変態
倭国、静城、外務局長執務室
フタラの面倒をオウマに任せたコクコは自身の執務室に戻っていた。机の上には溜まりに溜まった書類が山脈を形成しており、今日中に終わらせなければならない書類だけでも片付けなければならなかった。
「半年後に行われる蜀外交当局者との会談は参加できない。替わりに誰を送るか・・・」
「パンガイア側との第3回会談は間に合うが、第4回からは温室育ちの番だな。」
書類は既に決まっていることや些細な物ばかりのため、次々に処理していく。筆を走らせ、局長印を押す仕事も後半年と考えれば感慨深いものがある。
「ん、これは・・・」
書類を処理していくと、魔法科学院からの報告書に目がとまる。この書類は外務局長の判断が必要なモノではない回覧書類だが、その内容には以前から興味を惹かれていたのだ。
「日本人妖怪の変態について」と題された報告書には、静京に滞在している日本人妖怪についての情報が記載されており、変態を行うための場所を静京郊外に設定したものの、地元の反対で場所選定すらできていないことが記載されていた。
変態とは幼虫がサナギとなり、成虫になるような劇的な変化の事である。魔法科学院はヒトに限りなく近い日本人妖怪では「自然界では有り得ない現象」と考えていたため、早く結果を観察したい気持ちが先走ってしまったようだ。
日本人妖怪の管理と調査は、スーノルド帝国大学から派遣され、倭国に長期滞在中の教授が担当しており、断片的だが正体を掴めてきている。コクコは書類に添付された、日本人妖怪について判明した情報を見直す。
・変態には1日ほどかかる
・詳細なプロセスは不明だが、サナギを経て成体となる
・変態後は不定形の妖怪となり、格が上がる
・消耗によって変態後は大量の食糧が必要となる
・変態直後は本能に従った行動をとる可能性があり、警戒が必要である
魔法科学院は家畜1頭と警備員を雇って事に挑もうとしたようだが、これで地元を説得できると思っているあたり、所詮は学者の集団ということだろう。
「外務局のコクコです。日本人妖怪の件ですが・・・」
コクコは筆をとると、書類を作成しつつ内線で魔法科学院と通話する。
数日後、白石小百合は静京の精肉店を訪れていた。精肉店での買い物は利子に任せていたのだが、今回はヒトとして過ごす最後の日となるため、小百合とセシリアで豪勢な食事で祝おうとしていた。
「いらっしゃい。」
店のドアを開けた瞬間、威勢のいい声をかけられる。小百合は軽く挨拶して店主に注意を払いつつ、売り物の肉を確かめる。セシリア曰く、稀に食人妖怪達が人肉を混入させる事件を起こしていたそうなので、売られている肉は良く目利きをしなければならなかった。
小百合が肉を見ていると、体の違和感を覚える。この感覚は静京の妖怪による視線ということはわかっているが、今の感覚はなめるような視線ではなく、鋭い視線であり、鋭利な刃物で切られるような感覚だった。出所はもちろん店主である。
「あの、私の体を捌くような目で見ないでくれますか。」
寒気を感じる視線に耐えかねて小百合は店主に注意する。
「すまん、これは職業病なんだ。警戒しなくても何もしやしない。それと、店の肉に非合法な肉は無いぞ。」
店主は隠すことなく過去に人間を解体していた経験があることを明かす。小百合は見た目で判断が付かない肉をナギの能力で見極めていたのだが、警戒している彼女を見て察した店主は「心配することは無い」と語りかける。
慎重に肉を見定めている客は噂になっているヒトの日本人学生だ。いつもは妖怪の方の嬢ちゃんが来ていたが、何かあったのだろうか? それにしても、この嬢ちゃんは想像していたより遥かに用心深く、勘が鋭い。下手な芝居は通用しない相手であることは確かだ。
店主は服の上からでも小百合の体型と肉質が正確にわかる。そして、どの順番で包丁を入れていけばいいかをイメージし、30分以内に処理が可能と判断する。客は視線を嫌がっているが、これは仕方の無い事だ。ヒトを捌くなんて経験は、ここ200年以上していないため、イメージトレーニングでもしないと腕が鈍ってしまうのだ。今後、ヒトを捌く機会があった場合、鈍った腕で捌けば依頼者や消費者、何より食材に申し訳が立たない。
最高の肉を提供したいと考えている店主にとって、小百合でイメージトレーニングを行うことは、引けない事情があっての事だった。
「嬢ちゃんはもう知っていると思うが、この国には裏の顔がある。」
効果があるかは分からないが、店主は妖怪とお国の事情を打ち明ける。内容は未だに食人が行われている事と、生物として止められない事、文化である事、そして、以前は食人の集団である同心会を支持していた事も話す。
昔は今ほど取り締まりは強くなかったが、店主は店の評判を落とさないように決まりを守りつつ、同心会を支持していた。「今は禁止されているが、あいつ等なら、また人肉を扱えるようにしてくれる。」そう思っていた店主は、同心会が店の商品を人肉とすり替えて、静京中に流通させたことがきっかけで反同心会派となっていた。
店主から試食用に数種類の肉を出された小百合は、試食しつつ話を聞いていたが、彼女からしてみれば裏事情は知っているし、裏の顔があることも理解している。なにせ、自分自身も裏の顔があるのだ。
「毎度ありっ! 妖怪の嬢ちゃんに「何時でも歓迎する」って言っておいてくれ。」
精肉屋の店主と世間話が長くなってしまったが、無事、居候先に戻ってきた。冷静になって思い返してみると、かなり危なかったんじゃないか? 私。
利子のお祝いは教授と触手と共に考え、焼肉の食べ放題にして出来るだけ彼女に不安を感じさせないようにしていた。
「利子は肉屋の店主に結構気に入られてるみたいね。」
「うん、店主さんはプロフェッショナルって感じの人でね・・・」
利子は自分がどうなるか触手から説明を受けていたものの、実際に体験していない事なので不安は完全に払拭できていなかった。下手に励まそうものなら逆効果になるので、何気ない会話を心がける。
「時間がかかると思っていたけど、急に決まったね。」
「赤羽君のために、お偉いさんが動いてくれたのよ。」
利子の問いにセシリアは特大ステーキを焼きながら答えるが、裏事情を知っている私達は内心気が気じゃなかった。利子の変態プロジェクトは日本と倭国の魔法科学院主導で行われる予定だったが、突如、外務局が絡んできたのだ。事もあろうか、「あの外務局長の肝いり」というオマケつきである。
観察地の確保、警備の増強、地元住民への理解を瞬時に取り付けた手腕は確かなものだが、「日本人妖怪のため」だけに外務局が動いたのか? それはあり得ない。利子を除く私達3人?は最大の警戒をとらなければならないだろう。
「またこんな形で食事ができるかな・・・」
「以前にもお伝えした通り、主様の味覚に変化はほぼありません。」
利子の問いに触手が答えるが、彼女の聞きたいことはそれじゃない。
「それは利子次第でしょ。私を食べようとしたら鉛弾を頭に撃ち込むからね。」
「そ、そんなことしないって。」
なるべくオブラートにお祝いを進めていたが、これだけは絶対に守ってもらいたいことなので、利子に本音を言う。どんな状況でも、言う事は言わなければならない。
「馴れるまで暫くかかるようだが、慣れてしまえば不定形は便利な体だぞ。」
教授は焼きあがったロースを野菜に包みながら、利子に変態後の生活が便利になることを伝える・・・さっきからすごい勢いで食べていないか? この人。と言うか、エルフって肉食だっけ? 気付くと触手は生のブロック肉抱え込んでいるし、利子の祝いの場なのに2人?が肉を独占している。
「利子、早く食べないと肉無くなっちゃうよ。」
「へ? 食べてるよ。」
私は利子が肉を焼いていないから食べていないと勘違いしていたが、彼女はちゃっかり生レバーを確保していて半分ほど食べ終わっていた。ひょっとして、食べていないのは私だけ?
小百合は負けじと肉をプレートの上に広げるのであった。
夜、利子は触手から最後の説明を受けるために寝室へ戻り、私と教授は明日の打ち合わせを行っていた。
「外務局が確保した観察場所は静京の外。これだけでも問題なんだけど、現地は狐人が多く住む地域で治安は最悪と言っていい。更に問題なのが・・・」
教授が説明するに、安全とはほど遠い場所で利子は変態を行うこととなる。警備は魔法科学院が雇った警備員の他、外務局の要請によって軍人が40人程度派遣され、更に退魔士を1ダース雇っているとの事だった。
「これが外務局の本命だと考えられるけど、現地のすぐ隣に妖魔の発生場所があるの。「家畜1頭で足らなかった場合、腹の足しにでもしてくれ」って言わんばかりの配置でしょ。」
「余計な事をしてきますでしょうか? 」
「分からない。でも、白石君の頑張り次第で未然に防げるはずよ。」
教授はナギの能力で警戒しろと言う・・・明日は長い1日になりそうだ。
次で利子の変態は終わります。
その次はパンガイア連合軍のジアゾ侵攻になりますが、指揮を執るガルマン家の説明をリュクスの回想で行います。