存させようとしていた。
「・・・」
利子の頭には「失敗したら?」といった負の考えが横切る。
「大学へ行き、卒業するだけであります。変態を済ませた主様なら、造作も無い事です。」
触手は主に自信を持たせる言葉をかけるが、失敗した場合、死に直結することは口に出さなかった。性格に難が無い利子の場合、普通にしているだけで大抵の事は問題とならない。主を不安にさせてミスを誘発する言葉は不要なのだ。
翌日、一行は静京と霧氷連山の中間にある小さな村の傍まで来ていた。この地域は狐の亜人「狐人」が多く住んでいる土地で、妖怪ともヒトとも異なる独自の生活を営んでいる。静京から離れた場所であり、目立つ産業も無いため文明の恩恵を受けておらず、倭国内でも貧困の酷い地域である。
現地は軍の部隊が3日前から陣を敷き、日本側は檻の設置と観測拠点の設営を完了させていた。また、軍とは別に退魔士の一団は封魔結界の準備を済ませている。付近はスラムが存在する地域のため、犯罪者に警戒を行わなければならず、妖魔発生地の隣という事もあるが十分な警備が敷かれていると言えるだろう。しかし、外務局は軍の派遣部隊と退魔士以上の戦闘力を有する大妖怪を1人派遣していた。
日本国が派遣した職員は最小限の人数に限られており、檻と監視装置の技術者が数名と国崎達だけである。
「すんなり入ったな。ここから1日待機か・・・」
「そうですね。」
赤羽利子が到着した時、既に準備は終わっていたため彼女は国崎達に挨拶してから直ぐに檻へ入っていく。
既に触手は感づいているだろうが、檻には隠しカメラが設置してあり、国崎達は観察用に改造した装甲車内から監視していた。
「上は妖怪も国民として扱うようだが、できると思うか? 」
「それは私達が判断する事ではありません・・・彼女次第です。」
小百合の担当者は表情を曇らせながら不安を漏らすが、国崎は自分達に決定権が無いことを伝え、見た目がどうなろうと彼女の性格が人の時と変わらなければ可能だと答える。
日本国民はヒト以外認められない! 風に乗って本国の議論内容が国崎の耳にも届いているが、彼はこの手の議論をナンセンスと捉えていた。日本国民として相応しいのは、法と国民の義務を守れる者であり、人種も種族も関係ないだろうに・・・
「彼女次第と言ってもな。専門家はこの後どうなるか分かるか? 」
「はぁ? 私に分かるわけないでしょ。」
自分の担当職員に聞かれて小百合は即答する。日本側の専門家は北海道大学で利子の受け入れ準備を進めている関係で、現場にいる「専門家」は小百合だけである。だが、利子のような妖怪はナギの伝承にも載っていないのでどうなるのか見当もつかない。変態が終わって利子が出てきたらナギの能力で調べて初めて分かるのだ。
「はいはい、ここから先は企業秘密だから出てください。」
隠しカメラの映像を見ていたところ、次の段階へ行きそうなので小百合は国の職員を外に追い出す。
国の職員と小百合が会話している頃、利子の準備は最終段階に入っていた。利子には手術前に使用される麻酔薬が投与され、大妖怪にも効果がある強力な催眠魔法を同時にかけられており、台の上で深い眠りに落ちていた。
「薬品と強力な魔法が効いているけど、変態への影響はないの? 」
セシリアは利子の顔にへばり付いている触手に聞くが返答はない。
利子は医師と妖術師によって眠りについたが、その後の準備は触手とセシリアが進めていた。セシリアが罠等の有無を確認し、触手は利子の服を脱がしてから顔にへばり付いて何やらしていた。しばらくして、何かを確認した触手が利子から離れる。
「終わりました。」
「こっちも終わったわ。随分熱心だったけど、何をしていたの? 」
触手はいつも周囲を警戒しているのだが、今回は言葉をかけても反応しないくらいに何かに打ち込んでいたようだ。
「不要な苦痛を与えぬよう、主様の神経を切断しました。」
「 えっ? 」
触手の発言にシシリアは驚愕する。大妖怪の魔術回路は強固なため、魔法や妖術で神経を遮断することは困難を極める。できるとしたら外科手術だが、脳の外科手術は神がかり的な技術が要求されるため、瘴気内でも外科医療が進んでいる倭国でさえ、行える者は9人しかいない。この短時間で脳の痛覚神経を切断したというのだろうか? 事実なら帝大医学部以上の手際だ。
「公開できるのはここまでにございます。どうか、主様をよろしくお願いいたします。」
「わかったわ。後は、私達に任せなさい。」
セシリアは触手と最後の言葉を交わして部屋を出て行く。ドアのロックを確認した触手は体を薄く延ばして部屋全体に広がり始める。これは外膜と呼ばれるもので、初対面の利子を部屋に閉じ込めたものと同じものだが、本来の用途は保護用である。
主に教えなければならない事、成長を確認しなければならない事は少なくない。しかし、今この瞬間を逃せば手遅れになる事もわかっていた。触手は主が自らの手で掴む未来を信じて融合を始める・・・
20時間後
利子の変態は昨日の昼頃から始めていたため、変態完了まであと少しの所まで来ていた。
「24時間監視しろって言うなら、もう一人ナギを派遣するべきだったわね。」
小百合はあまり変化の無い檻の監視に飽きていた。
鴉天狗と国からは利子の監視と観察を命じられていたが、仮眠と言う体で熟睡していたので言い訳を考えているところである。今の利子は寝る前と魔力波の波長が異なっているが、何時に変わったのか記録していないので記入できない。「起きたら変わっていた」っと。
小百合が利子の観察を再開した頃、入り口付近では軍と住民がいざこざを起こしていた。
「今度は人数が多いな。」
「またですか。」
国崎達は車両の窓から外を確認する。警備は倭国側に任せているため日本側が気にする必要は無いが、こう何度も押しかけられると気になってしまう。
「我々は妖魔駆除のために派遣されたのではない。」
「今すぐ立ち去れ! 」
「あの山に妖魔がいるのに、何故戦わない! 」「住民を見殺しにする気か! 」
妖魔の被害が絶えない住民達は軍が来ると聞き、多少は妖魔を駆除して治安が良くなると思っていたが、実際は陣地以外の妖魔を一切駆除していなかったため、軍が到着してからも被害が出ていた。
この地に蔓延る妖魔は「人面蜘蛛」と呼ばれる1m程の大蜘蛛であり、紅魔石の影響で頭部が巨大な人の顔のようになっている。醜悪な見た目で、毒液と強酸性の糸で獲物を捕獲し、その顔とは不釣り合いな巨大な口で咀嚼する不快害虫である。襲われた場合、丸腰の人間なら逃げる以外為す術は無いが、拳銃が有効な武器となるほど外皮は薄いため、地元住人は槍と刀、術で駆除している。単体の戦闘能力は低いが、今まで駆逐出来なかったのは発生地となっている山の地形にあった。
妖魔の発生している山は石灰石でできている関係で大小様々な洞窟があり、人の入れない箇所もあるため、何度も駆除が行われたが駆逐には至っていない。そして、生き延びた個体は更に獲物を捕食して力を付けていた。
「何の騒ぎだ。」
今回は多くの住人が押し寄せたため、利子の檻を監視していた外務局の職員が入口へ来てしまう。この人物は大妖怪の中でも位の高い人物であり、軍は住人達を実力で排除しようとする。
「付近住人の嘆願です、直ぐに排除を・・・」
「必要ない、私が説得する。」
外務局の職員は軍人達を止め、住人の前に出る。
「あっ、あなた様は! 」「えっ? そんな! 」
入り口に押し寄せた住人達は外務局の職員を見た瞬間、驚愕して跪く。住人の前に現れたのは妖狐だった。
「用件を聞こう。」
「・・・」
倭国の狐人にとって妖狐は雲の上の住人であり、恩恵を与えてくれる一方、気分を損ねれば容赦なく切り捨てるため、畏怖と敬意の対象となっている。まさかこんな辺鄙な場所に妖狐が来ているとは思っていなかった住人達は、畏れ多くて声が出せない。しかし、耐えかねた住人の1人が村の事情を説明する。
「・・・5日前には子供が2人も攫われました。」
「どうか、お助けください。」
「我々は調査が終わり次第、付近の妖魔を一掃する。それまで村の守りを固めておけ。」
妖狐は当たり障りのない事を村人に言うが、当の村人達は「これで救われた」とばかりに歓喜し、何度も感謝しながら村に戻って行く。
「まったく、異世界だな。」
「そうですね。住人達も、まさか妖狐が来るとは思っていなかったのでしょうね。」
国崎達は押しかけた住人が一斉に戻って行く光景を見て、ため息交じりに雑談する。日本ではどんなことをしても国民から感謝される事は無く、その行動の粗捜しで些細な事を指摘され、改善点の報告と苦情処理を行いつつ複数の仕事を行うのが日常だった。
「あいつは大妖怪でも異質な存在だ。」
妖狐「ツヨシ」。日本が倭国と初の外交会談を開いた際に外務局長の補佐として同行していたのが彼であり、コクコ並みの行動力で日本側に大妖怪の間違ったイメージを与えた人物である。差別意識を感じられないほど日本人にも分け隔てなく接し、仕事を確実に成功させるためには雑用も進んでこなす姿は、名も無き組織内でも良きパートナーとして捉えられていた。だが、ツヨシクラスの大妖怪からしたら「定命の者が対等に話す」自体おこがましいことであった。しかし、ツヨシは格下のコクコの命に従い、日本人とも嫌味なく接しているため、国崎達は彼の外面だけでなく、内面も計りかねていた。
恐らく、外務局長と行動を共にするだろうが、今後日本の敵となるか味方となるか、警戒しなければならない相手である。
ドンドン
「利子がもうすぐ起きそう。」
利子が急速に覚醒し始めたのを感じた小百合が国崎のいる車両に駈け込んで来た。いつもとは異なり、余裕のない彼女を見た国崎達はモニターを確認する。
「何も変化はないですね。」
「どれだけ力が上がったかわかるか? 」
利子がいる檻には隠しカメラが仕込まれているが、触手が膜を張ったので何も見えない。しかし、ナギである小百合は利子が覚醒に近い状態にあることを感じており、「格」が上がったことを確認していた。
「信じられないけど、外務局長クラス。」
触手から格が上がると聞いて、1段階上の「下の中か上」になると思っていた小百合は、魔力が中の下クラスまで急激に上昇したことに驚きと恐怖を感じていた。
「心地いい・・・」
利子は夢の中にいた。何時から夢を見ていたか分からないが、利子は深い眠りから浅い眠りへ変化し、目覚めるまであと少しである。今までだったら目覚めても2度寝するところだが、心地良い眠りは急激な違和感によって強制的に覚醒する。
バシャー
生暖かい液体と共に利子は地面へ流れ落ちる。
「・・・ここ、どこ? 私は・・・そうだ。 うえっ!? 」
利子は状況を理解すると同時に急激な違和感と全身の震えに襲われる。この震えは悪寒戦慄に近い。
「何! なに? 」
体に起きている異常事態に利子は涙を浮かべながら混乱するが、程なくしてこの感覚の正体が極度の空腹であることを自覚する。
「何か、食べないと。なんでもいいから、早く。はやく、はやく・・・」
震える体を何とか立ち上がらせ、辺りを確認する。「食事は用意してあるはずじゃなかったの!」食べ物が無い事に心の底から怒りがこみあげてくるが、ちょうどその時に檻のドアが開き、膜の向こう側には牛のような生き物が見える。
予定外に長くなったので2話に分けます
後半は今日中に上げられると思いますが・・・
外伝も進めたい