九十五話
みんなから褒められる特別な力が未だにわからない。初対面と仲良くなるのは普通ではないか。礼儀正しく嫌がられそうな態度をとらなければ、大抵の人とは友人になれる。すごくも何ともない。自分の特技に気づけないほど頭がよくないことに、むしろため息が出る。
慧にすすめられるため、大学の志望校を調べてみた。といってもどこもレベルが高く、この森羽高校に入学するのも危なかったのを思い出した。全て京花に任せっきりで、ただ一人暮らしをする夢ばかり考えていた。一人では志望校が選べないので慧に電話をかけた。
「どこの大学も難しそう。どうしよう……」
「なかなか決まらないよね。俺も手伝うよ」
「慧は? すでに決まってるの?」
「まだはっきりとは決まってないけど、家から割と近くて通いやすそうな学校にするつもり。もし見つからなかったら働こうかな」
慧は成績優秀だし、必ずどこかしら入学できる。仕事もすぐに探せるだろう。モデルや家庭教師など、数え切れないほど活躍の場はある。
「いいなあ。慧みたいに素敵な人として産まれたら苦労なしだったのに。おまけにドジなんてさあ……。慧が羨ましい」
「そんなことないよ。もし爽花が美人で素敵な人だったら、彼女にしたいなんて考えないし」
「えっ?」
「昔から男は女や子を護るっていう役目があるだろ。一人で全部できますなんて女性なんか魅力ゼロだよ。俺はそう感じる。弱くてちょっとだめなくらいが可愛いんだよ」
爽花がドジを踏んでいる姿が一番好きだと慧は言っていた。頼られたり助けを求められると嬉しいのだろう。しかも相手が愛しい爽花ならやる気も膨らむ。そして感謝を告げられると自信も沸く。
「そっか。慧ってかっこいいね。男らしいよ」
「いやいや、そんな。恥ずかしいけど、どうもありがとう……」
照れている表情が声だけで頭に浮かんだ。また爽花の可愛さが増したはずだ。
「ところで、卒業したら俺たちはどうなるのかな?」
「どうなるって?」
「だから、告白の返事聞かせてくれるのかな?」
ぎくりとして携帯をとり落としそうになった。そろそろ正直に答えてくれという意味だ。彼女になるのかならないのか。もし彼女になったら結婚はするのか。まだ瑠の心の扉が閉まっているため伝えられない。
「怒らないから、真っ直ぐ爽花の気持ちを教えてほしい。爽花が恋人同士になりたくないなら友だちのままでも構わない。もし嫌なら他人になっても」
「他人は嫌だよ。せっかくの慧との高校生活が消えちゃうなんて考えたくないもん。悲しい話はやめて」
「……そうだね。ちょっとネガティブになっちゃった。ごめんね」
謝るのはこっちだと罪悪感が溢れた。いつまでも曖昧にして、嘘をついて誤魔化して、大きな秘密がごろごろと存在している。もちろん全てバラすわけにはいかない。自己嫌悪に陥りそうになった。
「まだ待ってて。必ず答えるよ」
「うん。できたら卒業する前がいいな」
「いつなのかはあたしにもわからないよ」
瑠の正体を暴いて、ようやく慧との付き合い方をどうするのか考えるのだから、かなりの時間を要する。志望校についての電話だったのに脱線してしまった。
「大丈夫。約束は守るよ」
短く言い電話を切った。これ以上動揺せずに会話をする余裕がなかった。
愛してくれる人と癒してくれる人、どちらを選択したらいいのだろう。どちらも手に入れるという選択はない。とても酷な問題だと痛感した。しかし答えると話してしまったので逃げる隙もなく、苦しい日々を過ごす。やはり恋愛は楽しみなど一切なく苦しみしかないのだ。さらに結ばれたからといって幸せを得られるかも不明なのだ。志望校を探す方がまだ簡単だ。学校はいつか別れるが、恋人は死ぬまで繋がる存在だからだ。カレンダーに目をやり、高校時代が終わりに近づいているのを改めて確信した。この三年間に起こった出来事が一気に頭に蘇った。カンナのラブレターから始まって、慧に出会い瑠に出会い油彩の美しさに惹かれ、イチジクやアリアや潤一など優しい人にも知り合えた。本当にいろいろなことが起こった。そして何より、幼い頃に決意した「触らぬ神に祟りなし」は間違いで「捨てる神あれば拾う神あり」が正しいのだと驚いた。いいことも悪いこともたくさん詰まって、かけがえのない記憶として心に残っている。忘れてはいけない宝物。こうやって、人生という長い道ができあがっていくのだ。
「……そういえば、あたしの将来の夢って何だろう……」
呟いてみたが想像できなかった。どこかにいる心優しく穏やかな男性と結婚する。平凡だが暖かな暮らし。勇気はないが、もし可能なら子供も産んでみたい。京花の、孫を抱き締めたいという願いを叶えてあげたい。一度も抱かせてもらえなかったうえに二度と会えないと話したイチジクの寂しげな表情は鮮明に覚えている。頑張って育ててくれた二人に恩返しがしたかった。けれど運命の人がいなかったら無理だ。心優しく穏やかな男性はいるのか。
「あーあ……。恋愛難し過ぎ……。油絵よりも難しいよ……」
もう一度呟き、がっくりと項垂れた。
そんな爽花をよそに、カンナは自由なひとときを過ごしていた。街中で、男子と手を繋いで歩いているのを目撃した。どうやら彼氏のようだ。さっそく聞くと、カンナは照れたように頬を赤くした。
「一カ月くらい前にね。同じクラスの子なんだ」
「すごいじゃん。告白はカンナがしたの?」
「うん。どきどきして舌噛んじゃった。恥ずかしかったよ」
「しょうがないよ。あたしも緊張するもん。しかしカンナが彼氏作ってたとはね。幸せ者だね」
「何言ってるの? 爽花にも彼氏いるじゃん。水無瀬くんっていう、めっちゃイケメンの彼氏が」
はっと目を丸くした。カンナは瑠がいるのを知らない。つまり慧は一人っ子で、双子の兄がいると気付いていない。カンナだけではなく、多くの人間が慧は一人っ子だと勘違いしている。そのため爽花がなかなか慧と恋人同士になろうとしない躊躇いが不思議でならないはずだ。あんなに理想的な男子にあそこまで言い寄られているのになぜ彼女になると返事をしないのか。慧は大好きだし大事な人とは思っているが、恋人同士になると答えたらもっと大事なものが消えてしまうので勇気がないのだ。瑠と離れ離れになりたくない。向こうは信用していないが、爽花は癒されるので常にそばにいてほしい。わがままで自分勝手だがどうしようもない。
「もしかして、爽花って水無瀬くんと付き合ってないの?」
「いや……。そうじゃなくて」
「あたし、ずっと爽花と水無瀬くんはラブラブカップルだと思ってたんだけど……。違うの? 水無瀬くん、かっこいいし王子様じゃん。爽花、頭おかしくなっちゃったの?」
「あ、あたしは、取り柄もないし平凡だから、お似合いとは言えないの」
苦笑したがカンナは真顔でずいずいと詰め寄って来る。
「自信持ちなよ。爽花は可愛いし素直でいい子だよ。フラれる心配はないよ」
ぎゅっとカンナは手を握り締めてきた。その気持ちはよくわかる。爽花が一言「あたしも慧が好きだよ」と囁けば、全て丸く収まるのもわかっている。
「……ごめん。これは爽花が考える話だよね。勝手な妄想してごめんね」
カンナが頭を下げたので、爽花は首を横に振った。こんなに親身になって励ましてくれる友人などいない。そもそも慧と出会ったのもカンナのラブレターのおかげだ。あのラブレターがなかったら、つまらない高校時代を送っていた。
「ねえ、もしカンナは、二人の男の子に出会って、どちらかと付き合わなきゃいけないって言われたらどうする? 片方を諦める? それとも両方諦めてどちらとも付き合わない?」
突然の質問にカンナは目を丸くした。首を傾げ「うーん」と唸り、そっと答えた。
「あたしは、片方を諦めてもう一人の男の子と付き合うかな。なるべく早めに伝えるよ」
「早めに? どっちにするか選べるの?」
「選ぶのは大変だけど、いつまでも相手を待たせたらそれはそれで可哀想でしょ? そうやって割り切らなきゃ、いつまで経っても彼氏なしで気付いたらおばちゃんになってたなんて嫌じゃん」
きっぱりとしたカンナの言葉が爽花の胸に突き刺さった。特に「待たせたら可哀想」というのがショックだった。今までどれだけ慧を待たせて不安にさせてきたか。けれど不安なのに慧は爽花のためにいつも笑っていた。普通だったら憎くて恨めしいはずなのに、ずっと優しく接していた。それなのに「慧がいなければ瑠と仲良くできるのに」と想像し、まるで邪魔者みたいに考えていた自分の汚さに指一本動かせなかった。爽花が黙りこくっているため、カンナはゆっくりと離れていった。
アパートに帰ってから、アリアの鏡台にあった古紙を思い出した。くしゃくしゃに折られ端も破れ文字も掠れているのだから、多くの人間に触れられて長い時間を渡り歩いてきただろう。だいたい六十年近く前に作られたと感じられる。アリアが六十代なわけないのだから、始めからアリアの私物ではなかった。元々は誰の手の内に収まっていたのか。そしていつアリアの手に移ったのか。水無瀬家に似つかわしくない古紙は、爽花にとって重大なヒントのようだ。
「もう……。辛過ぎだよ……」
愚痴をこぼし、はあ……とため息を吐いた。最低な自分の行為を、少しでも忘れていたいと無意識に考えていた。
しばらくして携帯のボタンを押した。慧に伝えたいことがある。すぐに「どうかした?」という声が聞こえて、迷わずに話した。
「今度の土曜日、お茶飲みに行こうよ。言いたいことがあるの」
「言いたいこと? それって」
期待する口調で申し訳なかった。その気にさせておいて実は全く関係のない内容だと知ったらショックを受けるだろう。
「違うの。告白の返事じゃなくて別のこと」
「……そうか。別のことって?」
「詳しくは会ってから。いいかな?」
「うん……。わかった……」
一体いつになったら想いを伝えるのかとイラ立ち怒鳴らないのは、爽花を強く愛している証拠だ。「駅前の喫茶店で」と爽花が決め、短い電話は終わった。




