日本国の野望 その5
日本国東京都霞ヶ関
環境省の一室で、上杉健志郎は自身が進めるプロジェクトをモニター越しに確認していた。画面には積み込み作業中の古い貨物船が映されているが、その場に人間は誰一人として映っておらず、無人の機械が黙々と仕事を行っていた。
特定廃棄物処理に関する実証実験・・・日本国が黒霧に囲まれてから上杉が中心となって起ち上げたプロジェクトである。多くの省庁と政府を巻き込んだこのプロジェクトは、処理困難な廃棄物を黒霧に投棄して処分するというもので、転移前から実験と称した投棄が行われていた。
第1回目を投棄した段階で、世界の貨物船を監視している団体から早速指摘を受けたものの、日本政府は研究目的との回答を行ったのみで、積荷に関する情報は公開していない。ただ、事故のあった原子力発電所に港を整備して、そこから貨物船が出て行けば誰でも何をしているのか予想がつくのだが、既に世界は日本国への手出しができない状態にあり、世界からの追及は情報公開を求められる程度に終わっていた。
「核廃棄物処理用の地下施設は国民の避難施設に転用しましょう。廃棄物が運び込まれる前なら、何とでもなります。」
黒霧に囲まれて猶予の無い日本国は他に選べる選択肢もなく、国民のためという大義名分によって上杉のプロジェクトは大きく動き、同時に彼は確固たる発言力も手に入れていた。
定時になり、上杉はモニターを畳んで立ち上がる。そして、入室してくる名も無き組織のメンバー達に挨拶をしていく。
「では、始めましょうか。」
名も無き組織の会合はいつも通りフランクな形で始まる。
「先日、蜀で発生した爆発は蜀軍作業員の不手際によるものと判明しました。被害は中間補給処の燃料弾薬等、約50トンを焼失。死者は蜀軍に6名。」
「原因ですが、夜間作業時にドラム缶を損傷させてガソリンが流失し、確認のため炎魔法で照らしたようです。」
会合で始めに出てきたのはフレッシュな話題だった。蜀では急速な油田開発、軍の近代化、全土への拠点建設が行われているが、それに伴って事故も増えていた。
「小規模な補給処なので今後の計画に影響はありませんが、蜀への安全指導は徹底させなければならないでしょう。」
「油井や製油所等、大規模な施設では地球の法を適用して安全策を徹底しています。しかし、小規模な所は蜀に任せているのが現状です。」
「全てを日本人が指導するのは無理なので、蜀で指導的立場の人間を教育し、フィードバックしてもらう計画を立てました。」
今回の件は、名も無き組織が出る前に対応する組織が解決までの道筋を立てていたため、簡単な説明だけとなる。
「宜しいでしょうか? 先日、私の耳に気になる情報が入りまして、文科省へ質問があります。 」
「はい、どの様なことでしょうか。」
上杉の質問に会議室の全員の視線が彼に集中する。名も無き組織に頭は無いが、構成員からは上杉が実質的なトップと思われているからである。
「あなた方の担当するパンガイアへの留学候補生ですが、国内で問題を起こしたそうではないですか。彼女への対応はどれ程進んでいるのでしょうか? 」
「耳の痛いところです。当初、日本国内での事故は想定していませんでした。現在は24時間対応できるように職員を増やしたところです。」
文科省の職員は答えるが、上杉の聞きたい回答ではない。
「科学的検査から、彼女は妖怪と断定されています。何事も無ければ3百年は生き、場合によっては特殊能力で周囲に害を及ぼす危険性がある。その様な国民を扱う法が、未だに考えられていないのですよ。戦争が迫っていると言っても、今から対策を講じなければなりません。」
上杉の危惧は現実のものとなりつつあった。魔法を使える国民の増加予想が出ており、更には自衛隊外人部隊へ日本国籍を与える案も上がっている。一応、日本版魔法学校の創設や出生時の魔法適性検査などが考えられているが、どれも机上の空論であり、名も無き組織であっても対応策は立てずらかった。
「他にも妖怪の犯罪者に対応するために警察力を強化するのか、自衛隊を出すのか、待ったなしの所まで来ているのではないでしょうか? 付け加えておくと、問題を起こした留学候補生ですが、彼女がその気になれば警察力では対応できませんよ。」
上杉は留学候補生、赤羽利子の南海大島と日本国内での活動記録を公開する。ライフル銃から完全に守れるシールド魔法、帰国後に発覚した強靭な体。担当する職員以外、冗談にしか見えない情報が医師や鴉天狗等、専門家の意見も交えて出されていく。
当初、名も無き組織では特殊能力を持った犯罪者へ自衛隊を出す事には消極的であった。しかし、実情を知った結果、警察の強化と自衛隊の早期派遣、その両面で対策が進められることとなる。
30分後、会合は全体的なものから各分野別に分かれていた。その中でも経済政策に関しては出席した半数以上の構成員が参加し、活発に情報交換が行われている。
「経済政策ですが、現在は1段階となる黒霧内各国の大規模開発と国内の再開発が行われているところです。第2段階への移行は多少の混乱が予想されますが、手筈は整いつつあります。」
「与野党への根回しも済んでいますし、法をクリア出来れは、後は実行するのみです。」
「直ぐに動かせる体制を整えておきたいですね。」
黒霧の発生と転移の大混乱から立ち直るための経済政策は大きな変更が加えられながらも、軌道に乗りつつあった。
転移現象が急に発生せず、黒霧の発生から包囲まで段階を経て進んだことで、産業構造の変更に猶予が生じた事は不幸中の幸いだった。また、国民の多くを地下シェルター建設に動員したおかげで製造、建設分野の人材に余裕があり、転移後の海外開発と国内再開発に追い風となっていた。そして、国内再開発が進めば第2段階の「工業製品の大量生産と輸出」に移行することとなる。ただ、国内需要は配給制を未だに終わらせることができず壊滅的であり、黒霧内各国も日本国を富ませる程の需要はない。
「全国に建設中の工場は順次稼働していき、2年後に本格稼働となります。なお、資料にあります6ヵ年計画最後の生産予定数は余裕を持った数字を出しています。」
「何とかなりそうだな。」
「しかし、信じられないねぇ。毎月100台以上の戦車を作るなんて・・・この調子だったら、新しく発注した護衛艦170隻も期日までに完成させられるのでは? 」
「それは難しいでしょう。」
「民需も外需もほぼ消滅しているからできる荒業ですよ。」
黒霧消滅後にパンガイアとの貿易が期待できない状況で日本国の一番大きな需要は軍需であり、産業構造自体を軍事に特化させることで、世界との大戦に備えつつ経済をまわそうとしていた・・・
「ヴィクターランド派遣艦隊で負傷者が出たのは陽光だけです。あの艦は出航させるべきではなかった。」
「性格はともあれ、優秀な人材を集めて短期間で形にしたのです。貴重なデータも取れましたし・・・」
「重大事故が起きてからでは遅いのですよ。」
会議室の隅で揉めているのは文部科学省、経済産業省、防衛省の職員達である。共同運用している次世代兵器開発プロジェクトの1つ、レーザー護衛艦「陽光」についてであり、派遣艦隊に同行し、不安のある兵器を使用して艦内で火災が発生、全電源喪失した挙句、自衛隊員に負傷者が出ていたのだ。
「次世代技術開発に事故は付き物」と考える文部科学省。
「機械は壊れても直せるが、人は死んだら直せない」と反発する防衛省。
「教授を海外から呼んだのは我々だが、こっちに責任はない」の一点張りの経済産業省。
陽光は即席のプロジェクトだったが、その反動も大きく、名も無き組織内で大きく揉める原因となっていた。
「何やっているんですかね。」
「全くだ。何のための組織なのだか・・・」
議論の進まない隣を横目に、門倉は外務省の職員と情報交換していた。
「楠木レポートは活かせそうですか? 」
「直ぐにとはいきませんが、興味深いものです。」
相手の能力を見ることができる楠木日夜野によって、神竜教団のトップ、ゲール神官長が竜人族ですらない可能性がレポートで指摘されていた。ゲール神官長は竜人族の中でも高い魔力を有し、身体能力も高い。何度も教団を滅びの淵から救ってきた優秀な指導者でもあり、神竜ヴィクターを除けば彼以外にヴィクターランドと教団を率いることができる者はいないとされる人物である。
楠木のレポートにはゲールの能力が生き物とは異なることが記載されていた。生き物であれば各能力にバラつきが見られるはずである。しかし、ゲールにはそのバラつきが一切見られず、一定の値で推移している事から、楠木はゲールを「アバター」という言葉で表現していた。
「我が国では確認のしようがないのですが、レポートの情報を流したところ面白い組織が興味を持ちました。」
「確証のないレポートに引かれるとは、思うところがあるようですね。それはどこです? 」
「倭国の魔法科学院ですよ。」
その組織名を聞いて門倉は目を細める。日本国の文部科学省に近い組織だが、実情は倭国の先進研究機関でありながら諜報も担当する裏の面があることを把握していた。
門倉が魔法科学院を強く意識したのは、蜀での精霊駆除と東の森の精霊の引き込みをした時である。戦闘、一外交官の思い付きによる精霊の引き込み、成功の裏には何時も倭国の影があった。
名も無き組織は倭国の組織とも積極的に接触して交流していたため、ある程度の信頼関係が出来てから門倉は魔法科学院の高官に、蜀における一連の行動を聞いていた。
「あの精霊は妖怪化していました。以前から我が国が身を保証することで、引き込む予定があったのですよ・・・」
倭国は東の森の精霊を蜀への諜報に活用する計画を立てていた。現在の状況になったのは倭国の情報収集と研究の賜物だったのだ。
「あの組織が興味を示すとは、この件は要調査ですね。場合によっては総理に働きかける必要がある。」
「同感です、この世界の裏を知るには倭国に頼らざるを得ませんから。余談ですが、倭国外務局長がうちの福島と頻繁に会っているのは知っての通りですが、最近、倭国での会議が増えています。」
外務局長コクコと外務省の福島との会談は名も無き組織にとっては頭痛の種である。非戦派の福島には「無色の派閥」と呼ばれる国会議員達と太い繋がりが出来ていた。
「話せばわかる。戦争は必ず回避できる。」
と言う彼等の声に国民の支持がじわじわと広まっており、名も無き組織の息がかかっていない無色の派閥の勢力拡大は間接的であっても阻止したかったのだ。
「そっちはどう対処を? 」
「放置しています。コクコ局長が我が国の非戦派と頻繁に接触しているのは、我々(名も無き組織)の出方を見ているからです。時が来れば向こうから接触してくるはずです。」
「今、下手に動けば足元を見られかねない、か。外務局長が日本の事情を把握していて、あえて行動しているのだったら、とんだ狸だな。」
「コクコ局長は狐ですね、狸は福島の方ですよ。可能性は低いですが、あり得ないと言い切れないのが怖いところです。」
外交戦で高い能力を持つ倭国、その中でも外交、諜報の大半を担当する外務局長がパンガイアとの戦争を回避できるなどと楽観的になっているとは考えづらく、何か意図があるはずである。門倉と外務省職員は相手の出方を見つつ、必要に応じてコクコとの接触を試みる計画を立てるのだった。
ギャー、新しい仕事に慣れない!