敗戦の教訓
日本国東京某所
暗い室内で1人の男がテレビから流れるニュースを聞きながら新聞を読んでいた。テレビからは当たりさわりのないニュースが淡々と流れており、当たり前のことを専門家が喋っているだけである。この流れは新聞も同様で、各社とも申し合わせたように同じ内容だった。
「何処も流さないか。仕方ない、今回もこっちで記事にするしかないな。」
フリーの記者をしている瀬間は、数日前に特ダネをマスコミ各社へ持ち込んだのだが、何処も買ってくれないどころか、少しも取り合わなかったことにあきらめを感じていた。
ここまでマスコミが萎んでしまったのはどうしてだろうか? 盛んに行われていた政府批判は影を潜め、国の顔を伺うようになってしまったのでは、最早マスコミではない。
本来、不特定多数の者に情報を提供するのがマスコミの役目である。勿論、営利企業なので売れる記事を書かなければならないが、売れる記事と言うのはパンダの子供が生まれた事や、新しく便利で画期的な商品が作られた事よりスキャンダラスなもの、政府批判の強いものが好まれる傾向にある。そのため、売れる報道を加熱させればマスコミ自体が反政府組織と見られてしまうこともしばしばあった。
黒霧に囲まれ、国民の不満が爆発して暴動が起き、訳の分からない星に瞬間移動したものの、ここまで委縮するほどマスコミは軟ではなかったはずだ。マスコミの変貌を間近で見てきた瀬間自身、問題だと思っているのは暴動発生時の対応だった。暴動をあたかも国民の意思とばかりに報道し、助長してしまったのだ。暴動の結果は食料の大量損失であり、輸入が途切れて備蓄と国内生産のみに頼るしかない日本国民を追い詰めただけだった。国は暴動の参加者だけでなく、助長した者まで一斉検挙して暴動の飛び火を抑え込んだのだが、その過程でマスコミ関係者が大量に検挙され、更に割を食った国民の多くが「暴動を助長した」として全てのマスコミ関係者を蔑んだ目で見るようになっていた。暴動発生前、国民の多くが国に不満を持っていたのは事実だが、事が終わってしまえば犯人捜しを行い、誰かに責任を負わせようとしたのだった。
マスコミの委縮はまだまだ続く。営利企業であるマスコミにとって、スポンサーは必要不可欠な存在だが、黒霧の包囲からスポンサーが一斉に離れ、転移後は国が主なスポンサーという状況になっていた。中には今まで通り国の政策や方針を批判する記事を書く所もあったものの、一部黒霧内各国の政府批判ともとられない記事を書いてしまったため、大使を激怒させて謝罪に追い込まれるなど、マスコミが自由に活動できる状況は無くなっていたのだ。
「おいっ、仁科! 」
「はいっ。」
瀬間に呼ばれて部下の仁科が隣の部屋から現れる。
「例のネタを今日中に仕上げるぞ。」
「えっ、今回のも買い手がつかなかったんですか? 」
瀬間達のようなフリーの記者にとって、自費出版は大きな負担となる。取材のためには遠方に行く必要があるし、自家用車を使わなければならない場所もあるが、ネタが国指定の会社に買われなければ必要な配給券が手に入らなかった。今の日本国では燃料配給券が無ければガソリンを購入する事も出来なければ、長距離移動許可証を持たなければ海外へ行くことも出来ないのだ。これらの配給券は購入することも出来るが、かなりの値段がついている。
幸いにして、瀬間が自分の足で手に入れたネタは好評であり、インターネットだけでなく紙媒体でも売上を伸ばしているので、厳しいながらもやっていけている。
「何処からこんなネタを見つけてくるんですか? 」
「そいつは企業秘密さ。強いて言うなら、信頼の賜物ってやつだ。」
瀬間は足を使って国を動かしている者と接触していた。何度も何度も足を運んでは当たり障りのない事を聞き出して記事にし、交友関係を深めていく。その過程で新しい人物を紹介してもらい、取材を申し込む。取材対象の人物が口を滑らせても「書くな」と言われれば絶対記事にはしない。この様な積み重ねで信頼関係を構築する事で、政府発表前の情報を何処よりも早く記事にしたこともあった。
「瀬間さんは、戦争になると思いますか? 」
「あぁ? そんな事は自分で考えろ。」
2人はネタを記事にまとめながら会話を続けていた。瀬間としては仁科に構っている暇はないので軽くあしらう。
全く、最近の若いもんは直ぐに答えを知りたがる。仁科が子供の時から国は「自分で考える力を身につける」という教育方針をとっているが、効果は出ていないのではないか? 仁科のような若者は多い、というよりも全年代で見られる。安直な答えを求め、物事を善か悪かでしか見れない者達、そんな奴等の問いに適切な回答は「自分で考えろ」である。何故なら、明確な答えなど無いのだ。何が正しいかなど人それぞれであり、時代によっても変わる。近年はその傾向が顕著であり、十年前の常識が今では弾劾されるべき非常識となる事も珍しくなかった。地球から転移した現状ではなおさらだ。
「今書いている瀬間さんのネタですが、憲法改正の国民投票を今やったら通っちゃうんじゃないですか? 第二次世界大戦の反省から日本は戦争をしない国になったのに、戦争に駆り出されるのは、俺は嫌です。」
戦後の平和教育と言うやつか、戦争が身近に無かった仁科は戦争の雰囲気に包まれている世界に不安を持っているようだ。瀬間は仁科と同じ年には海外の紛争地域に入って取材をしていたため、今の雰囲気にそれ程不安を感じていない。
瀬間にとって仁科は「無知な軟弱者」と言う評価であり、その内一人前になるだろうと思っていたが、こんな状態では今の仕事も終わりそうにないので答えに近いヒントを出してやることにした。
「戦争をやらかして「反省」だけで済むほど世界は甘くない。日本がこの先、生きるも死ぬも、あの敗戦からどれだけ教訓を得て、活かせるかにかかっている。」
「教訓ですか? 」
「仁科、日本が世界大戦から得た教訓は何だ? 「反省」しているのなら即答できるだろう。」
国の舵取りに正解は無い。何が正しいか誤りだったかは未来の結果によって変わるが、明確な失敗を避けるためのヒントとなるものが教訓である。
「先に手を出さない事ですか? 」
「それもデカイ教訓だが、それだけじゃない。」
自信なく応える仁科だが、瀬間が考える教訓の1つであったため、仁科への評価が少し変わる。
「俺達に関係することだ、今は戦争を吹っ掛けられようとしている中で、融和派と戦争否定派は何が何でも戦争を回避しようとしているが・・・」
日本の外交力を知る者からは、戦争を回避出来たら奇跡とまで言われている。
「宣戦布告される側でも、戦争が始まる前に国は国民に対し、何をどこまでやるべきか、何が正義か、十分説明して支持を貰わなければならない。これがあの戦争から得た教訓の1つだ。」
政府は過去の教訓から国民に説明を行い、投票によって支持を得ようと考えていた。憲法を改正するための国民投票は瀬間がモノにしたネタであり、マスコミの真価が問われる場となるだろう。
「自分達が国民への情報提供に重要な役割を持つのはわかるのですが、国が十分な情報を出しますかね? 」
「その情報を聞き出して記事にするのが俺達の仕事で、腕の見せ所だろうが。無駄話も済んだし、仕事を再開するぞ。」
瀬間は作業を再開するのだが、仁科の危うさは口に出さない。今、口にしたところで逆効果になると考えていた。仁科のような者は自分の価値観を優先して、価値観の異なる者との交渉を粘り強く出来ない傾向にあり、住む世界の異なる者とギリギリの落としどころを見出すことが下手である。政府が国民の負担となるような政策を出せば、自身の価値観から平気で偏向報道もするだろう。
転移前の暴動で仁科に似たリポーターが「暴動は国民全員の怒り」と表現していたが、暴動鎮静化後に「共犯者にするな」と全国から名指しで非難されて姿を消していた。所詮、俺達はマスコミであり、国民に選ばれた人間ではない、自分の持つ倫理観、正義感で情勢に流された迂闊な報道を行ってはならないのだ。
倫理観、正義感は人と場所が異なれば、全く意味の異なるものとなってしまうのだから・・・
古今東西、どの国家も悪の帝国を作るため、世界の破滅のために戦争を始めてはいない。世界で起きた戦争のほぼ全ては正義と正義の戦いであり、凄惨を極めた世界大戦ですら正義のための戦いだった。
この星における正義と地球の正義がぶつかるまで時間はあまり残されていない、その中で日本国民は世界に向けて明確な意思表示を行わなければならない時期に差し掛かっていた。
仁科は簡単な教訓を、瀬間は政府とマスコミに関係する教訓を1つだけ出しました。敗戦の教訓を活かそうと現総理と前総理は投票の準備を進めていますが、名も無き組織と倭国の外務局長は世界の平和を阻むためにアクセル全開で突っ走ります。
ちなみに作者は別の教訓を重要視しています。