契約と制約と覚悟と・・・
南海大島、グレートカーレ郊外
文部科学省の職員、国崎は自身が担当する留学候補生「赤羽利子」の住むアパートを訪れていた。訪問した目的は国が正式に彼女を留学生として扱い、様々なサポートを受けるために必要な書類を説明しつつサインをもらうためである。この書類には留学のサポートを受ける代わりに、出発前には基礎学力を身につけ、定期的な身体検査が必要になること、検査が長引く場合は長期間国の施設で過ごしてもらう事などが義務付けられている他、留学先での情報流出防止義務や現地での情報収集なども必須要件として記載されている。
国崎としては事前に大体の説明を行っており、彼女の反応からサインをもらうのは容易と判断していた。この書類にサインを書いてもらえば法の壁がほとんど取り払われるため、精密検査と言う名の人体実験すら可能となる。日本国は魔法研究を進めているが、名も無き組織は研究を更に進めるべく、自国民を使える実験は出来るうちにやろうと考えていた。だが、国崎が赤羽利子の部屋に入った時、意外な人物がいたことで予定が狂うこととなる。
赤羽利子の部屋には、もう1人の留学候補生であり鴉天狗に所属する白石小百合がいて、更に形容し難い生物が紳士的に言葉を発していた・・・
国崎は状況が理解できずに一瞬固まる。ナギが仕事以外で妖怪の元に1人で赴くなど、鴉天狗という組織を知っている者なら違和感しか持たない。この状況はおかしい。そして、このウネウネは一体なんだ?
「すみません、国崎さんには後で紹介するつもりだったんですけど、え~っと、触手です。」
触手について赤羽利子から簡単な説明を受けるが、これをどう上に報告すればいいのだろうか? 一応上司に連絡を入れて、当初の目的である書類にサインを書いてもらおう・・・
国崎は上司に連絡を取った後、利子の案内で部屋に上がると、テーブルの上に書類を並べ始める。その光景を横目で見つつ、小百合が口を開いた。
「倭国に派遣されたナギが妖怪の襲撃を受けたんだけど、この契約で私達の安全は保障できるの? 」
白石小百合の指摘した事件は、自衛隊員のナギが交流事業で倭国を訪れた際に発生した事件である。このナギは何度か倭国に派遣されたことがあり、その時に食人妖怪に目を付けられて今回の訪問の際に襲撃されたのだが、襲撃しようとした妖怪達は行動に移る前にそのナギによって射殺されていた。射殺された当人には理解できなかっただろうが、ナギの能力の前に襲撃や奇襲作戦は無意味なのである。
「心配はいりません。あなた方の派遣先は最も治安の良い静京です。」
「大妖怪の本拠地でしょ。」
「必要以上に恐れる事はありません。あの場所は・・・」
留学生は首都「静京」に拠点を構えるセシリアの研究所へ派遣することで確保する予定である。静京は大妖怪クラスの国民しか暮らしておらず、外国の大使館もある事から徹底した治安維持がはかられていて、倭国内で最も安全な地域となっている。その事を、国崎は小百合に丁寧な説明を行った。
「主様の留学を国が後押しして頂けるのは有難いのですが、主様の自由が制限されるのはいただけませんね。」
次は触手に痛い所を突かれる。この世界の魔法と生物研究に大きな進展が期待できるだけに、触手の指摘は耳の痛いものだが、国崎は触手相手でも丁寧な説明を行う。
前提として、日本国はこの世界において魔法学、生物学共に後進国にすら劣る現状を説明する。そして、諸外国から日本国自体が「死者の国」や「食人族」と呼ばれて負のイメージを持たれてしまったために、研究を進める上で重要な検体の確保が難しくなっている事実を話し、自国民の魔族が協力してくれるだけで研究が飛躍的に進むことも併せて伝えた。
「赤羽さんを良く知らなければ、適した医療だけでなく社会保障の構築も出来ないのです。」
「我が国が長寿種に対応した法整備すら着手していないのは、判断に必要な情報が無かったということですかな? 」
触手が日本国を「我が国」と言う事に強烈な違和感を覚えるが、国崎は説明を続ける。
サインは容易にもらえると考えていた国崎だが、予想外の人物から痛い所を突かれて予定が大幅に狂ってしまった。しかし、国崎に日を改めるという考えはない、彼は丁寧な説明を行うことで、この場を乗り切り、無事にサインをもらうことができた。
「ふむ、今後の計画が決まりましたら私にも連絡をください。」
「わかりました。赤羽さんと白石さんはセシリア教授から出された課題を期日までに済ませてください。では、失礼しました。」
国崎は「うわ~まだ全然覚えてない! 小百合さんは? 」「大体終わったわ」などといった極普通の会話を聞きながら部屋を後にする。今回の訪問で、国崎は赤羽利子のサインをもらうために名も無き組織が予定していた行動計画を自己判断で触手に開示していた。
「さて、どうしようか・・・」
国崎は赤羽利子のサインが書かれた書類の束を見ながら、上司への言い訳を考える。白石小百合の評価修正と触手の利用価値・・・情報開示のマイナス分を遥かに上回る新規情報の入手に、計画の大幅修正を考えるのだった。
南海大島、西部大規模孤児院
南海大島の孤児院で最大規模を誇るこの孤児院は、開設当初から施設の拡充が進められ、現在では孤児以外の学生も寮生活を行いながら教育が行われている。次々に増える生徒に教師の数が足らず、南海鼠人だけでなく倭国人教師も採用され、教育現場は混沌としていた。
そんな中、ある職員室では深刻な雰囲気の中で会議が行われようとしていた。
「卒業生の半分を郷土防衛隊へ入れるというのは、正気ですか? 一体、国から何を言われたんです。」
教師の菊池は、孤児院の新しい運営方針について施設長へ真意を聞いた。
「菊池先生、顔色が悪いですよ。それに、顔の痣はどうしたのですか。」
「階段から落ちただけですので、気にしないでください。」
施設長は怪我をしている菊池の心配をしながらも、運営方針変更の経緯を話し始める。
復興支援の一環として造られた孤児院は、戦災孤児を大量に引き取ることで南海大島の復興と発展を担う次世代を教育する施設である。孤児達が日本国や倭国の知識と技術を身につけることで、卒業後に即戦力として活躍することを意図していた。
孤児達には多くの問題もあったが、教師達は施設を運営していく過程で大きな手ごたえを感じる一方、倭国人の教師がいることで孤児達の倭国への偏見が理解に変わっていくなど、当初の目的を十分果たせると確信があった。だが、時代の激流は長期の戦争が終結した南海大島にも容赦なく流れ込んだのである。
「では! 自衛隊員の不足を補うために子供を使うと言うんですか! 南海鼠人では大人でしょうが、日本人基準ならまだ中学生ですよ! 」
「この件は本国からの要請は一切ありません。要請者は南海大島臨時政府です。」
菊池だけでなく、その場の教師全員が怒りに包まれる。「その臨時政府に裏で指示を出しているのは何処だ」と・・・
「臨時政府としては自衛隊による治安維持ではなく、自分達で・・・」
施設長の話は菊池の耳に入ってこない。
昨日、菊池は担当するクラスの生徒と揉め事を起こしていた。前々から噂がたっていたが、南海大島で自衛隊が外人部隊を大々的に募集し始めたことで一気に孤児達が騒ぎ始めたのだった。あれだけ悲惨な目に合ったのだ、志願する者は少ないと思っていた菊池は、クラス全員が志願を予定している事に衝撃を受ける。
「お前らは何も分かっていない。いいか! 広告には南海大島の治安維持とか体の良い事が書かれているが、実質的に日本へ派遣されるんだぞ! 」
菊池はまだ子供の生徒達が裏の事まで知らないと判断して、声を荒げて募集が実質的に最前線へ送りこまれる兵士を集めるものだと伝えたが・・・
「そんなこと知ってる。」
「覚悟の上だ! 」
「日本が負けたら南海大島も危ないんだろ! 」
孤児達は菊池の思っている以上に国際情勢を把握し、意志も硬かった。
「俺は利子に約束したんだ。「日本がピンチの時は助けに行く」って! 」
「僕もだ。」
ユースとキド兄弟も菊池に声を上げる。兄弟にとっては、恩を返せるまたとないチャンスなのだ。
「馬鹿野郎! 」
菊池は生徒達を怒鳴りつけるが、両者ともに行き着くところまでヒートアップしてしまい、最終的に「行くなら俺を倒していけ! 」と言った菊池をクラス全員で袋叩きにするまでに発展してしまう。
「菊池先生、菊池先生! 」
「すみません近藤先生。」
菊池は海上自衛隊から教師となった近藤に現実へ引き戻される。
「体調が悪いなら、休まれては? 」
「大丈夫です、問題ない・・・」
強がる菊池だが問題は大ありである。生徒にバットで殴られたおかげで、全身打撲のほか肋骨にひびが入っている。だが、「生徒と乱闘して怪我をした」などとは決して言えないため救急車を呼ぶどころか病院にも行っていなかった。
「生徒達は本気で志願を考えています。我々で何か出来ないか相談する必要がありますね・・・」
「あぁ、せっかく平和になったんだ。あいつ等には戦争へは行ってほしくない。」
菊池や近藤といった教師は何かしらの影響があって自衛隊や警察を止めて教師となっていた。彼等が望むのは孤児達の平穏な未来であり、本人の意思とは言え兵士になってほしくなかった。
教師達は互いに相談し、自分達のできることを探し始める。しかし、力の無い彼等に協力する者は皆無であり、その活動は日本本国から非難されることもあった。
卒業した孤児達が日本へ派遣され、大陸の軍が迫る中、諦めにも似た空気が広がる彼等の前に、待ちに待った有力な協力者が現れる。
教師達は手を差し伸べてきた名も無き組織の提案を承諾するのであった。
ユースとキドの兄弟は作者のお気に入りキャラです。
近い将来、外人部隊はシュバ君との戦闘が予定されていますが、追加で勇者のラーテ兄妹とも戦ってもらおうと思います。これは作者から兄弟へのささやかなプレゼントです。
ラーテ兄妹は勇者の鎧を装備していて白兵戦では戦車も真っ二つにしますが、まぁ何とかなるでしょう。